第40話『裏切り者のエルフ』
誰もが息を呑む静寂の輪――その中心で、彼女はゆっくりと息を吐き、言葉を紡ぎ始めた。声は低く、しかし一言一言に重みがあった。
「セレーネは、私たちの里で生まれた。生まれつき星を読む才があり、弓の腕も抜きんでていた。マナの扱いも飛び抜けていて、里の誰もが彼女を誇りに思っていた――だが、あるとき勇者が来た。シオンという男がな」
彼女の指先が、無意識に矢筒の縁をなぞる。火の光がその指を白く浮かび上がらせる。
「シオンには、人を惹きつける力があった。狙い澄ましたように、里の慣習や弱さをすぐに掴み、言葉巧みに皆の信頼を勝ち取った。セレーネもまた、それに応えた。二人は仲間となり、やがて――里を焼いた。あの夜、私は炎の中で、彼女が私達を裏切ったのを見た。銀の髪は黒く焦げ、青の瞳は血のように赤く変り果てた。以後、我らは彼女を『裏切り者』と呼んだ」
アルシェの声に、憎しみと哀しみが混ざる。言葉の端には、長く抱いてきた痛みが宿っていた。
「それが、私の知るセレーネの顛末だ。ここで言っておかなければならないことがある。――『真実』を知る者は、思っているほど多くはない。勇者を召喚した王国も、我らの里も、百年前の出来事の核心部分は機密事項にされている。口外は禁じられ、口を閉ざした者たちは、責められない代わりに重い十字架を背負って生きている」
アルシェは顔を上げ、焚き火の向こうを見つめた。風の音が遠くで掻き消える。
「王国の役人が何を隠そうとしたのか、長老たちが何を恐れたのか――当時まだ幼かった私には分からない。ただ、里で語られたのは『勇者にたぶらかされた女』という単純な言葉だけだった。だから私は、人間を容易に信じることができない。もしあの夜に彼女を止められたとしても、果たして――」
言葉が途切れ、火のはぜる音だけが数秒間支配した。周囲の顔がそれぞれに影を落とす。ロイは額に手をやり、蒼真は無言でアルシェの掌の震えを見つめていた。
「だが――」と彼女は再び続ける。声が少しだけ弱くなった。「それでも、真実を知るのは誰かの義務だと思う。『裏切り者』が本当に裏切り者なのかを確かめる権利は、私にもある。隠された頁がある以上、誰かが答えを出さねばならない。だから私はセレーネを探すべきだと思う。彼女の口から聞くしか、事の全ては分からないのだから」
その告白に、周囲の空気が熱を帯びる。アルシェの目には、確かな決意の光が灯っていた。
だが同時に、彼女自身も知らぬ不安がその奥に蠢いているのが分かる――もし真実が今までの語りを裏切るものであったのなら、何を失うのか。誰を信じればよいのか。
小さく震えるその指先を、彼女は自らの膝の上で固く握りしめた。
「……セレーネがまだ生きているのなら、会わなければならない。真実を、この目で確かめたい」
その言葉は、怯えを隠しきれぬ声色でありながらも、どこか凛と響いていた。
「真実を……か」
ロイが低く呟く。
「だが、俺たちに必要なのは、あくまで『魔王を討つ』ための情報であって――」
「でも」
セラフィナが言葉を挟む。
「魔王討伐に至るまでの道に、百年前の勇者一向の歴史を振り返る事は有益かと思います」
「そうだな」
ディランも頷く。
「セレーネが敵なら、そこで斬るまでの話。だがもし……もし、真実を知るための唯一の鍵だとしたら、今は戦うよりも、聞くべきだ」
焚き火がぱち、と音を立てて弾ける。
その赤い光が、揺らぐ心を照らしているようだった。
リュミエールがゆっくりと本を閉じ、指先で革表紙を撫でた。
「――結局、この手記だけでは真実の全ては語られていません。私達はもう『失われた頁』の存在を知ってしまった。ならば、その欠けた部分を探しに行くしかありません」
「そして、その答えを握るのがセレーネだ」
蒼真が静かに結論を口にした。
「……行こう。真実がどれほど残酷でも、俺達が背を向けちゃいけないものなんだ」
その言葉に、アルシェは思わず蒼真を見つめた。
彼の眼差しは、炎よりも熱く、闇よりも深く。
そして――彼女の胸の奥で、決して消えることのない炎が灯ったのを、アルシェははっきりと感じていた。




