第38話『真実の断片』
――雪崩。
雪の奔流に呑まれたロイとリュミエールは、必死に雪を掻き分け、荒れ狂う吹雪の中へ這い出した。
「……死ぬかと思ったぜ」
ロイが息を吐き、胸を押さえる。
その懐には、必死に守り続けてきた奇跡の結晶――始源晶が収まっていた。
「あなたの仲間はあまりに軽率です。特にあの魔女は何なんですか? あんな場所で大魔法を使えば、雪崩が起きるに決まっているじゃないですか!」
リュミエールは冷たい声音で言い放つが、その頬にも疲労の色が濃い。
吹雪に閉ざされた視界の中、ふとロイが指を差した。
「……あれを見ろ」
遠く、雪原の向こうに影があった。
歪んだ屋根、崩れかけた壁。古びた、廃屋のような家。
「あんなところに……?」
リュミエールが眉をひそめる。
「吹雪を凌げるなら御の字だ。行こう」
二人は雪をかき分け、足を進めた。
歩きはじめてすぐ、ロイの胸元がかすかに脈打った。
始源晶が淡い光を放ち、震える。
リュミエールが振り返る。
「……その光、まさか――」
空が裂ける。
咆哮と共に舞い降りる巨影。氷翼竜。
その氷の鱗は吹雪と同化し、翼の一振りで地面に積もった雪を巻き上げる。
「なるほど……お前、これに惹かれて来たのか」
ロイは結晶を強く握りしめ、剣を抜いた。
「……逃げ切れる相手ではありませんね」
リュミエールは魔導書を開き、古代文字を指でなぞる。
「魔導解析網!――弱点は左翼の関節、肉質が柔らかくなっています!」
リュミエールの言葉を受けロイが駆け出す。
ワイバーンの冷気が襲う瞬間――
「魔力共鳴陣!」
リュミエールの魔力がロイの身体へと流れ込む。強化された足が雪の積もった地面を強く蹴り上げ、高く高く跳躍した。
狙うは弱点部位。振り下ろした刃が、左翼の関節部を切り裂いた。
片翼をもがれた翼竜は地に落ち、呻き声をあげる。ロイはそのまま翼竜の頭部を貫き、とどめを刺した。
まっさらな雪原が深紅に染まる。
「さぁ、行くぞ」
ロイの言葉に、リュミエールは無言で頷き、二人の足跡が雪原に刻まれる。
ーー息を荒げながら、二人は古びた家へと辿り着いた。
崩れた壁の隙間から冷気が流れ込むが、外よりは幾分ましだった。
ロイが薪を集めて暖炉に放り込み、手を擦り合わせる。
「火をつけねぇと、凍死するな」
リュミエールは一歩前に出て、魔導書を開く。
柔らかな光が暖炉に宿り、小さな火種が生まれる。
それは薪に広がり、やがてぱちぱちと暖かな火が燃え広がった。
「……攻撃魔法は得意ではありませんが、これくらいならば」
彼女は静かに呟き、炎を見つめる。
「助かる。やっぱり便利だな、魔法ってやつは」
ロイは肩を落とし、火に両手をかざした。
だが笑みは長く続かず、炎に照らされた顔に影が落ちる。
「……俺は、勇者の影に過ぎない。剣は多少振れても、他には何も無い」
低い声で吐き出したその言葉は、暖炉の火よりも熱を持っていた。
「蒼真には“選ばれた力”がある。皆があいつを信じてついていく。俺は何もかも半端で、誰かの代わりを必死に演じることしか出来ない」
リュミエールはしばし黙って耳を傾けていた。
炎の揺らめきが彼女の横顔を照らす。やがて彼女は口を開いた。
「……その気持ちは理解できます。私も、いつだって仲間に比べれば力不足ですから。それに私は、あのメンバーの中では新参者ですしね」
リュミエールはわずかに自嘲を含む微笑みを浮かべる。
「ですが――犠牲を重ねてまで何かを成し遂げる考えには、賛同できません」
「犠牲を出さずに勝てるほど、世の中は甘くない」
ロイが吐き捨てるように言う。
「勝利よりも大切なものは、必ずあります」
リュミエールの声音は柔らかいが、芯の通った強さを帯びていた。
「たとえ遠回りでも……誰かを守ろうとする姿勢こそが、真の強さだと、私は信じています」
ロイは言葉を失い、炎をじっと見つめる。
その目にはまだ影が残っていたが、どこかでリュミエールの言葉を受け止めようとしている気配もあった。
二人の間に静寂が流れた。暖炉の火がぱちぱちと爆ぜる。
吐き出された言葉の余韻が部屋を満たす中で――ロイの胸元に眠る始源晶が、淡く脈打つように光を帯びた。
「……また光ったぞ」
ロイが慌てて結晶を押さえると、その輝きは本棚の一角へと反射し、壁に奇妙な模様を浮かび上がらせる。
リュミエールは静かに歩み寄り、魔導書を開いた。
指先で古代文字をなぞりながら、低く詠唱する。
「――魔導探索網。」
薄い青の光の糸が、始源晶の放つ波長を追って本棚の縁を這った。光は木材の節目、古びた釘の隙間、埃に埋もれた金具の痕跡をなぞり、やがて人の手のような輪郭を浮かび上がらせる。棚板の内側に、巧妙に組まれた止め金具と、それを解放するための小さな凹みが隠れていた。
「始源晶の共鳴を受ける“鍵”が組み込まれている。単に光を当てただけでは開かない仕掛けですね」
「お前の目にはそう見えるのか?」ロイが訊く。 唐突な緊張感が故か声に厳しさが滲む。
「見える、というより“読める”のです。古い術式が機械的な罠と混ざっている。私が解いてみせます」
リュミエールは魔導書を膝の上に開き、指先で古い文字をなぞった。小さな円符が浮かび、始源晶と棚の機構を結ぶ線が光の網の中で結ばれていく。やがて、がらりと本棚そのものが横へ滑り、冷たい空気と埃の匂いが広がった。隠し部屋が現れた瞬間、ロイは胸の鼓動が早くなるのを感じた──始源晶を使ったこんな大掛かりな仕組みまで用意して、一体何を隠したというのか……。
中は驚くほど整然としていた。時間に忘れられた書斎のように、机の上に革装の手記が一冊、まるで誰かが一度、席を外したまま戻らなかったかのように置かれている。ロイがそっと本を手に取ると、表紙には薄く「シオン」という文字が刻まれていた。――シオン。百年前から伝説として語られるあの名が、いま目の前にある。
ページを開くと、そこには星の観測ノートの精確な記録、結晶の性質についての冷静な実験記録、そして幾つかのメモが残されていた。リュミエールは本を受け取り、即座にもう一度魔導書を使って頁の状態を調べる。
「紙の繊維、インクの組成、そして筆圧の痕跡を調べます。隠された書写の層が残っているかもしれません」彼女は再び詠唱し、魔導解析網を展開した。淡い紋様が頁の上で微かに震え、かつての筆の運びが幽かに蘇るように、文字の残り香が可視化される。
解析は、ひとつの事実を露わにした。頁の多くはオリジナルのまま残されているが、重要な部分──「魔力の変換」や「生体への刻印」に触れていたらしい中核の一節は、明らかに後の時代に、意図的に抜き取られていた。断ち切られた断面には、手で引き裂いたような荒い繊維の跡ではなく、後から均され、再縫合しようとした微かな痕跡が残る。誰かが“持ち去った”うえで、その痕跡を隠す工夫まで施したのだ。
「偶然の虫食いではない。後世の誰かが、意図的に重要な箇所のみを持ち去った形跡があります」リュミエールの声は穏やかだが、指先が本の破断面をなぞると、物悲しい顔をした。
ロイは頁の裂け目に目を凝らした。断章の周囲には、かつて書かれたインクの残滓が指紋のように薄く残っている。リュミエールはそれを読み取り、柔らかくつぶやいた。
「この残滓の色調と光沢は……最初に書かれたインクとは微妙に違います。後の時代に使われた“銀花インク”の痕跡が混ざっている。これを得意とする者は、文献の修補や秘匿に長けた者で――長寿の種族が用いる染料に、近似があります」
その言葉を聞いたロイの顔が変わる。皮膚に吹き出る寒さとは別の、ぞくりと背筋を走る感覚。問いの先にある名は、まだ口に出さない。だがふたりの間に、深いものが落ちた。
さらにリュミエールは魔導書の頁と頁の間に残る微細な筆圧の痕を読み取った。破断された頁の裏に残った“凹凸”の痕から、もとの文のかすかな輪郭を復元できる可能性がある。彼女は「再構写」の儀式めいた詠唱を静かに唱えた。青白い光がページの上に降り、紙の繊維の内奥に残った墨の奥行きを引き出す。
光が収まると、二行だけが淡く、しかし確かに浮かび上がった。
「……中心を貫く者は、意志を失うことはない。だがその代償は――」
それは断片だ。リュミエールは息を呑み、ゆっくりと顔を上げる。
「完全な文ではありませんが、文脈から判断すると『中心を貫く者は、(何か)を失うが、その意志は達成する事が出来る』と読めます。ここに書かれていたのは、代償を伴う魔法。恐らく結晶と人の関わりについての“禁忌”に近い記述です」
ロイは拳を握る。始源晶をぎゅっと押さえ直し、低く言った。
「つまり……何かを犠牲にして、結晶を中心にした大仕掛けを回そうとしていたのか?」
「その線は濃厚です。加えて、破り取られた頁の周囲に残る筆跡の差異から、少なくとも二種類の筆者が関与していることがわかります。主筆は『シオン』、追記や私的断章は別の筆跡。感情が高ぶった筆致で、女性的な曲線が見受けられます」
リュミエールはページの端にある小さな走り書きを指さす。そこには、愛惜にも似た短い文が残っていた。
「彼はいつも星を見ていた。私は彼を愛した。だが、口にすることはできぬ——」
その短い行の筆跡は主稿とは確かに違い、感傷が濃い。ロイは唇を噛み、暗い顔をする。
「同行者の誰かの書き込み……愛情と恨みが同居しています。破り取った者は、知を隠すことで何かを守ろうとしたのかもしれませんね」
リュミエールは慎重に言葉を選んだ。彼女はさらに解析を進め、紙片の繊維に混入した微粒子を識別する。埃に混じる微かな灰色の粒。それは燃え残りでも、何か特殊な炉の煤でもある。
「紙の断片に付着した黒鉱の粉は、高熱による残滓に似ています。つまり、記録が“誰かに奪われた”後、その所持者が何らかの事件に遭遇した可能性も否定できません」
ロイの目に、しばらく見えなかった怒りと悲哀が混ざって浮かんだ。
「――何かの秘密を必死に守ろうとしたのか……」彼は言葉を詰まらせる。問いの先は、既知の人物の名に触れようとしていたが、口には出さなかった。リュミエールがそっと手を机に置く。
「断定はできません。ですが一つだけ言えることは、”この手記は完全な形ではない”ということ。情報の欠落が、意図的に演出されている。私たちがここで得られるのは“断片”であり、それをどう扱うかが今後の鍵になる」
ロイは始源晶を見つめた。胸の内にある小さな光は、手記の隙間に残る空白とぴたりと呼応しているようだった。もし本当に“中心を貫く者”に関する記述が、結晶の運用についての核心であるならば、その欠落は危険な意味を持つ──知らずに触れれば、想像を絶する事態を招くかもしれない。
「持っていくのか?」ロイが訊く。手記は貴重な証拠であり、無造作に扱えば二次的被害を生む。
「原本はここに残すべきです。だが私が“写し”を取ります。魔導書に写像を転写しておけば、原本を動かさずとも解析を続けられる」リュミエールは淡々と言った。彼女は再び魔導解析網を広げ、頁の輪郭を魔方陣に写し取った。光が頁の文字列をなぞり、情報の写しが魔導書の一頁に穏やかに転写される。肉眼で見える原文の通りに、しかし破れた部分だけは空欄として残る。
魔導書に写された“写し”を前に、ロイは小さく息を吐いた。
「――誰かが、故意に『ここ』を消した。理由は解らん。だが、探るべきだ。俺たちだけで抱え込むには重すぎる」
リュミエールはうなずき、炉の火を見つめた。炎は静かに燃え、二人の影を壁に長く伸ばす。
「まずは、仲間のもとへ戻りましょう。この断片が示唆するものは大きい」
ロイはしばらく黙っていたが、やがて堅い決意の色を顔に差した。
「分かった。あいつらに会って、手記のことを話す。だが――誰かが隠したんだとすれば、相当に根が深い。用心しよう」
リュミエールは魔導書をそっと閉じ、表紙を撫でるようにしてから言った。
「この記録は『真実の断片』です。真実そのものではない。断片を集め、欠けた箇所を埋めるために動くのが、私たちの仕事になります」
外はまだ吹雪だ。だが隠し部屋の静謐は、二人の胸に新たな目的と重みを刻んでいた。始源晶はただ暖を取るための光ではなく、道しるべでもあり、罠でもある――そのことを、ふたりは肌で知ったのだった。




