第36話『三人の戦士とそれぞれの矜持』
雪崩の怒号が遠ざかり、吹き溜まりの粉雪が静かに舞い落ちる頃、二人の戦士は息を切らしながら何もない氷原の大地に立っていた。
空は鉛色、風は骨まで刺す冷たさだ。雪煙にふるえる影の向こう、氷で削られた断崖が幾重にも重なっていた。
「――生きてたか、野郎。」
バルドランが髭についた雪を払いながら笑う。豪快な笑い声は、この寒さの中で不意に暖かく聞こえた。肩に担いだ鉄槌は、雪を落とすと同時に重々しく地面へと叩き付けられる。
ディランは鋭い一振りで刀身についた雪を払った。疲労の蓄積はあるはずだが、彼の横顔からでは、疲れの色は見て取れない。その双眸は戦場で磨かれた冷たさを宿し、言葉は短い。
「休む暇はない。迷えば死ぬだけだ」
「まずは腹の虫を沈めたいところだが、そうもいかないみたいだな」
吹雪が途切れ、氷原に不気味な静寂が訪れた。
その中央に立つのは、蒼白の甲冑を纏った―― 氷の亡霊騎士。
空洞の兜の奥で、紅い光が揺らめいている。氷の結晶が甲冑の隙間に埋め込まれ、まるで生きた鎧のように冷気を放っていた。
「……こいつは只者じゃねぇな」
バルドランは肩に担いだ巨大な鉄槌を握り直す。凍りついた柄に力強く指をかけ、低く唸った。
「骸骨に鎧を着せただけの化け物だ。恐れる必要はない」
ディランは冷徹な声で応じた。腰の剣を静かに抜き、氷上に鋭い金属音が響く。
しかしその目は決して油断していなかった。 騎士の動きは、ただの魔物とは違う――剣士としての直感がそう告げていた。
亡霊騎士が一歩、軋むような音を立てて前進した。
その動きは驚くほど滑らかで、騎士としての生前の名残を感じさせる。
「来るぞッ!」
ディランの声と同時に、亡霊騎士は氷剣を抜き放ち、蒼白の残光を撒き散らしながら踏み込んできた。
刹那、ディランと亡霊の剣がぶつかり合い、氷原に鋭い衝撃音が走る。
バルドランは横から鉄槌を振り抜き、甲冑を打ち砕かんと叩きつけた。だが――。
ガキィィンッ!!
鉄槌は確かに鎧に命中した。しかし、亡霊の身体はびくともしない。
全身を覆う氷結結晶が、魔法障壁のように打撃を吸収していたのだ。
「チッ、厄介な性能だ……!」
バルドランが歯噛みする。
コールド・ワーデンは大剣を旋回させ、強烈な勢いで薙ぎ払った。
ディランは寸前で身を屈め、バルドランは鉄槌で受け流すが、その威力に腕が痺れた。
「……ただの魔物ではないな。戦い方を知っている。剣筋は、まるで生前の記憶が残っているかのようだ」
ディランは薄く息を吐き、剣を構え直す。その瞳はどこまでも冷徹であった。
「ならばもう一度葬ってやるまでだ!」
バルドランが吠え、再び突撃する。
二人は連携を取り始めた。
ディランが先手で斬り込み、亡霊の注意を引きつける。そこへバルドランの鉄槌が側面から叩き込まれる。
しかし、亡霊はまるで人間の剣士のように体を捻り、槌を受け流した。
「……!?」
ディランが一瞬、驚愕する。
その隙を亡霊は見逃さず、剣を翻してディランの胸を狙った。
ギィィィン!!
バルドランが間一髪、鉄槌の柄で受け止める。火花と氷片が散った。
「油断すんなよ! 相手は死人でも、腕は生きてる!」
「……認めざるを得んな」
ディランは低く答え、口元を引き結ぶ。
「こいつは、我らと同じ“戦士”だ」
戦いは熾烈を極めた。氷原の上で三者の動きが交錯し、剣と槌が光と影を描き出す。
そして――。
ついに隙を突いたディランの剣が、亡霊の胸を深々と貫いた。
同時に、バルドランの鉄槌が兜を粉砕する。
ガシャァン――ッ!
氷の甲冑は砕け散り、冷気と共に結晶が宙を舞った。
亡霊は声なき咆哮を残し、雪煙となって消えていく。
残されたのは、拳ほどの氷結晶。
表面には細い線刻が走り、まるで夜空の星を繋いだような模様を描いていた。
「……なんだ、これは?」
バルドランが鉄槌の先で突きながら、怪訝そうに眉を寄せる。
ディランは結晶を拾い上げ、じっと凝視した。
凍りついた光が刻まれた線を浮かび上がらせる。
「……星だ。左から、白銀狼座、氷竜座、聖杯座……。力の象徴を繋ぎとめた大三角。この線は、星の配置を示している……いや、まさか」
彼の背筋を冷たい戦慄が走った。
それが単なる装飾ではなく、何か大きな“意志”を孕んでいることを直感してしまったのだ。
「こいつは、ただの亡霊じゃなかったってことか?」
バルドランの瞳に、疑念の色が浮かぶ。
「何者かが、星の力を……刻んでいる」
難敵を退けた二人の間に沈黙が流れる。
吹雪が再び戻り、氷原を覆う白の帳が二人を包む。
バルドランは肩で息をし、荒々しく笑いながらも鉄槌を雪に突き立てる。
「ふぅ……しかし、骨のある奴だったな。強敵を倒すと、生きてる実感が湧くってもんだ」
だが、ディランは結晶を見つめたまま微動だにしない。
指先で撫でるたびに、星座を象る刻印が氷の奥で微かに光を返す。
彼の声は低く、まるで独白のようだった。
「……星々は本来、人を導くための灯火だ。それを戦場の亡霊に刻みつけるなど――歪んだ意思を感じる」
バルドランが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「難しいことは分からんが、要は誰かが俺たちを弄んでるってことか」
「そうかもしれん。あるいは――もっと大きな仕組みの一端だ」
ディランの瞳は、遠いものを見ていた。
夜空に瞬く星の記憶を重ねるように。
やがて彼は結晶を懐へと収めると、短く言った。
「行くぞ。ここで立ち止まっていては、やがて雪に呑まれる」
「おうよ。だが次は、あんな亡霊じゃなく、酒場の暖炉と出会いたいもんだな」
バルドランが豪快に笑い、雪原に足跡を刻む。
その背を追いながら、ディランは心の奥底で一つの予感を抱いていた。
――この結晶に刻まれた星々は、やがて自分たちの運命をも縛る鎖となるだろう、と。
吹雪はなおも荒れ狂い、二人の影を飲み込んでいった。




