第34話『祈り』
大地が揺れ、雪崩が全てを呑み込んだ。
蒼真が目を覚ました時、そこは氷の裂け目が織り成す青白い洞窟だった。
「……大丈夫か!?」
蒼真は声を張り上げ、雪をかき分ける。白い修道服が雪に埋もれているのを見つけ、駆け寄った。
「う……っ」
セラフィナは肩を押さえ、顔をしかめている。傷は浅くない。蒼真は迷わず抱き起こし、雪を払った。
「落ち着け、今助ける」
「……だ、大丈夫です。私、治癒が出来ますから……」
震える指先から淡い光が零れた。だが冷気に魔力は散り、思うように癒せない。
蒼真は彼女の手を包み込み、体温を分け与えながら低く言う。
「無理に一人で背負うな」
その言葉にセラフィナはわずかに目を見開いた。
「……不思議ですね。ロイなら、こういう時……立て、戦えと命令するはずです……」
彼女はすぐに首を振り、口をつぐんだ。
蒼真は余計な追及をせず、ただ静かに言う。
「俺は俺のやり方でやる。それだけだ」
短く、それだけを言った。
セラフィナは小さく息を吐き、うなずいた。
彼女の手と心に体温が通いはじめ、癒しの光が少しずつ安定し始めた。
セラフィナは祈るように胸の前で両手を組み、か細い光で肩の傷を塞ぎつつあった。
「……不思議です」
彼女がぽつりと呟いた。
「何がだ?」
「あなたからは……焦りを感じない」
セラフィナは少し俯き、雪の上を見つめたまま続ける。
「ロイとの旅はいつも、急ぎ足。私たちは常に“先を急げ”“勝利を掴め”と追い立てられていて……。でも、あなたは……落ち着いていてるように見える」
蒼真は肩で息を吐き、苦笑した。
「余裕があるように見えるか? 本当はいつだって必死だ。けど……仲間を守ることを急ぎすぎたら、足元をすくわれる。だから、なるべく焦らないようにしているだけだ。まぁ、みんなに守られているのは俺かも知れないけど」
セラフィナの目が、かすかに揺れた。
「……仲間を、守る……」
その言葉は、彼女の胸に刺さったのだろう。
彼女の目蓋に失われた二人――ガレスとライラの姿が過ぎった。
「私は……救えなかったんです」
セラフィナの声は震えていた。
「仲間を必死に守ろうとしても、結局……目の前で……」
蒼真は言葉を挟まず、ただ静かに耳を傾けた。
彼女は自嘲するように微笑み、かすれた声で続ける。
「だから、あなたの言葉が……羨ましくて」
「羨むことなんてない」蒼真は短く答えた。
「俺だって守れないことはある。……でも、だからといって全部を諦めたくないだけだ」
セラフィナは驚いたように蒼真を見た。
彼の瞳には、迷いのない光があった。
その光は、彼女が失いかけていたもの。
――希望の残り火のように、胸を温めた。
言葉を返そうとしたその時。
洞窟の奥から唸るような地響きが、二人の会話を断ち切った。
雪を払いのけるようにして現れたのは、白毛に覆われた巨獣。
氷の牙を剥き、爪は岩盤を抉るほど鋭い。
さらに、その後ろにはもう二体。
「……っ、……氷牙獣の群れ……!」
セラフィナが息を呑む。
蒼真はフィリアを構え直し、彼女に背を向けて言った。
「セラフィナ。君は下がって援護を頼む。俺が前に立つ」
彼の背中は、分厚い岩壁のように揺るぎなかった。
セラフィナは思わず、その背に縋るように両手を組み、祈りを込める。
「……今度こそ……支えてみせます」
「心強いな。――行くぞ!」
氷牙獣の群れが洞窟を揺らすような咆哮を放ち、一斉に飛びかかってきた。
鋭い爪が岩を抉り、牙が白刃のようにきらめく。
「来いッ!」
蒼真はフィリアを振り抜き、先頭の一体の牙を弾き飛ばした。
金属を打ち合わせたような甲高い音。氷の欠片が飛び散り、視界を白く染める。
だが巨体の衝撃は凄まじく、蒼真の身体は後方へ押し飛ばされる。
「ぐっ……!」
地を蹴って耐えたその背中に、温かな光が差した。
「――〈聖環結界〉!」
セラフィナの祈りの声と共に、淡い金の環が広がり、蒼真を包み込む。
その結界は氷牙獣の追撃を受け止め、同時に蒼真の傷を少し癒した。
「助かった!」
「私も戦えます……っ!」
セラフィナの瞳には恐怖の色もあったが、それ以上に固い決意が宿っていた。
蒼真は短く頷き、再び前へ。
「サポート頼む!」
次の瞬間――。
二体の氷牙獣が左右から挟み込むように飛びかかった。
「ちぃっ!」
蒼真はフィリアを横薙ぎに振り抜き、右側の巨体の顎を裂いた。
同時に左側の敵が蒼真を襲う――が、光の壁が弾き返す。
「まだです!」
セラフィナの手が震えながらも、祈りは途切れない。
防御と治癒の光が蒼真を支え続けていた。
しかし群れは三体。最後の一体が後方のセラフィナを狙って跳躍した。
「セラフィナッ!!」
振り返った蒼真の目に、巨獣の影が迫る。
彼女は逃げなかった。
「――〈浄火の光槍〉!」
祈りの光が槍となり、真っ直ぐに獣の目を射抜く。
氷牙獣が悲鳴を上げてのけぞり、頭を岩壁に叩きつけた。
「……っ、やった……!」
セラフィナは膝をつき、震える手を押さえた。
その姿を見て、蒼真の胸に熱が走る。
「ナイスだ、セラフィナ!」
「わ、私は……ただ、あなたを守りたくて……」
聖職者としてのセラフィナの力がフィリアの刀身に宿る。その力に答えるように、蒼真は深く息を吸い込む。
フィリアが光を帯び、共鳴の音を放った。
「――光輝共鳴剣ッ!!!」
氷壁を砕く閃光が迸り、洞窟を埋め尽くす。
巨大な氷牙獣たちは一瞬にして貫かれ、光に呑まれて崩れ落ちた。
砕け散った氷牙獣の亡骸が蒸気を上げながら消えていく。
蒼真は息を切らしながら、フィリアを突き立て膝をついた。
「くっ……肩が……」
氷牙獣の爪が掠めた箇所から、鮮やかな血が滲んでいた。
「蒼真さん!」
セラフィナは駆け寄り、両手を傷口にかざす。
「〈癒しの奇跡〉……どうか……」
祈る声は小さく震えていた。
白金の光がふわりと溢れ、蒼真の肩を包み込む。
蒼真は息を吐きながらも、彼女の必死さを感じ取っていた。
痛みが少しずつ和らぎ、血が止まり、裂けた肉が閉じていく。
「……助かった。君、やっぱりすごいな」
そう言って笑みを浮かべると、セラフィナの指が小さく震えた。
「……違うんです。私、守れなかった人がいて。
目の前で、どんなに祈っても、救えなかった仲間がいて……」
瞳に影を落としながら、彼女は吐き出すように呟いた。
蒼真は一瞬言葉を探したが、やがて短く答えた。
「それでも今、俺は救われた。……その事実は揺るがない」
その言葉は静かで、しかし確かな響きを持っていた。
セラフィナは目を見開き、そして初めて、安堵の色を浮かべた。
「……あなたは、不思議な人ですね」
「よく言われる」
軽口に、セラフィナは小さく微笑む。
氷の洞窟の冷気の中で、その笑みは小さな炎のように温かかった。




