第32話『それぞれの正義』
――白龍が絶命してまだ間もない氷原。
白い雪に濃い朱色が広がり、巨大な竜の影と、亡骸と呼ぶにはあまりに無惨な二つの氷塊。
吹き荒ぶ氷風が、その二つの死骸を無慈悲に覆い隠していく。
立ち尽くすのは、剣を手に血に濡れたロイ、そして彼の仲間たち。
剣士ディランは深く息を吐き、亡き戦友を一瞥したのち、血に染まった雪を踏み越え、淡々と剣を拭った。
魔術師ミラは紅い唇を歪め、竜の焦げた鱗に手を伸ばしてその感触を楽しんでいる。
「いいわね……この匂い。命が燃え尽きた瞬間の新鮮な香り」
彼女の瞳には狂気の光が宿っていた。
一方で、聖女セラフィナは雪に膝をつき、ガレスとライラの亡骸に縋りついて泣き叫んでいた。
彼女の両手から迸る癒しの輝きは、もう、二人には届かない。
――そんな全てが凍てつく光景のただ中へ。
猛吹雪を裂いて、新たな影が現れた。
影の正体は、氷原を越えてたどり着いた蒼真一向だった。
アルシェが冷たい空気の中、警戒した様子で弓を握り、リュミエールは白い吐息を零しながら魔導書を抱きしめている。グラントとバルドランのベテラン組は周囲を抜け目なく見渡していた。
蒼真は前へ進み、目に映ったものに言葉を失った。
「……これは……」
氷の大地に転がる竜の屍。
そして、その傍らで血を流し、息絶えた二人の人間。
蒼真は拳を握りしめた。
「……死人が出たのか……」
その声に反応するように、ロイがゆっくりと振り返った。
彼の瞳には疲弊と怒り、そしてなにより、鋭い敵意が宿っていた。
「……お前が、蒼真か」
唐突に名を呼ばれ、蒼真は一瞬たじろぐ。
「俺を……知っているのか?」
ロイの声は冷え切っていた。
「エルフの里を救い、ドワーフの里を襲った赤龍を討ち、アルミナに現れた魔族を退け……そして今度は、氷原にまで姿を現す。ならば何故、貴様は勇者の任を断ったのだ!」
その言葉には、血を吐くような悔しさが滲んでいた。
「俺が勇者に任命されてからというもの、どこへ行っても……“すでに奴がやった”と、そう告げられるだけだった」
蒼真は驚愕に目を見開いた。
「勇者……? 君が……?」
アルシェがすかさず身構える。
「蒼真、警戒して。目の色から敵意を感じる」
ミラがくすくすと笑った。
「ようやく会えたのね、“本物”の勇者さん。
でも安心して。私たちはあなたを歓迎するわ……ふふ、力比べをしましょうよ」
セラフィナは泣き腫らした瞳で蒼真たちを見つめ、唇を震わせた。
「お願い……争わないで……! もう、誰も失いたくない……」
蒼真は一歩前に出て、深く息を吸った。
その一言が火種になる可能性があることを知りながら。仲間の為に、引き返すという選択肢は無かった。
「――その手にある結晶……始源晶を、譲ってもらえないだろうか」
蒼真の言葉に、ロイの眉がぴくりと動く。
「……何のために?」
蒼真は短く言葉を整え、誠実に答えた。
「仲間を守ってきたクリスタルゴーレムが……魔族との戦いで破壊されてしまった。修復するには、その始源晶が必要なんだ」
雪を踏みしめる足音が近づき、ロイが蒼真の正面まで歩み寄る。
間近で見ると、その瞳にはただの敵意ではなく、積もり積もった激情が滲んでいた。
「……悪いが、それはできない」
「理由を聞いてもいいか」
「理由だと?」ロイは笑わなかった。ただ、押し殺すように言った。
「この結晶は、仲間の命を代償に手に入れたものだ。ガレスとライラの犠牲の上にある。――それを、はいそうですかと、他人に渡せると思うか」
セラフィナが震える声を上げる。
「ロイ……でも、その人たちも“仲間を救うため”に来たんじゃ……」
「黙れ、セラフィナ」ロイの声が鋭く彼女を制した。
その背後で、ディランが冷たい視線を蒼真たちに向ける。
「他者が勝ち取ったものを横から奪う。……そんな真似、受け入れられるわけがないな」
ミラはくすくすと笑った。
「ねえ、ロイ。いいじゃない、命を賭けてまで欲しいっていうなら、どの道、殺し合うしかないじゃない?」
空気が一気に凍り付く。
蒼真は真っ直ぐにロイを見つめ返した。
「……確かに、犠牲の上にあるものを奪うなんて、許されないことかもしれない。でも、俺たちにも守るべき仲間がいる。どうにか……譲ってもらえないか」
だが、ロイの瞳はぴくりとも揺れなかった。
「断る。――俺は勇者として、この手で世界を救う。仲間の犠牲すら踏み越えて。そのために手に入れた始源晶を、お前に渡すことは生涯ないだろう」
彼の言葉に、氷原の風が唸りを増す。
「頼む! 他に方法がないんだ!」
それでもなお、蒼真は雪原に額をつけて、真っ直ぐに思いを伝える。
「断ると言ったはずだ」
ロイの声は氷雪に反響し、鋭く響いた。
蒼真が口を開きかけた瞬間――ロイの言葉が突き刺さる。
「それに……お前たちが言う“仲間”とやらは、ただの石像じゃないか。ゴーレムなど、所詮は動く岩の塊だろう」
アルシェの顔色が変わった。
「……! ただの石像なんかじゃない! ゴーレムは、ずっと一緒に戦ってきた仲間よ!」
「仲間?」ロイは吐き捨てるように言い返す。
「なら、血を流したか? 命を賭けたか? 俺たちは人を――仲間を――失った。その犠牲の上で始源晶を得たんだ。お前らの勇者ごっこと同じにするな!」
その言葉に、蒼真の拳が強く握られる。爪が食い込み血が流れた。
「勇者ごっこ……か」
雪の冷気よりも鋭い痛みが胸を刺した。
(確かに俺は、勇者の任を放棄してここにいる)
リュミエールが一歩前に出て声を放つ。
「言葉が過ぎます。蒼真さんは、多くの人々を救って、今この場にいます」
「なら問おう」ロイは剣を抜き、氷の光を反射させた。
「人と石像――どちらの命が重い?」
その挑発に、グラントの瞳が怒りで揺れた。
「命とは、全て等価値じゃ。お主、それでも勇者か?」
「俺の仲間は二人も死んだ!」
ロイの怒号が氷原を震わせた。
一連の流れに耐えかねたバルドランが叫ぶ。
「それは単純に、お前の力不足が招いた結果だろ!」
空気が爆ぜるように張り詰めた瞬間――ミラがにやりと笑い、指先に炎を灯す。
「もう、言葉は十分よね?」
ディランが剣を構え、氷を砕く音とともに前に出る。
「……勝つためには仕方ない」
セラフィナは震える手を胸に当て、「どうして……!」と涙声を上げる。
蒼真も背から剣を引き抜き、静かに言葉を返す。
「……俺たちも、引けない」
アルシェが弓を構え、リュミエールの魔導書が開かれる。バルドランは鉄槌を振るい、グラントの杖に魔力が流れる。
そして――
ロイと蒼真が同時に踏み込み、氷原の大地を裂くような衝突の音が鳴り響いた。




