第28話『知と力、絶望と光』
「まずは異界の男、貴様の力を見せてみろ」
仮面の男はそう言って腰の鞘から細身の剣を抜く。その刀身は魔力を纏い、禍々しい紫炎に包まれていた。
蒼真は真正面に剣を構えた。
相手の気配は人間に酷似しているのに、その太刀筋は常軌を逸していた。
刀身同士がぶつかり合う。
武器の性能は蒼真に分があるはずだが、圧倒的な技量の差で押される。蒼真の剣筋を読むように、わずかに軌道を外され、いとも簡単に反撃を差し込まれる。
「くっ……!」
蒼真の肩を斜めに裂く一閃。反撃すら許されない精密さだった。
「剣を学ぶ魔族は少なくない。しかし私は、人間という種そのものを研究してきた。お前らの太刀筋など、手に取るように分かる」
魔族は冷たく囁き、再び剣を振る。
援護に回ったアルシェが、間髪入れず矢を番える。
「これ以上、近づけさせない……!」
弦が鳴り、鋭い矢が闇を裂いた。
だが次の瞬間。
魔族の掌から放たれた魔力の矢が、空中で正確にアルシェの矢を撃ち落とす。
乾いた破裂音が連続し、彼女の放った矢が一つ残らず掻き消された。
「な……っ!」
アルシェの瞳が大きく揺れる。
「射線の角度、放つ腕の力……矢の軌道を計算すれば、無に帰すのは容易い」
魔族の視線は、蟻を見下ろす者のそれだった。
リュミエールは歯を食いしばり、魔導書を広げる。
「――いいえ! 解析すれば、必ず勝機は見えるはず!」
幾何学模様が空を走り、敵を包み込む。
だが、現れた解析結果は――
「……っ! 弱点属性が、無い……! 弱点部位すら、どこにも……!」
ページに浮かぶのは“空白”の羅列。
理解できない現実に、彼女の声が震えた。
「確かに、我々魔族の魔核には固有の特性があり、それぞれに耐性や弱点が存在する。しかし、よく考えてみろ、人間の小娘よ。我々魔族の寿命は悠久の時を刻む。その間に我々が何の鍛錬もしないはずがなかろう?」
魔族は無造作に一歩踏み出し、リュミエールの背筋に氷のような恐怖を走らせた。
圧倒的な存在感を放つ仮面の男に、クリスタルゴーレムが立ちはだかる。
蒼白の結晶が雷鳴のように震え、凄まじい勢いで腕が振り下ろされる。
だが――魔族は片手でそれを受け止めた。
圧倒的な膂力で。
轟音とともに石畳が割れ、衝撃波が吹き荒れる。
ゴーレムが全力で押し込むも、魔族は一歩も退かず、むしろ結晶の腕をねじ伏せていく。
「……ありえない……ゴーレムの一撃を、押し返してる……!?」
蒼真が戦慄する。
次の瞬間、魔族の膝が跳ね上がり、ゴーレムの腹部を粉砕した。
結晶が飛び散り、核に深い亀裂が走る。
アルシェの悲鳴。
「ゴーレム……っ!」
守るように立ち塞がり続けた巨体は、最後の力で蒼真たちを庇うと、光を失って崩れ落ちた。
結晶片が瓦礫に散らばり、夜に冷たく煌めく。
「これが……伝説の守護者の力か」
魔族の声には、哀れみと嘲りが入り混じっていた。
――勝てない。
誰もがそう思ったその刹那。
「おいおい、てめぇら、勝手に終わらせてんじゃねえ!」
豪快な声とともに、鉄槌が闇を裂いた。
バルドランが地鳴りのような咆哮と共に突進し、魔族の剣を受け止める。
「まだ戦いは続いてんだろうが!」
雷光が空を走る。
グラントの杖から放たれた稲妻が、魔族の足を一瞬絡め取った。
「侮るなよ、魔族め……古き叡智はまだ燃えておるわ!」
絶望の空気を、二人の登場が切り裂いた。
そして――仲間の力を受けた蒼真の剣が、光に包まれていく。
フィリアが白銀の刃を形作り、全ての心を繋ぐように輝いた。
砕けた結晶片が雨のように降り注ぐ中、蒼真は倒れたクリスタルゴーレムを振り返った。
胸に深く亀裂の入った核が、かすかに光を明滅させている。
仲間を支え続けた巨人が二度と立ち上がれないと分かる光景が、胸を締めつけた。
「……頼む、ここで終わらせるわけにはいかない」
蒼真の手の中で、フィリアから確かな脈動を感じる。
仲間たちの心に応えるように。
魔族は一歩踏み出す。
血のように赤い瞳が、蒼真を射抜く。
「剣が震えているな。お前の心と同じだ」
低く響く声に、全身の血が凍る。
「次はてめぇが震える番だ!」
バルドランの鉄槌が男の真横を狙う。
刹那、魔族が剣で受け止めるが、重い一撃に足元が僅かに沈む。
「ハッ、どうだ!」
歯を食いしばりながらも、バルドランは笑って見せる。
さらに、グラントが腰の袋を漁り、魔力の煙を撒き散らした。
「ちっとばかし実験に付き合ってもらうぞい。買ったばかりのとっておきじゃ!」
地面に叩きつけられた試験管から、急激に紫煙が広がり、魔族の動きが一瞬止まる。
空気そのものが粘りつくように重くなり、剣の振りも一拍遅れた。
「ぐ……これは、魔法ではなく……薬の類いか……!」
魔族の目が初めてわずかに揺らぐ。
そこへ、リュミエールの声が飛んだ。
「魔力を蒼真さん一人に集めます! アルシェさん、援護を!」
「了解っ!」
アルシェが矢を次々と射る。
魔族はそれを弾き返すが、矢の一本一本が時間を削ぎ落とす杭となった。
リュミエールは魔導書を掲げ、輝く陣を重ね合わせる。
「魔力共鳴陣……蒼真さんに力を!」
光の環が広がり、蒼真と仲間たちを繋ぐ。
その瞬間、フィリアが大きく脈動し、白銀の輝きを帯びていった。
「……来るか」
魔族は一歩踏み出そうとする。
だが、再びグラントが叫ぶ。
「忘れるな! まだワシの秘蔵が残っとるわい!」
杖の先から放たれたのは、青い閃光。
それは爆ぜて無数の鎖となり、魔族の四肢を縫い止めた。
「小賢しいッ……!」
鎖を引きちぎろうとする魔族。
しかし、その間にも仲間たちの声が重なっていく。
「蒼真、ここで決めて!」
「あなたになら出来ます!」
「ワシらの想いを託す!」
「後は任せたぞ、坊主!」
その瞬間、蒼真の心に流れ込むものがあった。それは形ある物質ではない。
失った仲間の想い、共に戦う仲間の叫び、託された未来。
それらすべてがフィリアに注ぎ込まれ、剣が眩い光を放った。
――白銀の刀身が天を裂き、夜を払う。
まるで神話に記された聖剣のように、光の刃は空を走り、仲間たちの心を映した。
「想いを繋ぎ、闇を照らせ、光輝共鳴剣!!!」
蒼真の咆哮と共に、フィリアが煌めきを迸らせる。
斬撃は刃ではなく奔流。その一振りは街の光景を一瞬で白く塗りつぶし、全てを染め上げた。
光の奔流が魔族を貫き、魔核へと突き刺さる。
灼けるような光が爆ぜ、黒い外套が裂け、仮面の奥の赤い瞳が苦悶に揺れた。
「……人間如きに……」
核に深い裂け目が走り、闇が漏れ出す。
「くっ、魔核に損傷が……。退くしかあるまいか」
魔族は怒気を孕んだ声でそう言って、背に漆黒の翼を生やし、空へと逃げる。
「逃すか!」
蒼真がもう一度フィリアを振おうと構えるが、全身がふらつき、その場に倒れ伏した。
戦場に残されたのは、煌めきを失ってなお温かな光を帯びる《共鳴剣フィリア》と――
倒れ伏す仲間たちの姿。
その夜、蒼真たちは初めて「人と同じ姿を持つ魔族」に挑み、勝ち切れぬまでも退けたのだった。勝利と呼ぶには、あまりに大きな代償を伴いながら。




