第26話『黒幕』
夕暮れ時、赤く染まった石畳の通りに、三人の影が並んでいた。
一通り買い物を終えた蒼真は、《共鳴剣フィリア》の柄に触れながら歩いている。その剣はただの金属ではなく、彼に寄り添う“仲間”のように、かすかな鼓動を伝えてきた。
「……急に微笑んでどうしたんですか? 蒼真さん」
隣を歩くリュミエールが首をかしげる。
「いや、この剣が……俺を見て笑ってるような気がして」
冗談めかす蒼真の横顔を、アルシェはじっと見つめた。
彼女は口を尖らせながらも、少しだけ誇らしげに言う。
「それだけ、あなたを“選んだ”のよ。剣の方が」
そんなやり取りをしながら市場へ差しかかると、屋台から香ばしい焼き菓子の匂いが漂ってきた。人々の笑い声が溢れ、子供たちが追いかけっこをしている。つかの間の平和、三人も自然と足を緩めていた。
しかし、その和やかな空気に紛れて、不穏な声が聞こえてきた。
「……下水道に、また魔物が出たらしいぞ」
「嘘だろ、この前ワームが討伐されたばかりじゃないか」
「噂じゃ“狂った目”をしていたって……」
その会話に、アルシェの顔が自然と引き締まる。
「……人が作った下水道に魔物? 自然に湧く場所じゃないわ。魔力の濃い森や遺跡ならともかく……」
リュミエールは無言で魔導書を開いた。小さな指で古代文字をなぞり、呟く。
「魔導探索網――」
青白い魔方陣が彼女の足元に浮かび、光の糸が蜘蛛の巣のように広がっていく。
人目を避けるように、彼女は声を潜めて結果を告げた。
「……やはり。下水道の奥から強い魔力の痕跡が流れています。それも、自然の流れではありません。まるで、無理やり繋ぎ止められた鎖のように」
「鎖?」蒼真が目を細める。
「はい。……魔物の魂を“縛り”、本来の生態を狂わせています。これが自然発生のものだとは到底思えません」
アルシェは腕を組み、低く吐き捨てた。
「やっぱり、魔族の仕業ね。魔物を操って街を混乱させる……卑怯なやり口だわ」
蒼真は《フィリア》の柄を強く握りしめた。 剣が、仲間たちの気配に呼応するかのように、わずかに淡い光を宿す。
「この街はまだ危険な状態だ。はやく原因を突き止めないと」
リュミエールの瞳が、勇気を奮い立たせるように真っ直ぐ向けられる。
「……私も、生まれ育ったこの街を守りたいです!」
その言葉にアルシェも同調する。
「そうね、私もようやく、この街が気に入ってきたところだし」
――蒼真たちが市場で陰謀の気配を掴んでいたその頃。
街の下水道、そのさらに奥深く。人の足が踏み入れることのない暗黒の空洞に、紫色の燐光が揺れていた。
腐敗した水路の匂いの中、幾何学的な紋様が石壁一面に刻まれ、黒々とした魔法陣が不気味に脈動している。
その中央に、影のように細長い男の姿が立っていた。
漆黒の外套をまとい、顔の半分を仮面で覆っている。仮面の隙間から覗く赤い瞳は、まるで人の感情を持たぬ炎のようだった。
「……フン。あの程度のワームでは持たなかったか」
低く響く声。
彼の足元には、粉々に砕けた魔石と、焼け焦げた魔物の残骸が転がっていた。
「だが収穫はあった。ヘルハウンドに続き、ワームの制御も……実験としては十分だ。魔石を核に埋め込み、魂を狂わせ、街へ解き放つ。人間どもが混乱する姿は、何度見ても愉快なものだ」
男は指先で空中に魔力の紐を編む。その動きに呼応するように、周囲の魔方陣が一斉に脈動し、地下の空気がざわめいた。
「忌々しいのはあの異界からの来訪者だ。予定より早く、こちらの存在に気づき始めている。ちっ、いつの時代も異界の者が歴史を動かす……」
赤い瞳が細められる。
その視線は、まるで壁越しに蒼真たちを射抜くかのような鋭さを帯びていた。
「――よかろう。ならば次は、“本命”を出してやろう。彼らに抗う力があるのかどうか……ふふ、楽しませてもらおうではないか」
彼が低く笑うと同時に、黒い魔力が渦を巻き、魔方陣から獣の咆哮が響き渡った。
それは、今までの魔物とは比べ物にならない、獰猛な力の胎動。
街の地上で、まだ平和なひとときを過ごす人々は、迫りくる災厄の気配に気づくはずもなかった――。




