第三話 双子との関係
救世の英雄とプトレマイオス星皇国の皇族の血を引く双子、黒髪ミアとプラチナブロンドエリーゼは、大公邸の自室にある豪華なベッドの上で向かい合っていた。外はすっかり暗くなっており、部屋の中の魔力灯だけが二人を照らしている。
王都大公邸のこの部屋は双子が一緒に使っている部屋であり、王都に滞在する際には常に利用していた。元々は使用人たちが気を利かせて、双子が喜びそうな家具を揃えた豪奢な部屋であったのだが、黄金のカーペットとかキラキラするベッドとか、その他諸々が自室にあっても気が休まらない。双子が様々な注文をつけて、今では全体的に落ち着いた色合いと実用的な家具が並べられている。
加えて双子がそれぞれの感性で持ち込んだものが、それぞれの感性で整理整頓されており、控え目に言って部屋は天地のように二分されていた。もちろんこれは双子の仲が悪いのではなく、お互いを理解して尊重し、領分を侵さないようにしているのだ。それは別々の部屋どころか自分専用の屋敷だって用意してもらえる立場ながら、ずっと同じ部屋を使っている点から見ても明白だった。双子の仲は良すぎるくらいに良い。
「あれが私たちの父親。あれが本物の、女神様に遣わされた救世の英雄なんだよね」
ミアが自慢の黒髪を触りながらポツリと呟いた。
「私たちのお父様、人間なのかなぁ。私は神様って紹介されたほうが納得できたけど」
エリーゼは碧眼を明後日の方向へ向けながら応える。
そんな双子は、数十分前まで二度と会えないと思われた父親と再会を果たしていた。
双子の父親、人類が魔王に敗北する寸前、プトレマイオス星皇国が召喚に成功した女神より遣わされた救世の英雄。世界各地で神聖視され、世界各国が英雄視する存在。救われた人は数知れず、国家存亡の危機から初代魔王の討伐まで、あらゆる人類のために戦い、その褒賞を何も求めずに神の世界へ帰っていった、まさに英雄伝説を体現した人。
突如現れた父親に対して、大公邸では母親だけでなく古参の使用人や騎士たちが大混乱に陥っており、自分たちの目の前に現れた一見すると冴えないオヤジが、救世の英雄ナギなのだと嫌でも理解できた。
双子も自分たちが産まれる前に神の世界へ帰っていった父親について、知りたくなかったと言えば嘘になる。
双子は産まれたときから“英雄の双子”と呼ばれ称えられていた。救世の英雄ナギの子であり皇族の血も引いてる双子は、プトレマイオス星皇国だけでなく世界中で特別扱いされている。その特別扱いのせいもあり、双子の父親である世界を救った救世の英雄ナギについて、思うところは人一倍だった。
物語の登場人物のようだった救世の英雄ナギに、初めて会ったのだ。就寝のために双子一緒にベッドへ入った後も、簡単には眠れずに語り合うのは当然の帰結だろう。
ただ、そこで双子の意見が分かれた。
「エリーゼは、そう思ったの? 私はむしろ、なんか、普通のオジサンに見えたんだけど」
「んん、ミアがそう言うなら、そうなのかも。私は第一印象が人間に見えなかっただけだし」
双子の内、ミアは父親を普通と表現し、エリーゼは人間には見えないと感じた。
「だってあれでしょ。自分に子供がいたって分かった時のあれ。もう私たちのご機嫌を取ろうと必死だったじゃん。離婚を突き付けられた中年オヤジはああいう感じって言ってた」
「えー、そう? いきなり子供がいるって聞かされたのに、冷静に私たちと向き合おうとしてくれたよ。取り乱したり認知しないとか言う輩よりは、誠実に見えたよ」
「見た目も酷いでしょ。せめて髭を剃って髪を整えてから、お母さんに会いに来るべきでしょ。あれじゃ若い時は良かったとは思えないし。天帝国の天帝とか、聖法国の教皇のがよっぽど若いし格好良いよ」
「ミアは面食いだからなぁ。容姿なんて些細なことだよ。それに二代目魔王を討伐してすぐに来たんだから、仕方ないんじゃない? 世界を救ってすぐにお母様に会いに来たのは、ポイント高いと思うな」
ミアが会ったばかりの父親へ文句を言い募る中、エリーゼはフォローをしながら重要なことを口にする。
「それに、お母様、嬉しそうだったよね」
双子の間に沈黙が降りた。
双子の母親リカルナは、現プトレマイオス星皇カイユベルの妹として初代魔王討伐後の世界で政務を行う傍ら、双子へ惜しみなく愛情を注いでくれた。父親が救世の英雄とは言え、神の世界へ帰ってしまったのであれば故人と変わらない。双子の母親リカルナは、愛する人を失った悲しみに耐えながらも双子を産んで育ててくれたのだ。
まだまだ戦いが続き混乱する世界でそれがどれだけ大変だっただろうか。双子にとってこの世の誰よりも信頼できて、心から大好きな母親だ。
だから再会の後に家族で川の字で寝ようとか、訳の分からない主張をした父親を置いて、今日は父親と母親を二人きりにさせてあげた。
「お母さん、うまくやってるかな」
「お母様ならきっと大丈夫。弟か妹ができちゃうかも」
「……それはそれで、なんか嫌」
ミアとエリーゼは、笑いながら枕をお互いへ投げつけた。
◇
凪がリカルナに会いに来た時、彼女と一緒に応接室へ入ってきた黒髪ミアとプラチナブロンドエリーゼの双子が、凪とリカルナの実の娘である。その衝撃的な事実を聞かされた後、凪は混乱の極みにあった。
それでも一つのミスが大勢の死者を出し兼ねない戦場を渡り歩いてきた凪だ。すぐに自分の感情を圧倒的な理性で押さえ付け、その場で誰よりも戸惑い、不安を感じ、そして凪に怒り、憤り、蔑む権利のある双子のことを考えた。
双子にとっての凪は、自分たちを捨てた父親だ。凪の事情なんて子供にとっては意味がない。双子にとって重要なのは、凪が十年間も放って置いたのに、今更戻って来た最低の父親であるという事実である。
だから最大限の誠意と謝意を口にしたつもりだったのだけれど。
「じゃあ、私たちとのことは明日で」
「今日はお母様との再会をお楽しみください。救世の英雄ナギ様、いえ、お父様」
もう寝る時間だからという理由で、凪の気持ちが拒否されてしまった。
「い、いや、あれだ! そうだ! 家族で川の字で寝るのはどうだ?」
「は? お母さん、私たちは就寝します。おやすみなさい」
「お母様、お父様、おやすみなさい。また明日、再会できるのを楽しみにしております」
凪だって、拒否されても仕方がないのは分かっている。もし自分が双子の立場だったなら、いきなり父親だと言う男が現れて、父親らしいことをさせてくれなんて言っても信じられない。母親や双子を放っていた父親の顔も見たくないかも知れない。
双子が応接室から去って行った後、しばらくは閉まったドアを見つめていた。そして使用人たちに気を遣われて、リカルナと二人きりにしてもらってようやくの落ち着きを取り戻す。
「リカルナ、ごめん」
「凪が謝る必要はないわよ。私こそ、ごめんなさい」
凪は大公邸にあるサロンで二人きりになると、お互いに謝罪を口にしていた。
「いや、あるんだ。俺はあの時の選択に失敗した。その失敗は、リカルナと、あの子たちに対して父親としてあってはならない過ちだった」
凪の元の世界への帰還は女神様との交わした約束――魔王討伐の報酬だったとは言え、元の世界へ帰らない選択肢もあった。報酬を不要だと言えば、あの女神様なら考慮してくれただろう。
「あの子たちにも、リカルナにも、どうやって償えば良いのか分からない」
「凪のせいじゃないって、何度も言ってるじゃない」
「いや、俺に責任がある。だから、リカルナ、恥の上塗りでも、二つ頼みがある」
使用人たちはワインを用意してくれたようで、机の上にはワインクーラーと二つのグラスがあった。残念ながら凪もリカルナも、ワインが用意された座席には着いていない。
「頼み? それよりも凪が、その、この世界にずっと残るとか、二代目魔王を討伐したとか、女神様と会話したとか、この世界にずっと残るとか、の話を聞かせて欲しいんだけど……」
最初と最後にまったく同じ話題を出したのは、それだけリカルナが知りたいからだと、その程度のことは察せられる。
「ああ、俺はもう、元の世界には帰らない。ずっとこっちに居るよ」
「そ、そう。そう、なんだっ……」
リカルナは席へ着いて、手酌でグラスへワインを注ぎ一気飲みした。
「リカルナと、ミアとエリーゼとは、しっかりと話したい。約束する。隠し事はしないし、三人を何よりも優先する」
「ふ、ふーん」
リカルナはまたグラス一杯にワインを注いでいた。
「だから、これからも、定期的にあの二人に会わせて欲しい」
「定期的? 定期的ってどういうこと? ずっとこっちの世界にいるんでしょ? 一緒に居てくれないの?」
「いきなり父親だと言われた男と一緒に暮らすなんて、二人が戸惑う、と思う。しばらくは二人と話す機会が欲しい。それで、二人が本当に許してくれるなら、その時は……」
凪にも正解が分からない。ただ考えるのは見知らぬ男が家にあがってきて、少女たちが安心できるとは思えないという元の世界の常識だ。
これが男児であれば、いきなり父親面をしても本音でぶつかっていけば、何となく打ち解けられる気がする。それこそ剣術の訓練をしたり、身体を動かすだけでも仲を深められるはず。
しかし女の子となれば話は別。双子はまだ幼いとは言え、目を見張るような美少女である。元の世界でも異世界でも、実の父親から性的虐待を受けたなんて話は枚挙に暇がない。たとえ血の繋がった父親だとしても、見知らぬ男の存在は双子を不安にさせるのではと考えたのだ。
「あのね、凪。この大公邸、男性の使用人もたくさんいるから。見知らぬ男性なんて、それこそ慣れてるわよ」
「い、いや、でもいきなり同じ屋敷で暮らすのは、不満とか反感があるだろ。まずはお互いを知るところから」
「それこそ一秒でも長く、あの子たちの傍にいたいと思わないの? それとも、私の、傍にいたくない?」
「…………それは。いや、すまない。どっちもその通りだ。俺のつまらない見栄だった。あの子たちとも、リカルナとも、一番近くで三人との距離を探るべきだな」
凪の甘い認識を窘めるリカルナ。かつて凪とカイユベルとリカルナ、初代魔王討伐の旅を思い出す言葉に、思わず降参してしまった。
本当は双子の気持ちをまず確かめたいと思ったけれど、リカルナに対する想いも本物だったから。それに父親凪とは違って、母親リカルナはずっと双子を育ててきたため、凪よりもずっと彼女たちを理解しているだろう。
「相変わらず、口ではリカルナに完敗だ」
「ええ、そうでしょ?」
十年ぶりのリカルナの心からの笑顔には、正直なところやられてしまった。
その後、十年前の戦いを知っている使用人たちが津波のように押し寄せて来た。何度も何度も感謝され、泣き崩れて絶叫する者まで現れた辺りで、十年前からの旧知の数人が状況を整理してくれる。
そうしてようやく落ち着けた後、凪はリカルナや使用人たちが用意してくれた大公邸の一室で眠る前に、プトレマイオス星皇カイユベルの元を訪れていた。
本来であれば面会など許されない時間帯であったけれど、事前にカイユベルが見張りに話を通してくれていたらしく、見張りの騎士も十年前に見覚えのある人物ばかりだったこともあり、スムーズにカイユベルの自室まで案内される。
カイユベルの自室は正真正銘の国家元首が寝起きする部屋のはずだが、飾り気はほとんどなく、まるで安宿の一室のように見窄らしい。カイユベルは十年の魔王討伐の旅を経験しているため、この程度で休めなくなるような柔い神経をしていない。けれどももっと休まる部屋はいくらでもあるし、権威の面でもどうかと思うものだった。
「ミアとエリーゼに会ったみたいだな」
凪が部屋へ入ると、カイユベルは開口一番そう言い放った。
「カイが言いたいことが分かった。たしかに俺は、リカルナと、あの子たちに会うべきだった。感謝する。さすがカイだ」
凪は異世界へ帰った後、本音を言えばリカルナへ顔を見せようか迷っていた。気まずいというだけの理由で、こちらの生活が落ち着いてからで良いとも思っていたのだ。もしそうしていたら、凪は何ヶ月も『帰れたのに帰らなかった』状態になっただろう。
「ナギ、俺はお前がどれだけ苦しんで戦ったのか知ってる。それでも言わせてくれ。この世界に残って、人類をまとめてくれ。リカルナと、お前の子たちのために」
「………………どうしたカイ? 疲れてるのか?」
命を懸けて戦った戦友にして親友であり、これからの経緯次第では義理の兄にもなるカイユベルから、信じがたい要請を受けて、まずはカイユベルの正気を疑ってしまった。
「この世界には永住するが、人類をまとめるって言うのは難しいだろ。俺だぞ? どう考えてもカイのが適役だろ?」
「子供を人質に使うなんて卑怯だと罵ってくれ。女神に遣わされたお前が、元の世界へ戻るのは当然だ。けど、危機が去った後も、ナギの力が必要なんだ。もう少しだけ……何?」
「カイだって知ってるだろ。そういう政治とかは、カイとリカルナへ任せてた。はっきり言って君主論を読んだこともない」
「そこじゃない。元の世界へ帰らないのか?」
「ああ、まあ、帰りたくないんだ。ちょっと恥ずかしいんで、事情は二人きりで酒でも飲みながらでも話そう」
元の世界の出来事を笑って欲しいと思った相手は、他でもないカイユベルである。リカルナと双子のことは最優先だけれど、せっかく再会できたので、お互いに時間ができたら二人きりで飲みながら話をしたいと思う。
国家元首である星皇になったカイユベルと二人きりというのは難しいかも知れないけれど、そこは救世の英雄のネームバリューとかつて十年も共に戦った信頼関係で、サシ飲みくらい実現したいところである。
「は? ナギ、お前、この世界に残るのか?」
「そうだな。だから二代目魔王のことは最低限にしてくれ。もう討伐済みだから、調査とか研究だけだろ。俺はあの子たちとリカルナのために時間を使いたい」
「おい、もう一度聞くぞ。この世界に、残るのか? 帰らないのか?」
「だからそう言ってるだろ?」
「ざっけんなよ、てめええぇぇーー!?」
何故か親友に殴りかかられた。