招かざるもの
王太子であるユーリと次の婚約者であるエリカ――というもの相当におかしな立場だが――に対して地味メガネっ娘が意見している状況に、ユーリとエリカを取り巻いている側近と思われる他の男子学生も口々にキアラを糾弾し、ユーリとエリカを援護し始める。どの学生も一目で高級と分かる服装でありなかなかの美形なのだが、たった1人の少女に対して多勢に無勢、さらにはユーリはともかく、エリカナントカまでも必死に庇い立てする事態に、学生達の親らしき貴族の一部がじりじりと動く。
王太子主催の舞踏会に参加しているその他の貴族達は、ユーリとキアラと呼ばれている娘とエリカを交互に見ながら頭の中で首をひねる。
――エリカとかいう娘は、聖魔法が使えるとかで確か平民から男爵家に養女となった子だったような? いつの間にあんな殿下と親密な関係に……。
――でも、キアラと言われているメガネっ娘は……?
――誰だっけ?
――えっと、エンデバルトってうち国の貴族にいたっけ? でも聞いたことはあるような……?
――っていうかユーリ様の婚約者って……あれ?
ハテナばかりが頭を巡る。
「えぇい、離せ、離さぬのなら、まかり通るぞ。いいな!」
突如、扉の外が騒がしくなる。
しかし、中央で激しい舌戦を繰り広げている彼らまでは届いていなかった。
「エリカがいつも教えてくれてたよ、キアラって子に意地悪されたって。そう、君でしょ。君のせいでエリカは幸せになれないんだ。ちゃんと謝ってからどこへなりとも行けばいい」
エリカとユーリの側からスカイブルーの髪を長めに伸ばしたくりくりした瞳の少し背の低い子が出てきて冷たく言い放つ。
「いえ、だから婚約もしていませんし、どうぞお幸せにって言ったじゃないですか、大体貴方様はどなたです?」
「だからまだ謝ってないだろ、エリカに。エリカが謝って欲しいって言ってんだから、謝れよ。ジークのことも分からないなんて、お前、本当に……キアラか?」
ジークと言うらしい青い髪の子の隣から赤い髪の――こちらはかなり背が高い――男子も口を出す。
何それ!!
キアラよ、キアラ! 私はキアラ!
でもユーリ様の婚約者じゃないし、私の婚約者は……いや、違った。私には婚約者なんていない! そう、だってあと、3ヶ月だもの。
「おい、聞いてるのかよ!!」
「いたっ」
赤い髪が返事をしないキアラに苛立ち、肩を掴む。
思ったより強い力に、つい声が漏れる。
ドーン!!
と、その瞬間、外が騒がしかった扉が弾け飛ぶ。
パラパラと破片が落ち、もうもうと煙とホコリが舞う中、背の高い大きな男が足早に入ってくる。いつもなら侵入すら許さないはずの護衛達は、みな扉の向こうで倒れている。
「見つけたぞ、キアラ!!」
入ってくると同時に男が叫ぶ。
まさか……
すぐにその声は険のあるものに変わる。
「俺のキアラから離れろ」
まさか!
まさか!!
「はぁ?」
「聞こえなかったのか? 俺のキアラに触れているその手を離せって言ってんだよ」
男は自分の言葉を全て言い終わらない内に、キアラの肩を掴んだままの怪訝な顔をした赤髪に掌を向ける。その瞬間、キアラの肩が解放される。赤髪が手を離したのだ。
「あっぶねーなー、何なんだよ、お前」
「きゃあ!! 良かった!! やっぱり来てくれたのね!! レオン様ぁ~!!」
憤る赤髪よりも大きな声が響く。
叫んだのはエリカだ。固くユーリに巻き付いて居たはずの腕は外れ、赤髪の脇をするりと抜けると、レオンと呼びかけた男に一直線に突っ込んでいく。
「止まれ」
あともう少しで男に到達し、そのまま抱きつかんばかりだったエリカを男が制する。
「え? どうして? 私を迎えに来てくれたんですよね、レオン様」
エリカはそのピンクブロンドを揺らし小首を傾げる。全くもって今自分が止められたことに理解が出来ないという面持ちだ。
「なぜ俺が?」
「だって、ユーリ様を攻略してキアラとの婚約破棄の最中にキアラを謝らせることが出来れば、レオンルートが開放されて、ヒロインを奪いにくるはずだもの。実際、こうやってお迎えに来てくれたでしょ?」
「何を訳の分からないことを……っと、動くなキアラ!」
そおっと今にも群衆の中に紛れ込もうとしていたキアラの足が止まる。
あー、バカ!
私のバカ!!
こーゆーとこっ。本当に直さないと命取りだわ。自分でもどうにかしたいのにどうにもならない、あんなあほたーれな人たちに付き合ってる場合じゃなかった!
でも、
でもどうしても言ってやりたかったんだよね……、もう嫌、自分の性格。
そう思っている間にも、男が迫ってくる。
「さぁ、見つけたぞ、お前の負けだ」
ガシっとキアラの腕が男に掴まれる。絶対に離さないという意志は伝わるが、先程の赤髪のような痛みはない掴み方だった。
キアラは覚悟を決め、くるりと男に向き合う。
「どなたかとお間違えではないでしょうか?」
自分の今の姿は自覚している。
「いいや? ちゃんと分かってるぜ、キアラ」
ニヤリと楽しげな口元ときらりと光る瞳を見て、キアラはしらばっくれるのを早々に諦めた。
「いいえ、これは予期せぬハプニングのため、ノーカウントです」
「いや、どんな状況だろうと、見つけ出し捕まえたら、という約束だったはずだ」
「そ、そうでしたっけ?」
「なんなら契約魔法で保存してある内容を確認するか?」
「うぅ……」
絶対逃げ切れる自信あったから、そんな内容でもサインした気がする。それにあの時はとりあえず、すぐにこの男を遠ざけようと思って細部まで確認してなかったかも……契約したとはいえ、絶対期限までには飽きると思っていたから。
「ねぇちょっと! さっきから私のこと無視して何言ってるの? 意味分かんないんですけど」
完全に男に無視されているエリカが両手の拳を握りしめながら言うが、男はエリカをチラッと見ただけだった。
「意味が分からないのは俺もだ、キアラ。どういう状況だ」
えー、私に聞く?
キアラはため息を付きながらも一応答える。
「私にだって分かりません。急に名前を呼びつけられ、こちらのユーリ殿下との婚約破棄を言い渡され、さらにこのエリカ様をいじめたから謝罪しろと強要されていたところに、貴方様がいらっしゃったという訳です」
本来なら今すぐにでも逃げ出したいのだが、いつの間にかガッチリと腰に腕が回っている。
「ふん。で、誰と誰が婚約破棄だって? お前、俺以外に婚約してたやつがいたのか? いつ誑し込んだんだ?」
「は? なに言ってるんですか? いる訳ないじゃないですか、人のこと節操なしな風に言わないで下さい! 何人も婚約者がいるのは貴方の方でしょう。もともと婚約自体、私は承知してないんですからね!」
そう、この男、レオンハルト・ヴィ・アルバラードは勝手に私を婚約者にしてしまった迷惑男なのだ。
「お前以外のやつは切ったよ。俺はお前だけいればいい。それに条件ものんでやったんだ、負けたのはお前だ。もう離さねーからな」
うぇぇ……。
思いっきり嫌そうなそぶりのキアラだが、レオンハルトは気にもしていない。
「あ、あのレオンハルト様、今回はどういったことでのご訪問でしょうか?」
ユーリが真っ青な顔で、それでも今の自分の疑問を問いかける。他の貴族たちも一斉に頭を下げ、最上位の礼を取る。
**
大陸一の皇国、アルバラード。
豊かで広大な土地を持ち、各国への食料庫となっている。火力、機動力に長けた軍部と、強力かつ様々な魔法を取り扱う魔術部を擁しており、別の国同士の諍いがあっても、アルバラードが動けば終息し、アルバラードで流行したものは世界中を巡る。
レオンハルトはそのアルバラード皇国の皇子であり、立太子の儀はまだであるものの、彼が次期皇国の王になることは周知の事実だ。高身長で人並み外れた美貌を持ち、強い魔力を有している。艷やかな黒髪に涼やかだが鋭い瞳。まるで王者の証とも言える金の瞳は、興味あるものや魔力が高まる時に一層の輝きを見せる。王者の証とはその通りで、アルバラード王家やごく少ない王家の血筋の者だけにしか発現しない瞳だ。スッとした高い鼻筋は、どんなヤンチャぶっていても――いや、実際かなりの暴れん坊ではあるのだが――品の良さを醸し出す。低く、それでいて通る声は耳に心地よく、彼が演説をすると聴衆が沸き立つという。今もただ口の端を片方だけ持ち上げている、それだけで周りから熱いため息が漏れる。
いくらユーリがエルナン王国の王太子で美形と称される人物であろうとも、レオンハルトとの格の違いは明らかだった。
「いや、特に貴国への用事があったわけじゃない。ただキアラがここに居たからってだけだ。驚かせて悪い……と言いたいところだが、この状況がどういうことか説明してもらおうか」
口調は砕けているが、目が笑っていない。
「恐れながら、貴方様がなぜこのキアラをご存知でいらっしゃるのかは分かりませんが、先程キアラとの婚約破棄し、私はエリカ嬢との婚約を発表したところです」
「ほう、『このキアラ』ねぇ」
「はい、このキアラは私の婚約者であるにも関わらず、美しいエリカに嫉妬し、数々の嫌がらせを行っていた悪女です。レオンハルト様もお側にいらっしゃるときっと噛みつかれますよ、どうぞこちらへ」
「キアラは俺の婚約者だ。お前のじゃない」
レオンハルトの金の瞳がユーリを一瞥する。
「!! 何を仰っているのか……、だいたいそんな女のどこに貴方様と釣り合うところが?? 私のエリカの方が何百倍も素晴らしい」
若干どころではない魔力の籠もった瞳に威圧されながら、ユーリも引かない。ユーリもまた一国の王族であるため、魔力量はそれなりに持っている。
「あら、ユーリ様ったら……。あぁ、でもゴメンナサイ。私、レオン様に出会ってしまったの。もう貴方とは一緒に居られない、だって、レオン様と一緒になるんですもの」
え?
「は?」
「ん?」
??
キアラ、レオンハルト、ユーリ、その周りの青い髪と赤い髪、そしてずっとこの状況につきあわされているエルナン王国の貴族たちも頭上に一斉にハテナ? が浮かぶ。
「あぁ、嬉しい! イチかバチかの掛けだったけど、やったわ! だってレオン様のルートって本当なら2周目以降じゃないと開放されないんだもの。今回は転生できたとはいえ、何度も同じ人生やれるかなんて分かんないし。ユーリ様も好きだったけど、ごめんね、もともとレオン様狙いだったのよぉ。でも、ユーリ様攻略しないとキアラ謝罪イベント発生しないし、イベントなしだとレオン様ルートも開放なかったしね。だけど上手くいって良かったわぁ、これでこそ最上のエンディングよ」
一人恍惚とした表情で歌うように話し続けるエリカ。
「あの女は何を言っているんだ?」
耳元で囁かないで欲しい。そして、私に聞かないで。
「だから何で私に聞くんです? 先程も申し上げたように、私だって今初めて会うんですよ、知るわけ無いじゃないですか……っていうか、ちょっともう離して欲しいんですけど」
「すぐ逃げようとするやつを離すわけねーだろ」
より一層腰に回る腕に力が入る。
ぎゃ、逆効果だった!
「さぁ、レオン様、行きましょうか」
エリカ様はついっと手を伸ばしてレオンの腕に掴まろうとする。
隣にいる私のことが見えていないよう。髪と瞳に負けないくらいピンクに紅潮した頬で笑みを浮かべる姿は可愛いとは思うけど、ちょっとコワイ。
「近寄るな、大体貴様は何者だ」
「エリカ・マゼルタです。貴方様の未来の妻ですわ」
瞬間、その場が凍りつくかと思った。
気持ちの問題ではなく、実際に冷気がほとばしったのだ。
「な、に?」
「さ、寒い」
着飾った人々があまりの寒さに震えだす。
「エ、エリカ、頭を下げて、私の側へ戻っておいで」
「どうして? だって私を迎えに来たんでしょう? レオン様」
ユーリが必死にエリカに呼びかけるが、寒さに震えながらもエリカはその場から動かない。
「まだ言うか」
レオンハルトの瞳が輝きを増し、一層の冷気が立ち込める。最前線で冷気を浴びているエリカとユーリは凍りつきそうな勢いだ。
「ど、どうかお気持ちをお収め下さい、レオンハルト様」
ユーリが懇願するが、エリカはガタガタと震えながらもまだ叫んでいる。
「なんで? キアラを断罪するためにレオン様が氷魔法を使うはずでしょ? なんで私に使うの? レオン様間違ってる、私はエリカだよ。悪役令嬢のキアラは隣のそのメガネ……」
「お前、このまま氷漬けにされないと分からないようだな」
「エ、エリカ!!」
レオンハルトの声が一段と低くなり、掌にはバキバキと氷の塊が作られ始める。
「ちょっとレオン様、もうやめて下さい!」
そう言ったのはレオンハルトの隣で、一人冷気の影響を受けていないキアラだった。ご丁寧にレオンハルトは冷気放出と同時に、キアラには微弱な火魔法と風魔法で冷気を遮断し、心地よい空間を作り出していた。
「全く器用なことで」
「褒めてくれるのか」
「いいえ、呆れてるんです。さっさとこの冷気、消して下さい。目の前の人達だけじゃなくって、今夜の舞踏会に出席されてるエルナン王国貴族の全てに凍傷を負わせるおつもりですか」
「それだけのことをしたんだ、別にいいだろ」
「全然良くないです、とっとと消さないともう二度と口を利きませんから」
途端に冷気が消え、凍えていた人々はほっとすると同時に、キアラという娘を再度凝視する。
大きな丸いメガネ以外はまるで特徴の無い顔。だいたいメガネが分厚くて大きすぎて顔の半分以上を覆っているため本当の顔自体がよく分からない。背は高くも低くもなく、やせっぽっちな体に質素でシンプルなドレス。艶のない茶色の髪は飾りもなく低い位置にシニヨンにまとめただけ。控えめで目立たない……いや、目立たないというより存在感が薄い。もっと言うと地味の一言に尽きるような娘だ。
どうしてこんな娘が大陸一の皇国の皇子の怒りを止めることが出来るのか?
婚約者というのは本当なのか?
一体何者なんだ?
またもエルナン王国貴族は頭がハテナでいっぱいになるのだった。