仕事の終わりに8
宙に固定された立方体。これが触れば壊れる儚い手品ならば問題無い。
しかし、私が抗う事の出来ない物理現象として発現されているのだと思うと恐ろしい。
この現象は膨大な手間と暇がかかった一大事業では無く、老人の気まぐれで起きているのだ。
私とシルバとの間には埋める事の出来ない差があるのだと感じる。
「これを現実離れした現象と感じるか?」
私の心を見透かしたかのような質問に、緊張の汗が体を濡らすのを感じる。
「思います。こんな事あり得ないです」
「そうだ。その通りだ。自然に任せるだけでは、この現象は起こり得ない。これが生命樹の枝が起こし得る事象なのだ。細かい事は省略するが、生命樹の枝が中心の円より遠ければ遠いほど、お越し得る現象の非実現性は高くなる。この現象は我には起こし得るが、ユズには不可能だ。これが生命樹の特性である事を理解してほしい」
生命樹の枝振りによってここまで力の差があるのであれば、この国の外で生命樹の枝が短い者が差別される理由も理解出来る。
生命樹の枝次第では、まるで別の生物とさえ思える差が生まれるのだ。同じ認識で同じ生活をする事は難しいだろう。
「この非現実を得る為にはどんな対価が必要なんですか?」
生命樹を使う事へのリスクを知りたい。何かの間違いで生命樹使いに相対してしまったとき。または、自分自身が使う場合でも、そのデメリットを知る事は重要なのだ。
「生命樹を使った者がその現象に対して同等の何か失うという事は無い。ただし、現実を改変するという事は、己もまた改変しているに等しい。法国の外の話ではあるが、人同士の戦にて生命樹を使い続けた者が恒久的な生命活動の変質をした症例や、時間を置いて突然死した者もいたらしい」
「過度な使用では危険性もあるという事なんですね」
「そうだ。それには生命樹の枝の成長が関係してくる。生命樹は枝を使えばその先へと伸びていく。一度伸びた枝は元には戻らないという特性もある。伸びた枝が様々な非現実への理解を促すが、それが生命活動に支障をきたす場合もある。一つとして同じ生命樹はあり得ないので、伸びた枝の均衡や組み合わせによって、生命体に及ぼす影響は無限に存在するのだ」
伸びた枝は戻らない。そうなのであれば、私にはまだ結構な可能性があるのだろうか。
「生命樹の枝を伸ばすにはどうすればいいのでしょうか?使うという事は分かったんですが、どう使えばいいのか分かりません」
「まあ、それは少し待て。術理の話はまだ半分だ。続きを話すがよいか?」
「はい」
「では、先程の非現実の実現は、生命樹の紫光の領域にある枝を使ったものだ。では緑光の領域の枝を使えばどうなるか分かるか?」
私の生命樹は紫と緑は半々だ。以前に見た図式も半々だったように記憶している。そうなると緑の領域もかなりの事が出来るはずだ。
「紫の枝の伸びた先が何かの事象と繋がるなら、緑も何かに繋がるけれど種類は全く別の物になるんだと思います」
「考え方は合っている。生命樹は生命体の認識そのものだ。生命にとっての認識とは大別すれば自と他しかない。つまり緑の領域は自分自身の認識を広げるものなのだ」
今の話だけだと、紫の魔法じみた内容からはかなり地味そうではある。
「自身というと、力が強くなるとか足が早くなるとかですか?」
「単純にはそうだ。我もユズも、肉体的な機能面では大した差は無い。力は我の方が強いかもしれないが、反射や足の早さではユズの方が優れているだろう。では緑光の領域を使えばどうなるか見せよう。そこにある玉を全て我に向かって同時に投げよ」
机の上に大小異なる玉がある。私が両手で持って手一杯になる程の量になる。
「これ、ちゃんと投げるには量が多くないですか?」
「あらぬ方向に飛ぶかもな。だが、それでよい」
これ以上何か聞いても進展は無さそうなので、言われた通りに手一杯の玉を投げた。
予想通り、空中で様々な方向に玉が飛んだ、が、次の瞬間に一瞬の風のような物を感じると、空中の玉は消えてそれは全てシルバの手の中に収まっていた。
「え?凄い」
シルバの手は早すぎたので正確に目視は出来なかったが、玉が端から順に消えていった様には見えたのだ。
「緑光の領域により身体を強化した。これは視力と運動能力を強化し、更に高負荷に耐えられるように身体の強度も上げている複合の術理なのだ」
シルバは魔法の如く物理現象を捻じ曲げて、超人の如き認識力と運動能力を持つという事だ。これが、この世界のスタンダードなのだと言う事はあって欲しくない。
能力による社会性が構築されているのであれば、私は間違い無く最下層という事になる。
「その、法国では誰もがシルバさんと同じように出来るという事なんでしょうか?」
「ふむ。そうだな。法国には八肢という言葉がある。それは八の方向に均等に枝を伸ばした者を呼ぶ名だ。生命樹の枝は生まれた時点である程度の傾向が決まっている。故に均等に八方向に向いた枝を持つ者は稀だ。枝が均等に伸びていれば、その分得ようとする現象に到達する可能性は高くなる。我は八肢だが、我以外に八肢の者に会った事はまだないな」
つまりシルバはこの法国におけるド天才という訳だ。少し安心した反面、何故にシルバが閑職に追いやられているのかと考えてしまう。天才故に孤独なのだろうか。
「じゃあ、枝が全く伸びていない私は八肢になる事も可能ですね」
シルバの生命樹をトレースすれば私でもいけるのではという希望はある。枝の長さは負けるが、バランスが重要なのであれば、これから自由に伸ばせる私にアドバンテージがある。
「ふっ。そうだな。まあ、その可能性が無くは無い。ではユズの知りたがっていた枝の伸ばし方について説明する」
「はい。お願いします」
「術理は事象の理解から始まる。故に一番理解し易い事象から触れる事から始めるのが肝要だ。ユズにはまず流体操作と身体操作を覚えてもらう」
「流体というと水ですか?」
「水もそうだが、我々の周りには気が満ちており、これも流体だ」
シルバは手のひらでパタパタと顔を扇いだ。
「まさか、そんな事が流体操作と言うんじゃ」
「ある種そうとも言える。我々は気を押し除けて移動し、暑いとき気を動かして涼む訳だ。つまり我々は直感的に流体を操作していると言っていい。加えて流体を操作すり際には必ず体を使う。後はこれを生命樹を使って実現すればよいのだ」
そう言ったシルバは、机の上にあった紙を人差し指の先に乗せて回転させ始めた。ゆっくり回転していた紙がいつの間かヘリコプターのように高速回転している。
「これが流体操作ですか」
「そうだ。紙の高速回転に耐える為に指先の強度も上げてある。まずはこれが出来るようになる事だな」
私の生命樹トレーニングメニューが決まったようだ。
「でも、まだやり方が分かりません」
「訓練方法についてはアダマスに情報を入れておいた。誤った方法や危険があればアダマスが止めるようになっている。安心して訓練するとよい」
私のこの世界に対するワクワク感が急上昇するのを感じた。