仕事の終わりに7
生命樹が何なのかまだ良くは分かっていない。しかし、人の可能性を示す物ではあるらしい。
ならば、この私の生命樹は可能性の塊なのではと感じられる。
私の見た生命樹の図案は、輪から大きな枝が3本ほど伸びている物であった。ならば、数百はある私の枝を全て伸ばせば凄まじい事になるのではなかろうか。
ただし、シルバは生命樹の伸ばし方によっては生命の危険があると言っていたのだ。その内容によっては、私の全伸ばし計画は無為に終わる可能性もある。
早くシルバに話を聞きた過ぎて、アダマスによる交信を試みたが、明日に時間が取れるというところまでしか進まなかった。
異世界転移によるボーナスなどある訳が無いと思っていたが、以外とあり得るのではと思えてきた。
世界が変われば、自身の持つ個性がマイナスとプラスに大きく分かれるが、プラスが多いのだと思えると、根拠は無いが自己肯定感に満ち溢れのだと分かった。
今日は残りの時間いい気分で過ごせそうだ。テンションが上がってきたので散歩というか、この建物を散策する事にした。
建物は10階層あり屋上はシルバの領域だ。10階から5階までは居住スペースだったのだろう。一人一部屋だとしても40人は広々と生活出来る。
1階から4階は謎のぶち抜きスペースがある。階段で階層移動は出来るが、巨大施設部分には一切入り事が出来ない。
恐らくは、この巨大施設を管理運営する為の建造物だったのだろう。
この建物に今はシルバ一人であり、シルバは下へ降りようとはしない。
何か失敗というか挫折の匂いを感じなくはない。シルバは研究者という風体だ。私がここに呼ばれた理由も研究という事らしい。次世界人の研究者という事なのだろうか。ならば、巨大施設は次世界に関わる物なのか。今は答えの出しようが無い。
1階からは外に出る事が出来る。巨大な水塊から生えた巨木が変形した建物なので、湖の孤島に浮かぶ研究所と言ったところか。
水塊には触れられないようになっている。水と建物の境界に見えない壁がある。空気の流れは外という感じだが、私が触れると壁を感じる。謎技術による結界のような物なのだろう。これも生命樹による術理によるのだとしたら、この法国という国はとんでもない技術国に違い無い。
遠くに別の浮遊樹が見える。微妙に位置が変わっているような気がするので、浮遊樹は移動する事が出来るのだろう。
というか、浮かしているのだから動かすのは当然の事だろう。地表というか白い地面に何も無いのも気になる。何か住めない理由でもあるのだろうか。
ここはかなり高所なので景色はいい。季節は春なのかポカポカと気持ちいいし、風も穏やかだ。
ベンチのような出っ張りがあるので座ると、部屋の寝台と同じで謎の柔らかい感触だった。
まだお昼過ぎだが軽い眠気がある。そういえば、仕事をしているときはこんな時間に寝る事などなかった。
どうせシルバは屋上から降りてこないのでベンチに横になってみた。何という心地よい場所なのか。目を閉じると眠りに落ちてしまいそうだ…
――
景色がいきなり夜になったのかと思った。単純に外で寝落ちしたのだ。顔の下に敷いていた手が涎でビシャビシャだ。
夜になっても気温が殆ど下がっていない。建物や床に透明素材になっている場所があるのだが、そこが夜は光っている。
幻想的ではあるが、全ての構造物が樹であるにも関わらず、鳥や動物、虫に至るまでの何もいないのが不気味だ。自然物である樹を使った完全なる人工物、それがこの場所なのだ。
まあ、私が気にしても仕方の無い事だ。私の働いていた会社も似たようなものだった。
今日は大人しく部屋に帰って寝る事にした。
―――
朝起きると外が薄暗かった。雨が降っているのだろうか。しかし雨音はしない。
屋上に出て見て状況が良く分かった。空からは雨が降っているが、この場所より遥上空に見えない壁があり、雨を防いでいるのだ。いや、防いでいるというよりは何処かに集めているようにも見える。
ここは、巨大な天蓋の中なのだ。ドーム内都市という事なのだろうか。それにしても、そんな巨大な物を作り維持する技術力は異常だ。雨に濡れず雨の恩恵だけを得ている。恐ろしい程の自然管理力だ。
「ユズよ。術理について説明する。部屋に入れ」
屋上の小部屋の窓からシルバが呼んでいた。
「あ、はい。失礼します」
部屋に入ると机の上が片付いていて何か見慣れ無い物が置いてあった。
「これより術理について説明するが、我はこれより単純に教える方法を知らぬ。故にユズがこの説明で理解出来る事を期待するのみだ」
どうやら超初心者向けの説明があるようだ。子供向けのカリキュラムでも始まるのだろうか。まあ、私は何も知らないのだから丁度良い。
「はい。分かりました。あの教えて貰った事は書き写していいですか」
何かあってもいいように紙と色筆は携帯していた。
「いいだろう。では始める。まずはここには何がある?」
シルバは少し慌てた様子で説明を始めた。
シルバは右手のひらを上に向け、左手で右手の何も無い空気を指している。
なんだろうか。感覚の目を試されているか、それともトンチかはたまた哲学か。
「あの、何も無いように見えるのですが」
「うむ。その通りだ。この掌には何も乗っていない。いや、目に見えぬ気は乗っているがそれは無い物と考えてよい。たが、術理においてはここに何も入っていない空間があると考える」
今のところは理解出来る。何も無い空間がある。確かにそうと言える。
「何も無い空間がある。はい、理解出来ます」
私の言葉を受けてシルバは机の上にある白い立方体を手のひらに乗せた。
「では、このように何も無い空間には物体が入るという事も理解出来るな?」
「はい。でも空間に入ったというよりは、その場所で物体を支えているというのが正しいんじゃないでしょうか」
シルバは手で掴んで箱を手のひらに置いたのだから私の言が正しいだろう。それに手で支え続けている。見るも明白だ。
「そうだな。我は確かに手を使ってこれを運んだ。ではこうしよう」
シルバは白い立方体を支える手を外す。しかし、白い立方体は宙に浮かんだままだ。まるで手品だ。
「え、それどうやって浮かしているんですか?」
咄嗟に立方体の上下の空間に手を入れてみたが何も無い。
「方法は様々にある。それは今はあまり関係ないので省くが、術理の基本は空間には起き得る現象を内包する力があるという事だ。空間とは万能の器であり、術理とは空間に現象を発現し収める事にあると理解せよ。ではコレに触れてみるのだ」
そう言われて虫に浮かぶ物体に指で触れると、支えを失ったかのように立方体はゴトリと机に落ちた。
「これは?」
「これには空間に固定する最小限の力しか加えていない。我の行使した空間影響力にユズの力が優ったので、力の均衡が崩れて通常空間に戻ったのだ。このように生命樹の無い物は生命樹のある者の影響を受けやすいのだ。先程の物を浮かすという術理も、ユズに阻止され続ければ発現する事は難しいのだ」
理屈はよく分からなくなって来たが、ようは空間にはどんな現象も入るので、それを生命樹を持つ者が制御出来るという事なのだろう。
「でも、こんな小さな力では何も出来ないんじゃないですか?」
「そうか? ならばこれはどうだ」
シルバは立方体に触れる事も無いのに、瞬間移動のように立方体はさっきの位置に移動した。シルバはそれを叩けとジェスチャーで示してくる。
私が白い物体を叩くと、今度ははっきりとした手応えが返ってきて位置は少しも動いていなかった。掴んで引っ張っても物体は動かない。これに全体重かけてぶら下がっても動かないだろうという手応えがある。
「何?コレ?」
「空間には何でも入るのだ。そこに発現された術理によってはこうなる。これは空間影響力の大きさの違いなのだ」
私は術理の恐ろしさを見たような気がした。