無料では終われない9
(強力な精神操作術だ。扉の向こうの存在を意識しないようにしろ)
シルバからの念話に思わず扉に背を向けた。この部屋に案内してくれた使用人の女性と目が合った。穏やかな微笑みが帰って来たが、私の背後には何か途轍も無い存在が居るようだ。
使用人の反応から、奥の扉から誰か入って来たようだが、その誰かを見ている使用人には特に変化は無い。
「ほお、論理迷宮か。随分と警戒されたものじゃな」
そう言ったのはドリスだろう。そうして知らない単語が出て来た。
(論理迷宮って何?)
(論理迷宮は高位の認識操作術です。使用者の存在を隠す為、相手に正しい情報を与えないようにするという意味では認識阻害と同じですが、相手の認識を取り込み、知ろうとすればする程に誤情報が送られて精神を飽和させる効果があります)
アダマスから的確な解説が返ってきた。この説明の術が展開されているという事は、恐らくバイスは無力化されているだろう。確認の為に振り返りたいがバイスが何も喋っていない事を考えると、既に術中なのだろう。
「警戒しているのではなく、これが私の普通なのです」
その言葉は確かに聞き取れるのに、どんな声だったのか認識出来ない。
「我々の連れには感覚が鋭い者もいるのだ。術を解除しなければ話も出来ぬ。我々に敵意は無いのだから術を解いてはどうか?」
シルバやドリスは普通に話をしているところを考えると、この2人に論理迷宮は効いていないのだろうか。
「解くも何も、これが普通なのです。それに会話というものは同等の認識力がなければ成立しないものでしょう。この場で声をあげられない者と話をしても意味は無いと思いますね」
声の主は中々に傲慢な性格のようだ。そうしてかなり力のある存在でもある。
「あの、この金輪の元の持ち主はあなたですか?」
私は後ろ向きのまま金輪をはめた手をあげて会話を試みた。振り返ってしまおうかと思ったが、防具の防衛行動が振り返る事を拒否している。
「奇妙な方だ。背を向けて話されるとは。顔を合わせて話した方が互いに理解が深まりますよ」
「そうしたいのですが、どうも無理なようなのでこのまま話させてもらいます」
何か鼻で笑われたような気がしたが、何が起こっているのかは確認出来ない。
「面白い方だ。私と話しをしたいという方は多いが、背を向けたままという方は初めてだ。そうですねその金輪は確かに私がある方に送った物です。その方とはまだお会い出来ていませんが、今日は代わりに面白い話が出来そうだ」
私だって背面に向かって話をするのは初めてだ。
「背中向きのまま失礼します。一つ依頼したい事があって来ました」
「なるほど依頼ですか。私は依頼される事が多いので、その話の前に一つ確認があります」
「確認ですか? はい、私の答えられる範囲ならお答えします」
また、鼻で笑われたような気がした。いや、少し吹き出すような音がしたかもしれない。
「私達は今、話をしています。何故ですか? 欲しい物があるならば力で奪えばよいでしょう? 欲する物は奪えない品なのですか?」
この人は何を言っているのだ。
「暴力でどうこうなんてとんでもない。それにまあ、力だけでどうにかなる物ではないです」
「木に成った果実を手に入れるのに話は必要無いでしょう。世の生命は独力で手に入る物に言葉は使わないものです。言葉は独力で手に入らない物に対して初めて使われる。もう一度考えてみて下さい。あなたの欲する物は本当に力だけで手に入れる事は不可能なのですか?」
そんな事言われても、資本主義国家の樹立は力だけでは不可能だろう。
仮に武力で国土を刈り取り、そこに住む人を全て力で脅していう事を聞かせたとして、それが資本主義国家なのだろうか。
人が資産を持ってそれを自由に取引出来る国にはなり得ないだろう。
「全ての人が資産を持ち取引出来る国が出来ないかという話なので、武力だけではどうにもならないと思います」
「国家を欲するという事は王になりたいのですか?」
「いえ、王に興味は無いですし、私の目指す国に王は必要ありませんよ。資産を多く持つ者の議会は要ると思いますが」
「王権の簒奪が目的でないのならば、利権や特権が欲しいのですか?」
「いえ、権利も必要無くて、ただ新しい仕組みの国を建てる必要があると言うか、ちょっと説明が難しいですね」
予知に出たから国を作っているなんて、どういう理屈なんだと思われるだろう。詳しく説明する訳にもいかないし、どうしたものか。
「つまり、国家を作る事さえも手段な訳ですね」
「まあ、そうです。目的の為には特殊な国家が必要なんです」
「国さえも手段とするあなたの目的は何なんですか?」
「それは、お話する事が出来ません」
また笑っている気がする。バシッと膝を打つような音がした。
「国を欲する程に強欲な方が、その欲の先は言えぬとは、これは中々に面白い!」
そんなに面白いだろうか。普通に怪しいだけな気がする。
「確かに妙な話をしている自覚はあります。話が途方も無く大きい事も理解してます。ただこれを実現する手段があるのかお聞きしたくて」
手段というか、本音からするとこんな財を持った人に国を興してもらいたいだけなのだが。
「手段は既にお持ちですよ。その金輪があれば叶う目的ですよ。詳しい話は別の者からさせて頂きますが、あなたがどこまで捨てられるのか次第になりますね。いや、中々に楽しみだ」
自分の腕にある金輪を見たが、これにそんな効力があるのだろうか。
「やれる事はやりますけど、私はあなたに国を興してもらうのが一番だと思っています」
「私さえ意のままに出来るのがその金輪の力です。そのときにそう命じてもらえれば、私はあなたの望む国を興すでしょう」
何かとんでも無い事になった気がする。背後で何か指示を出しているような音が聞こえるが、認識出来ない。
―
「奴は去ったぞ」
シルバの言葉で我に帰った気がする。確かに振り返る事への抵抗感は無くなっていた。
振り返ると謎の存在は既に無く、壁に向かって動かないバイスと、椅子に座って寛いでいるシルバとドリスが居た。
「何だったの?」
「論理迷宮を操るとは、なかなかの術士のようだな」
「人でありながら高位術を操るとは、奴め見た目通りの中身ではないようじゃな」
シルバとドリスの評価は高いようだ。
「どんな人だった?」
「姿は認識出来なかった。ただ、術力の感じから人である事は間違い無い」
「儂は姿の解析をしておったからの、少しばかり歳のいった男である事は分かったのじゃ。後少し時間があれば顔まで分かったが、奴もそれを許すほど間抜けではあるまい」
シルバ、ドリスでも苦戦するほどの術士だったようだ。
話をしていると、あの謎の人物が出てきた扉からノック音が鳴った。今度は変な雰囲気がしないから、恐らくは別の人が来たのだろう。
私はシルバとドリスに目線で確認を送ったが、警戒する必要は無さそうだった。
「どうぞ」
私がそう言うと扉が静かに開き、奥から使用人の長っぽい人が入って来た。よく見ると入り口でお出迎えにいた執事っぽい人だった。
「我主の命により、金輪のご説明に参りました」




