仕事の終わりに4
何も無い部屋に居る。窓からは異様に大きな月が見える。
このよく分からない場所に来て夜になったのだ。ここでも普通に昼夜の概念はあるようだ。
シルバという耳の長い老人と会い色々とあったが、かの御仁は一人で調べたい事あるので私は放置された。
何も要求されない気不味い時間が流れたので、何処かで休ませてもらえるように打診してみた。
するとシルバは彼の部屋内に寝台を用意しようとしたので、慌てて止めた。プライベートな空間がほしいという要求を彼は理解出来ない感じだったが、私の懇願により仕方無くこの部屋を当てがってくれたのだ。
シルバの部屋と私が呼んでいる場所は、この建造物の屋上にある。この建物はビルのような構造で四角のフロアが多層に重なっている。
四角の一つが樹木になっている。というより樹木が変形してビルになっているのだ。
シルバの部屋を出てこの部屋に案内される際、屋上より下は一切使っていない様子だった。下をチラッと見たが10階はある高さだ。それが空に浮かんでいるのだから今の高さは相当なものだが、宙に浮かぶ巨大な水塊に木が刺さっている状態なせいで、いまいち高さを感じ無い。
使っていない部屋は無数にあった。シルバは下層に降りて行きたく無い雰囲気を出していた。施錠されていない部屋であれば好きにしていいそうなので、私は少しこの建物を調べた。
1階から4階くらいまでぶち抜きの巨大な施設があるっぽいが施錠されており入れない。
外に出る用の乗り物らしき構造物もあったが起動はしなかった。シルバから事前に聞いていたが、私のような外部から来た生き物は10日間は外に出せないそうだ。何か検疫的なルールがあるらしい。
建物内は本当にコンクリのビルという感じで掃除やメンテナンスがされている感じだ。放置された廃墟では無く新品の無人ビルだと感じる。
ただ誰もいないし物も一切無い。そんな巨大構造物に私とシルバしか居ないのだ。
自室はとりあえず屋上の一つ下の角部屋を選択した。何かあったときにシルバに頼るしかないからなのだが、シルバが助けてくれるかは分からない。私はこの場所にどれくらいの危険があるか分からないのだ。
モンスター的な物が日常的に跋扈しているのであれば、戦闘力の無い私はひとたまりも無いのだ。この建物内に湧かないとも限らない。今は慎重に自衛するしかないのだ。
異様な状況ではあるが安心出来る要素もできた。
施設内での生活に当たりシルバは私にガイドを付けてくれたのだ。
例の翻訳首飾りがアップグレードされ今は首から拳大の装飾品を吊っている。かなり大きいのに重さがそれ程変化が無いのが不気味だが、このガイドは優秀なのだ。
シルバ曰く色々なガイド方法があるのだそうだが、人が扱うのであれば音声ガイドがよいだろうとなり、私は色々とガイドに聞いたのだ。
例えば食事はどうすればいいか、トイレ風呂着替えなど聞いたが、かなり正確に回答してくれた。ガイド音声が抑揚の無い私の声なのは不気味だが、この子は凄く賢い。
というか、こんな人工知能を持った音声ガイドを作れるこの世界が凄いのだ。
正直、私の持つ知識で異世界無双という可能性を考えなかった訳ではない。しかし、現在感じる技術レベルだけで私のいた世界よりも進歩していると感じる。
音声ガイドによって出た食事は小さいスイカのような果物一個だった。しかも壁の一部と一体化した洗面台みたいなところからニョキニョキ生えてきた物だ。
「アダマス、これは何?」
「白樹果デス。茎、皮、実、全テ可食部デス。種ハアリマセン。一ツデ人生体ノ半日分ノ栄養ガアリマス」
アダマスとはこの音声ガイドシステムの名前らしい。ひとまずこの子の名前として使っている。音声認識スピーカーの要領で使えるように予め学習させたのだ。
夜に一人で食事するのには慣れている。小玉スイカのような果実は簡単に手で割く事が出来、皮は本当に食べられるようだ。
皮にはアーモンドのような香ばしさと塩味があり、中の果実は梨のように甘くシャキシャキとした食感だ。茎はポリポリした食感でほろ苦い。果物一個だというのにお腹にしっかり貯まる感じがする。
アダマスにはシルバの事を中心に色々と聞いたが、情報には制限があるようだ。日常生活に関わる事や施設機能の使い方は答えてくれるが、この施設が何なのかシルバが何者なのか、モリビトとは何なのか、この国はどこにあるのか等、一般常識に当たりそうな事も答えない。
これは予想だがシルバが情報を制限しているのだろう。シルバは私を次世界人と言った。ならばここは私にとって前世界という事なのだろうか。分からない。あまりにも情報が無い。
とりあえず眠ってしまおうかと思うが、私は仕事終わりにこっちに来たのだ。体は1日分の疲れと汗をかいている。正直風呂に入りたい。
既にアダマスに風呂に関する事は聞いたが、一般的な湯使う風呂は無いそうだ。部屋の角にある扉の無いクローゼットのような場所が風呂兼トイレだ。いや洗濯も兼ねているのだろう。
トイレとしては一回使ってみた。まあ、アダマスを使って調整すれば許容範囲の事だった。
部屋に施錠は出来ないようなのでこのままやるしかあるまい。
服を脱いでアダマスだけ装着した状態で部屋の角の窪みに入る。トイレとして使用した際に作った腰掛け部に座る。
「アダマス、お風呂をお願い」
そう言うと、足元から緑色のゲルが窪みね中に満ちてくる。あっという間に腰の辺りまでゲルに包まれた。
ゲルはドロドロというよりはぷよぷよな感じで、その独特の感触に全身が包まれいく。顔も覆われるがどういう訳か呼吸に支障は無い。
このゲルは施設の浄化システムなのだ。人、服、建物に至るまで、汚れと認識する物に吸着して吸収し樹木の栄養にするのだそうだ。
ぷよぷよの感触が全身に張り付いくる感覚はなんとも言えない。爽快感は無いそれだけは断言出来る。
ゲルが引いた後は、確かに体の汗ばんだ感覚や髪のべっとり感は無くなっているので効果は確かなようだ。
二度手間になったが、服の洗浄を別で行うと全裸で待たなくてはいけない。今度から服着たまま入るでいいと思った。
風呂、トイレ、洗濯、掃除のハードウェアが全て同じな事に多少の忌避感はあるが、合理的と言えばそうだ。
もう寝てしまおうと思い寝台を出す。壁から人が寝転べる程の台のような物が生えてくる。
モリビトはあまりゆっくり休んだりしないのだろうか。常時寝台を置かないという考え方は分かる。しかし、疲れたらすぐにベッドに飛び込みたいだろうに。
寝台に寝転がると、質感は違うがクッションとしての性質はさっきのお風呂ゲルと同じ物を感じた。柔らかい寝台に半分飲み込まれたような状態になっている。確かに体に負荷は掛からない仕様なんだろうが、こんな底無し沼に沈むような感覚では安心して眠れ無い。
私がアダマスに指示を出して寝台の硬さ調整を何度も行い、ようやく眠りについたねは三時間後だった。