世界の終わりより5
聖王国の王都で昼下がりの飲食店に現れたのは全身黒尽くめの人だった。
シルバの念話からこの黒い人は私達を付けていた事が分かるが、私には付けらた感じも理由も分からなかった。
私達が越境者だから付けて来たのだろうか。越境者は聖王国の為政者がその存在を気にしている。当然だが越境者と聖王国人には力の差があるのだ。野放しにすれば大変な事になるのは分かる。
しかし、シルバは私達を付けていたのは王国関係者では無いと言っていた。
ならば、越境者を気にする者とは何だろうか。なるほど明白ではある。越境者を気にする者は越境者だろう。
黒い人は私達が居るテーブルに近いて来る。シルバは動かないし、私の防具からは違和感が来ていないという事は相手に敵意は無いようだ。
「ジジイ、見てんじゃねーよ。こうして目の前まで来てやってんだ」
黒い人は粗暴な人物であると感じた。声から察するに男性のようだが、ヘルメット越しの篭った声なのでなんともという気もする。
というか、この黒い人のヘルメットは前が見えているのだろうかという作りだ。おでこから鼻にかけての辺りが弾丸の先端のように半球が出っ張っている。目があるだろう位置には貯金箱の入れ口のような細い隙間が開いているだけだ。口元は医者が手術で着けるようなマスクのような形状で、獣が歯を剥いているような装飾がなされている。
一目見て威圧的な意匠だ。しかし、妙な事がある。こんなにチラチラ見ている私には何も言わず、一瞥もしないシルバには見るなと言う。何か私の分からない駆け引きがなされているのかもしれない。
ただ、私も一つ違和感を感じた事がある。聖王国に来て見る物の多さに圧倒されたが、それは匂いも同じだった。土の匂い、木の匂い、人の匂い、獣臭、薬品臭、花の香り、食べ物のいい香り、異臭になんだか分からない香りまで嗅いだが、この黒い人から何の香りもしなかった。
聖王国の人はすれ違うだけでも色んな匂いがするが、この人には匂いが無いのだ。別段清潔にしている感じもしないが無臭なのが異様だった。
「聖王国人ではないな」
シルバの問いに黒い人は両の手首を見せてきた。その浅黒くゴツゴツした手首には、私達のような輪は無かった。
「俺様は間抜けじゃねーんだよ。縄掛けられるような真似するわけねーだろ」
どうやら俺様キャラのようだ。
「越境者は七日のうちに登録をせねば強制退去だぞ?」
「間抜けはな」
かなり攻撃的な人物のようだ。私の人生でこんな攻撃性のある人は初めてなのでドキドキする。そんな事を考えていると違和感がやってきた。
いきなり私への攻撃が来るのだろうか、そう思い意識すると黒い人の手が私の背後に回ろうとしていた。防具からの指示は椅子から立ち上がりシルバの方に行く感じだったので、指示に従い体を動かそうとすると違和感が突然無くなった。
「えっ?」
思わず声を出してしまった。
「なんだ。こっちの女もそれなりにやるのか。隙だらけなんで可愛がってやろうと思ったのによー」
黒い人は私の回避を読んで行動を止めていたのだ。時を止めたような認識の中で行動可能な私の動きを読むという事は、私の防御法が通じ無いという事だろうか。そう考えると変な汗が出た。
「何用だ。要件を言え」
「そう焦んなよ。連れの女も俺様に怯えてやがんだぜ。まあ、ゆっくりしていけよ」
黒い人は私達を脅迫しに来ているのだろうか。何かの目的を持って優位に立とうとしている、それだけは何故か良く分かる。
黒い人はこちらの状況を直ぐに看破してくる。恐らくは何か私には無い認識力でこちらを探っているのだ。シルバもそれに対抗しているようだが、相手の方が勝っているのだろうか。
そんな不安感を募らせていると、黒い人がいきなり前のめりに倒れて動かなくなった。大きな音に店員さんが寄って来たがシルバが手で制した。
「料理は持ち帰れるようにしてくれ。この者は我等の連れだ。こちらで連れ出す」
そうシルバが言うと店員さんは料理場の方へ行ってしまった。
シルバは持っていた白い杖を黒い人の腰ベルトに引っ掛けると、小魚でも釣り上げるようにヒョイと持ち上げてしまった。
「どうするの?」
「外で話す。料理を貰って来てくれ」
シルバはそう言うと聖王国の貨幣らしい四角く緑色の小さな板のような物を何枚か渡して来た。
私が店員さんのところに行き緑板を支払うと、大きな葉っぱに包まれた肉の塊を二つ渡された。
シルバは既に店を出ており、私は熱々の料理を抱えて後を追った。
―
私達は黒い人を運び、人気の無い空き地に来ていた。黒い人の様子を見るから料理は先に食べていろとの指示だったので、私は肉に齧り付いていた。
肉は何らかのスパイスを塗って焼かれた物だが、結構硬くて獣臭さも強かった。苦手な匂いなので食べ進めようか迷っていたが、包みになっている葉っぱから爽やかな匂いがする事に気づいて一緒に食べてみると結構いけた。なるほど、包の葉も料理の一部のようだ。
私が完食し汚れた手を何とかする為に舐めていた頃にシルバが近いて来た。
「この者は毒に侵されている」
「え、毒? いつから?」
「ユズに触れようとしたときだ」
以外な答えが返ってきた。シルバは料理を葉ごと食べている。なるほど、ああすれば手も汚れない。
「私、何もしていないんだけど」
「そうだな。正確にはビシムがやったのだ」
ビシムは法国に残り例の闇の調査をしている。距離が離れると簡単には連絡も取れないそうなので、あの瞬間にビシムの意思が介入したというのはあり得なさそうだ。
「ビシムが遠隔操作したって事? そういうのは無理なんじゃなかったっけ?」
「遠隔操作ではない。自動防御として仕込まれていたのだ。詳しくはユズからしか調べる事が出来ん。やり方を教えるので確認してくれ」
シルバはそう言うと、私の胸にあるアダマスの特殊操作方法を教えてくれた。どうやら音声ヘルプが聞けるらしい。
私かアダマスを操作すると、服のフード部分が頭に被さりビシムの声が聞こえてきた。
「やはり、恐れていた事が起きてしまったか。ビシムはその防御力を最大にする為に一つの仕組みを入れた。それはユズが許していない者がユズに性的な目的で接触を試みた場合に、最小限の動作で最大限の反撃をするようにした。この反撃動作は恐らくシルバであっても予見出来ないだろう、故に何者も回避する事は叶わない。毒は相手の動きを止めると同時に性的な興奮を除去する。完全な解毒はビシムにしか出来ないが、ユズの許すという言葉に反応して毒素が無害化する仕組みになっている。ユズが許したとて一度でも不埒を働いた者をビシムは許さない。故に、毒が不活性となっても再度同じ事に及べば再び毒はその力を取り戻すだろう。どうかユズの身に何事もないよう心より祈っている」
なるほど、私には恐ろしい痴漢撃退能力が備わっているらしい。
「解毒は一応出来るみたい」
「そうか、それでその者の解毒はするのか?」
「何か悪そうな人ではあったけど、このままじゃ死んでしまうでしょ。だから解毒する」
「そうか」
そう言うとシルバは杖を伸ばして黒い人を拘束した。解毒したらいきなり襲いかかって来る可能性がある。そう思わせるには十分の印象がこの人にはあった。
「許す」
私は半信半疑でそう口にした。すると拘束された黒い人は釣り上げられた魚のようにビチビチと暴れ始めた。




