仕事の終わりに2
未知に恐怖する事の無い生活をしてきた。未知があったとしても何かを介して体験するものばかりなので、自身とは無縁と思ってきた。
今私の前にある未知は違う。現実として私が体感し得る範囲にあるのだ。
窓の外の景色の何が現実たらしめているのか、そんな思考がぐるぐると回る。
景色には何の脚色も省略も無い。そう思えるだけの現実感があるのだ。
この景色はこの目の前にいる老人にとっては、私が会社のビルの窓から外の通りを見るような物なのだ。
実際に見晴らしがいい訳でも、目立ったスポットがある訳でもなさそうだ。
遠くに見えるビル程もある空飛ぶ巨木には人が何らかの生活をしている。
巨木に幾つもある虚は規則正しく並び、部屋のような構造になっており、中で人が何かをしているのが見える。
昔見たファンタジー物の空飛ぶ構造物は、演出の為にフワフワと上下している物が多いが、目の前の巨木は微動だにしない。
当然だろう。人が生活するのだから、そんな不安定な構造物は不便に決まっている。
私の目の前には理解不能な異世界感と、理解可能な現実感が混在しているのだ。
「ふむ。恐怖を抱いているな」
老人からそう言われ冷たい刃物が頬に当たったような気がした。
「どうして!……分かるんですか」
咄嗟の事に大きな声を出してしまった。いや、今の私には声を出すくらいの抵抗しか出来なかった。
「その首に掛けている術具には互いの思考を伝え合う機能がある。思考から感情も多少は読み取れるのだ」
首にあるネックレスを咄嗟に外そうとしたがやめた。老人は私にコレを強制する事も出来たのに、私の意思を尊重している。
「何が目的なんですか?」
「目的か。そうだな、次世界の観測と言うのが適当か」
「今の情報だけだと私が居た場所が次世界という事で、ここは前世界という事なんですか? 何がなんだか分かりません。私を観測したのならもう用は済んでいますよね。この後解放されるという事で合ってますか?」
必死に生存を考えて色々と言ってしまった。
「まずは今の状況を説明した方がよいな。名前はなんというのだ?」
「黒明柚香です。あなたの名前も教えてもらっていいですか?」
「我の名はシルバ。そちらの名は長いのでユズカと呼ばせて…、いや、それも発音し辛いな。ユズでよいな」
特に同意も確認されずユズと呼ばれる事になったらしい。今は逆らってもどうしようもなさそうなので、一旦受け入れておく。
「それでいいです。シルバさんはここに一人で住んでいるんですか?」
「一人?まあ、そうだな今は一人だ。それでユズの状況についてだが、ここに来る前の記憶はどうなっている?」
相手が一人かどうか、重要な情報だ。この部屋の外は屋外になっているっぽくて、外から話し声も作業音もしない。恐らく一人なのは間違い無いだろう。
「確か仕事をしていて家に帰ろうと席を立つ際に床に倒れました」
「なるほど、では倒れた後にユズは死んでいるな」
「死んでいる? 私は今生きてます!特に変わった様子はありません」
死んでいると言われて動揺した。ここはあの世と呼ばれる世界なのか。
「当然だ。死んだユズをこちらに転移させ蘇生したのは我だからな。今は間違い無く生きている」
死?転移?蘇生?理解が追いつかない。
「え?では私の死因は何なんですか?まさか…」
「ふむ。まずは順を追って説明しよう。基本的に現世界から次世界には干渉出来ない。これは原理原則だ。故に我はユズの死因については関与していない。蘇生に当たり心臓の破損については修復したので、恐らくはその辺りが死因なのだろう。外傷は無かったので疾患によってだとは思うが、心当たりは無いのか?」
心当たりは無いが、曽祖父がまだそれ程歳がいっていないのに心臓病で死んだとは聞いた事がある。夜寝る前は元気で、朝には冷たくなっていたという。
家系的に心臓が弱いという事はあるかもしれない。
「分かりません。何の予兆もなかったので」
「そうか、では一旦話を続けよう。生物は死ぬ事によって世界への影響力を急激に失う。世界は有と生によって進む存在なので、無や死は世界からの離脱を意味する。世界から切り離された存在であれば世界の移動が可能にある訳だ。故に我は世界から切り離されたユズをこの世界へと呼んだ。ここまでは理解出来るか?」
理解は出来ない。言っている理論は分かる。しかし、理解する事すなわちこの現実を受け入れる事は出来ないのだ。
「よく分からないですが、死ぬば元の世界に戻れるという事ですかね?」
「それは現実的では無いな。死によって世界から外れたとして、元の世界から何者かによって呼ばれなくてはならない。それに次世界と現世界では次元の差がある。次元は高い方から低い方へ流れる。現世界より高次の次世界に渡る事は不可能に近い」
「不可能では無いという事は、可能性はあるんですか?」
「あるにはある。次元の干渉が強い時期というものがある。ユズを呼んだのもそれに合わせての事だ。次の次元干渉があるのは、そうだな、ざっと60年後ぐらいだろう。まあ、それくらいの時間であれば待てなくはないのではないか?」
60年後にこの世界で生きている自信は全く無い。つまり私の帰還は絶望的という事だ。
「なんで…私なんですか? そのまま死んだままにしておけばいいじゃないですか! それを勝手にこんなところに呼んで、酷いじゃないですか!」
怒る。何十年かぶりに怒る。怒ってどうにかなる問題では無いが、私には怒る事しか出来ない。こんな事でしか我を通す方法が思いつかない。
「怒りか。それも真っ当な反応だな。だが、術具からは僅かな怒りしか感じ無い。こちらの人ならば怒り狂ってもおかしくは無い。ユズ個人の特性かそれとめ次世界人故か、その辺りの話も聞きたいものだ」
長い社畜生活で怒りをセーブする癖が出たのか。いや、それよりもそんな心情を看破されて恥ずかしさも増してくる。
「何ですか! なんでもお見通しみたいな顔をして! こんな私から聞く事なんて何も無いでしょうよ!」
怒りと恥ずかしさで一杯になり、これ以上の醜態を晒さまいと涙を堪えて顔が引き攣っている。
「聞く事はある。ユズは次世界人だ。この世界では高次存在となるだろう。世界を渡る術については我がこの世界での考え得る範囲での事だ。ユズに備わっている未知が新たな可能性を生むかもしれないと、我はそう考えている」
老人のいやシルバの言葉にある考えが脳裏に浮かんだ。
私は異世界転移している。つまり、なんらかの優位性をこの世界に持ち込んでいる可能性がある。異世界への転移転生にはチート能力は付き物だ。フィクションのようなご都合主義にはならないだろうが、何か使える物があるかもしれない。
「少し取り乱しました。すいません」
「いや、特に気にしてはいない。それにさっきも言ったとおり怒りは真っ当な反応だ」
「それで私に聞きたい事があると言うか、何か調べたい事があるという感じですよね」
「ふむ。まあそうだな。我としては次世界存在を調べる事こそが目的なのだ。手始めにまずは服を脱いでもらえないだろか?」
「ええっ!!?」
今日一番の声が出た。