第1話 変則シチュエーション・アフタヌーンティー
ここ何年か、夏に緑が見られなかったような気がしていた。
いや、本当に緑がないと言うのではなく、なんと言えば良いのか、木々が青々としていないというか。
みずみずしく美しい緑ではなく、くすんだ黄緑に近いような。
それに伴って、木々がほとんど紅葉らしい紅葉も見せていなかった。
色とりどりではなく、と言うより、赤がなく、ほとんど黄色で終わっていたような気がする。
それが今年に入って。
夏の緑が、目にまばゆいばかりに蘇っていた。
早朝の庭の手入れのとき。
休日の散歩のとき。
所用で駅まで出かけるとき。
夏の厳しい日差しに色あせることもなく、いや、それをはねのけるように、美しい緑色が目に飛び込んでくる。
ああ、蘇ったのですね。
と、ふと思いがよぎった。
シュウは、そんな彼らを目にするたびに、自然の力づよさや不思議さを強く心に感じる。
人の知識など到底追いつけない、自然のからくりに思わず微笑んでしまう。
夏が美しければ、秋もまた美しい。
今年は紅葉も、大好きな桜紅葉もまた、目にまばゆいばかりの姿を見せてくれていた。
ふと見上げると、銀杏の黄色と青空の、見惚れるほどのコントラスト。
桜の紅葉が終わると、次はいろは紅葉のはっとするような深紅。
ここでもまた、思いがよぎった。
ああ、蘇ったのですね。
そんな秋のはじめのある日のこと。
「お約束していた、アフタヌーンティをお願いできないかしら」
志水さんから連絡が入る。
受話器を取っていたシュウが、少し嬉しそうに微笑みながら答えている。
「かしこまりました。日にちのご指定はありますか」
「そうね、あやねがいるので、今度ばかりはお任せも出来ないわね。……土曜日の午後なら大丈夫かしら?」
「はい、土曜日でしたら……」
と、シュウが店の予定を確認していくつか日にちをピックアップする。
「わかりました、ありがとう。すぐに確認して、またご連絡するわね」
「急がなくても大丈夫ですよ、とりあえずお教えした日にちは、すべて開けておきますので」
「まあ、大サービスね」
ほほ……、と可笑しそうに笑っていったん電話を切った志水は、それから程なくしてまた連絡を入れてきたのだった。
こんな経緯があって、12月の初めの土曜日、『はるぶすと』初の変則シチュエーション・アフタヌーンティが開催される運びとなる。
そりゃあもう、大喜びで大はしゃぎした従業員が約1名。
「日にち、決まったんすね! いやっほーい! よおし、頑張るっすよお。えーとまずは」
それに茶々を入れる従業員も約1名。
「あれえ、そう言えば、この間秋渡夫妻に用意したのってさ」
「は、はい、なんすか?……」
「ぜーんぶ大人向けだったような」
「あ! そ、それはですね。あのときは椿と由利香さんにってことで」
「洋酒たっぷりのケーキとか、あやねちゃんには無理だよねえ」
「あーもう! だーかーらー、1から考え直します!」
「なーんか無駄なことしたんじゃない? 食材だって」
「すんません!」
「冬里、もうその辺で……」
そしてそれに釘を刺す従業員も、また約1名いることに変わりはなかった。
こんな通常通りのやり取りを経由して、アフタヌーンティーの準備が始まった。
カラーン
「いらっしゃいま……、あれ? 由利香さん?」
それからほどなくして、今日は平日のランチタイム終了間際。なんと由利香が、またまたこんな時間に『はるぶすと』にやってきた。
「どうしたんすか?」
「どうしたって、ランチ食べに来たに決まってるじゃない」
そう言うと由利香は、空いていたカウンターど真ん中の席にどっかと座る。終了間際という事で、他に客の姿は見えなかった。
「えっと、今日はどうしようかなあ」
「あいにく本日の和風ランチは売り切れましたので、洋風でよろしいですか?」
カウンターの中から、いつもと変わりないシュウが言う。
「ええー? 残念~、和風が食べたかったなあ」
「申し訳ありません」
「ふふ、冗談よ、じょうだん。洋風でお願いするわ」
「かしこまりました」
「どうなさいました? 会社を追い出されたのですか?」
丁寧に聞いてきたのはシュウではなく、水の入ったグラスを運んできた冬里。
「もう、違うわよ、失礼ね」
ふふ、と笑った冬里は、グラスをテーブルに置きながら言う。
「志水さんに聞いたんだよね?」
「知ってるんじゃない、もう。……そう、志水さんからお話を聞いてって言うより、ねえ、聞いて聞いて! なんと! 私たちもお誘い下さったのよお。もう嬉しくて」
「へえ」
「これはオーナーとして色々打ち合わせしなくちゃって事で、急遽、半休とって来たって訳」
「打ち合わせ、ねえ」
「なによ!」
意味深に微笑んでカウンターに入ってしまう冬里。
カラーン
今日は終了間際にいらっしゃるお客様が多いらしい。また店の入り口が開く。
「いらっしゃいま……、あ!」
夏樹が驚くのも無理はない。そこには、たった今話題に上っていた志水さんがいたからだ。
「いらっしゃいませえ、さあさあ、お席はとってあります、どうぞこちらへ」
そう言うと、由利香は立ち上がってど真ん中の席を志水に譲る。
「あらあら、そんな真ん中のお席じゃ、恥ずかしくてよ」
「もう~志水さんてば」
楽しそうにやり取りをする2人に、今度は夏樹がグラスを運んできて聞く。
「どうしたんすか? 志水さんまで」
志水は譲られたど真ん中の席に着きながら言う。
「オーナーさんから、打ち合わせの打診があってね。それなら皆さんもご一緒の方が良いかしら、と、こんな形になってしまったの。由利香さんにはご迷惑だったかもしれないけれど」
「そんなあ、志水さんのためなら、たとえ火の中水の中、半休とるなんてたやすいことです」
ほほ、とまた楽しそうに笑う志水だったが、なぜかシュウは浮かない表情だ。それに気づいた志水が不思議そうに聞く。
「どうしたの? 鞍馬さん?」
「はい、実は……」
「今日のランチ、由利香が頼んだので最後だったんだよね」
後を引き受けて言う冬里。
「え?」
「申し訳ありません」
本当に住まなさそうに言うシュウに、由利香があっさりと解決策を出す。
「だったらいいわよ、ランチは志水さんにお譲りします」
「あらあら」
「ええ~? 由利香、空腹だと凶暴になるじゃない、大丈夫かなあ」
すかっ
思わず出た由利香のパンチを見事にかわした冬里だったが、なぜか由利香は少しも悔しそうではない。
それどころか、厨房にいるシュウに意味ありげにニンマリ笑いかける。
「ねえ鞍馬くん、私、今日も腹ぺこなのよねえ」
するとその表情に何かを察したシュウは、本日初めて深いため息をついた。
「……かしこまりました、何かまかないをお作りします」
「やったあ」
「へえ、今日もタダ飯食べるつもりなんだ」
「違うわよ! ちゃんと代金は払うつもりよ」
「うーん、でも、まかないに値段はつけられないよねえ」
面白そうにシュウに向かって言う冬里に、かすかに首を縦に振るシュウ。
「あら、鞍馬さんのまかない? それは素敵ね、私も頂いてみたいわ」
そんな窮地を救ったのは志水の一言だった。
「え? でももうランチ頼んじゃったし」
驚く由利香に、やり取りを聞きながら少し考えていたシュウが言う。
「そのあたりは、何とかします。……そうですね、では、今日もペペロンチーノなどいかがですか? パスタでしたらすぐにお作りできます」
「ペペロンチーノ? やったあ、鞍馬くんのペペロンチーノ、すごーく美味しいんですよ」
「それは楽しみね」
そんな経緯を経たあと、「お待たせしました」と、2人の前にプレートが置かれる。
そこには、半量ずつの洋風ランチが形を変えて美しく盛り付けられた皿と、こちらも心持ち量が控えめのペペロンチーノ。もちろんスープも。
「まあ」
「わあ、ステキ」
「パンもございますので、遠慮なくお申し付け下さい」
由利香は目ハートで、志水も嬉しそうに手をつけようとしたのだが。
「……、……シュウさんの、ペペロンチーノ……」
2人の横から、いかにも羨ましそうな小さなつぶやきが聞こえてきた。
もちろん夏樹だ。
「なーに? 鞍馬くんのペペロンチーノなんて、あんたも食べたことあるでしょ?」
「うう、それはそうですが……、なんか、今日の、またひと味違っていそう……」
どうやら彼は、本日のランチにないメニューが出て来たので、その出来映えがどうしても気になるようだ。
「……まったく。仕方ないわね!」
そう言うと由利香は、クルクルっと綺麗に丸めたパスタを夏樹の前にスッと差し出す。
「へ?」
「しょうがないから、味見させてあげるわよ。はい、あーん」
誰もが喜んでぱくつくと思っていたのだが、夏樹は慌ててブンブン手を振る。
「うわ、だめっすよ。そんなことしたら後で椿に締め上げられる」
「え?」
夏樹の言葉に、しばしぽかんとしていた由利香がちょっと照れたようにフォークを下げた。
「あらあら、でしたら私のを差し上げますよ。……はい、あーん」
するとまた夏樹は手をブンブン降り出して。
「だめっす!」
そのセリフが終わる前に、なぜかフォークからパスタが消えた。
「え?」
「あら」
「弦二郎さんがただじゃおきませんって」
夏樹の言ったとおり、志水の前には弦二郎がいて、美味しそうにペペロンチーノを咀嚼している〈もちろん由利香には見えていない)
「ああ、弦二郎さんが来たのね、うーんだったら鞍馬くん、新しいフォーク……」
と言う由利香の後ろからなぜかフォークを持った手が伸びてきて、一口分と言うにはかなり多めのパスタが巻き取られる。
「ええ?!」
「はい、あーん」
驚く由利香が振り向くいとまもなく、それは夏樹の口の中へ。
もちろんそんなことをするのは、冬里に決まっている。
「へ? あ、はい、……ムグ、ムフ、……う、美味い!」
「〈ですなあ、さすがは鞍馬くん〉」と、これは弦二郎さんの声です。
「はい! やっぱり今日のはひと味違います」
「なあに、そんなに美味しいの?」
するとまた後ろから手が伸びて、クルクルとパスタが巻き取られる。
哀れ、由利香の皿に載っていたペペロンチーノは、半分以下になってしまっていた。
「なるほど~」
「と、冬里っ」
今度こそ、空腹の凶暴さも相まって? 由利香が椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がる。
「わあ、シュウ、助けて~」
言葉とは裏腹に、冬里は少しも恐れていないようだ。
やいのやいのとうるさいカウンター席に向けて、本日2度目のため息をついたシュウが、なだめるように新たな皿を由利香に見せる。
「由利香さん、大丈夫です。こんなこともあろうかと、多めに作っておきましたから」
「まあ」
お祈りのように指を組み、再び目ハートになった由利香はストンと椅子に落ち着いた。
「あれ、つまんないの」
「まったく……」
そんなこんなで、和やかなランチタイムは過ぎていったのだった。
「うーむ、世は満足じゃ~」
「はいはい、やっと落ち着いた。では志水さん、デザートをお運びしますので、ソファの方へどうぞ」
お腹をさすりつつご満悦の由利香は放っておいて、冬里は志水をソファ席へと誘う。
「ありがとう紫水さん」
「ちょっと冬里! なんで志水さんだけ?」
「うん、由利香は厚かましいから、言わなくてもとっとと移動するでしょ」
「ムッキー!」
またシュウがため息をつきそうなやり取りをしつつも、お客様の2人は暖炉前のソファへと落ち着いた。
そこへ夏樹が本日のスイーツと飲み物を運んでくる。
シュウと冬里もその後に続いてやってきた。
ここから本格的に、変則アフタヌーンティーの相談が始まるのだ。
あ、もちろんランチタイムはとっくに終わっていて、入り口には「CLOSE」のプレートがかかっている。
「さてと、まずは志水さんのリクエストから伺おうかな」
「あら、皆さんのおまかせじゃないの?」
「うーん、すべておまかせしていただけるのも嬉しいけど、何かひとつくらいわがまま言ってもらっても良いですよ」
由利香はそんな冬里の言葉をぽかんとして聞いている。
「なーに、由利香」
「ええー、なんでもなーい」
「冬里が、人に、わがまま言っても良いって言った……」
由利香が言いたいことを、つい口にしてしまう夏樹〈もちろんかなりの小声〉
「えー? 何か言った?」
「いえ! 何も言ってません!」
ちょっと笑みが深まる冬里に、夏樹が青ざめる。
すると。
「もしリクエストがないようでしたら、私からご提案があるのですが」
そんな夏樹を救うのは、やはりシュウだった。
「さすがシュウさん! 是非聞きたいっす!」
嬉しそうに言う夏樹だが、それは冬里から逃れられた事だけではなく、純粋にシュウの提案が聞いてみたいのもあるのだろう。
「あら、それは嬉しいわね」
「ふうん」
すると、夏樹に向けていた笑みがすっと引っ込んで、冬里もシュウの話しに興味津々になる。
「ご指定の日にちは、ちょうど12月のはじめです。本来ならクリスマスバージョンになるのでしょうが」
「ええ、そうね」
「ただ、その時期はまだ紅葉も残っていますので、いきなりクリスマスというのも何か惜しい気がして。それで、秋の終わりから冬へ、と言うような趣向にしたいのですが」
「あら、すてき」
志水ではなく、由利香から言葉が出ていた。
「そうね。特に近頃は、なんでも早め早めですものね。クリスマスなんてもう11月前から始まっていて、ゆく秋を惜しむ暇もありませんもの。……でしたら、紫水さんと朝倉さんにご異存がなければ、鞍馬さんが仰るような形にして下さると嬉しいわ」
そう言いつつ、志水は冬里と夏樹を順に見る。
「僕はかまいませんよ」
「なんか面白そうっす! 俺も賛成です」
「ありがとう、2人とも」
ニッコリ笑う冬里と、嬉しそうに答える夏樹と、礼を言うシュウを見て、志水もまた楽しそうだったが。
「あ、それならひとつだけ」
「え?」
「わがままよ」
「はい! なんなりと!」
元気に言う夏樹に、ほほ、と笑いかけた志水は、そのわがままを彼らに伝える。
「冬にはやっぱりクリスマスを取り入れて欲しいの。あやねがとびきりの笑顔になれるような、ね?」
「なんだ、そんなこと、もちろんですよ」
「ラジャ!」
「かしこまりました」
三者三様の答えを聞いて、満足そうに微笑む志水だった。
その日の夜。
「じゃあ、私は秋を担当するから、冬里と夏樹には冬を任せても良いかな」
「りょうかい」
「うっす、頑張ります」
夜も更けたリビングで、ナイトキャップを楽しみながらそんな話をする彼ら。
さて、当日はどのようなシチュエーションが展開されるのでしょう。
§ § §
アフタヌーンティー当日。
『はるぶすと』の玄関ドアに張り紙があった。
【誠に恐縮ですが、本日は貸し切りとさせて頂きます】
そう、今日は変則シチュエーションのために、なんと、貸し切りになっているのである。
なんて羨ましい。
常連さんには周知してあるし、慎ましやかな庭の出入り口にも、「CLOSE」の看板が出ているので、間違って入ってこられるお客様はいないだろう。
準備は万端。
カラン
心地よいドアベルが響いた。
どなたかが来られたのだろう。
「ちょっと早かったかしら」
「本当に、俺までいいのかな」
そこには、ちょっぴりドレスアップした由利香と、シックなジャケット姿の椿がいた。
「いらっしゃいませ! 」
ベルの音を聞きつけてやってきたのは夏樹。その彼は、なんと和服姿である。
驚いたように彼を見ていた秋渡夫妻は、『はるぶすと』の様子が少し違っていることに気が付いた。店の奥、いつもはソファがある暖炉前の特等席に、なんと小上がりの畳コーナーがしつらえられていた。
そこには本格的な炉が切られ、釜から暖かい湯気が上がっている。どうやら夏樹のお手前が行われるようだ。
そして小上がりへたどり着くまで、デザートコーナーのテーブルや椅子でちょっとした通り道が作られ、紅葉、楓、銀杏など、色を変える木々たちが道の方に枝を伸ばしている。けれどよく見ると、それらは精巧な作り物だ。
「凄い、これ、本物じゃないのね」
「そうっすよ。アイさんたちにお願いして、作り方教えてもらったんす」
アイさんというのは、いつぞやのフェアリーワールドでお知り合いになった、コスプレイヤーだ。さすがというか、彼女たちはこういうものも再現できる腕前なのだ。
「へえ、さすがね~」
「ああ」
カラン
2人が感心していると、またドアベルが響く。
「こんにちは!」
「お邪魔しますね、まあ、今日はなんだか様子が違っててよ、あやね」
早速気が付いた志水があやねに言うと、キョロキョロと辺りを見回していたあやねも、
「ホントだ、12月だけど秋だ!」
と、嬉しそうに言う。
「いらっしゃいませ、ようこそ『はるぶすと』へ。本日は、まず秋の終わりからお楽しみ下さい」
シュウが進み出て、4人を案内する。
今日は志水側のゲストは、志水とあやねの2人だけだ。たまにはおばあちゃんと2人で楽しんでいらっしゃい、と、あやねの両親が送り出してくれたのだ。
小上がりの畳コーナーまで来ると、シュウが言う。
「今日ははじめに、ご自分で抹茶を点てて頂こうと思っています」
「まあ、素敵な趣向ね」
「はい」
「あやねも点てられるの?」
「もちろんです」
シュウの答えに大喜びのあやね。
その様子に微笑みつつ、またシュウが言う。
「正座がお辛いようでしたら、手前の椅子とテーブルでもかまいませんよ」
そしてなぜかそのセリフは、あやねに、ではなく、由利香に向けて言う。
「え? 私? ひどい、ちょっと位なら正座出来るわよ、失礼ね」
言い返す由利香に場が和んだところで、シュウはあやねにも聞いた。
「あやねちゃんも、無理はしないでくださいね」
すると、つんと済ましたようなあやねが、芝居がかって言う。
「ちょっと位なら、大丈夫ですわ、しつれいね」
「これは、大変失礼致しました」
由利香の言い方を真似るあやねに、また楽しそうな笑いが巻き起こって。
4人が席に座ると、夏樹が緊張した面持ちで現れ、お手前を始めていく。
本日のお菓子は落雁だ。小さいけれど優しい甘さのそれに、思わず顔がほころぶ。そのあとに、3人分の茶碗と茶筅が運ばれてきた。
「どうぞ」
と、各自の前におかれた茶碗には、点てる前の抹茶が入れられている。
「それではあやね、点てていきましょうね」
「うん!」
志水には、今、夏樹がお手前の途中のものが来る手はずになっているので、まだ茶碗も茶筅も置かれていない。そのため、志水はあやねに茶筅の使い方を伝授することができる。
いつの間にか2人の後ろから、弦二郎さんが心配そうにあやねの手元をのぞき込んでいた。
その隣では、さすがの椿が流れるような手さばきで、由利香も昔取った杵柄? で、茶筅を使っている。
シャカシャカ……
志水の指導が良いのか、あやねに才能があるのか、抹茶は美しく細かく点てられていた。
「上手だわ、あやね」
「ほんと?」
「ああ、さすがですな」
「あ、おじいちゃん、ありがとう!」
見えるあやねは、嬉しそうに弦二郎さんにも笑顔を見せて、「次はどうするの?」と、志水に聞いている。
「それは、俺、いや、私がお教えします」
すると、反対側から椿が声をかけた。
「はい、お願いします!」
元気よくお返事するあやねに、丁寧に、茶碗の持ち方から回し方、飲み方などを教えていく椿。見よう見まねで、けれど危なげもなく優雅にお茶を頂くあやね。それを愛おしそうに見ている弦二郎さんと志水。
あやねが一服の茶を頂き終わると、ちょうど志水の前に、茶碗と茶筅が置かれる所だった。
「よろしくお願いします」
「はい」
姿勢を正した志水がすっと茶筅を持つ。
シャカシャカシャカ……
志水の茶筅裁きは見事なものだ。
「おばあちゃん、すごーい」
「本当ね、さすがだわ」
あやねと由利香の賞賛に、志水はちょっといたずらっぽく微笑みながら言った。
「先生が良かったのよ、きっと」
本日は裏方に徹している冬里が、今頃くしゃみをしているかもしれない。
皆が一服のお茶で心を整えると、後方から「楽しまれましたか?」と声がかかる。
今日のお茶席は、お客様がカウンターを背にして席に着くようにしつらえられていたのだ。
振り向いた4人がそこに見たものは。
「わあ、雪が降ってる!」
たったあれだけの時間だったのに。
先ほど通ってきた道や、テーブルや椅子のそこここや、紅葉の一部が白いベールで覆われ、それは本当に雪景色のようだ。
「まあ、冬になっちゃったわね、あやね」
「うん!」
「いつの間に……、ホントあんたたちって凄いわねえ」
感心する由利香に苦笑しつつ、シュウが彼らを誘導する。
「次は冬の世界をお楽しみ下さい」
そう言って、彼らを個室へと誘い、そのドアを開けると。
「うわあ!」
「あらあら」
「ええ?!」
「これは……」
そこは、真っ白に光り輝く銀の世界。
すべてがパールのような白で飾り付けられていた。
椅子も、テーブルクロスも、食器も、アフタヌーンティスタンドも。
驚くことに、盛り付けられた料理もすべてが美しく輝く、白、白、白。
「これはこれで綺麗だけど……、なんて言うか……申し訳ないけど、なんだか味気ない、かな」
由利香が珍しく遠慮がちに言った時だった。
ホーッホッホッホ
どこからか、聞き覚えのある笑い声が聞こえてきた。
「え?」
おもわず顔を見合わせる、由利香と椿。
「それは困ったことだねえ。だったらこうしようかね」
くるん!
と音がして空間がまわったような気がした途端。
「あ!」
世界に色がついた。
色とりどりに飾り付けられたツリー。
窓には金の星や銀の星。
赤いテーブルクロスに緑のセンター。
数々のグラスも美しく。
お皿には赤と緑のナプキンが、ゴールドのリボンで巻かれて置かれている。
そして、アフタヌーンティースタンドとは別に、観覧車の形をしたスタンドに色とりどりのスイーツが乗せられていた。
「すごいすごい、これは誰かの魔法?」
手を叩きながら、大はしゃぎのあやね。
「おう、私を呼んだかね」
またくるんと空間がまわると。
そこには、赤い帽子と赤い服、白いおひげの……
「サンタクロース!」
が、優しそうに微笑んでいた。
「サンタさん!」
飛んでいくあやねのあとに、思わず由利香も駆け寄っていく。
「サンディ~」
ムギューと抱きついてくる2人、両手に花のサンディは、至極ご満悦のご様子。
「おう、おう、可愛いプリンセスが2人も。今日は最高の日だねえ」
すると、あやねが由利香に教えるように言う。
「由利香さん、サンディじゃなくて、サンタクロースよ。呼び方はきちんとしないと失礼よ」
「あ、はい~ごめんなさい」
さすがの由利香も、あやねにはタジタジだ。
けれど、本名? は、サンディなんだけどなあ。と思いつつ見上げると、パチン! と素敵なウィンクが帰ってきた。
その優しい仕草に、由利香は極上の笑顔で頷いた。
そう、本日の特別ゲストは、なんとサンディ。
遊び好きの冬里と夏樹が、サプライズを兼ねてご招待したのだ。
クリスマスにはまだ早いけれど、もしかしたら、と、お願いしてみるとサンディは、〈あわてんぼうのサンタクロース〉を快く引き受けてくれたのだ。
「ありがとね」
「サンディにお願いしてみて良かったです!」
「うん~、可愛いプリンセスを楽しませるためと聞いては、来ずにはいられないよねえ」
「ありがとうございます。それでは当日は、ぜひディナーを召し上がって行って下さい」
「おお、その言葉を待っていたよ」
そんなやり取りにサンディはこの時もご満悦だった。
「それでは、お茶をご用意致します」
シュウがそう言いながら、志水と椿にメニューを渡す。
珈琲、紅茶は、あやね用にノンカフェインのものも用意されている。他には冷たいお飲み物や緑茶もある。
「わあ、凄くたくさん書いてある」
「本当ね。さて、どれにしましょうね」
「ええ~なにこれ~、こんなにあると迷っちゃうわよね」
「うーん」
わいわいと楽しく飲み物を選んだ後は、お待ちかねのアフタヌーンティースタンド。
そこへ早変わり、ならぬ早着替えを済ませた夏樹がやってきて、料理を一つ一つ説明していく。
セイボリー、スコーン、スイーツ。
あやねも、由利香も、なんと今日は志水も心持ち目がハートになっている。やはり美味しいものは全女性の憧れなのだ。
観覧車型のスタンドは、真ん中のハンドルを回すと、本当にまわるようになっている。これにはあやねに限らず、大人たちにも好評だった。
いつまでも、遊び心を忘れずに。
美味しいものを食べて、豊かな会話をして、笑って笑って。
こうして『はるぶすと』のアフタヌーンティーは過ぎていった。
さて、そろそろお開きが近づいたあたりで、サンディがあやねをチョイチョイと手招きする。
あやねはきょとんとしていたが、志水が優しく背中を押したので、嬉しそうにサンデイの元へ行く。
「あやね、だったかね? もうすぐクリスマス。私からプレゼントを贈りたいのだけれど、あやねは何がいいかな~。OH、遠慮はいらないよ」
「え?」
いきなりの提案に、あやねは少し戸惑っていたが、しばらくすると何かを思いついたように、うん、とひとつ頷いて、サンディの耳元に顔を近づけた。
うんうん、と頷きながらそれを聞いていたサンディは、話し終わったあやねを見つめて、そのあとガバッとハグをする。
「OHーーー、なんて良い子なんだろう~」
柔らかい白いおひげをスリスリされて、あやねは嬉しそうに照れたように笑っている。そのあと、パッとハグを解いたサンディが、
「でもね、あやね? それとは別になにかお願いがあるだろう? 教えてくれないかな」
「え?」
驚くあやねに、サンディは綺麗にウインクをしてみせる。
するとあやねは、今度は耳元ではなく、大きな声で皆に聞こえるように言った。
「あのね、また今年も、スキーに行きたい! でね、今度はあさくらくんやしすいくんや、くらまくんや、椿さん由利香さんも、皆で一緒に行きたい!」
「OH、ベリーグッド」
あやねの願いを聞いていた、本日のメンバーはビックリするやら嬉しいやら。
もちろん、サンディがかなえるまでもなく、感激した夏樹が言う。
「あやねちゃん、約束したじゃないっすか。俺がスキーに連れてってあげますって!」
「うん! でも、サンタさんにも言ってみたかったの」
「それは嬉しいね~、必ず叶うから、心配しないで~」
「はい!」
そんなこんなで、変則シチュエーション・アフタヌーンティーは無事終了したのだった。
片付けを終えていつもの顔に戻った『はるぶすと』。
ここはその2階リビングだ。
今年も出されていた「こたつ」にぬくぬくと埋まっているのは、サンディ。
「うーん、もうこれだけで、日本に来た甲斐があるねえ」
「サンディもこたつの虜になっちゃったんだね」
「《あまてらす》のところにあったからねえ」
「ふふ」
同じようにこたつに入って、サンディの話し相手をしているのは、アフタヌーンティーの間は、なぜか裏方に徹していた冬里。
「で? あやね姫はどんな願いを言ってきたのかな?」
「うん、それは企業秘密~」
「ふうん?」
綺麗に微笑む冬里。
「OH! だめだよ~冬里~、恐ろしい~、本当に君はあ」
「え~、僕、何も言ってないけど?」
するとサンディは、人差し指を振りながら、チッチッと唇をならす。
「仕方ないねえ。あのね、あやねはね、自分の知っている人がぜんぶ。お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、もちろん君たちも、学校のお友達も先生も、OH、私もと言ってくれたよ。そんな人たちもその知り合いもそのまたお友達も、ぜーんぶが、幸せで楽しくて平和になりますようにって。んん~、なんて素敵な子なんだろう」
「あやねちゃん、凄すぎっすー」
するとキッチンにいた夏樹がウルウルしながら言っている。
「そうだねえ。あんな子がいるなら、地球もまだまだ、捨てたもんじゃないねえ。私も応援したくなるよお」
「是非お願いしたいところだよね」
そう言いつつ、綺麗に笑う冬里なのだが。
なぜ彼が、今日は裏方に徹したのか。
このあと、サンディは《つくよみ》の屋敷に赴くことになっている。
サンディがイヴではなく、今頃来ることを知った神さま方が、ただで終わらせるはずがない。
案の定噂を聞きつけた神さま方が、わんさとやってくるそうだ。
それを推測していた冬里は、アニメネズミと協力して、アフタヌーンティーの間にしこみの準備万端、シュウが心おきなく? ディナー宴会料理が作れるようにしておいたのだ。
あきれつつ、ため息をつきつつも、冬里に礼を言うシュウだった。
「ありがとう、助かったよ」
「どういたしまして」
さて、今宵彼らは何人分の料理を作る羽目になるのか。
それはまた、別の機会に。
ずいぶんずいぶんご無沙汰してしまいましたが、『はるぶすと』第23段! 始まりました。
秋から冬へ、季節の変わり目のお話をいくつか。ゆっくりのんびり書いていきます。どうぞほっこりして行ってくださいませ。