芽衣が立てた仮説
駅前に通じる目抜き通りは、平日でも昼前には賑わいを見せるが、ショップのほとんどが開店準備をしている今の時間帯は、人もまばらだった。
モスグリーン色のパラソルの下で、抹茶ラテを掻き混ぜながら、芽衣は恐縮したように肩をすぼめる。
「お忙しいところ、付き合っていただいて、ホント、すいません」
「いいわよ。今日は、仕事も落ち着いてるから。それより、相談したいことって何?」
向かいに座る日南は、さほど気にしていない様子だった。
芽衣は、朝の会議が終って戻って来た日南に声をかけ、オープンカフェに連れ出すことに成功していた。
「はい。率直に聞かせていただきます。日南さんが、アリバイ屋を利用したのは、なんでなんですか?」
「は? な、なによ、いったい、どうしたの? そんなこと、急に聞いてきて……」
「理由を教えてもらってもいいですか?」
「あ。ひょっとして、あのアリバイ屋さんから、なんか聞いた? ひどいなあ。守秘義務があるはずなのに、あの男、芽衣ちゃんに、なんか言ったのね」
「いや、違いま……いや、やっぱり、違いませんね、ははは。確かに、一度は、拘束癖のある彼氏へのアリバイ作りだって、ポロリと聞いちゃったんですけど。ふふふ」
「ポロリって、そんな……。プロなら、そういうことしゃべっちゃダメよね。なんだか、ムカついてきたわ、アイツ……。フラグって言ったっけ?」
「は、はい……。でも、それは、ウソなんですよね? 本当の目的は、フラグに近づくためだったんですよね?」
日南は、視線を落として、ちゅうっと、アイスラテを吸った。「うん」とも、「ううん」とも言わない。
「実は、私、その理由、わかった気がするんです。ミス・ハナとフラグの関係を探ってたんですよね、日南さん?」
「ちょ、ちょっと、待ってよ、芽衣ちゃん。いったい、何があったの? 私の方こそ、芽衣ちゃんが、なぜそう思ったのか、聞きたいわ」
芽衣は、バッグからスマートフォンを取り出して、ミス・ハナの写真を表示した。そして、それを日南の前に置いた。
「これです。こんなのを手に入れたんです」
芽衣のスマートフォンを覗き込んだ日南の表情が、一瞬にして変わった。
「えっ? なにこれ? こ、これって、ひょっとして……ミ、ミス・ハナの写真?」
「そうです。JSRAで清掃員をしていた人から、入手しました」
ミス・ハナがアップで写った写真は、髪型こそショートボブで女性だとわかるが、目鼻立ちはフラグとそっくりだった。
「す、すごいじゃないっ! これは、大スクープよ! 今まで、ミス・ハナの顔写真なんて出回ったことがないんだから」
日南が、眉を上げて驚いている。
想像通りのリアクションに満足した芽衣は、アゴを突き出して、日南の方に首を伸ばした。
「日南さん、今度は私が、教えてもらってもいいですか? 最初に訊いた質問です。なぜ、フラグに近づいたんですか?」
日南は、もう一度アイスラテを一口飲んでから、おもむろに口を開く。
「実は、ミス・ハナの取材に成功したとき、撮影は禁止されたけど、顔は隠して無いから、インタビュー中は、ずっと彼女のことを観察してたの。後から、似顔絵を描かないといけなくなるかもしれないから、忘れないようにね」
「やっぱり、ミス・ハナとフラグがそっくりだったから、近づいたんですか?」
日南がコクリと頷いてから、続ける。
「後日、街中で、偶然見かけたのが、あの男だったの。そっくりすぎて、びっくりしちゃった。きっと、兄妹……いや、もっと似てたから、双子に違いないとおもったわ。それで、彼の後を追ったら、裏社会で生きていて、詳細が掴めなかったら、あの事務所に直接出向いたのよ」
「そうだったんですね……」
「そう、客のふりしてね。でも、彼に聞いても、兄妹はいないって言うし、勘違いだったのね、きっと」
日南は、芽衣のスマートフォンを取り上げて、ミス・ハナの写真を食い入るように見つめていた。今見ても、激似なのだろう。感心するように首を揺らしている。
「いや、そうとも言い切れないですよ。だって、彼……フラグのお父さんは、JSRA所長の井出雄二ですから、どこかで接点があるとは、思いませんか?」
「え、うそっ? そ、そうだったの? た、たしかに、お父さんが研究者だというようなことは、聞いたような気がするけど……」
日南が目を丸くするのを見て、芽衣は、背筋を伸ばした。
「ここからが本題なんですけど、私が考えた仮説を聞いてもらえませんか?」
「え、な、なに?」
「私と田宮さんが追っていたのは、JSRAが倫理違反を犯した研究をしているのではないかという疑惑でした。それは、先日の人工脳『ブレミア』の記者発表でかすんではしまったんですけど、私は、やっぱり、JSRAは、倫理違反を犯していたと踏んでいるんです。その倫理違反の研究というのが……」
芽衣は、唾を飲み込んでから、再び口を開く。
「過去に、ヒト胚を使ったクローン人間を生成したんじゃないかということです。もし、ミス・ハナが、フラグのクローン人間だとしたらどうですか? 二人が、そっくりなことも納得できませんか?」
「確かに……。でも、ただ似てるってだけでしょ? JSRAに関連しているのも、たまたまかもしれないし……」
「ですです。クローン人間の生成まで考えるのは、発想が飛び過ぎてますよね。ですから、私は、事実だけを並べて、仮説を立てたんです」
芽衣の仮説は――核を除去したヒト胚に、フラグの遺伝子を移植して作られたクローン人間が、ミス・ハナではないかというものだった。なんらかの理由で、遺伝子操作をして、性別を変えた。
ミス・ハナは、外に出ることはなく、JSRAの中だけで育てられた。ミス・ハナが、そんな状況でも不満を抱かなかったのは、ひょっとしたら、自覚を司る脳基幹を切除されていたのかもしれない。
20年ほどたって、ミス・ハナは、脳の病気になった。この推測は、過去の動物クローン実験で、なんらかの進行性の疾患を持つことが確認されていることからも矛盾はない。
以後、JSRAは、ミス・ハナの脳の病を治すために、人工脳『ブレミア』の研究開発に邁進する。
人工脳の移植手術を受けたミス・ハナは、『ブレミア』の計算能力や記憶力によって、過去90年もの間、解けなかった数学の難題を解いた――
「どうでしょうか、私の推理は。矛盾はありませんよね?」
「……すごい推理ね。感心したわ」
日南は、ハンカチを出して、額の汗を拭った。
「でも、そんなに、ひた隠しにしてきたミス・ハナの存在を、なぜ、公にしたのかしら。たとえ、数学の未解決の難題が解けたとしたって、公表しなければよかったのに。懸賞金が目当て?」
「私は、ミス・ハナが論文発表したのは、成果を認めてもらおうとしたのではないかと推測しています」
「存在を隠してるのに、成果を認めてもらうって、どういうこと?」
「きっと、JSRAは、時期がきたら、ミス・ハナがクローン人間だということを大々的に発表するつもりだと思ってるんです。最初に成功させたという証拠を残すために、敢えて、世間に発表したんじゃないかと」
「クローン人間を作ったという成果を……」
「倫理違反ですから、今発表すると、世界中から大バッシングを受けてしまいます。きっと、それが認められるタイミングを待ってるんじゃないですかね」
日南は、芽衣の仮説にすっかり感心したようで、芽衣と一緒に活動ができるように、編集長に進言してみると言った。
三日後、サイエンス班とUMA班が、合同で活動することになり、初会合が開催された。
議題は、『大阪アメリカ村で起こった殺人事件に関する情報共有』ということである。
芽衣は、自分の担当とは関係ない話だと思いつつ、送付されてきたファイルをクリックして開く。
「この事件ですが、公になっている情報では、殺されたのは指定暴力団二真会系田辺組の幹部であり、他に一般市民が一名、巻き添えを食って重傷したということになっています」
芽衣は、あくびを噛み殺しながら、報告者である飯島の発表を聞く。ノートパソコンに映した資料も、頭に入って来ない。
「なぜ、この事件を、この会議の議題にしたかというとですね、先ほど申し上げた一般市民の被害者というのが、実は、JSRAの職員だったということが判明したんです」
会議室がどよめいた。
芽衣は椅子に座り直して、パソコンの画面に集中する。
『三名いるとされる容疑者のうちの一名が逮捕、現在、事情聴取中。容疑者は、中国シンジケート スネークキックスのメンバー』
(中国? シンジケートって、マフィアのこと?)
「逮捕された容疑者が所属するスネークキックスという集団の活動ですが……」
資料によると、彼らの活動は、裕福な家庭をターゲットにした、子供の教育に関するものが多い。詳細な活動内容を見ると、共産党エリートに仕立てるための活動ばかりであった。
そして、この事件は、JSRA職員が、二真会田辺組を通じて、スネークキックスに『ブレミア』を横流ししていたことに端を発しているらしい。
「つまり、スネークキックスが何を企んでいたかと言いますと、中国の富裕層にブレミアを使った子息の成績アップ策を提案して、荒稼ぎしようとしていたんです」
資料には、富裕層の子供の脳に、人工脳を埋め込んで、天才児に仕立て、やがてはエリートコースを歩んでいくモデルケースが描かれていた。富裕層の親は皆、自らの子を共産党エリートにしたがっているらしい。
「そして、なぜ、中国のシンジケートと日本のやくざが揉めたかというとですね、それは、スネークキックスがこの『ブレミア』を買い取ったんですけど、実際に使うことができなかったからです」
芽衣は、JSRAの誰が関与していたのか、目を皿のようにして資料の中を探したけど、どこにも書いていないようだった。
「つまり、人工脳の技術は、チップセット自体よりも、脳神経とチップ回路を接続する技術がキモでして、その情報を渡さなかったので、中国内で手術ができず、お金を受け取りに現れた日本人二人を撃ったんです」
「飯島くん、二人って、誰よ? 田辺組の幹部はわかるけど、JSRAの職員って、具体的にわからないの? 資料に書かれてないわよ」
日南が、飯島に質問した。芽衣と全く同じ思いでいたらしく、会議テーブルに身を乗り出している。
「ああ、すいません。ちょっと、ヤバそうなんで、資料には、あえて記載しなかったんです」
飯島は、会議室全体を見渡すと、ゆっくりと口角をあげた。
「JSRAの事業企画部を束ねている、江頭という男性です。江頭は、現場で左足に銃弾を受けています。命に別状はなく、今は仕事に復帰しているみたいですが、彼は、研究所長である井出雄二の右腕と目されています」
再び、会議室がどよめいた。
芽衣は、“江頭”という名前をノートに殴り書きする。これまでに聞いたことは無いけど、キーマンと言われれば、名前を忘れるわけにはいかない。
「……ということは、スネークキックスとの取引は、井出所長自らが指示したってこと? JSRAの組織ぐるみの犯行だったとしたら、ものすごいスキャンダルに発展するわね」
日南が、再び質問していた。
「井出所長が自ら指示したかどうかは、まだ、わかっていないんです。今、その線があったのかどうか、我々も慎重に調べを進めています」
理由はまだわかっていないけど、きっと、井出所長自らが指示をしたのだろうと、芽衣は考えていた。
♰
「ちょっと、やめてくないか。自分で動けるから」
担架に乗せられそうになるのを、フラグは拒んだ。
「所長からの指示なんです。研究所に来ていただかないと、私が怒られてしまいます」
左足の杖でバランスを取りながら、江頭がフラグに頭を下げる。ツヤツヤしたマッシュルームヘアが、さらりと揺れた。
「いや、行くのは行くよ。でも、一人で行けるし、担架はいらない。着替えの準備もしたいから、ビルの前で待っていてくんないかな」
江頭は、作業着姿の部下二人に目配せしてから、「わかりました。それでは、外で待っています」と言って、引き上げようとする。
「あ、ちょっと、待って!」
事務所のドアを開けて外に出ようとする江頭を呼び止めた。
「親父は、まだ、近くにいる? もし、近くにいるなら、ここに呼んでくれないかな」
「はい? なんのためにですか?」
「研究所に入ってしまったら、プライベートな相談は出来ない気がしてさ。ここを出る前に、もう少し、話しがしたいんだ。親父にも、そう伝えてくれたらいい」
江頭は、ドアノブを握ったまましばらく考え、「もし、拒否されたら、どうしますか?」と眉をひそめて聞いてきた。
「その時は、しょうがない……諦めるよ。ただ、そうならないって信じてるけどね」
「わかりました。伝えてみます。ただ、しばらく待っても所長が現れなかったら、拒否されたと思って諦めてください」
淡々とした口調の江頭の前髪は、眉毛の上で切り揃えられていて、年齢のわりに若々しい髪型だとフラグは思った。
「わかったよ」
フラグの声が聴こえなかったのか、江頭は、ニヤリともせず、無表情のままドアを閉めた。