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めくるめく脈動



      ♰


 JR越後線の二両編成の列車が、分水駅を出発した。一時間に一本しか走っていないというのに、一両目の車両には、立花ユウカたちの他に客はいなかった。


「ユウカちゃん、顔が真っ青だよ。大丈夫?」


 ユウカは、痛む左腕を抑えつつ、向かいに座る時田を睨みつける。

「うちをさらったアンタのせいだよ。どうしてくれるのよ、もう」

「それは、ゴメンって、何度も謝ったじゃん。こうするしか、なかったんだよ。いいかげん、許してよ、もう……」

「ぜったいに、ゆるさない」


 ユウカの左上腕にフラグの銃弾がかすめたのは一週間前だった。かすり傷程度だから、すぐに治ると思っていたのに、いまだにズキズキとした。

 見るのが怖いから、傷口は確認していないけど、きっと、膿んでいる。


 時田に連れ回されて、自由にもさせてくれないし、ユウカは絶望の淵にいた。

 唯一の望みは、スマートフォンを取り上げられる前に、妹に打ったメッセージである。それを見た妹の佐知が、警察に駆け込んでくれていれば、どこかで救出してもらえるかもしれない。

 そうなれば、保護されたユウカの体を気遣って、病院で検査してもらえるだろうから、その時に、腕のキズを治療してもらおうと、ユウカは考えていた。


「さあ、この駅で乗り換えるから、降りようか」


 ユウカは、時田に立たされ、電車を降りた。



 燕三条駅前のビジネスホテルのフロントは二階にあった。

 フロントでチェックインの手続きをする時田の横に、ユウカは、ベッタリとくっついた。

 時田から、妙な行動をするなと脅されていたけど、この行動は、むしろ時田が喜ぶと考えた。実際、時田は、ボールペンを握って住所を記入しながら、体を揺らしている。


 ユウカは、フロントに立つ女性従業員を見つめ、目で訴えた。

 もし、誘拐や、家出の届け出があれば、警察は全国の宿泊施設に、顔写真や特徴などを配布しているはずである。


 しかし、フロントの女性は、一度ユウカと目を合わせながら、何の行動もとらなかった。



「ダブルの部屋しか、空いてなかったんだ。ツインじゃなくて、ゴメンね」

 部屋に入ると、時田が言った。鼻の下を伸ばしている。


「ぜんぜんいいよ。あなたは、床で寝てよね」


 ユウカは、時田にさらわれた後、なぜこんなことをするのか聞いていた。

 時田は、会社の金を横領して、辞めさせられたと言った。それだけでは無く、近々、横領罪で告発されるとも言った。

 だから、一緒に逃げてほしいというのは、ただの、元キャバ嬢と客の関係なのに、虫が良すぎる。そもそも、時田とユウカは恋人同士でもなんでもない。


 それでも、抵抗できなかったのは、フラグの名前を出されたから。


 さらわれる時、ユウカは、時田にふとんから引き摺りだされたが、左腕から醜い汁が出て、強烈な痛みが走り、絶叫した。

 時田は、強引に連れ出すのを諦め、なぜ、ケガをしているのか聞いてきた。


 ユウカは、どうせ知らないだろうけどと前置きした上で、井出フラグに撃たれたと答えたところ、時田は、フラグを知っていた。


 最初は、疑っていたが、フラグの身体的な特徴や、性格、裏社会の仕事まで知っていて、どうやら、ウソではないようだった。


 そして、時田は、フラグを憎んでいるらしく、いつか痛い目に遭わせると言った。

 いつもの時田と違って、その口調は怒気を含んでおり、わなわなと肩を震わせ、息遣いが荒々しくなった。顔を真っ赤にして、興奮する時田は、殺意すら持っているように見えた。


 ユウカは、あの井出フラグに復讐しようとしている時田のことが、恐ろしくなった。

 その時は……。



 ホテル暮らしの三日目、ユウカは、コンビニから戻ってきた時田にバスタオルを投げつけた。


「いったい、いつまで、こんなとこにいさせるつもりなのよっ! この先、どうするつもりなのか、教えてよ!」


 時田は、買って来たコンビニ弁当の入った袋をベッドの上に置き、床に胡坐をかく。

「いや、その……。実家に帰って、金の無心をしようとしたんだけど、帰ってくるなって、怒られちゃってさ……」

「なんなの、それ? それで、どうするつもりなのよ。うちをさらってまで、何がしたかったの? ちょっと、無計画すぎるんじゃないの!?」

「あ、うん……ゴメン。ユウカちゃんに、苦労させるつもりは無かったんだ、本当に……。まとまったお金が手に入ったら、二人でお店を開きたいなって思ってたんだけど……」


「なによ、その妄想! もう、勘弁してよ。これ、外してよっ! もうっ!」

 ユウカは、右手をぶんぶんと振り回した。その手首には手錠がはめられ、ベッドに繋がれている。


「だめだよ、外せないよ。外したら、ユウカちゃん、逃げ出しちゃうだろ?」


「当たり前じゃん。未来の無いあなたに付き合ってられないわ、もう」

「いや、ちょっと、騒がないで。これからどうするか、真剣に考えるからさ」


 時田が、肩を掴んで、壁に押し付けてきた。


「お金も無いのに、何ができるのよっ!? 人殺しでも強盗でもなんでもいいから、お金をゲットしてきてよ。せめて、もっとマシな生活をさせてよね」


「ご、強盗って、そんな……」

「なによ? 強盗もできないの? だいたい、フラグに復讐しに行くっていう話は、どうなったのよ? お金だけじゃなくて、意気地も無くなったのっ!?」

 ユウカは、時田の鼻先で、ヒステリックな声をあげた。


「そ、そうだ、こんなはずじゃなかったんだ……。オレをこんなふうにしたのは、あいつのせいなんだ……。あの井出フラグとかいう……」

 時田に押さえつけられているせいか、左腕の傷が痛みだした。苦痛で顔を歪めながら、時田に食って掛かる。


「うちの分まで、仕返し、してきなさいよ。あなたには、じっとしている暇は無いはずよ。お金をゲットして、フラグに復讐して、そして……」


 ユウカが言い終える前に、ユウカは時田にベッドに押し倒され、口の中に何かを押し込められた。

 必死に抵抗したが、声を上げることができず、時田に服を脱がされ、スカートの中に手を入れられた。



 ビジネスホテル四日目の朝は、薄暗かった。外は、雨が降っているらしい。

 時田は、床でいびきをかいて寝ている。


 何か話題を見つけて会話をしていないと、また犯されそうで、ユウカは、リモコンを手に取り、テレビをつけた。


 交通事故の映像や、アイドルのスキャンダル、映画や舞台の宣伝に、街中で流行しているファッションの紹介。どれだけチャンネルを回しても、ユウカが興味を魅かれるものは無い。


「あれ? そこ、オレ、出張で行ったことがあるぞ。上海だろ?」

 いつの間にか時田が目を覚ましていて、テレビを見ながら言った。

 朝にしては、マジメな番組のようだが、ユウカは、そのチャンネルのままリモコンを置く。


「そうみたいね。あなた、海外出張もしたことあるんだ?」

「当たり前じゃん。これでもオレは、かつては、出世街道に乗ってたんだ」


 番組は、上海に住む富裕層に密着した取材だった。

 急速な経済発展の波に乗って勝ち組となった中国の富裕層は、我が子らへの教育にずいぶんと投資しているらしかった。

 毎日、家庭教師をつけ、エリートに育て上げるべく、英才教育をしている。


「ユウカちゃんは、海外旅行とか、行ったことないの?」

「そんなの、あるわけないじゃん」


 海外どころか、国内でもまともに旅行なんかしたことが無かった。両親が離婚し、母親は、昼はパート、夜は水商売までして、ユウカと佐知を育ててくれたが、貧しさから解放されたことなど一度も無い。


 社会科で日本が先進国だと知った時は、この国に生まれてよかったと思ったけど、給食費すら払えずにいじめられた時、何かが違うと気付いた。

 日本に生まれても、みんなが幸せになれるわけじゃない。みんなが、先進国の暮らしを満喫できるわけじゃないのだ。


「へえ。中国人の金持ちは、子供の教育に、すっげえ金をつぎ込んでるんだな。半端ないな」


 テレビの中で家庭教師に教わっている男子は、目が輝き、生き生きとしていた。将来の夢を聞かれても、はっきりと「中国共産党の幹部」と答えている。


 ユウカは、同年代の頃の自分と比較して、恵まれすぎている男子が憎たらしく見えてきた。

 自分も、これだけの教育を受けさせてもらえていたなら、こんな世界で暮らすことは無かったのにと、奥歯を噛みしめる。


「どうしたの、ユウカちゃん。怖い顔して、テレビを睨みつけちゃってさ」


「いや、別に。なんでもないわよ」


 チャンネルを変えようと、リモコンに手を伸ばした時、左腕に激痛が走った。そっと、さわってみると、上腕がパンパンに腫れあがっている。

「ユウカちゃん、大丈夫? なんだか、汗だくだし、顔色も真っ青だよ」

 ユウカは、痛みに耐えきれず、ベッドに倒れ込んだ。

「も、もう……。あなたのせいだからね。何もしてくれない、あなたが、いけないのよ」

 ユウカは、肩で息をしながら、時田を睨みつける。


「左腕のキズが、悪化したんだね? 病院に行けるようにしてあげるから、もうちょっと、辛抱してよ」

「もうちょっとって、どれくらいよ? いったい、いつまで待てばいいの?」

「あと、ちょっと……。オレが、井出フラグを仕留めるまで」

「はぁ? どういうこと?」


「オ、オレ、決めたんだ……。オレの人生を無茶苦茶にして、ユウカちゃんの体をこんなふうにした、井出フラグを、絶対に許さない。だからオレ、あいつを殺すって決めた。ユウカちゃんの恨みの分まで、オレが果たしてきてあげるから」

「……うん……。それで?」


「そのあと、自首する。そして、ユウカちゃんをこの部屋に監禁していることも自白するから、それまで、待って。あいつを殺すまで、オレは捕まるわけにはいかないからさ。な?」



      ♰


「すいません……。あ、ちょっと、すみません……ごめんなさい」

 人を軽く押しのけながら、それを見失わないように、前へ、前へと芽衣は進んだ。

 明るい水色のブラウスを着た細い後ろ姿は、間違いなく日南だった。けれど、前に人が多すぎて、なかなか近づけない。

 朝の一階エレベータホールは、同じビルにあるオフィスに通うサラリーマンやOLでごった返していた。


「おはよう、芽衣ちゃん。そんなに焦らなくても、そのうち乗れるよ」

 声を掛けてきたのは、田宮だった。

 にわとりのように、クイッと顔だけを前に突き出して挨拶を返し、芽衣は先を急ぐ。


「ねぇ、芽衣ちゃん……。芽衣ちゃんって!」

 田宮に腕をつかまれて、引き留められた。

「JSRAの疑惑もガセだったみたいだし、サイエンス班、ヤベえなとか思ってない?」

「は? な、なんですか?」


「オレたちの追ってた、倫理違反の研究のことよ。結局、たくさんの患者さんから待ち望まれている人工脳の開発だったなんて、やってられないよな」

 背伸びをして、日南の背中を探す。早くこの場を切り上げたかったけど、田宮は放してくれそうになかった。


「でも、くさっちゃ、負けだよ。芽衣ちゃん」


 日南の背中は遠くなって、人ごみに消えていく。朝一番で日南と話したかったのに、タイミングを逸してしまった。

 思わずため息が出た。

「会社人生は長いんだ。こんなこともあるよ」

 タイミングの悪い田宮は、芽衣の心境なんてお構いなしで、話し続けている。


「くさってないわよ、全く。まだ、JSRAが、白だって決まったわけではないじゃない」

 芽衣は、むしろ、噂でしかなかった疑惑の形が鮮明になってきていると思っていた。これまでにわかった真実(ファクト)を並べて組み立てた仮説には自信がある。その仮説をまず、日南にぶつけてみたかったから、朝から彼女を追いかけていたのに。


「私は、むしろ、ますます疑わしくなってきたと思っていますよ」


「へー、それは、ジャーアリストの勘? でもいい、センスしてると思うよ。ただ、オレたちが追いたいものとは、ちょっと違う」

 田宮は、スマートフォンをいじって、画面を芽衣に向けてきた。


『勤務する国家戦略研究機関JSRA(ジェイスラ)で保有していた金ワイヤー線4巻(市場価格120万円相当)を持ち出して貴金属買い取り業者に売却した疑いで、JSRAの職員が逮捕されました。横領の疑いで逮捕されたのは、白井孝之容疑者、37歳。警察の発表によりますと……』


「なんですか、これ? 横領事件……ですか……」

「あんまり報道されてないけど、昨日のネット記事だよ。JSRA職員が逮捕された」

 芽衣は、もう一度、記事に目を通す。


 ”金ワイヤー線”については、先日の記者発表で説明を聞いていた。たしか、『ブレミア』と脳神経を繋ぐのに、純金で出来たワイヤーを用いるとのことだった。なんでも、サビたり劣化しない金属が必要だったとのことで、半導体製造の技術を応用したらしい。


「金ワイヤー線って、ふつうに売れるんですね」

「純金だからな。融かしてしまえば、金相場の価格で売れるらしいよ。でも、オレが言いたいのはそこじゃない。芽衣ちゃんは、この記事をどう思う?」


「どうって……。管理が甘いというか、職員のモラルが低いというか……」

「そうなんだよ、そこ、そこ! そこなんだよ」


 田宮は、スマートフォンをタップしたり、スワイプしたりして、別の画面を表示させた、0がいくつもついた数字が並んでいる。


「コレ、見てよ、ほらほら。JSRAの予算がおかしなことになってたんだ。ここ数年、JSRAは、あの人工脳の研究だけに集中して、お金を使っている」

 芽衣には、数字の見方がわからなかったけど、おそらく、田宮の言う通りなのだろう。


「他の研究テーマをほとんど止めたみたいで、国からもらった予算を全部『ブレミア』の開発につぎ込んでたんだ。この数字は、異常だね。執念のようなものまで感じるよ」


 芽衣は、秋葉原の喫茶店で会ったフラグの父のことを思い出した。

 あの時、フラグの父、JSRA所長の井出雄二は、『ブレミア』について、熱く語っていた。

 誇らしげでもあり、達成感で満たされているようでもあったけど、実は、芽衣は幻滅していた。

 世界中から求められている医療であり、多くの患者を救うことが目的のはずなのに、そのことがいっさい語られなかったからである。

 フラグの父は、技術の先進性と安全性ばかりをフラグに向かって話し、まるで、自慢話をしている子どものようだった。


「この『ブレミア』だけに特化する方針は、井出所長の鶴の一声で決まったことらしいんだ。その影響で、職員のモラルが低下している。さっき見せたのは、しょうもない事件だけど、あれは氷山の一角だと思ってるよ」


「た、田宮さん……、もしかして……私たちで、その氷山を追おうと言ってるんですか?」


「いやいやいや、逆、逆。そんなしょうもない事件、サイエンス班の仕事じゃないだろ? むしろ、『ブレミア』しか研究してなくて、腐敗してしまった組織(ジェイスラ)をこれ以上追う必要はないと思ってさ。編集長に直談判しようと思ってるんだ。取材対象を変えてくれって」


「えっ? うそ!? 田宮さん、マジで言ってます!?」


 思いがけず、芽衣の声が天井に響いた。

 エレベータホールには、人がほとんどいなくなっていた。

 田宮は歩き出し、肩越しに、芽衣を見てくる。


「マジよ、マジマジ。芽衣ちゃんは、どうする? もう、JSRAを追う必要はないでしょ? JSRAのことは、ミス・ハナを追っているUMA班に任せたらいいんだよ」


 田宮は、本気でそう思っているらしかった。JSRAに対して、興味が尽きない芽衣とは、正反対である。

 田宮が、エレベータのボタンを押す。


「田宮さん、すいませんけど……」

 芽衣は、上目遣いで田宮を見た。


「私は、引き続き、JSRAの疑惑を追います。たぶんですけど、JSRAの中で起こっていることは、全部、繋がっているような気がするんです」


 JSRAが『ブレミア』の研究だけに特化していたという事実は、芽衣が組み立てているパズルの1ピースとして、ぴったりとはまっていた。


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