二真会系田辺組の男
『大阪南港、フェリーターミナル近くのふ頭に、身元不明の男性遺体が浮かんでいるのが発見されました。
遺体には腹と胸に複数の刺し傷があり、男性が何かしらの事件に巻き込まれた可能性が高いとして、大阪府警による捜査が進められています』
芽衣は、運転席の飯島に、スマートフォンの画面を向ける。
「なによ、これ? この記事が、どうかしたの?」
そのニュースを表示したのは飯島で、芽衣は何も告げられずに、スマートフォンを渡されていた。
「予備知識の情報共有っす。これから会いに行く人と、関係があるんすよ」
飯島がウインカーを出して速度を落とす。車が停止したタイミングで、芽衣は飯島にスマートフォンを返した。
「人に会いに行くって、まだ、これから別の取材をするってこと?」
ウェールズホテルでの江頭の取材は、あっという間に終わった。
でも、その濃厚な時間は、今もなお、芽衣の中で余韻を残している。
江頭が語ったことは、これまでに得ていた情報に肉付けするには、十分であった。『ブレミア』の横流しが、江頭が個人で行った不正取引ではなく、組織ぐるみだと判明したことは、大きな収穫である。
ただ、さらにその裏に、国がついているということは誤算だった。
江頭のいう通り、あまり深入りしない方が良いのかもしれないと、芽衣は考え始めていた。
「そうっすね。芽衣さん、この後も付き合ってもらっていいっすか? 実は、僕の中では、この後の方が今日のメインイベントなんすよね」
土橋のインターチェンジから高速道路に乗る。
勝手に次の取材に向かおうとする飯島に文句を言いたかったけど、芽衣にはこの後の予定がなかった。
「べ、別にいいけど、誰に会いに行くのか、教えてよ」
この後も、飯島と一緒にいるのは悪くないけど、取材対象が気になる。
殺人事件にまで発展した取引に関与した江頭の取材が出来たというのに、それ以上の収穫ができる取材などあるのだろうか。
思考を巡らせ、想像を膨らませて行くうちに、だんだんと、嫌な予感がしてきた。
「……二真会系田辺組の構成員っす」
予感は的中してしまった。
反社会的な人物への取材は、リスクばかりが大きくて、収穫が少ないことが多い。
「二真会系田辺組って、確か、大阪のアメリカ村で殺害された幹部がいた組よね?」
「そうっす。今回、会うのは、結構、下っパの組員みたいなんすけど、殺害された幹部の舎弟みたいで、相当、怒り狂ってるらしいっすよ」
「じゃあ、さっき見せてくれた死体発見のニュースも、アメ村の事件と何か関係があるってこと?」
「そうなんですよ。たぶんその組員が殺したんじゃないかって、僕は疑ってます」
ジャンクションを右に入り、カーブする遠心力で体をもっていかれる。
「大阪南港に浮かんでた死体は、スネークキックスのメンバーで、あの事件で逃走した犯人のうちの一人なんすよね」
「そ、それって……報復したってこと?」
グリップを両手で握って体を支えながら訊くと、飯島は、うっすらと笑った。
首都高速は、それほど混んではいなかった。走行車線から車線変更し、何台もトラックを追い抜いていく。
夕陽を背に、快調に飛ばす飯島は、ずっとニヤニヤしていた。この後の取材が楽しみでしょうがないらしい。
芽衣はため息をつき、自分のスマートフォンを取り出して、田辺組を調べた。
大阪市住之江にある組らしい。だけど、その組員といったいどこで会うつもりなのだろうかと、芽衣は首をひねった。
車は、首都高を通り過ぎて、常磐自動車道を進んでいた。
つくば中央インターチェンジで高速を下り、しばらく走ってから、コインパーキングに車をとめた。
飯島はあたりを見回したあと、何かを見つけたらしく、同じパーキングに停めてあるミニバンに向かって歩き出す。
芽衣が飯島の後について行く。飯島が捜していたミニバンのナンバープレートは、『なにわ』だった。
「この車です。田辺組の西田って男が乗ってるはずです。ひょっとしたら、ちょっとしたスクープ映像が撮れるかもしれないんすよ」
動揺する芽衣にお構いなしに、飯島はミニバンの後部座席のスライドドアを開け、さっさと中に乗り込んでしまった。
「ウソでしょ? どっかのお店とかで会うんじゃないの?」
聴こえていないのか、飯島からの返事はない。車の中で、運転手にあいさつして、名刺を渡している。
芽衣は、もはや引き返せないと悟り、仕方なく車に乗り込んだ。
運転席に座っている男は、アゴヒゲをはやし、薄いカラーレンズの入った眼鏡をかけていた。
この男が西田なのだろう。
暴力団幹部の舎弟と聞いていたので、チンピラのような男をイメージしていたけど、西田は、落ち着いていて、幹部のような風格があった。
「今日は、無理を言って、すみません。早速、行きましょう」
飯島のあいさつに、「ああ」とだけ返して、西田は、車を出した。
飯島は、リュックから、一眼レフカメラを取り出し、運転席に向かって声をかける。
「すいません。確認ですけど、今日って、カメラ回しても、大丈夫なんですよね?」
「かめへんで。そのつもりで、乗り込んできたんやろ?」
芽衣は、てっきり、車の中で組員の西田にインタビューすると思っていたけど、どうやら、そうではないらしい。
「ちょ、ちょっと、飯島君、どういうことなのよ。説明しなさいよ」
飯島を肘でつつき、声を押し殺して訊いた。
「わいのドキュメンタリーを撮るんやて。おっとこ前に撮ってや。カカカッ」
芽衣の質問に答えたのは、西田だった。独特な笑い方をする西田と、ルームミラー越しに目が合う。
「どういう意味ですか? 今から、どこに行かれるんですか?」
「ネエちゃんも記者なら、だいたい想像がついてるんやろ? これから、JSRAに殴り込みに行くんや」
西田は、あっさりと答えたが、芽衣にとっては衝撃的で、座席シートの底が抜け、体が深く沈み込んでいくように感じた。
「アニキは、JSRAにはめられたんや。あいつら、完全に田辺組をなめてやがる。ヤクザは、なめられたらしまいや。そんなん、絶対許されへん。ケジメつけたらんと、あかんやろ」
悪寒がして、体が小刻みに震え出し、ルームミラーから視線を逸らす。
芽衣が目を逸らした拍子に見つけたのは、助手席に立てかけられた大ぶりな日本刀だった。
大阪南港に浮かんだ刺殺体のニュース記事が脳裏に蘇り、これからJSRAで起こる事件が、具体的なイメージとしてくっきりと描かれていく。
西田のターゲットが、江頭なのか、所長の井出雄二なのかはわからない。でも、間違いなく、西田は誰かを襲おうとしている。
「JSRAが、『ブレミア』の性能を削っとったことを、アニキは聞いてなかったんや。せやから、アメ村でスネークキックスのやつらからイチャモンをつけられても、強気に出てたんや。けど、その話し合いの最中に、江頭とかいうやつが、急に、逃げ出しやがった。確信犯や……」
芽衣は、このまま同乗しているのが怖い。けれど、それを言い出せる雰囲気では無くなっていた。
「……許されへんねや」
飯島がツバを飲み込む音が聴こえた。飯島も緊張しているのだろう。
でも、それは、自業自得だし、芽衣は、なぜ自分まで巻き込んだのかと、飯島を睨む。
恨み節は後から言うことにして、運転席から見えないように、飯島の脇腹を思いっきり、つねった。
「痛っ!」
「で、でも……。そんなことをしに行くのに、私達が一緒にいても大丈夫ですか?」
飯島の「痛っ」という声に被せ、西田が思い直すことを期待して、芽衣が訊いた。
「私達、邪魔になりませんか? いない方が、やりやすくないですか?」
できれば、この辺りで車から降ろされたい。
「わいは、そのまま捕まるつもりや。近くにマスコミがいてくれたほうが、好都合なんや」
「好都合?」
「アニキの弔いや。派手にやらせてもらうのが、弟分としての、せめてもの恩返しやねん」
どうせ逮捕されるのだから、派手に報道された方がいいということだろう。理屈はわからなくもない。
「そ、それじゃ、この取材は、お互いに、ウィンウィンということですか……」
言いながら、芽衣は気持ちが塞いでいく。
外は、日がすっかり落ちていた。
「せやな。でも、命の保証はせえへんから。何かあっても、文句言うなよ」
左手に続くフェンスの向こうに、照明に照らされたJSRAの研究施設が見える。
「JSRAの頭のタマ、とったるんや。しっかり、見ときや。撮り逃すなよ、あんちゃん」
正面に、JSRAの保安ゲートのあかりが見えてきた。
三人を乗せたミニバンが、加速していく。
♰
鉄の扉は、押しても、引いても開かなかった。
ガチャガチャとドアノブを回してはみるものの、フラグは開く気がしていない。
すぐ横に、四角い箱が設置してあるのだ。おそらく、この扉を開けるためのカードリーダーなのだろう。
事前に調達していたJSRAの作業着に着替え、黒縁眼鏡とかつらで変装した上、作業帽子を目深にかぶったフラグだったが、IDカードまでは準備できていなかった。
フラグは、裏口から入るのを諦め、通りに出る。
研究所長室があるという巨大な施設は、投光器で照らされていた。
すっかり日が暮れたせいもあってか、ほとんど人影はない。
ここに来るまで、何人かとすれ違ったが、誰からも疑われなかった。しかし、さすがに正面玄関から潜入するのは無謀だろうか。
それでも、それしか方法が見つかっていない。
角を曲がると、歩道の先に正面玄関の灯りが漏れていた。
フラグは、作業着の下に隠したヒップホルスターを握りしめる。
もし、誰かに疑われて声を掛けられたのなら、脅してでも、母が監禁されている部屋までたどり着くつもりだった。
それを使うことなく、終わってほしいと願う。
緊張を決意で打ち消しながら歩いていると、遠くから強い光で照らされた。
フラグに気付いた警備員が、緊急出動してきたのだろうか。ライトは揺れながら、尋常じゃないスピードで、こちらに近づいてくる。
フラグは、咄嗟に木の陰に隠れ、ハイビームでこちらに向かってくる車を注視する。
高みを極めた回転数で、苦しそうにうなりを上げるその車は、獰猛な獣のようで、その猛烈なスピードには、殺意をも感じた。
「うそだろ? マジか!?」
身を隠している街路樹ごと吹き飛ばそうとしているようにしか思えない。フラグは、反射的に車道に飛び出した。
走りながら、ホルスターのボタンを外し、拳銃を握る。と、その時、背後から急ブレーキをかけたようなタイヤの擦れる音が聴こえてきた。
それは、不快極まりない音だった。
振り返ると、車は、急ハンドルを切って、施設の正面玄関の方に向きを変えていた。
クラクションが鳴るや、施設が爆破されたかのような轟音が耳をつんざく。
ガラスの破片が舞う。
何かが爆ぜる音が、立て続けに響く。
女性の悲鳴と、破壊の残響とともに、黒い煙が玄関から噴き出して、フラグは、思わず腕で顔を覆った。
何が起こったのか、フラグは理解できていない。
暴走車両が、施設の正面玄関に突っ込んだのだろうが、その理由がわからない。
テロなのか、ただの事故なのか。
フラグが顔を上げると、煙の勢いは無くなっていた。
粉々になって消滅したガラスドアの向こう、玄関ホールの中に、鈍く光る赤いテールランプが見えた。
視界が開けるまでの間も、女性の悲鳴は聴こえていたが、今は、もう聴こえてこない。
拳銃をヒップホルスターに戻し、バリンバリンと音を立てながら、ガラスが散乱した玄関ホールを進む。
前輪を待合椅子の上に乗り上げて大破したミニバンには、後部座席に人影があった。その影は、ゆっくりとではあるが、動いている。
まだ、生きているらしい。
フラグは車内に取り残された人間を助ける気はさらさらなかったが、開いたドアから運転席を覗き込んで、妙に思った。
前方から押しつぶされて、そこに空間はほとんど無いのに、運転手が見当たらない。
(大破する寸前に飛び降りたのか?)
そんなことを考えていると、ホールに一人、二人とJSRAの職員が出てきた。どちらも、口をあんぐりと開けただけで、動きが止まっている。
奥にいる彼らの背後に、施設の中に繋がるドアがあった。
事故車のことを考えている場合じゃないと、フラグは職員と目を合わせないように顔を伏せ、車に潰されて変形した待合椅子に足をかけ、上に乗る。
そして、そのままそれを乗り越えようとして、足を止めた。
目指すドアの横。受付ブースで起こっている光景を見て、フラグは、目を疑った。
アゴヒゲをはやした人相の悪い男が、若い受付嬢の首に太い腕を回し、彼女の顔の前で、日本刀をチラつかせていた。
「井出や、井出やっ! 井出をここに呼べや! はよしろっ、コラッ!」
フラグは、自分の苗字が呼ばれたことに、一瞬、肝を冷やしたが、すぐに、それが父の雄二のことだと気付く。
続々と玄関ホールにJSRAの職員が出てきた。
職員らは皆、まず、事故の惨状に目を丸くし、続けて受付ブースで起こっている事態に気付いて、身体を硬直させている。
アゴヒゲ男に捕まえられている女性に至っては、顔面が蒼白で、視線は宙を舞い、定まっていない。
玄関ホールでは、フラグが一番冷静でいられた。
裏社会を生き抜くことで鍛えられた心臓は、この大事件の中でも普段通りに脈を打った。
その理由はただ一つ、母が監禁されている部屋までたどり着くという、明確な目標があるからである。
フラグは、職業柄、目標を達成するためなら、どんなことでも利用する。
当然、目の前で起こっているとんでもない事件も、利用することに躊躇は無い。
男を注視しながら、職員らが出てくるドアに向かって、ゆっくりと移動する。
日本刀を振りかざすアゴヒゲ男は、父に恨みがあるということか。だとしたら、なぜ、恨みを持ったのだろう。
違法な研究に巻き込まれて被害を受けたのか、それとも医療事故か。
いずれにせよ、男の眼光は鋭く、本気で復讐しようとしているのは間違いない。
父の絡んだ事件なので、最後まで見届けたい気持ちはあるが、それよりも、フラグはこの大チャンスを逃すつもりはなかった。
玄関ホールの先にあるドアは開きっぱなしで、今もなお、職員が出てきている。
アゴヒゲ男が起こした騒動は、JSRAのセキュリティを無効化していた。
「あと、江頭やっ! 江頭も、ここに連れてこいやっ!」
アゴヒゲ男は、遠巻きに囲む群衆の方に向かって叫んだ。日本刀は、受付嬢の首元にあてられている。
ざわつくJSRA職員に話しかけられないように、フラグは、帽子を深くかぶりなおした。
ホールに押し寄せるJSRA職員をかき分けるようにして、フラグは、ドアから、中に入る。
上層階に繋がる階段を見つけ、職員の流れに逆らい、それを駆けあがった。




