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江頭の主張

 江頭の部下が運転する車は、保安ゲートをくぐると、真っすぐに進んだ。歩道に植えられた針葉樹の影が、夕日に照らされて車道にまで伸びている。


 ゆったりと間隔をあけて建てられている建造物は、いずれも研究施設なのだろう。フラグは、興味の無いふりをしながら、それぞれの建造物の大きさや形、位置関係を頭の中に叩き込んでいく。


「さあ、フラグさん、着きましたよ。この棟です」

 車がつけられたのは、背の高いビルの正面玄関だった。明らかに、これまで見てきた施設と異なり、外観はビジネスホテルのようにも見える。

「ここのお部屋をとってあります。さあ、どうぞお降りになってください」

 運転していた男はエンジンを切り、後ろにまわってハッチバックを開けた。そして、フラグのスーツケースを下ろす。


 フラグは、ここへ連れて来られる前に父と話がしたいと江頭に申し出たが、叶わなかった。来てくれると信じていた父は現れず、仕方なく、着替えを入れたスーツケースを持って事務所を出た。

 あの時、ビルの外には、父はおろか、江頭すらおらず、江頭の部下の男が一人だけ、待っていた。


 ここまで車を運転してきたその男が、フラグのスーツケースを押して、建物の中に入っていく。

 どうやら、ここは、JSRAが管理する宿泊施設らしかった。エレベータを経由して、303号室に案内される。

「館内には、飲み物や食べ物の自販機がありますので、ご自由にお使いください。また、明日9時に玄関に迎えに来ますので、それまでは、ごゆっくり、おくつろぎください」


 手術をすると聞いていたので、てっきり病室のようなところに案内されると思っていたが、違った。部屋の作りは、一流ホテルのようだった。


 男が出て行くのを見届けてから、フラグはスーツケースを開いた。

「ぜんぜん、セキュリティがなっちゃいないな」

 そうつぶやきながら、ノートパソコンやクリアファイルを取り出す。


 JSRA構内に入る際、スーツケースを開けられて、持ち込み禁止の機器などを取り上げられるのかと警戒していたが、なんのチェックも受けなかった。


 クリアファイルから用紙を一枚取り出して、指で辿る。

「保安ゲートからは、しばらく、まっすぐに走ったから……」


 フラグは、情報屋から入手したJSRAの構内地図と、頭に刻んだ研究施設の位置関係を照合していく。

「この建屋は、コレだ……。ということは……」

 地図中に赤くペンで囲まれた建屋は、目的の場所だった。今いる所から、そこまでのルートを指で辿った。

 赤いペンで囲って、その建屋を教えてくれたのは、情報屋だった――


 実家のダイニングテーブルに積もったホコリを見た時、ぞわぞわと胸騒ぎがして、情報屋に両親の近況を調べさせていた。

 結果を聞きに行った日は朝から雨が降っていて、情報屋のアジトは、いつにも増して、かび臭かった。

「結論から言いますと、よう、わからへんっちゅう、ことですわ」

 ねずみ顔の男がポリポリと頭を掻くと、フケが舞った。


「どういう意味ですか? 普段、どんな生活をしているか、知りたかっただけなんですけど……。そんなに、難しい調査じゃないですよね?」


「いやぁ……。普通の、一般人やったら、こんなの楽勝なんですけど、フラグさんのお父さん、JSRAで寝泊まりしているみたいで、中で何してはるのか、わかりゃしませんねん。たまに、メディアとかに出てはるから、生存確認は出来てるんですけどね」


「JSRAで寝泊まりって……。やっぱり親父は、家には帰ってなかったんですね。じゃあ、おふくろは? おふくろは、どこにいるんですか?」


「そうなりますわね、そりゃ……」


 ねずみ顔の男は、困ったように眉尻を下げ、なんどもクイクイと首をひねる。

「二年前に、JSRAの構内に入って行く目撃情報は掴めたんです。せやけど、その後がわかりませんねん。フラグさんのお母さんが、JSRAから出てきたという証拠が無くて、消息不明なんですわ」


「しょ、消息不明!?」


「は、はい……。未だに、研究所の中で暮らしてはるのか、なんかのトラブルに巻き込まれて、お亡くなりになってはるのか……」


「そ……そんな……。ど、どこにいるか、わからない……生きているかどうかもわからないってことですか?」


「すんまへん。研究所の中までは、調べる術がおまへんねん。ただ、調べられる範囲は、きっちり調べさせてもらいましたから、あとは、ご自分で……」

 そう言って、ねずみ顔の男は、用紙を一枚、テーブルに出した。

 それは、衛星写真を繋げて作ったJSRA構内地図のようで、その中の建屋の一つが、赤いペンで囲われている。

「いはるとしたら、おそらく、この建屋ですわ。そこに、フラグさんのお父さんの研究所長室があるらしいんで」


 ねずみ顔の男は、クリアファイルから、もう一枚、用紙を出す。こちらは、建屋内の設計図のようだった。

「この部屋が、おそらく研究所長室なんですけど、この裏手のスペース……」


 研究所長室だという部屋の裏手に、キッチンやトイレなどの水回りが配置された大きなスペースがある。そのスペースは、唯一、研究所長室だけに繋がっていた。

「生きているとしたら、ここで、暮らしてはるんやないかとは、思ってんやけど……」


 フラグは、設計図を眺めながら、裏手のスペースで、ひっそりと暮らす母を想像した。


 父が母に手をあげるところを見たことはない。だが、歳を重ねるごとに自分勝手で高圧的になっていく父が、母を支配下に置きたくなって、拘束してしまうことは想像に難くない。


 タカアシガニのオスは、自らの種を世に残すために、メスを拘束する。

 いくらなんでも、還暦を過ぎた父が、そんな動物的本能に動かされるとは思えない。


 父は、なんのために、母を拘束したのだろう。

 日も当たらないような場所で、軟禁されている母は、今、何を思って生きているのだろう――


 母が今JSRA内にいることは、父の証言で裏付けも取れた。

 ただ、父の言うように、ただ単に、忙しい父の世話をしているだけなのか、はたまた、フラグが想像したように、軟禁状態にあるのかがわからない。


 構内地図を折りたたんでポケットにしまうと、窓際に近寄り、外を眺めた。

 そこから目的の建屋は見通せなかったが、道路に人は無く、警備も手薄であることは明らかだった。


(チャンスは今しかない。今、行動しないと、きっと後々、後悔する)

 そんな想いを胸に、フラグはノートパソコンを立ち上げて、メーラーを開く。

 連絡先一覧から、フラグと同世代で、背格好の似た男らのアドレスを複数選択して、メッセージを打ち込む。


『諸君、今日から明日にかけて、ボクに扮して街に出るように頼む。ボクのアリバイ作りだ。一番出来の良かった者を採用する。今回に限り、報酬はいつもの倍出すから、よろしく頼む』


 送信ボタンを押した。

 もう、覚悟は決めている。


 ただ、ねずみ顔の男と交わした最後の会話が、頭から離れない――


 情報屋のアジトを出ようした時、後ろから声をかけられた。

「フラグさん、なんでもかんでも知りたいという気持ちはわからんでもないけど、引くときは引くとか、知らんぷりするっちゅうのも、時には、大事でっせ」

 フラグが振り返ると、ねずみ顔の男は、思ったよりも、すぐ近くまで来ていた。酸っぱいモノでも食べたかのように顔をしかめている。

 

「フラグさんのお父さん、えげつないことやってはるみたいでんな」

「は? ど、どういうことですか?」

「実は、JSRA内で、部下とか、若い技術者とかを使って、人体実験をしとるっちゅう情報をつかみましてん」

「え? うそでしょ。い、いくらなんでも、そんな……」


「いや、ほんまらしいですわ。自分の研究のためなら見境なくなるらしいやん。フラグさんはご子息やから、めったなことは無いとは思ってたんやけど、調べるうちに、それも怪しくなった気がしてましてね」


 フラグのすぐ鼻先に、ねずみ顔が近づいてくる。


「もし、フラグさんのお父さんが、お母さんに、何か、手をかけているとしたら、あなたもヤバいってことでっせ。家族にも見境ないっちゅうことやから、気ぃつけなはれや」


 情報屋は、押し殺したような声で言った――


 母を軟禁する上で、なにか、手をかけたのか、はたまた、母を実験に使ったから、軟禁状態にしたのか。

 どちらにせよ、許しがたく、想像もしたくない事態で、そうでないと願いたい。


 スーツケースの中を探し、ヒップホルスターを拾い上げる。

 さらに、衣類を避けると、下から、名刺でカモフラージュされた箱が出てきた。

 フラグは、慎重にそのフタを開けた。



     ♰


 日比谷公園に隣接したウェールズホテルの一階は、おもてなしのピアノ演奏がされていた。聴き慣れたその曲が好きだったはずなのに、芽衣は、心が浮かない。

 エントランスにあるカフェで、芽衣は飯島の隣に座り、緊張を隠せないでいた。


「芽衣さん、すごく、緊張してません? もっとリラックスしてくださいよ」


「うるさい。生意気ね、飯島くん。私は、TPO(ティーピーオー)に敏感なのよ。あなたみたいに、いつでもどこでも、ヘラヘラしてるわけじゃないから」


 初めての合同会議があったのは今朝。その場で、飯島が報告したのは、中国シンジケートが大阪で起こした事件で、その発端は、『ブレミア』の横流しによるものだった。

 その不正取引が、江頭という職員が個人で行ったものなのか、JSRAが組織ぐるみで関与したのかがわかっていない。

 ただ、会議の最後に、飯島は、午後から江頭にアポを取っていると言ったので、芽衣は、思わず手を挙げていた。


「今日のこの取材は、すごく、重要な気がしてるわ」


 研究所長の井出雄二が、どこまで関与して、なにをたくらんでいるのかを知りたい。


 これまでの推測から、芽衣は、少なくとも、脳疾患患者だけのために、『ブレミア』を開発したとは考えられなかった。


 芽衣の仮説は、フラグのクローンであるミス・ハナを救うために『ブレミア』を開発したとするものだが、飯島の報告を聞いた時、まだ隠されていることがあるかもしれないという疑念が湧いた。


 『ブレミア』を横流ししたのが、中国だと聞いて、一つ、思い出すことがあった。


 それは、2018年に香港の会議で発表された衝撃的な研究だった。

 中国、深セン市にある南方科技大学の准教授が、HIV陽性の親の受精卵から、DNA情報を一部削除して、HIV発症の危険性を除去した赤ちゃんを誕生させたと発表したのだ。


 受精卵をゲノム編集して、赤ちゃんを誕生させることは、人生の初期や後期に遺伝的な障害を生むだけでなく、未来の子孫にも予想しない突発変異を起こす危険があるとして、多くの国で禁止されている。

 それだけに、当時、この発表をした准教授は、世界中から批判を浴びた。


 けれど、発表が事実なら、世界で初めて、ヒト胚の操作に成功したことになる。だとすると、その後、クローン人間をいくつも作って、技術力を高めている可能性は十分にある。

 JSRAは、クローン研究において、なにかしら、中国と連携を取っているのかもしれない。


「芽衣さん、来られましたよ、たぶん、あの方です」


 飯島がすくっと立ちあがった。芽衣もつられるように立つ。


 ホテル正面の回転ドアから、杖をついたマッシュルームヘアの男が入ってきた。

 おそらく、四十歳は過ぎているのだろうが、見た目は若々しい。

 飯島が頭を下げる。


「はじめまして。この度は、無理を言って、取材に応じてもらって、申し訳ございません」

「いや、丁度、東京に出てくる用事がありましたから、構いませんよ。でも、すぐに筑波に戻らないといけませんので、そんなに時間は取れませんけど」


 江頭と名刺を取り交わし、飯島が、早速本題に入る。中国シンジケートに『ブレミア』を横流ししたのではないかという疑いをぶつけると、江頭は、表情一つ変えずに、上体を前に傾けた。


「なぜ、それを知っているんですか? 警察にもバレていないのに」


 江頭が、あっさりと認めた。しかも、動揺すらしていないように見える。

 その態度に、芽衣は違和感を覚えた。


「我々は、あなたがたを集中的に調査しているんですから、それくらいわかりますよ。ハハハ」

 鼻息を荒くして、飯島がふんぞり返る。


「どうしますかね、江頭さん、これは、スキャンダルですよ。記事にしたら、あなた、横領罪で逮捕されちゃいますよ」

「なんですか? 私を恐喝しているんですか?」

「まあ、そうとられても、しょうがないですわ。ただ、取引もできますよ。誰の指示だったのか、組織ぐるみだったのか、教えてくれたら、あなたの名前は出しません」


 飯島は、テーブルに肘をつき、指を組んで、その上にアゴを乗せる。ベテラン記者にでもなったつもりなのか、その動作はゆったりとしている。

「ボクを信じてくださいよ、江頭部長」


「飯島さん……、本気で言ってるんですか、それ。あなたの方こそ、この件に首をつっ込んだら、消されちゃいますよ」


 江頭はまるで動じていなかった。終始、堂々としている。


 キョトンとする飯島に代わって芽衣が、顔を突き出した。


「どういう意味でしょうか? 裏には、もっと大きな力が働いていて、私たちでは、太刀打ちできないということでしょうか?」


 江頭は、顔色も変えずに、クククと、喉の奥を鳴らした。


「その通りですよ。このプロジェクトには、日本の未来がかかっているんです。もし、記事にして追及するというなら、あなた方は、、売国奴(ばいこくど)です。日本から追放されますよ」


「ど、どういうことなのか……くわしく、教えていただけませんか?」


 江頭は、腕時計を確認して、コーヒーを一口飲んだ。ソーサーにカップを戻してから、江頭が口を開く。


「かけひきしている時間もありませんから、教えてあげます。『ブレミア』の真の目的は、日本の国力維持なんです。今後、超高齢化社会を迎えるにあたって、国が決めた方針です」


 裏に国がついていた。

「この意味、わかりますか?」

 芽衣は、自らの想像を超えてきたことに興奮を覚え、さらに前のめりになった。

「それって、歳をとった人たちにも、活躍してもらって、国力を維持するってこと?」


「さすが、我々のことを調べているだけあって、理解が早いですね。その通りですよ。『ブレミア』を脳に埋め込むことによって、脳下垂体を刺激し、成長ホルモンを分泌させるんです。成長ホルモンは、血液に乗って体中の機能に作用して、老化を妨ぎ、若返りを促します」


 江頭は、こともなげにそう言ったけど、その裏にある思想は危険で、進め方によっては、人権をも侵害しかねないものである。


「そ、それって、脳に疾患がなくても、手術をするってことですか? 健常者に?」


「最終的な目的は、そうです。だから、それまでに、安全性を確かめないといけない。絶対に大丈夫だというデータを収集してから、その目的を果たすんです。それまでの道のりは、果てしなく長い。そう考えた時、手っ取り早くデータを取得する方法を見つけたんです」


「中国人に試させるということですか?」

「そうです。日本の10倍も人がいて、この手の医療モラルも比較的低い国です。2018年の事件も知ってますよね」


 ゲノム編集した赤ちゃんが生まれたという香港での発表のことを言っているのだろう。


「で、でも、『ブレミア』は売ったけど、施術方法は教えなかったんですよね。だから、相手が激怒して、撃たれたんじゃないんですか?」


 今度は、飯島が、江頭に質問した。飯島も興味津々のようで、テーブルに身を乗り出している。


「とんでもない。中国人の医師団をJSRAに招いて、レクチャーまでしてますよ。問題は、そこじゃない。『ブレミア』の能力、そのものに関することで揉めたんです」


 江頭は、もう一度、腕時計を確認した。そろそろ、時間なのだろう。


「本物の『ブレミア』を埋め込むと、とんでもない天才になります。そんなのを大量生産されては、中国があらゆる分野で世界トップに立ってしまう。だから、マイコンの情報処理能力を制限して、メモリーの記憶容量も減らしたんです。それがバレてしまったんですよ」


 杖を左わきに抱え、江頭が立ち上がる。怪我をしているのは左足だけのはずなのに、もたもたとして、体全体が重そうだった。


「この怪我は、勲章です。そのうち、国から表彰されるかもしれません」


 江頭は、マジメな顔でそう言うと、そのまま杖をついて歩き出した。帰るつもりなのだろう。

 慌てて立ち上がった飯島が、江頭に頭を下げ、御礼を言った。


「わかって、もらえましたか? 私は、国から感謝されることはあっても、捕まることはないんですよ。残念でした」


 江頭は、芽衣の方を向いて、まるで頭が落下するかのように、勢いよく首をかしげた。その拍子に、サラサラの前髪が揺れる。


 わずかに覗いた額に、手術をしたような跡が見えた。


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