相棒は幽霊
相棒は幽霊
もくじ
1.大雨の夜
2.相棒の結成
3.真の相棒
4.全容解明に向けて
5.クライマックス
1.大雨の夜
平成二十六年九月四日、この日、東京はどしゃ降りの大雨だった……
その日の深夜二時頃、中心地からは少し外れた場所にある、とある飲屋が並ぶの裏路地で、二人の男が大声を出しながら争っていた。
しかし二人の男が争う声は、この日夜から降り出した激しい雨が地面を叩きつけ、全ての音をかき消していた。
この二人に何があったのかは分からないが、この様子から察するに、尋常じゃないトラブルがあったことは間違いがない。
二人はこの大雨の中、殴り合いの喧嘩をしていた。
この喧嘩のきっかけは何なのか、そしてどんなタイミングではじまり、なぜこんな激しい雨の中で争っているのかは分からない。
ただこの喧嘩、お互いにまだ決定打はないようだ。
そう、ここまでは……
状勢がはっきりとしてきたのはここからだった。
腕や髪を掴まれていた一人の男がよろけたそのとき、大柄な男が出した鋭いストレートパンチが、よろけた男の顔面を正確にとらえた。
殴られた男は脳しんとうでも起こしたのだろうか、後ろによろけながら道の隅に倒れ込んでしまった。
大柄な男は倒れた男に向かって歩き出し、鞄のファスナーを開け、中に隠し持っていた刃先の長いナイフを取り出した。
左手に持っていた鞄は手から離し、右手に持っているナイフは一層強く握り締め、倒れ込んで動けなくなっている男の腹めがけてナイフを突き刺した。
動けなくなっていた男は刺された瞬間、座ったままの状態で一瞬飛び上がるような反応を見せた。
ものすごい痛みが体中に走り、それがショック療法となり、脳しんとう状態だった男の意識を無理やり戻したのだろう。
ただ、この男が迎えている現状は最悪の状態である。
お腹全体が焼けるような痛みは、電気が走るように体全体にかけめぐっていった。
それはなんとも言えないほどの激痛だった。
目の前には血走った目をした男が映っている。
それを見た辺りから少しずつ、これまでの記憶が戻りはじめていた。
倒れていた男は脳しんとうを起こした関係で、少し前の記憶をなくしていたみたいだ。
『そうだ、俺はこの男と争っていたのだ。しかし、この状況を挽回することは難しいだろうな。それに腹が痛くてたまらない……俺は死ぬのか。死にたくはないが、もう無理だろうな。最後の望みは、この男にはこの先長い期間、地獄の苦しみを与えてやりたい。それしかない』
倒れている男は腹にナイフが突き刺さり激痛に苦しむなか、わずかに残る最後の力を振り絞り大きな声で叫んだ。
「もっと深く刺せよ! 俺が死ねば、お前は長いあいだ刑務所で苦しむことになる。俺が死ななければ軽くなってしまうからよ。だから、もっと深く刺せよ!」
倒れている男はそう言って、刺している男の手をグッと握り、そのまま腹の奥へとナイフを力強く押し込んだ。
それは、口から血が出るまで……
さすがに刺した男も恐くなり、必死な形相で腹に刺さっているナイフを抜き、それをすぐ鞄の中にしまい逃げていった。
瀕死の状態となった男は、薄れていく意識のなか考えていたことがある。
それは……『今日は真っ直ぐ帰っていたら良かったな。今日は俺の大好きなビーフシチューだって言ってたもんな……食べたかったな』
しかしこの男には、もうあとわずかな時間しか残されていなかった。
刺された男の腹からは、大量の血が流れ出していた。
そして、そのまま息絶えてしまった。
血で真っ赤に染まった体は、空から止めどなく落ちてくる大量の雨粒が、血をきれいに洗い流してくれていた。
翌朝、昨日の雨が嘘だったかのように、朝焼けが街を包んでいた。
あの刺された男の遺体は、朝の散歩をしていた通行人に発見される。
警察は殺人事件と断定し、即日、捜査本部が立ち上げた。
しかしこの事件、警察は全力で捜査を開始するも、解決どころか手掛かりすら全く掴めない不思議な事件であった。
なぜ? ということが、なぜ? のままで、いつまでも謎のままなだったのだ。
そして時間だけが過ぎていき、捜査は完全に暗礁に乗り上げてしまった。
事件発生から一年間は、捜査規模を縮小せずに捜査はおこなわれたが、参考人探しも時が経つにつれ人の記憶は薄れていくなか、次第に捜査の規模は縮小されていった。
その後も地道に捜査はおこなわれていたが、犯人は見つからないまま、事件発生から七年という時間が経ってしまった。
世の中は七年前と比べ、すっかり様変わりしていった。
年号も『平成』から『令和』に変わり、人々の記憶から七年前の殺人事件は風化しつつあった。
今日は令和三年八月十三日、あの事件から、七回目のお盆の時期を迎えていた。
依然として殺人事件の捜査は続けられていたものの、七年という月日が経った今、捜査の規模は事件発生当初と比べて、規模は一割まで縮小されていた。
その捜査本部に、今年の四月から捜査を担当するよう配属された新米の刑事がいた。
遠山 金彦
学生時代のあだ名は『遠山の金さん』
実はそれが結果的に、金彦を調子に乗らせることになってしまった。
遠山の金さんと言えば、誰もが知る時代劇のヒーロー。
実際に江戸時代に実在した人物で、仕事は今で言う裁判官。
両肩にあざやかな桜吹雪の入れ墨を入れ、ときには裁判官の金四郎、ときには遊び人の金さんへと成り代わる。
遊び人の金さんが悪人を捕え、裁判官の金四郎が裁くといった爽快な時代劇だった。
しかし、さすがの金彦も裁判官になるまでの頭脳はなかったことから、金四郎の方ではなく、遊び人の金さんの方、警察の道に進んだのだ。
警察官になって七年、あの殺人事件の時は、規制線が張られた事件現場で警備をしたこともあった。
あの時はただ、現場で立っているだけというのが仕事。
今年の四月からは念願の刑事となり、あの殺人事件を担当することとなった若手刑事、年齢は今年で三十歳になる。
『捜査に行き詰まったら原点に戻れ』が口癖の上司の元、聞き取り中心の地味な捜査をおこなっていた。
さすがに七年もの月日が過ぎた事件は、時間と伴に色んなものが薄れてしまい、とても一筋縄とはいかないものだ。
だから七年絶っても犯人の目星すら付いていないのだが……
この事件は未だ分からないことが多すぎる。
殺されたのは大手商社で働く藤枝 勇治、三十歳の男性、中々のイケメンである。
勤務態度は真面目で、人から恨みを買うようなことなど、絶対にないと皆が口を揃えて言うのだ。
ただその言葉だけを信じている訳にはいけないのが刑事、藤枝さんと係わりがあった人をしらみ潰しに調べていっていた。
イケメンなだけに女性からはかなりモテたはず、一度は男女のもつれの線も疑ってはみたが、浮いた話すら出てこなかった。
そう、何も出てこないのだ。
事件当初から通り魔の犯行という疑いはあったが、この事件が起こった時間は深夜の二時、しかもその日は大雨だった。
普通に考えて、そんな日、そんな時間に、通り魔がうろついていたとは考えにくいものだ。
そんなこんなで事件は暗礁に乗り上げていた。
2.相棒の結成
なにか事件解決に繋がるようなヒントでもないかと、公園のベンチに腰かけ一人でスマホを見ていた。
金彦のスマホのなかには、事件で殺された藤枝さんの顔写真が取り込んであり、ベンチでその写真をじっと見ていた。
「おい、お前! 何で俺の写真なんか見つめているのだ?」
『なんだ?』
突然聞こえた男の声に驚いてしまった。
金彦はすぐに辺りを見回したが、それらしい人物は見当たらなかった。
『そら耳か……俺も疲れているのかな。今日は久しぶりに家で酒でも飲んで、ゆっくりと休もうかな』
金彦はそのまま警察署に戻り、早々に事務的作業を終わらせて、この日は二十時には警察署を出て帰宅した。
警察署から自宅までは車で移動しているが、時間は約十五分の道のり。
その短い時間の道のりなのだが、今日はなぜだろう、車に人が乗っているような感じがして、車の中はいつもとは違う空気がながれている気がしていた。
それと背すじに感じる違和感と寒気、そして体中に電気が走るような感覚……なぜだろう、後部座席から誰かに見られているような感覚もあった。
気持ちが悪いままで自宅に到着したが、到着するころには後部座席から見られているという感覚は消えていた。
『あれは気のせいだったのだろう』と、そのことは忘れよう、そう思いシャワーを浴びていた。
風呂あがりには大好きなビールをひと口「あぁ、美味い」そんな声が口から漏れた。
金彦の趣味は料理で、中々の腕前である。
今日はビールを飲みながらの料理をしたのだが、手早く野菜がタプッリ入った、金彦特製の野菜炒めを作っていた。
それを食べながら……
「しかし、今日は不思議なことがたくさんあったな」
野菜炒めをつまみにしてビールは進んでいったが、お酒が進むにつれ、今日の出来事を振り返ってみたが、しかし何の答えも出なかった。
この日は疲れたカラダを休めるため、少し早目ではあるが十二時過ぎには就寝をした。
翌日も、刑事の仕事としては地味ではあるが、あの殺人事件の聞き取りをおこなった。
それも全力で……
お昼になり、そろそろ腹も減ったので、聞き取りの捜査をおこなっていた付近で、お腹を満たせそうなお店をさがしていた。
これぞ老舗と思わせる店構えの美味しそうな定食屋を見つけ店に入った。
あまりにも腹が減り過ぎていたせいなのか、老舗の定食で味わうものとしてはクエッションマークが付くような食べ物、からあげ定食の超大盛を頼んだ。
結局、最優先したのは腹ペコになっている胃袋を満たすことだった。
金彦は料理を待つあいだ、被害者の顔を再度確認するためスマホを覗き込んだ。
「こいつ、また俺の顔を見ている!」
えっ! また、この前の男の声が聞こえてきた。
すぐに周りを確認するが、やはりそれらしい人物は居ない。
「どこ見ているのだ、ここだ! なに、見えないのか?」
「見えないですよ。なんですか? それにあなたは誰ですか?」
「その写真の本人だよ」
「えっ、殺された藤枝勇治さん?」
「こ、殺された? どういう意味だ! でも、そういえば、腹を刺されたかもだな……なんか色々あったと思うのだが、何故だろう、全然覚えてないのだよ! 記憶が、なんか薄くて、とても断片的なんだよ」
「あなたは本当に藤枝勇治さん本人? 俺は、あなたが殺された事件を捜査しているのですよ。それだったら教えて下さい、俺が犯人を捕まえますから! 犯人は誰ですか?」
「……教えたいのは山々だが、本当によく覚えてないのだよ」
「そうですか……でも大丈夫ですよ。ゆっくりで良いですから、一つひとつ一緒に思い出していきましょう」
「ところで、俺は本当に死んでしまったのか? それに死んでから、どれだけの時間が絶っているのだ? 今は平成の何年なのだ?」
「平成の時代は終わりました。今は令和、令和三年です」
「えっ! 令和? ……平成は終わってしまったのか」
「藤枝さんが亡くなってからは、もうすでに七年が経ちました。しかし未だ犯人は捕まっていません。それどころか、全くと言っていいほど手掛かりすらありません。すみませんが事件解決に向け、協力していただけませんでしょうか? 一緒に犯人を捕まえましょう」
「わ、わかった……ただ記憶がこんなだから、どこまでの協力ができるかは分からないが、よろしくお願いします」
「ありがとうございます、今日から藤枝さんと私は相棒ですね」
「それなら一つお願いがあるのだが、あなたが私のことを相棒と言ってくれるのなら、藤枝さんという言い方はやめてくれないか。できれば、勇治にして欲しい」
「分かりました。じゃあ、勇治と呼ばせてもらいます。勇治よろしく」
「ところで、あなたの名前は?」
「そうでしたね、遠山金彦です」
「遠山の金さんみたいな名前だな。じゃあ、金さんと呼ばせてもらうよ」
その頃……
定食屋にいた客と店員は、一人でぶつぶつ言っている姿を見て『あの人かわいそうに……会社でいろいろ辛いことがあったのだろうね』というような同情の目で金彦を見ていた。
それと同時に、金彦とは絶対に目を合わせないようにして、絶対に係わることのないようにもしていた。
それもそのはず、金彦以外には勇治の声など、全く聞こえてないのだから……
勇治の姿や形に至っては、誰にも見えていないどころか、金彦にすら見えてはいなかった。
周りからは『おかしな人』と思われてしまったが、金彦はあの事件解決に向け最強のスケット、誰よりも心強い相棒ができたのだから良しとしようじゃないか。
金彦は昼食を食べ終わったあと、殺人があった現場に勇治を連れていった。
現場を見ることで勇治が、何か思い出してくれるのではという期待があったからだ。
「ここです、勇治が腹を刺され倒れていたのは」
「そうなのか。刺されていたのは腹のどの辺りだ?」
「腹の真ん中辺りから刺さり、刃先は勇治の体の右側に向けて進み、肝臓に届いていた。どうも刃物で一度刺されてから更に、強い力でもう一度押し込まれたようだ。そこから見ると強い殺意があったことは間違いがない。勇治を刺した刃物は未だ見つかっていないが検死の結果、凶器として使用されたのは、おそらく刃先の長いナイフだろうということだ」
「うっ、なんか寒くなってきた。カラダが濡れているように冷たくて寒い」
「勇治が亡くなった日は、とても雨が強く降っている、大雨の夜だった」
「だからなのか……」
「でも、少しずつだが思い出してきたじゃないか。勇治、思い出すのは無理をせず、少しずつで大丈夫だからな」
「ところで俺は、どんな仕事に就いていたのだ」
「大手の商社、宝栄商事で働いていた。優秀な社員だったそうだ」
「そういえば海外に行っていたような気がする」
「そうらしいですね。長期滞在ではないみたいだが、現地では商品の交渉や確認をしていたらしい。働いていた部署は、金属関係の輸入を長く担当していたが、殺される半年前からは食品の部所に異動をしている。異動した部署でも評判は良かったようだ」
「なんだか少しずつ思い出してきてはいるが、仕事で何かトラブルが起こったような気がする」
「そうか、ありがとう。その線も調べてみよう。早速だが宝栄商事にも行ってみないか?」
「そうだな、また何か思い出すかも知れないからな」
周りから見た二人というのは、実際は、金彦一人しか見えていないのだが、ここからは分かりやすくするために、二人という表現を使っていくことにする。
二人は大手商社、宝栄商事の本社ビルにやって来た。
一等地に大きくそびえ立つビルは、いつ来ても緊張してしまうほどの迫力で、さすがの金彦も足がすくんでしまうほどだ。
勇治は「懐かしさを感じる」と言葉を吐いた。
昔見ていた物を、今見ることで何か感じるものがあるようだ。
そして少しヒントがあれば、わずかだが記憶がよみがえってきているようだ。
大きなきっかけがあれば、完全に蘇るかもしれないと金彦は考えていた。
金彦はこれ以上ない、最高の相棒と組むことになったのだ。
二人はビルの中へと入り、受付で食品部の課長との面会を取り付けた。
この課長は七年前の事件当時は、同じ食品部の係長だった。
今までも先輩刑事の方々が、何度となくこの課長に対して聞き取りをおこなっているが『真面目で働き者の社員だった』という趣旨の話ししか聞けていないのが現状だった。
金彦はこの課長とは初対面になるが、周りからは見えてはいない勇治からしてみれば、かつての直属の上司だった男になる。
更になにか思い出してくれるのではという期待はあった。
この課長の名前は、吉原 潤三、四十二歳、少し周りからは遅れてしまってはいるが、エリート街道を走っている男の一人だ。
「藤枝くんのことですかね。聞きたいことと言うのは何の話でしょうか? ただ、一つだけ言っておきますが、もう七年も前のことなので、正確に覚えていないかも知れませんが、そこは御了承ください」
「それは分かっております。直属の部下だった藤枝さんは当時、主にどこの国へ行き、そこでどんな仕事をしていたのでしょうか?」
「ほとんどがヨーロッパでした。フランスやイタリアが多かったと記憶しています。仕事の半分はワインの仕入れ。あとは生鮮食料品や加工食品の仕入れを交渉していました。彼の仕事振りは優秀で、頼りがいがある男でした」
「では吉原さんは、なぜ藤枝さんが殺されたのだと思いますか?」
「それは私には分かりません……」
勇治『この人では無いと思う。この人には本当に良くしてもらっていた気がする。この人は俺の死には関係がない気がする。もっと上の人間、この人の上司に会ってみたい』
金彦は心の中で一言『分かった』と。
「事件当時、吉原さんの上司はどなたですか?」
「そのときの上司は、柿沼部長です。当時は課長でしたが、現在は部長に昇進しております」
「柿沼部長は今日本社にいらっしゃいますか?」
「あいにく不在にしています。タイに出張中でして」
「そうですか、それは残念です。柿沼部長の帰国予定日はいつになりますか?」
「十日後になります」
「藤枝さんの同僚だった方とも会ってみたいのですが、どなたかいらっしゃいますか?」
「調べて参りますので少々お待ちくださいませ」
『どうだ勇治、何か思い出したことはあるか?』
『思い出したことはないが、誰かに圧をかけられていたような気がする。それが誰というのはまだ分からないが、その圧をかけていた人を探していきたい。しかし同僚の線がない訳ではないと思うから、先ずは会って顔を見てみたい』
勇治は思い出しこそしてはいないが、過去に一緒に働いていた人と会うことで何か感じるものはあるようだ。
吉原課長は勇治が働いていた当時、同僚だった河島さんと児島さんを連れて来てくれた。
この二人は入社当時から食品部に配属され、今でも変わらずに食品部で働いている。
この二人は当時から輸入部門ではなく、国内への営業が主な仕事、成績は泣かず飛ばずで、とても出世が見込めるような人材ではない。
仕事では一歩抜け出ていた勇治のことを、あまりおもしろく思わず、妬みがあった可能性もある。
「藤枝さんとは、どの程度の係わりがありましたか?」
「藤枝さんは金属部から異動してきた、エリート路線に乗りかけていた人物です。正直言って上司からの期待も高く、海外に行くことも多かったので、嫉妬がなかったと言うと嘘になりますが、彼は性格がとても明るく、偉そうなところも全くないので付き合いやすく、僕たちに対しても普通に接してくれていました。彼が海外から帰って来た時は一緒に飲みに行っていました。仕事に対しては熱い男で、飲むと熱く語ることもありました。酒が進んでも人が変わることはなく、毎回最後まで一緒に楽しく飲むことができていました。だから殺されたと聞いた時は正直ビックリしました。しかも飲屋街で……本当に何も分かりません」
「そうですか、仕事上で何か悩んでいるようなことはありませんでしたか?」
「悩みというのは聞いたことがありませんが、亡くなるほんの少し前に『会社から注意されてしまった』とは言っていました。慎重に仕事をしていかないとダメだと反省していました」
「どんなことで注意を受けたと言っていましたか?」
「内容まで詳しくは聞いていませんが、気の緩みからくる自分のミスだと言っていました」
「ありがとうございました」
金彦は一つヒントを得たような気がした。
『勇治、注意を受けたことに対して、何か心当たりはないか?』
『ないなぁ。でもあの二人からは居心地良い空気や懐かしさを感じてしまった。そうだな、注意ね……んっ! 俺が運んでいた荷物の量が、何故だか増えていたことがあった気がする。その時「しっかり量るように」と注意を受けたはずだ……どういうことなのだろう』
『もう少し調べてみよう』
そこに吉原課長が部屋に戻って来た。
「どうでしたか? 何かお役に立てましたでしょうか?」
「吉原さん、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何でしょうか?」
「藤枝さんが亡くなる少し前くらいに、会社が運んできた荷物が増えていたという問題が起きたことはありませんでしたか?」
「えっ! あっ、あったかも知れませんが、よく覚えていません」
「藤枝さんはそのことで会社から注意を受けたと思うのですが、その直属の上司であるあなたが、それを覚えていないとは考えられませんが、どうですか? もう一度お聞きします。運んでいた荷物が増えていたということはありませんでしたか?」
「あっ、はい、ありました。当時の食品部の課長と金属部の課長、それと藤枝くんの三人が、当時の部長から注意を受けました」
「そうですか、荷物が増えたのは一回だけですか?」
「一回ではなかったと記憶していますが、もう七年も前のことですから、正直よく覚えていません」
「では、荷物の量が増えていた原因は何だったのですか?」
「藤枝くんの計量ミスですね。私の方からも、しっかり計量するようにと叱咤しました」
「それが今回の殺人事件と関係があると感じていますか?」
「いやぁ、ないでしょう! あれは単なるミスですから……ないと思いますよ」
「ありがとうございました。今から七年前に藤枝さんが携わった、貿易を記した会社の帳簿を拝見したいのですが、どうでしょうか?」
「それは無理です。会社の機密情報もごさいますので、ご勘弁いただけますか」
「ところで当時の金属部の課長は誰ですか?」
「袴田部長です。金属部に今も所属していて部長に昇進しています」
「袴田部長と会うことはできますか?」
「確認します」
吉原課長は金属部に問い合わせたが、袴田部長はオーストラリアに出張中だった。
日本に戻ってくるのは柿沼部長と同じ、十日後だという。
「わかりました。それでは藤枝さんと一緒に貿易に係わっていた、別の方にも話をお聞きしたいのですが、何人かお話しできませんか」
「わかりました、少しお待ちください。今、連れてまいります」
『勇治どうだ?』
『あいつはウソを言っている。少し思い出したことがある。俺はあいつに叱られたことはない。そしてその時も、逆になだめられていたはずだ。あいつは俺に対して、何かを隠している、その時も思っていたはずだ』
『おっ、誰か来るようだ。また少し思い出せるといいな』
『なんだか調子がよくなってきたぞ』
「失礼します。八木と林です」
「忙しいところ申し訳ございません。少しだけ藤枝さんについて教えてください」
この二人から聞いた内容……
二人は荷物が増える事件があったことは知らないものの、勇治が亡くなる一カ月前くらいから会社の上層部はざわざわしていたということだった。
しかし、それは何故だかは分からないとのこと。
次に現れたのは、外国から到着した荷物を検品している担当者、当時も今も役職は係長である勝田さんでした。
勝田さんは当時も今も、柿沼部長と袴田部長のことは嫌いだと言った。
二人とは同期入社であった。
人望や出世の面から二人に対して、多少の嫉妬があったのかも知れないが、それよりもあいつらのことは人間的に大嫌いだと言う……だから知っていることは全部話すと言ってくれた。
勝田さんが話してくれた内容は衝撃的なものでした。
勇治が亡くなる一カ月ほど前から、会社では少し奇妙なことが起きていたという。
勇治が仕入れた大量の食品は、大きなコンテナ船に載せて日本まで運ばれて来ていた。
そのヨーロッパで調達した荷物が日本に着く頃には、載せた重量よりも重い荷物になっていたらしい。
コンテナ船の料金はあくまでもスペースが対象で、重量が増えたからと言って料金は上がることはないが、申告を正確にしておかないと船舶は長距離の移動ため、安全性に問題が生じてしまうことがある。
それが起こると信用性にまで繋り、取り引にも影響が出てしまうおそれがある。
荷物の重量が変わるといった出来事はそのときに四回もおこっていた。
全て計量ミスから発生してしまった誤差、ということで処理がされている。
この四回の出来事全てで、コンテナ船の中に金属部の荷物が相積されていたのだ。
当時の食品部の課長と金属部の課長は、部長と一緒にコンテナ船の会社に出向いて謝罪をしているが、その謝罪に勇治も同行させられていたらしい。
勇治は「ヨーロッパを出国する際におこなう計量を、これからは正確にしなさい」と上司から注意を受けたが、納得がいかない様子だった。
この四回の重量増加は、イタリアとフランスの二カ国のみで起こり、それぞれ二回ずつ発生をしていた。
ヨーロッパにある多数の国の中で輸入交渉と買い付けをおこなっていたが、重量が増加したのはイタリアとフランスのみである。
加えて食品部がチャーターをしていたコンテナ船に、金属部が相積を依頼したときのみ、日本に到着した荷物の重量が増加していた。
金属部が荷物の相積みをしたのは、イタリアとフランスだけだったのだ。
なぜ、その二ヵ国の荷物だけ重量が増えてしまったのか、その原因はわからないままだった。
しかし重量が増えていたのは金属部の荷物ではなく、食品部の荷物……何かが変だ。
勝田さんの話しはここまでだったが、とても貴重な情報を得ることができた。
もしかして勇治は、この奇妙な出来事の真相を知ってしまったのかも知れない。
だから勇治は殺されてしまったのかも知れない……
当時の金属部の袴田課長は、殺人事件がおこる半年前までは勇治の上司。
その後、勇治が食品部に異動したことから、柿沼課長が上司になっているが、金属部は長い期間お世話になった部署だ。
当時の袴田課長は武道派として知られている存在であった。
そして仕事はやり手であり、今は部長に昇進している。
幼い頃から空手を習い今でも鍛えていることから、引き締まったカラダと目つきは鋭いという。
袴田部長は仕事に細かくとても煩いことから、会社では恐い存在であるが、一歩会社を離れると面倒見がよく、部下を連れてよく飲みに行ったりしていた。
袴田部長は羽振りが良く、部下におごったりしていことから、決して評判は悪くなかった。
当時の勇治も、よく飲みに連れて行ってもらっていたくちだ。
『金ちゃん、思い出したことがある。金属部の誰だか分からないが、亜鉛を少し船に載せて欲しいと頼まれたことがある。その時、フランスで買ったチーズのかたまりも日本に持っていきたいので、食品部の荷物が積んであるコンテナの空きスペースを少し貸して欲しいと言われたような気がする。ただ、それを誰に言われたのか……その顔も声も思い出せない。誰だか思い出せればな』
『いいよ大丈夫だ、そこまで思い出してくれただけでも凄いじゃないか。勇治ありがとう。じゃあ少し下調べをして、あとは柿沼部長と袴田部長が帰国した辺りに再度、宝栄商事を訪問してみよう』
しかし、なぜ、チーズのかたまりなんかを買っていたのだろうか……それに重量は、いったいどれくらい増えてしまっていたのだろう。
チーズは販売目的? それとも自身が食べるため? それとも人に頼まれたか? 究極の考えは、積んだ荷物が本当にチーズだったのだろうか? だ。
捜査としては、いろいろな疑問を持ちながら、一つずつ調べていくしかない。
最終的には、勇治の記憶が戻ることが一番の解決への道であることは間違いないのだが。
3.真の相棒
【翌日】
勇治から提案があった。
『なぁ金ちゃん、チーズだと言っていたあの荷物、それが本当にチーズだったとしても、会社の荷物とは別、個人の荷物には違いがないよな? それは個人で儲けるためにやっていたのだろうか? 仮説だが、あれがチーズではなく全く別の物だったとしたら、その中身は何で、いったい何の目的があったのだろうか? これを調べることはできないかな』
更に勇治が提案してきたのはこんな内容だった。
『吉原部長と袴田部長の銀行口座、その金の流れが分かれば、何かきっかけが掴めるのではないだろうか?』
『勇治、なんだか刑事みたいになってきたよな。よし! 上司に掛け合ってみるよ』
食品部のコンテナ船に載せた、会社の荷物ではない荷物、表向きは個人のチーズを載せたことになってはいるが、販売目的であれば必ずお金に動きがあるはず、勇治はそう踏んだのだ。
そう、いったいお金に大きな動きがあったのか、なかったのか……
預金の流れを調べるには、当たり前だが、どこの銀行に預け入れしているのか? ということを最初に調べなければならない。
それを知ることができれば上司に相談をして、手続きを踏んだのち裁判所から『捜査協力要請書』を出してもらうことになる。
そうすれば銀行に協力してもらうことができるようになる。
給料の振込先が、会社指定の口座となっていれば、銀行口座の一つは簡単に入手することができる。
お金の流れが分かれば、振り込んだ相手も分かってくるはずだ。
荷物を買った相手が分かれば、運ばれた荷物は何だったのかが特定できることになるかもしれない。
そうなれば捜査に進展があることは間違いない。
金彦はこれに賭けてみたかった。
金彦は夕方、宝栄商事の正面玄関がよく見える、玄関からは少し離れたところで会社から出てくる宝栄商事の社員を見ていた。
金彦には目的があった。
『なぁ金ちゃん、なんでこんな所に隠れて人を見ているの?』
『捜査に協力してくれそうな人を探っているの』
『勇治が教えてくれたじゃないか、銀行口座の金の流れを調べることが第一歩だよって』
『金ちゃん、今夜の夕食はビーフシチューにしない?』
『なんだよ突然!』
『思い出したのだよ、あの日のこと。真っ直ぐ家に帰っていたら、家での夕食はビーフシチューだったことを……朝、妻が言っていたのを思い出してしまったのだよ』
『ビーフシチューは手間も時間も掛かるから今日は無理だよ』
『コンビニのビーフシチューは絶品だったりするけどね! どう? 今日はそれにしない?』
『……しかたないな。じゃあ、今日は帰りにコンビニで買って食べてみるか』
『いえ――い! 話しわかる♪』
『ところで、どこのコンビニのビーフシチューが美味しいの?』
『それはね……』
そんなこんなで今日は、コンビニのビーフシチューとなった。
晩ご飯のメニューは決まったが、銀行口座を調べるための聞き取りは、まだ誰一人として聞けていなかった。
『おっ、あいつに声を掛けてみよう』
見た目が少しチャラい男が宝栄商事から出てきたので、声を掛けてみることにした。
「あの、ちょっといいかな?」
「なんでしょうか? いきなり」
「警察です」
「えっ! 警察? 私は何も悪いことはしてませんが」
「そうじゃなくて、ちょっと教えて欲しいだけなんです」
そう言ってその宝栄商事の社員に、会社には給料を振り込む、会社指定の銀行口座が有るかということを聞いてみた。
その社員いわく、給料の振込先は全社員が同じ、会社指定の銀行になっていると言う。
その銀行は、ぎんなん銀行と決まっていた。
金彦は心の中では『やった――』と叫び、口からは「ご協力ありがとうございます」と冷静に対応した。
『おい金ちゃん、やったな』
『そうだな、今日は終了。署に戻り捜査協力要請書の準備をして、早目に家に帰ってビーフシチュー食べような』
金彦は署に戻るなり、捜査協力要請書を出してもらうため上司に報告をおこない、捜査報告書と申請書の作成をおこなった。
請求をおこなうのは明日の朝になるが、上司からお褒めの言葉をもらうことができた。
「おい、よくもまぁこんなことを思いついたもんだな! 調べもよくできている。チーズか……怪しいな。先ずは金の流れを調べてみよう。遠山、成長したな、ありがとう」
金彦は実に気分が良かった、それと同時に勇治に対しては『ありがとう』という感謝の気持ちを呟いていた。
書類が全て仕上がったのは、夜の九時半を過ぎた頃だった。
明日からの捜査が進展することを願って、帰り道はコンビニに立ち寄り、勇治からリクエストがあった『金のビーフシチュー』を二つ買って帰宅した。
レトルトのビーフシチューを温め皿に移し、テーブルの上に運んだ。
金彦が座る席の前と、その真正面の席にもセット、勇治の分も用意した。
勇治が言っていたように、そのビーフシチューは絶品だった。
コンビニのレトルトなのに、お店で食べているかのような錯覚をおこすぐらい美味しかった。
ビーフシチューは勇治に感謝しながら食べた。
翌朝、金彦が作成した申請書が承認され、裁判所から捜査協力要請書が発行された。
そして、ぎんなん銀行に対し捜査の協力をお願いした。
ぎんなん銀行は捜査に協力的であり、直ぐに袴田部長と柿沼部長、二人の通帳明細が提示され、過去十年間のお金の流れを知ることができた。
しかし二人には、これと言って怪しい金の動きはなかった。
『別に口座があるのでは……』
そう睨んだ金彦は、ぎんなん銀行で担当してくれた部長に聞いてみることにした。
「この二人が持っている、ぎんなん銀行以外の口座が有るのかということを知ることはできますか?」
「はい、分かりますが」
「捜査のため、それを教えてもらう協力はできますか?」
「それは大丈夫でございますが、少々お待ちいただいてよろしいでしょうか」
しばらくして、ぎんなん銀行の部長が部屋に戻ってきた。
「二人共、もう一つ口座を設けているようなのですが、柿沼様は荒波銀行、袴田様はあおい銀行ですね」
ここでは二人の銀行口座が割れた。
どちらかが、この事件に全く関係の無い白、どちらかが犯人ということなのだろうか……それとも二人は、共に事件には無関係な白なのだろうか。
あらたな情報を得た二つの銀行に対し、捜査の協力をしてもらえるよう、捜査協力要請書を裁判所から発行してもらうため、金彦は直ぐ署に戻り、申請手続きをおこなった。
この手続きが二回目ということもあり、書類作成に時間が掛かることはなく、スムーズな申請がなされた。
そして、裁判所からの許可が降りた。
許可書を持ち、先ずは柿沼部長が開設している荒波銀行から訪ねた。
荒波銀行に対し事情を説明、そして裁判所から発行された捜査協力要請書を提示、対応してくれた荒波銀行の部長からは捜査協力の了承を得た。
そして荒波銀行で開設している、柿沼部長の口座明細が提示された。
真っ先に事件があった七年前の口座明細を確認するが、とくに目立ったおかしな金の動きはない。
その前の年、次の年と見ていくが、やはり不信に感じるようなお金の流れは見当たらなかった。
その場での確認を終えたあと「柿沼さんの銀行口座は、この荒波銀行とぎんなん銀行以外にはありませんか?」と確認した。
しかしそれ以外に、口座は存在しないことが明らかとなった。
銀行から提示された書類は全て署に持ち帰り、詳しく調べることにした。
『なぜだ、なぜ出てこないのだ。俺の見立て違いなのか……次は袴田部長が開設しているあおい銀行に行ってみよう』
金彦は捜査に協力してくれた荒波銀行に対し感謝の気持ちを伝え、あおい銀行へと移動した。
『なぁ金ちゃん、何にも怪しいことがなかったな』
『そうだな、とにかく次の銀行に行ってみよう』
あおい銀行でも同様の説明をおこない、捜査への協力を確認したのち、銀行から口座明細が提示された。
袴田部長が使用していた七年前のお金の流れを見た瞬間……
「あっ!」思わず声がもれた。
七年前、その中のでも半年間のお金の流れが半端ではなかったからだ。
『こんな大金が振り込まれている』
そして大金の振り込みがあった日から約一ヶ月後には、今度は振り込みされた金額の三分の二が出金され、その後また大金が振り込まれるというサイクルになっていた。
袴田部長が開設する口座で、金は確実に増え続けていた。
なんと半年の間で、約一億円もの利益が出ていたのだ。
これは異常とも言える金の流れだった。
金彦の読みは当たっていた。
袴田部長は一気に容疑者として躍り出た。
このあおい銀行で提示された明細書も預り、署に持ち帰ることにした。
金彦は署に戻り、上司に明細を見せて報告をおこなった。
上司は、この事件に携わる刑事全員に対し、袴田部長を徹底的に調べるように指示が出た。
『やったな金ちゃん』
『まだ終わっていない。ここからが大事だし、更に慎重にやっていかなくてはいけない』
そう、袴田部長はまだ、日本には帰国していなかったからだ。
そのため本人に捜査が及んでいることが本人にはもちろん、会社関係者や身内に気付かれることがないよう慎重に捜査する必要があった。
袴田部長自身が容疑者になっていると気付けば、そのまま帰国しない可能性もあったからだ。
先ずは金を振り込んだのは誰なのか、その特定から捜査ははじまっていった。
袴田部長が帰国するまでに捜査の内容を固め、逮捕状の請求もしくは任意同行ができるくらいまでにしておきたかった。
ただこれには無理も伴っていた、追っている捜査はあくまでも殺人事件、しかしそこまで容疑を固めることは難易度が高いからだ。
先ずはお金の不正を暴き、逮捕してからが勝負になる。
だからこのお金の流れが、不法行為であったということを証明することが今は最優先で、逮捕できるだけの証拠を掴むことが最重要課題であった。
『でも、かつての上司がなぜ、殺人まで犯さなければならなかったのか?』そんな疑問は残った。
ただチーズの塊は、やがて一億円に変わったのだ。
まだ謎ではあるが、やはりあれはチーズではなかったのだろう。
七年前、その中でも半年という期間だけ流れていた大金、この不思議な出来事は、当時の時代背景に何か関係があるのだろか。
4.全容解明に向けて
事件があった平成二十六年は、四月から消費税が五パーセントから八パーセントに上がった年。
大手商社の従業員だった勇治が殺された事件、これも消費税が上がったことと関係があるのだろうか?
『ない』と言いたいところだが、関連性があるかないか、それすら言えない状況なのだが、はっきり分からないというのが今の答えだ。
とにかく目の前にある事件の、一つひとつをひも解いていくのが刑事の仕事である。
袴田部長が開設するあおい銀行に七年前、多額の振り込みがあった件で、振り込みをおこなっていたのは会社で、大地株式会社、佐渡山商事、四星貴金属の三社だった。
そのうち二回振り込みをおこなっていたのが四星貴金属だった。
捜査はこの四星貴金属の聞き込みから開始することにした。
『勇治、この四星貴金属という会社に、なにか記憶はあるか?』
『ん……ない。この親会社とは取り引きがあったと思うが、四星貴金属と宝栄商事の間での取り引きはなかったはず。それに何故、そんなところから大金が個人口座に振り込まれているのだろうか』
『まだ分からない。調べてみよう』
金彦は聞き取り調査をするため四星貴金属の本社を訪れた。
そして調べてもらった結果、データ上でも、正式な取り引きとしてしっかりと記載されていた。
そう何の問題も無い、正式な取り引きであったことが分かった。
それにこの時期は、このような大口の取り引きというのは珍しくなかったという。
ところで実際に取り引きされていた物は……
純金、いわゆる金の延べ棒が買い取られていたという記録があった。
逆を言えば、袴田部長は金の延べ棒を大量に売っていたことになる。
何故これほどまでの大量の金を、しかも、二回も売っていたのか……
四星貴金属を出た二人はその足で、他にも取り引きがあった残りの二社、大地株式会社と佐渡山商事に聞き取りをおこなった。
この二社でも取り引きの記録は残っており、やはり正式な取り引きであることが確認できた。
取り引きの品はもちろん、金である。
普通に考えると、秘密裏にコンテナに載せられた、袴田部長の個人荷物のチーズ、あれはチーズではなく金の延べ棒だったとすれば、重量が予想以上に増えていたことにも納得ができる。
これで点と点が線で繋がった。
あとは何故あの時期に大量の金を買い入れ、そして直ぐに売っていたのか……それを調べるしかない。
それと、勇治の死のことも、線で繋げることはできるのだろうか?
そう言えば、この買い入れた金は、はたして税関を通っていたのだろうか?
宝栄商事は信頼ある会社であることから、税関の検査は他の会社よりもスムーズにおこなわれていた経緯があるようだ。
個人の荷物として載せていたとしても、表向きは宝栄商事の取り引きの荷物として、税関の検査がおこなわれていたとすれば、検査を上手くすり抜けていた可能性もあるはずだ。
袴田部長はこのしくみを巧みに利用していたのだろう。
課税されることなく税関を通過した金、この金は三つの会社に売られていた。
「あっ!」
金彦が声をあげた。
いったいどうしたというのだろう。
「袴田部長は、この年の四月からパーセンテージの上がった消費税を利用したに違いない」
『えっ、金ちゃん、いったいどういうことなんだ? 消費税が上がったことと、今回の事件はなんの関係あるの?』
『金の利ザヤだよ、利ザヤ!』
『利ザヤ?』
『そう、金は外国で買い入れて宝栄商事の荷物を運んでいる船便コンテナに載せ、税関をすり抜け、日本に持ち込み、そして貴金属店に売る。消費税が五パーセントから八パーセントに上がっているので、買い取りも前に比べ三パーセント高く買い取ってもらうことができる。例えば一億円で買い付けた金を、税関を通すことなく日本で売ることができれば、一億八百万円ものお金が手に入ることになる。簡単に八百万円の利益が出ることになるのだ。それを袴田部長は、もっと大きな額でやっていたんだよ』
『なんて悪いやつだな! それじゃあ俺は叱られ損だったということになるのだな』
『そういうこと。この線は固いと思う』
チーズは金で、袴田部長が個人の金儲けのために会社を利用していたことが濃厚になった。
この行為はもちろん犯罪である。
あとは売られた金が税関を通過していたという履歴がなければ、金彦が立てた想定通りということになり、袴田部長を逮捕できる充分な証拠となる。
そして本丸の、勇治殺人事件の解決を試みることになる。
そして翌日、税関に協力を仰ぎ調べてみた。
その結果、袴田部長が持ち込んだ金が、税関を通過したという記録は一件も見つからなかった。
紛れもない不正であることが判明した。
袴田部長の帰国予定はあさってとなる……
いよいよ本星とご対面をすることになる。
あとは袴田部長の帰国を待つだけだ。
5.クライマックス
【袴田部長の帰国当日】
情報が周りに漏れることのないよう慎重に捜査をおこなってきた結果、袴田部長は『ゴールドコースト国際空港』を日本時間の午前十時三十分発の飛行機に搭乗し、飛行機は無事に離陸したとの情報が入っていた。
成田空港への到着予定時刻は午後八時となっている。
金彦が所属する捜査本部は成田空港で厳戒体制敷き、そのまま空港で袴田部長を逮捕する予定にしていた。
もちろん逮捕状はある。
『金ちゃん、俺なんだかドキドキしてきたよ……もしかしたら、袴田部長の顔を見た瞬間、自分に起こった全てのことを思い出すかもしれないから……それが知りたいような、怖いような、複雑な気持ちだ。そいつに殴りかかるかも知れないがいいか?』
『いいと思うよ。ただ、あたるのかな?』
『やっぱり無理か』
『えっ! 勇治、マジかよ……勇治の姿が薄っすらと見えてきているぞ』
色や形のない無だった勇治の体が、金彦から見えるようになっていた。
どうやら勇治が放つ怒りのパワーが、無色だった体に色を付けていったのだろう。
『勇治が見えるようになった。なんか急に恥ずかしくなってきた』
『よく言うよ、さんざん人の写真をながめていたくせに』
あと三十分ほどで飛行機が到着する。
空港では更に緊張感が高まっていた。
逮捕に向けた準備は入念におこなわれているから大丈夫だ。
先ずは袴田部長を、金の密輸事件で逮捕する。
まもなくして成田空港に飛行機が到着した。
税関に協力をしてもらい、袴田部長は一般の同乗者とは違う通路を案内する予定になっている。
飛行機から降りたところで税関職員が袴田部長に声を掛けて、別の通路に誘導した。
袴田部長は「私は何も悪いことはしていない」と最初は抵抗を見せたものの、「少しお話しを聞くだけです」と諭され、渋々ながら従った。
袴田部長は小部屋に案内され、そこに一人で待機させられた。
税関職員から小部屋に案内したとの連絡をもらったあと、金彦を含む捜査員は袴田部長が待機している小部屋に向かっていった。
もちろん勇治も一緒に付いてきていた。
小部屋の扉を開けると、袴田部長はイライラモードで座っていた。
しかし、ぞろぞろ入ってくる捜査員を見て、イライラモードからクエッションモードと焦りに変わっていった。
その後、逮捕状が読み上げられ、それを提示したのち手錠がかけられた。
逮捕された時の袴田部長は「何のことか分からない」とシラをきっていた。
袴田部長を見た勇治の反応は、とっさに鼻辺り押えながら、少しよろけたような仕草を見せた。
そして『心臓がもの凄くバクバクする』とも言っていた。
もしかしたら、体が何かを思い出しはじめているのかも知れない。
警察署まで連行された袴田部長は、取調室で厳しい取調べを受けた。
そして次々に提示される証拠書類に観念したのか、三時間後には自供をはじめていた。
この様子を見ていた勇治は、しきりに髪の毛が引っ張られているような感覚があり、頭が痛いと訴えてきていた。
これは何を意味しているのだろうか?
この金の利ザヤ事件に関して袴田部長は、完全な黒であった。
残る事件はただ一つ、勇治を殺害したのかだ。
勇治の記憶が戻ることにも期待をしながら、翌日も厳しい取調べがおこなわれた。
午前の取り調べが終わり、昼過ぎの取調べがはじまった直後、勇治が発した大きな声が金彦の耳に届いた。
『うわぁ! こいつだ! こいつが俺を刺した』
ついに勇治の記憶が戻った。
金彦は心の中で勇治にささやき、興奮している勇治を落ち着けさせることにした。
勇治は少しずつ落ち着きを取り戻し、金彦に向かってゆっくりと話をしてきた。
俺はあの日、本社に居た袴田部長……いや、袴田課長に事の真相を問い詰めたのだ。
どう考えても自分のミスではない、俺はそう思っていたからだ。
なのに部長にまで叱られたことでモヤモヤはいっそう大きくなり、我慢ができなくなってしまった。
そして袴田課長に、チーズだと言っていたあの荷物は、いったい何だったのか尋ねた。
その日は「何を言っているのだ、あれは間違いなくチーズだよ」と言い張っていたが、偶然にも会社の周りで電話をかけている袴田課長を目にし、俺はその場で立ち止まり電話の内容を聞いていた、その電話が終わるまで。
それは俺が袴田課長を問い詰めた日から二日後の話しだ。
当然だが袴田課長の声しか聞こえてはいないが「金」という言葉や「明日には売りに行く」「イタリアからの荷物」と言っていた。
そのときに思った、やはりあれはチーズではなかった、荷物は金だったのかと。
俺はその日、帰宅する袴田課長に声をかけそのことを聞いてみたのだ。
そうしたら「久しぶりに飲みに行こう」と誘われ「そこで詳しく話すから」と……あのときの袴田課長は穏やかだった。
夕方から降りはじめた雨は次第に強くなり、店に着く頃にはかなり激しく降っていた。
袴田課長は昔をなつかしむように、同じ部署で働いていた頃の話しをしてきていた。
その話しは長く続いたが……なかなか本題には入らない。
痺れを切らした俺は、思いきって袴田課長に対して話を切り出した。
袴田課長はしばらく黙り込んでから、重い口を動かしはじめた。
「おまえ、気づいてしまったのだな」
それ口切りに詳細が語られていった。
【回想】
イタリアでの取り引き先で、ある男から儲け話を持ちかけられたと言う。
一回だけならという甘い気持ちから、その話に乗ってしまった。
しかしそれは、なんの苦労もなく一回で数千万円もの大金が転がり込んでくるような内容。
しかし会社がチャーターしているコンテナ船を不正利用しなければいけない、という必要性もあり、当然ながら自分でも罪悪感はあったが、一回だけ、と心に決め決行してしまった。
そしてイタリア人が言っていたように、大金が転がってきた。
その男には事前に約束をしていたお金を支払い、それ以来連絡は取っていない。
しかし、俺は変わってしまった。
それは大金を手にしてしまったからだ。
それからは、もう一回だけ、もう一回だけと、結局、四回も同じことをしてしまった。
俺がやっていたことは、おまえが思っている通りのことだと思う。
そう、個人的に移動させていたあの荷物、あれはチーズではなく、純金だ。
税関をすり抜けることさえできれば、消費税分がまるっと儲かる。
消費税率が上がった今は、それが一番儲かる時期なのだ。
ただ、もうやらないと決めている。
藤枝、見逃してくれ! 口止め料として一千万渡すから、なんとかこのことだけは黙っていて欲しい。
でも俺は「警察に自首してください。これは犯罪です。それに、このことは見逃す訳にはいきません」と袴田課長からの誘いには乗らなかった。
それからは何度も同じようなやり取りを繰り返したが、俺の放った一言が袴田課長を怒らせてしまった。
「明日、警察に行って洗いざらい話してきます」
そのあと袴田課長の顔と態度が急変、袴田課長は一瞬鬼となった。
それでもなお、冷静さを保ちながら対応して、何事もなくそれまで居た店を出た。
外は雨が激しく降っていた。
傘などまったく役に立たないくらいのどしゃ降りだった。
こんな雨の中、深夜の飲屋街を歩く人はおらず、店もすべて閉まっていた。
深夜に響きわたるのは、激しくアスファルトを叩きつける雨音のみだった。
そこから始まった……
「なぁ藤枝、俺がこんなに頼んでも無理なのか?」
「これは犯罪です。やはり見逃す訳にはいかないです」
「そうか、無駄か……」
そう言って袴田課長は、さしていた傘を下ろし、そして投げ捨てた。
激しい雨に打たれながら、鬼の形相でゆっくり、ゆっくり俺に近づき、持っていたカバンを振り回した。
次はそのカバンを手から離して殴りかかってきた。
なんとか交わすことはできていたが、次から次へと打ち出される凄い速さの拳は、恐怖でしかなかった。
俺もいつしか、傘とカバンを離して防戦一方だった。
そんな俺に対して、袴田課長は大声を出しながら近づき、拳を出し続けた。
偶然にもその手を掴むことができ、その手を思いっきり引っ張り、袴田課長のバランスを崩すことができた。
その隙に逃げようとしたが、腕や髪を掴まれ、バランスを崩してしまった。
そのあと決定打となる一発を顔面に喰らってしまった……
そして意識もうろうとなり、座り込んだ。
もう結果は見えた。
袴田課長はカバンからナイフを取り出したのは微かに見えていたが、脳しんとう状態の俺は横に動くことすらできなかった。
袴田課長は俺の腹めがけ、ナイフを突き刺してきた。
痛くてたまらなかった。
激痛が脳天を突き破り、目玉が飛び出るかと思うくらいだった……本当に痛かった。
痛さが脳しんとうを覚めさせていた。
最後の力を振り絞り、俺が出した言葉は「もっと深く刺せよ! オレが死ねば、お前は長いあいだ刑務所で苦しむことになる。死ななければ軽くなってしまうからよ。だから、もっと深く刺せ!」そう叫んで、袴田課長の手を握り、そのまま腹の奥へ力強くナイフを押し込んだ。
口からは血が吹き出した……
袴田課長は体からナイフを抜き、その場を後にした。
『今、俺の記憶は完全に戻った。奴を許すことはできない。金ちゃん頼む、あいつを殺人罪で逮捕してくれ、お願いだ』
『分かったよ、相棒。俺が必ず逮捕する』
翌日の取り調べで金彦は、昨日勇治から聞いた話を全て袴田部長に話した。
袴田部長は、なぜそんなことを知っているのかと、驚いた表情で金彦の顔を見ていた。
そして袴田部長から出た言葉は……「あの日のことを見ていたかのようですね」
「私と捜査をしていた相棒から聞きました。私の相棒は藤枝勇治です。今も私の横に居ますが、袴田さんには見えていませんか?」
「なにを言っているのですか、そんなことがあるものですか」
「私には、相棒の姿がはっきりと見えています。そして、相棒の声もはっきり聞こえています! 凶器のナイフはまだ自宅に置いてありますよね? たっぷりと証拠が詰まったあのナイフは、まだご自宅にありますよね。証拠のナイフが世間で見つかることが怖いから、捨てずに持っていたのでしょう? 袴田さん、昨日の夜、勇治は袴田さんの自宅に侵入しました。そして自宅の戸棚に隠してあった凶器を見つけました。今から自宅にガサ入れしますが、それでもシラをきり続けるつもりですか!」
袴田部長は顔面蒼白となり、長い時間下を向いたままの状態になった。
「俺がやりました。 申し訳ございません。 刑事さんが言われる通り、ナイフは自宅の戸棚に隠してあります。 私がやりました。 藤枝さんは、刑事さんの横にいるのでしょうか? いるのであれば、心から謝りたい。 あの時の俺はどうかしていた。今は後悔しかない」
袴田部長は藤枝勇治を殺害したことを認めた。
そして椅子から降りひざまづき、金彦の右側に向かって、何度も何度も頭を下げて謝った。
その後の捜査で、凶器のナイフは自宅の戸棚から見つかった。
金の密輸に加え、殺人の罪でも逮捕となった。
とりあえず勇治の無念を晴らすことができた。
『勇治のおかげで犯人を逮捕することができたよ、本当にありがとう。自分の殺人事件は解決したが、この先はどうするつもりだ?』
『えっ、これで俺たちは終わりなのか? 相棒は解消なのか? 俺はずっと、金ちゃんと相棒でいたいと思っているけど』
『そうなのか? もしかして勇治は、刑事の仕事が気に入ったのか? 潜入捜査もできるからありがたいのだが』
『それ、俺の必殺技になるかもな。それに尾行も気づかれずにできるよ。俺は金ちゃんにしか見えないからね』
『これからも手伝ってもらえるのか?』
『金ちゃんさえ良ければ』
『じゃあ、これからも頼むよ勇治、ずっと相棒だな。今日はビーフシチューにしようか?』
『賛成、早く帰ろう』
『コンビニに寄ってからな』
次の事件につづく……
著者:通勤時間作家 Z
これまでの作品
『昨日の夢』
『前世の旅 上』『前世の旅 下』
『哀眼の空』
『もったいぶる青春』
『私が結婚させます』
『ニオイが判る男 』1.能力発見編
2.天使と悪魔の話題 3.霊感がプラスされた話題