第壱話
日本でもあまり目立たない街。
そびえ立つ高層ビルディングが煌めき、容赦なくその反射光が己が身へと降りかかってくる今日この頃。混雑する道路。遊ぶ子供のいない公園。歪んで見える視界。
人影などあまりない。この日の気温があまりにも夏を思わせすぎるからだ。暦の上では10月に入ったはずなのだが、この日はどうしようもないほど暑かった。
「はっ、はっ、はっ!」
時刻は9時に10分前。
その暑い日差しを抜けるようにして、誰もいない道を必死に走る少年が1人。
家から全速力でここまで走ってきた彼の名前は赤坂 秀二。
普通科の高校に通う2年生。
真っ白な髪に整った顔立ち。カラダは少しひょろっとした感じだが、目つきが鋭くクールという印象が強いため頼りないとは思わせない。
そんな彼がこうして走っている理由はただ1つ。
「ちくしょー! なんで目覚ましが止まってんだよ!」
秀二は朝に弱い。昨夜セットしておいた目覚まし時計はそれは綺麗に解除されていた。
それを母親に聞いたところ、目覚ましが鳴ると同時に眠ったまま立ち上がり、目覚ましを解除した後にまた寝るのだとか。白目をむき出しにしたまま目覚ましを解除する姿はそれはそれは圧巻だったそうだ。
「なんで朝なんかくるんだよ!? もうヤだ、朝なんてだいっきらいだ!」
大自然にいちゃもんつけても何にもならないことくらい彼は理解している、さすがにそれほど秀二はバカではない。
「何やってんだよ秀二。 早くしないと遅刻だぞー」
と、そんな秀二を横目に、自転車に乗りながらニヤニヤしている青色の髪をしたへんた―――もとい男が通り過ぎた。
彼は高嶺 傑。黙っていればいい男な彼は秀二の悪友の1人だ。
傑の通称は『ワカメ』。由来は髪型がワカメのようになびいているから。あとヘタレだから。
これがまた違和感なくぴったりフィットするあだ名だから面白い。しかし、本人はこの呼び名を嫌っている。
「ハッ、ハッ、傑! て、てめぇ……!!」
自転車のハンドルを掴もうと手を伸ばす。傑はひょいとそれを回避し、
「あははは!
朝から秀二のこんな顔が見れるとはねぇ。 あ、俺は先に行くから頑張って走ってね~♪」
高らかに笑い、自転車のスピードを上げた。
傑の自転車はそこらのママチャリなんかとはワケが違う。決して、ママチャリをバカにしているのではない。
傑の自転車は競輪などで使用するトラックレーサー(ブレーキ付き)なのだ。シンプルな構造をしつつも、これでかなりの速度が出せる。
あっという間にどれだけ走っても追いつけない距離まで離されると、
「1限は物理だからな~!!」
叫ぶ傑。それを汗だくで後ろから見守る秀二。
「あ~、物理か。 荒井センセ厳しいからなぁ。 きっと補習とかプリントがたんまり……」
そんなことを考えると頭が痛くなってくる。
時計を見れば授業が始まるまで、残り3分もなかった。
「学校着いたら1発殴っとくか……」
秀二は走るのを止め、はぁ とため息をつき、歩きだす。
途中、交差点にさしかかり、足止めを食らう。その交差点はなかなか信号が変わらないことで知られている変わらずの交差点で、歩道橋の類は一切ついていない。
まぁいいか、と嘆息し、秀二は焦る素振り1つ見せずにマイペースで歩いた。
●
学校に着いたころには1時間目はすでに終わりを迎えようとしており、少々時間を潰しすぎたなと秀二は反省。
チャイムが鳴り、先生が教室から出てきたのを見計らって、入れ替わりで室内へ入る。
「ウッス」
いつものように軽くクラスメイトたちに挨拶を済ませ自分の席へ。
カバンの中身を取り出していると傑が秀二の机の上にどかっ、と腰を下ろし―――
「いよぉ秀二、遅かったじゃないか。一体何して―――おぶちお!?」
ニヤニヤしていた傑を思い切り平手でひっぱく。しかし、このイライラは治まることを知らなかった。
勢いにのってもう数発平手をくらわす。もちろん全部手加減なし。
トマトのように真っ赤に腫れあがった傑を抱え、ゴミ箱にダンク。暴れるのを無理矢理押し込んで蓋を閉め、ガムテープでぐるぐる巻きに固定した後、それを階段から勢いよく転がし、放置する。
傑の悪行が秀二の胸の内でグルグルと未だに渦巻いている。
正直、傑にかまってる時間も勿体ない、というか6畳間の畳の目を全て数えるほど無意味だ。
秀二は全てを(傑の存在ごと)忘れたかった。だが、イライラしすぎて逆に脳に印象深く刻まれてしまっている。このままでは今日は厄日になってしまう。人生は長いとはいえ貴重な1日だ。何かいいことはないだろうか?
ちょっとだけ真面目に秀二が考えていると、目の前に1人の女の子が腕を組み仁王立ちして立っているのに気づいた。
すらっとした上半身and下半身。赤に近い色をした長い髪をこれまた赤のリボンでひとくくりにしている。ポニーテールというやつだ。細い輪郭は彼女の可愛らしい顔をより可愛らしく、綺麗に見せる。
彼女の名前は茅崎 凛。
幼なじみであり、クラスメイトであり、クラス委員長でもあり、さらには運動神経はバツグンで、成績は学年トップ。
その気品ある態度と文句のつけようのない容姿で男子生徒たちからは我が校始まって以来の学園アイドルともてはやされるも、それをおごることもなく、友達付き合いもよい。
そんなまさに完璧と言っていいほど人間離れした彼女は天使のような甘い表情で秀二に向かって微笑みかけ―――
「あんたバカァ? 今日で遅刻何回目だと思ってんのよ。なんで遅刻したのか理由を20文字以内で述べよバカ」
「ねぼ「ただし寝坊以外で!」
と、いきなり罵声を浴びせてくれた。
クラスの連中はこの罵声を無視、もしくは、いつものことか、と言って欠伸をしている。
そう。これは秀二にとってはいつものことなのだ。
昔からつるんできたせいか、秀二と傑に対する態度が周りとは雲泥の差なのだ。もっとも、それを知っているのはクラスの連中だけで、他は誰も知らない。
これは、傑曰く―――
『あいつはツンデレなんだよ。もしくは、ツンドラ? もう視線がツンドラ気候並みに冷たい……』
だそうだ。
それに秀二は凛が『デレた』ところを見たことがない。それも含めてツンドラなのだろう。
「何か言った?」
「いいえ、何も言ってませんわ」
「ふーん。どうせまたツンデレだとか何だとかくだらないこと思ってるんでしょ」
くそ。本当にこういうときは勘が鋭い。
秀二はそれを顔に出すことなく、あくまで冷静に、そして笑顔で
「いやいや、そんなこと微塵も思って―――あ、その関節は、だめ……アッ―――!!」
外された右手首の関節の痛みに悶える秀二。
それを凛は含み笑いで一掃した後、自分の席へと戻っていった。