第零-弐話
戦場―――。
昔は草木が生い茂り、川のせせらぎが人々を癒していたであろうその場所は、焼け野原と化していた。辺りは金属や木々、更には肉の焼け焦げたような異臭が広がっており、爆撃音や銃声、戦車の駆動音がそこたらじゅうから響いている。
耳鳴りがする。耳栓をつけていても効果はなさそうだ。
そんな死臭たちこめる禍の地に、ひとつの怒鳴り声が響いた。
「おい! 補給部隊のチキンどもはまだ到着しないのか!?」
うろたえる数人の若人。帰ってきた返事は「まだ」の一言。目に涙を貯めながら、必死に訴えてくる。
「ち、中尉…。わ、私たちは、国から見捨てられ―――」
「黙れ!お国が我々を見捨てるはずがない!我々は日本のために戦っているのだぞ!?見捨てられてたまるものか!!」
中尉と呼ばれる不精髭を生やした男は部下である若人の声を掻き消すように怒鳴り付けた。
部隊の空気は最悪で、これ以上の戦闘は無理だと経験が、そして彼自身の心がそういっている。
本部に増援をよこすよう連絡を入れたのは三日前。それからは向こうからの連絡は一切何無く、いつ敵がまた攻めてくるかわからない恐怖と戦いながら精神と肉体を削り、過ごしていた。
部下である若者たちにも限界が来たようで、動揺が広がり、今にいたる。
「ち、中尉!! 今、緊急通信が…」
通信機をいじっていた男が血相を変えて走ってきた。彼の手には一枚の紙切れが握られている。それは彼ら軍隊が使用している暗号通信。それを解読したものだ。
「本部からだな、後続部隊はどうなった!?」
「そ、それが……。
補給部隊、ならびに支援部隊は敵軍の襲撃に遭遇、壊滅―――、と」
「……く、くそったれがぁ!!」
まだ支援、補給部隊が来るかもしれないと期待していた。支援部隊が到着してこの絶望から自分たちを救ってくれるのだと信じていた。
その唯一の頼みの綱が今、音をたてて切れた。
もう自分たちは国のために身体を張って死ぬしか残っていない。そう思ったとき―――
「おいおい、しけたツラして下見てないでちゃんと胸はって前を見ろよ。よく言うだろ、神様には後ろ髪は無いってね」
若い、本当に若い男の声がした。
●
言われたとおりに顔を上げれば、そこにはこの部隊で一番若い部下よりもさらに若そうな男がリュック片手に笑顔のまま直立不動をしていた。
この場に不釣り合いなその表情。幼さが残るその出で立ちはまだ未成年であることを中尉は嫌でも思い知らされた。
重いため息を一つ。
それを見た若者はムッと顔をしかめるが、すぐに元の笑顔に戻りごそごそとリュックを漁る。手を取り出せば、そこには一枚の便箋が握られており、中尉にそれを突き付けた。
読め、ということだろう。中尉は警戒はそのままに便箋を受け取った。
宛名や名前の無い便箋。裏に張られたシールを見た瞬間、彼の顔が驚愕のものに変わる。
便箋はただの手紙ではなかった。
暗号通信でもなんでもないこれは、帝国軍最上部からの零特化規格者戦闘許可書。
噂でしか聞いたことのない、零特化規格者。
彼らが出陣した戦場では、生きとし生けるもの全てが飲み込まれ、後に残るものは静寂のみだという眉唾ものの噂ばかりだ。
末端である兵士達の士気を上げる為の与太話だと中尉は考えていた。そもそも彼ら自体はそうそう表舞台に立つことはない。姿どころか、その存在自体も未確認とされている者たちが果たしてこの現実に存在し得るのだろうか。
答えはノーだ。前線に出れば、必ずそれを見方部隊が確認する。そうなれば多少の尾ひれは付くだろうが噂は広まる。例え緘口令を敷こうとも、人の口というものは存外軽いのだ。
便箋を持ってきた少年は噂のような能力者とは合わない。
「さて、後は俺が何とかするんで、皆さんはテキトー休んでいてもらいましょうかね」
口調は軽い。これから親しい友人の家に遊びに行くような感覚。
しかし、なぜか中尉の背筋には冷たい汗が流れる。何か得体の知れないものを感じ取っているのだろう。
「貴様は一体―――」
何者だ?
中尉の問いに少年はまた軽く笑い、リュックを地面に下ろして口を開いた。
「そっか、自己紹介がまだだったね!」
「私は草薙。階級は中尉だ。この部隊―――第弐七番隊善天草の隊長を勤めている」
「ヨロシク。俺は霞 慎也。
……第最終番隊第二軍福佐であり、その手紙にもあるとおり零特化規格者だよ」
「なるほど、最終番隊。そうか。貴様が噂の……」
"第最終番隊"
零特化規格者が数多く在籍しているまさに人間兵器軍団とも噂されている帝国軍の最終兵器。彼らが出た戦場は敵兵生存者数がゼロという驚異的な結果が生まれる。故に、悪魔の部隊とも呼ばれている。
―――こんな少年があの悪魔の部隊の一員で零特化規格者だと? 世の中ふざけている。
「さぁて、仕事仕事♪
―――ってそうだった! 中尉さん」
突然の呼びかけに驚く。何と言うか、順応性が早い。
何だ? と無愛想ながらも返事をする。
「早く帰りたいから中央突破しようと思うんだ。協力してよ」
―――何を、言っているんだ?
やはりふざけている。頭の中がぐつぐつと沸騰していくのが自分でもわかる。
「こんなくだらないことちゃっちゃと終わらせてゆっくりしたいでしょ?」
「……貴様、ふざけてるのか?」
「いやいや。皆さんのことを考えればこのアイディアはいいと思うんだけどね。
消耗した戦力、来ない補給。弾は少ないし、何よりも数が違う」
気がつけば草薙は霞の胸倉を掴み、思い切りぶん殴ってやろうと拳を構えていた。
霞はそれを見ても眉一つ動かさない。冷たく、突き刺さるような視線で草薙を見ていた。
そして、彼はこう言った。
「じゃあ、死にたいのか?」
その一言に草薙は凍り付いた。
さっきまでとは声色が違う。違いすぎる。
まったくの別人と思わせるように、冷淡で嫌というほどはっきりと聞こえる。
ふざけた印象は感じとれないし、なにより、怯えている自分がいた。
「今の状況は、悪化することはあっても良くなることはない。俺の予測だと、あと三時間もすればここは完全に制圧される」
草薙も同じことを思っていた。
支援部隊が来ていればもう少し保っただろう。それでも、負けることに変わりなかった。
だが、目の前の少年は勝つ気でいる。
戦力差のはっきりとしたこの戦いに。
「死にたくない、早く家族に会いたいって本気で思ってる奴は俺に従え。やる気のない屑はここで滅べ」