貧乏令嬢はドレスを買いたい
私、シンシア・メイルはニーベルン国の歴史ある子爵家の令嬢だ。一応。
しかし、うちの家計は私が物心つく前から火の車のようで、日々食べる物にも事欠いている。
肉など年に数回しか口にできないし、普段もせいぜい固いパンと庭で取れた野菜のスープぐらいしか出てくることはない。そのせいか、私はガリガリの痩せっぽちで、頬も痩けて、髪も艶もなくボサボサだ。
……そんな外見なので私は一欠片の自信も持てず、好きな人にも告白できずにいる。幼馴染のロト・ガウェイン。私は七歳で彼に出会った時から、ずっと片思いのままこの十年を過ごしてきた。
「ロト様よ!本当に素敵ね」
「まだ婚約者がいらっしゃらないんでしょう。お父様にお願いしてるのだけどライバルが多すぎて」
「そりゃ王国で最も強く、美しい男性と呼ばれてるのですもの。伯爵家でいらっしゃるけど、代々騎士団長を輩出する家系でしょう。ご結婚には王様の許可も必要らしいわ」
「王様の又甥なのでしたっけ。ロト様のお母様である伯爵夫人が王様の姪であられるそうよ」
「伯爵家でよかったわ!公爵家などでしたら身分差がありすぎますもの。王家の血を引く高貴な方でも伯爵家なら私達にもチャンスはあるでしょう?」
「そうでもないわ。高位貴族の御令嬢からも申し込みが殺到しているのですって。まだ他国の王族が口を出せないだけマシだけど。あの美貌なら望まれる姫君もいらっしゃるでしょうね。でも騎士団長に他国の縁ができるのは不味いから、国が止めているという噂よ」
ロトは騎士科の二年生だが、学園で、いや国の中で最も人気の高い独身男性と言っても過言じゃない。だって、本当に美しい顔をしてるの。初めて会ったのは彼が「白皙の美少年」と呼ばれていた頃なのだけど、辞書を読んで納得したわ。
サラサラの黒髪を顎のところで切り揃えていて、首を傾げると艶が広がって揺れるの。肌の色は白く、長い睫毛に縁取られた大きな蒼い瞳がキラキラと輝いていた様子がまだ目に焼き付いているわ。
大きくなって、髪は短くなってしまったけど、剣を振るうたびに揺れる艶やかな前髪も、鋭さを持ちながら輝く美しい瞳も、彫刻のように美しい鼻梁と共にますます彼の美を際立たせている。
令嬢たちに紛れてぼんやりと教室の窓から彼の訓練の様子を見る。学生ながら昨年国の剣技大会で優勝した彼は、圧倒的な技量を誇るのだけれど、それは子供の時からの厳しい訓練の上に成り立っていることを、間近で見てきたからここにいる誰よりも知っているつもり。
私の父は彼の父の友人で、よく父に連れられて彼の家に訪れたものだった。
女の私はぼんやりと彼が一人剣の練習をする姿を眺めるだけだったけど、その熱心な姿に時間を忘れるほど見惚れていたわ。
そんなことを思い出していると不意にロトと目が合った。そしてニッコリと笑いかけてくれた。
「キャー!今目が合ったわ!微笑んでくださいましたわ!」
「あれは私に向けたものよ!ああ、ロト様の笑顔、なんて素敵なんでしょう……」
隣の令嬢達が騒ぎ出した。本当に私にじゃなくて彼女達に向けたものかもしれない。私はロトの方を見直さないまま教室の奥に引っ込んだ。
私には今悩みがある。今年から二年生になったのだが、五月のデビュッタントで着るドレスが買えないのだ。母のお古を着ようと思ったが、母は小柄で私はヒョロ長い。丈が合わないのよね。
大は小を兼ねるけど、小を大にするのは難しい。母は継ぎ接ぎするつもりのようだけど、そんな無様な格好で出るくらいならいっそのこと出たくない。
そう言うと、こっ酷く叱られたけど、そもそも年頃の娘にドレス一枚も買えないうちの家計が問題よね!
二十数年前に領地で飢饉があって、その時の借金の返済の所為らしいのだけれど、こんなに苦しいなら国に領地を返上すれば良いのにと常々思う。
メイル家は公爵家の流れを汲む家柄で祖父は公爵家の三男だったそうだ。曽祖母は王族だったらしい。
子爵としての爵位と領地を曽祖父から譲り受けた祖父だったが、その土地は寒冷地で痩せており、度々民が飢えることがあったようで、二十数年前に大飢饉が起こり、莫大な借金ができてしまったらしいのよね。
金鉱山を所有する領地なので、やりようによっては挽回出来そうだけど、のほほんとしたうちの両親には改革は難しそう。弟に期待したい所だけど、あの子はまだ学園にも入学していない子供だ。私のデビュッタントには間に合わない。
来月から春休みがある。魔物が増える頃で、領地持ちの貴族達の多くが自領に帰るので、一ヶ月と長い。何とかその間に割りの良い仕事を見つけてドレスを買う資金を貯めたい!
でもコネも特技も特にない。
魔法が使えるけど、風魔法が中の中程度だ。光魔法なら、治療院で雇って貰えるかもしれないけど、風魔法なんてあまり需要がない。せいぜい庭掃除ぐらい?
私はため息を吐きながら、高位貴族の求人が貼り出される掲示板を眺めた。
メイド見習い、護衛、ベビーシッター……。
色々あるけどどれも予算には届かない。やっぱり継ぎ接ぎだらけのドレスを着るしかないかと思った時、ある貼り紙を見つけた。
『風魔法使い求む!春休みに辺境で魔物狩りに参加出来る方。魔物を探知する仕事です。戦闘能力は無くても大丈夫です。初心者歓迎。日給一万ギル保証。歩合により高額報酬も可能。※ギルドに登録願います。』
一万ギルなら、一月で少なくとも二十万ギル以上は稼げるだろう。ドレスを買うには十分だ。
「これだわ!」
私は貼り紙を掴んで、急いで募集主のところに走った。
「あのランス・ローデル様はいらっしゃいますか?」
募集主は一年生で辺境伯の嫡男だった。
クラスメイトらしいピンク髪の女の子に恐る恐る声をかける。
「あらその紙。風魔法使いの方ですね。ランス!」
その声に振り向いたのは強面の身体の大きい男子生徒だった。きっと彼がランス・ローデルなのだろう。
ちょっと怖い……。早まったかしら。
私の心配を他所にランスは意外に気さくだった。先ほどの女生徒はランスの婚約者のアリシア・エルメ嬢だそうで、私はテラスで二人から説明を受けた。
「辺境では毎年、三月半ばから大規模な魔物討伐を始めます。冬の雪解けに合わせてお腹を空かした魔物達が鳥獣や人間を襲いだすので。その際、風魔法を使って探知をするととても効率が良いのですが、風魔法使いの数が揃わなくて。後方支援ですから、女性でも大丈夫ですよ!私もいつも参加してますし!」
アリシアが明るくそう言った。
最初の数日はアリシアがついて指導してくれるそうだし、こちらの事情を話すと、滞在先もアリシアの家に泊めてくれると申し出てくれた。
よし、頑張って稼いでドレスを買うぞ!
……だって、せめて、一度ぐらいはちゃんと綺麗にした私をロトに見せたい。
来年は卒業だ。彼も今年中に婚約者を見つけるだろう。
彼が誰か別の人のものになるのだとしても、心の片隅にでも、ちょっとでも綺麗な私を覚えていてほしいのだ。それがただの自己満足に過ぎないとしても……。
「ぎゃーーーーー!!!」
怖い!怖い!怖い!
私は今蹲って冒険者たちと魔物の格闘が一秒でも早く終わるよう祈ってる。
辺境にやってきて今日で三日目だ。昨日はアリシアに連れられ、探知をやってみた。
一応授業でも習ってはいたが、思ったよりも簡単に、そして正確に探知できたので、今日からアリシアと別行動になった。
アリシアは、私に風魔法の戦闘応用についていくつか伝授してくれた。
旋風を作って、相手を巻き上げる、又は小石などを巻き上げて相手を傷つけるとか、真空状態を作って相手を窒息死させるとか、怖いのは相手の肺の中の空気を膨らませて、内臓破裂させるとかね!
アリシアは可愛い顔してもうすぐA級冒険者になるという。その戦い方は瞬殺に近いらしく、ランスと二人きりで一日に何十頭もの魔物を狩ることもあるそうだ。
私のような素人で魔力も中レベルでは真似できるわけないわよね!?
「大丈夫ですよ!まず探知優先ですね。出来たら旋風を起こして魔物を怯ませてくださったら有り難いですが、無理はしなくて良いです」
アリシアはそう言って爽やかに微笑んだ。
それを信じ、探知頑張ったのよ!そして正確に特定できた結果が目の前で繰り広げられている血みどろの戦いだ。
角が生えた熊のような巨大な魔物が血塗れになりながら暴れている。
それを囲む三人の冒険者たち。確か名前は、ギル、ジャック、エディだ。
「ジャック!回り込んで後ろから切り裂け!エディ、熊が仰け反ったら首に向かって矢を放て、俺は腹を狙う!」
リーダーらしきギルが、二人にそう言うと、あっという間にジャックが後ろに回り込み背中を切り裂く。
仰け反った喉元に矢が刺さり、剥き出しになった腹に剣が突き刺された。
「グアアアアアア!!!」
断末魔の叫びを上げ、巨体が轟音とともに地面に沈んだ。
結局、私は終始叫びっぱなしで戦闘には一ミリも役には立たなかった。
「あー流石に刃が零れたな」
ジャックさんがそうつぶやいた。この熊もどきは背中の皮がとても厚いらしく傷をつけることが出来た時点で、相当な衝撃を負ったのだろう。
私は躊躇いながらも声をかけた。
「あの、良かったら見せてください」
「あー、良いけどよ。結構重いぜ?」
言葉の通りズッシリ重い刀身に私の身体はよろめいた。
「大丈夫です。危ないのでちょっと下がっててください」
私は水と砂を用意し刀身に振りかけた。
風魔法を細かく駆使して刃に磨きをかける。
これはうちで包丁を磨く時にいつもやっている魔法だ。
昔は何度かロトの剣もこれで磨いてあげたなあ。
ロトは練習熱心だったせいで剣の刃こぼれをよく起こしていた。普段は見ることしかできなかったけど、剣磨きだけは私がロトにしてあげられる唯一のことだった。
「はい。できました。とりあえずある程度切れ味は戻ったと思います」
「スゲー!魔法ってこんなこともできるんだな!ありがとよ!」
ジャックさんがとても喜んでくれたので、私もなんとか面目躍如できた気がして、気持ちが楽になった。
その日は順調に更に三頭の魔物を倒し、無事終了となった。
最後の方では私の風魔法で魔物の足元を狙って転ばすくらいはできるようになり、ギルさん達も随分楽に倒せたと言ってくれた。
この調子なら、アリシアみたいに効率的にガンガン魔物を倒していくのも不可能ではないかも!そうしたら、お金も沢山稼げて、ドレスが早く買えるわ!何よりも魔物肉が意外に美味しいことを辺境に来て知ってしまった。
ここに来てから毎日肉の食事にありつけている私は、もうあの実家の貧乏食には戻れない!
よしガンガン魔物を倒して、お肉代も稼ぐぞ!
「シンシア様はとても美味しそうに食べてくださるから作りがいがありますわ!」
ニコニコと塊肉を煮込んだシチューを食べる私にアリシアのお母様が声をかけてくれた。
彼女、ユリアさんは平民らしく、姓はない。アリシアのお父様がエルメ子爵令息で、ユリアさんと結婚する時に廃嫡されたらしい。
アリシアは平民として育ったけれど、ランスと恋仲になったので、祖父のエルメ子爵が引き取り、貴族籍を得たそうだ。
「母さんの料理は世界一だもの。シンシア様、たくさん食べてくださいね!」
「ありがとうございます。でもあんまり食べたら胃がびっくりしちゃうから……」
私は、喋るつもりはなかったうちの家の台所事情を二人に話してしまった。
肉入りのシチューを贅沢に思う貴族なんて珍しかったようで、二人ともとても心配してくれた。
「可哀想に……。じゃあお家のためにこの討伐の仕事を引き受けてくださったのですか?」
「いいえ、ドレスを買うお金が欲しくて……」
「ドレス?」
「ええ、五月のデビュッタントで着る白のドレスです。母のドレスでは着丈が足りなくて」
「まあ、素晴らしいですね!もう予約はされましたの?」
「いえまだです。本当にお金を用立てられるかわからないですし」
本当は早く仕立て屋に行かないと間に合わないのだが、白なら既製品もあるのでそれで間にあわせるつもりだった。
「では今度仕立て屋にご案内しますわ。私の幼馴染が仕立て屋で辺境にしてはとてもセンスがあって人気なんです」
「レイさんね。あれは奥様のお陰よね。とてもお洒落でいらっしゃるもの」
奥様というのは辺境伯夫人のことだろう。確か、とても力のある侯爵家の三姉妹の末っ子で、三人とも社交界のファッションリーダーと目されていたはずだ。
「でも私、まだ頭金も払えないです」
何しろ今日やっと稼ぎ始めたばかりだ。毎日現金でもらえるけど、歩合分を含めても全く足りない。
「大丈夫ですよ!お代は受け取りの時でももちろん大丈夫ですし、なんなら割賦でも受けさせますから!任せてくださいまし」
「……あ、ありがとうございます……」
ユリアさんの言葉は頼もしく響いた。ありがたいわあ……。
既製品もあまりギリギリだと売り切れるかも知れないし、ちょっと不安だったのだ。
翌日の仕事終わりに、私はユリアさんとアリシアに連れられ仕立て屋に行った。
「ようこそおいで下さいました!まあ、スラリとした素敵なお嬢様!どうぞお楽になさってくださいまし!」
王都から遠く離れた町にあるとは思えない、とてもセンスの良いドレスが並んだ煌びやかな店に緊張してしまう。やや猫背気味でオドオドとした姿が鏡に映り、あまりにも場違いで逃げ出したくなった。
「あらあら随分細身でいらっしゃいますね!もう少し肉をつけたらきっとドレスが映えて見違えるに違いないありませんわね」
「じゃあ今夜から徐々に増やしていかないとね」
ユリアさんが頼もしく頷く。これ以上美味しい物出されたら、私王都に帰れない自信があるわ。
「背が高くていらっしゃるから、腰の膨らみを抑えて裾を広げていくようなデザインがよろしいと思いますわ」
レイさんはサラサラとデザインを描きあげる。あっという間に素敵なドレスの絵になった。
それから辺境での生活は順調で、魔物討伐も要領良くこなせるようになったし、目標額にも無事到達した。仮縫いも終わり、残り一週間で実家のお肉代を稼ぐぞと意気込んでいた週末、食事に来たランスが爆弾を投下した。
「ロトの婚約が決まったらしい。結納用の魔石を依頼して来たぞ」
ロトってロト・ガウェイン!?私は耳を疑った。
「二年生のガウェイン様?ランスが一度も勝ったことがない人ね。えっ誰と?」
アリシアが意外そうに聞き返した。
ランスはその言葉にバツが悪そうに頭を掻いた。
「お前な……、どういう覚え方だよ。相手は知らん」
「え〜。気になるじゃない。何しろ国で一番のハンサムでしょ」
私はそんな二人の軽口をほとんど耳に入れることができなかった。まさかデビュッタント前に婚約が決まるなんて……。突然の失恋に涙も出ない。
「手紙に、シンシア様によろしくとあったよ。幼馴染だそうですね」
急に話を振られて、口籠る。
「……あの、えっと、そうです……。親同士が、あの友人で……」
「じゃあ、俺達と一緒ですね。アリシアの父は親父の親友だったそうなんで」
「私たちは幼馴染みなんて可愛いものじゃなかったわ」
微笑みかけるランスにアリシアが不敵な笑みで答える。
「お前なあ……!」
そのまま二人は側から見たら口喧嘩のような軽口を叩きあった。
「やれやれ、シンシア様申し訳ございません。この二人はいつもこうなんです。アリシアも気が強くて……」
呆れたように二人を見つめながらそう言ったユリアさんに私は慌てて首を振る。
二人がお互いを信頼しているからこその、このやり取りなのだろう。ロクな会話もなかった私とロトとは全く違う。
私はなぜもっと彼と会話を重ねなかったのだろう。いつも見ているだけしかできなかったのは何故だろう。ロトはいつも嫌になる程冷静だけど、優しく礼儀正しい人だ。きっと私から話しかければ応えてくれたはずだ。
……後悔してももう遅い。彼はどこかの幸運な女性のものになるのだ。
「まあ!とてもお似合いですわ!」
ついにドレスが出来上がった。光沢のある白のドレスにたっぷりとしたドレープが身体のラインをより美しく見せてくれる。胸元と裾には柔らかで毛足の長いファーとフェザーがあしらわれており斬新だ。
痩せっぽちだった私の身体もこの一月で少し女性らしいまろみを帯びた。
顔色も健康的になってドレスに負けてるというほどでもなくなったと思う。
……最大の問題は見せる相手がいないということだ。ロトは婚約したてならきっと婚約者にかかりきりだろう。私の姿なんて視界に入ると思えない。
「……シンシア様、どうかなさいました?」
アリシアが私の顔を覗き込んだ。
「あっ、いえ大丈夫です。あんまり綺麗なドレスなので気後れしてしまって……」
私は誤魔化すように笑った。……ちゃんと笑えてると良いのだけれど。
「シンシア様、とても素敵です。……これ、ドレスに合わせて作りました。私とランスからのプレゼントです」
アリシアはそっと箱を取り出した。中にはフェザーをあしらったイヤリングがあった。蒼い石がロトの瞳の色とよく似ている。
「これは……」
「一ヶ月ありがとうございました。シンシア様の幸せを願っています」
白い羽と蒼い石はどちらも幸運を招くものとされている。
「……ありがとうございます。私こそ、お世話になったのに何のお礼の用意もしてなくて……」
「良いんです。これは私たちの気持ちです。辺境はいつでも貴女を歓迎します。……いつか大切な方と一緒にいらして下さいね」
アリシアは少し潤んだ瞳でそう言った。私はそんな日が来ることが想像できなかったけど、またここに必ず来ようと心に決めた。
振り返って考えると、きっと彼女たちは知ってたのだろう。
私が実家に帰って受ける衝撃的な事実を。
だって羽も蒼い物も考えてみれば、伝統的にあれを祝う物だ。そう「結婚」を。
「ただいま帰りました」
私が屋敷に戻ると気持ち悪いくらいニコニコとした両親が出迎えてくれた。ただならぬ雰囲気に怖気付いていると父様が爆弾を投下した。
「お帰りシンシア!ガウェイン家のロト様との婚約が決まった。突然だけど明日あちらの家に挨拶に行くからそのつもりでね」
えっ誰が?誰と?
「は?ロト様の婚約が決まったからお祝いに行くのですよね?」
私は耳にしたことを聞き間違いだと断じた。
「嫌だなシンシアとロト様との婚約が決まったんだよ。良かったね!幸せにね!」
軽い口調の父ではラチが明かないので、私は母を見た。やはりニコニコと笑っており、気持ち悪い。
私は深呼吸して慎重に言葉を発した。
「……なぜ、そんな話に?いくら何でも急すぎませんか?」
「ガウェイン家がウチを援助してくれることになってね。ロト様の結婚相手もそろそろ決めなければならないそうで、なら幼馴染みだし、シンシアが丁度良いと向こうが仰ってくださってね」
「ガウェイン家が!?でもロト様が御納得される訳がないわ!」
「ロト様は喜んでくださったよ〜。いやはや、シンシアは幸せものだね!」
信じられない!ロトが私との結婚を喜ぶなんてあり得ないわ……。だってあんなに美しい方々に思われてるのに……。
私は俯いてそれ以上言葉も出せずに自室に入った。
ロトは優しいから、きっと伯爵の命を素直に受け止めたのだろう。うちを助けようと考えてくれたのかもしれない。……つまりは同情だ。
私はあまりにも惨めで涙が止まらなかった。そのまま扉の前から動けずしばらく泣いていた。
翌朝、シャワーと母の治癒魔法である程度引いたけど、まだ目はやや腫れぼったかった。それでもなんとか化粧で誤魔化し、一張羅の訪問用ドレスを着て身嗜みを整えた。
肉肉生活のお陰で肉付きが良くなったせいで、少しキツかったけど、今までの痩せすぎでブカブカだった姿に比べて、鏡に映る私は多少は女らしく見える気がした。
「あら。女性らしくなってきたわね。綺麗よ」
母が、少し驚いたようにそう言ったが、身内の贔屓目だろうと曖昧に笑って受け流した。
綺麗と言うにはまだまだ遠い。
枯れ枝が人間に変わった程度のものだと思う。
今日は時間もないけど、デビュッタントの時はもっと頑張ろう。せめてちょっとは可愛いと思ってもらえるように。
ガウェイン邸に両親と三人で向かった。
予め馬車を頼んであったので、予定時間通りにガウェイン邸に着いた。
「やあ、シンシア嬢!このたびはガウェイン家に嫁いでくれることになって本当にありがとう!これで当家も安泰だ!」
「本当に。シンシアさん、私たちは貴女が娘になってくれることになって本当に嬉しいわ」
温かく迎えてくださった伯爵ご夫妻の後ろに、パーフェクトに格好いいロトがニコニコと立っていた。
私は罪悪感で泣き出しそうになった。
ごめんね!うちが貧乏なせいで、ロトの人生を狂わせてしまって!
私はこの優しいご家族に何を返せるのだろう……。
「シンシア、婚約を受けてくれてありがとう。早速だけど、庭で二人で話そう」
ロトがにこやかに手を差し出してくれた。私は「はい」と小さく頷いてその手を取った。
ガウェイン邸の庭にはキングサリのトンネルがある。黄色の小さな花が揺れるその中をゆっくり歩く。
木漏れ日がロトの白い肌を煌めかせ、いつも以上に素敵に見える。
「……久しぶりだね。辺境はどうだった?」
あの楽しい日々が鮮明に脳内に蘇る。
「……皆さんとても優しくて、とても素敵な所だったわ……」
「魔物狩り、危なかっただろ?無事に帰って来てくれて良かった」
「魔物狩りは怖かったけど、とてもやりがいがあったわ。冒険者の人たちはとても強くて、頼りになったし……」
出会ってから初めてぐらいに会話が弾んでいる。辺境での思い出はいっぱい語りたいことがある。あの一月は私の人生に大きな影響を与えてくれたのだと今実感する。あの辺境で、私は自信と、仲間と、ドレスを得た。それを思うとロトの横に立つことが思っていたよりも怖くない。
ただロトにもっと私を知ってもらいたいと思った。
トンネルを抜け、四阿に辿り着き、私たちは椅子に座った。お茶とお菓子が用意されており、何とロトが自らサーブしてくれた。
私はお茶をいただきながら、ロトに辺境であったことをたくさん話した。初めての狩り、アリシアさんの家で過ごした話、ドレスのこと。
夢中で話す私にロトはずっと優しい眼差しを向けて一生懸命聴いてくれた。
一通り話し終わって、今度は私が聞いてみた。
「ロト、ごめんなさい。こんなことになってしまって。……貴方には私なんて相応しくないのに……。誰かもし他に良い人がいるなら、今ならまだ間に合うから遠慮せずに言って欲しいの」
私からは断れないから、嫌ならロトからはっきり断ってもらう必要がある。
でも優しいロトはきっと自分の本心なんて簡単には教えてくれないだろう。今真剣に話さないと。
ロトは困ったように少し笑って言った。
「シンシア、俺はこの婚約を心から喜んでるよ」
「そんな!私なんて、どうして……」
「……俺が人見知りで口下手なのは、シンシアが一番よく知ってると思うけど」
ロトは少し目を伏せて言った。
「俺がグイグイ来る女性が苦手なの知ってるだろ?」
そうだった。ロトは穏やかで、女性にはいつもニコニコと笑って接してるけど、あまり会話を続けることはない。今日だってこんなに話が弾んだのはこの十年で初めてだ。
つまり、口下手。……女性から寄って行っても、いつもさっさと切り上げてどこかに行ってしまうと評判だ。
「……そろそろ婚約者を決めないといけないと父に言われて、思い浮かんだのがシンシアだけだった。シンシアなら黙っていてもそばにいてくれるだろ?」
ロトが叱られた子供のように眉根を寄せてそう言った。でもその目は私を真っ直ぐ見てくれている。
「考えてみると俺が素でいられる女性は、昔も今もシンシアだけなんだ。……また剣を磨いて欲しい。昔みたいに」
ロトの練習を何時間も黙って見ていたあの頃のことが思い出される。確かに言葉なんかなくてもとても自然で穏やかな時間だった。
「……じゃあ、おじさまに無理矢理命ぜられた訳では無いの?」
「誰かいないのかって言われて、シンシアとならって俺が言ったんだ。……これ、遅くなったけど、婚約の贈り物だよ」
そう言ってロトはペンダントの入った箱を取り出した。ランスが言ってた魔石だ。ロトの瞳と同じ色をしている。
「シンシア、俺と結婚して一緒に人生を歩んで欲しい。……こんな口下手な男は嫌かもしれないけど、それでも良ければこれを受け取って」
目の前には不安そうな顔をしたレアなロトがいる。信じられないけど、彼自らが私を望んでくれたと言うのだ。
「……口下手はお互い様よ」
「辺境では結構お喋りだったって聞いてるよ」
ロトが可笑しそうに笑う。
ランスめ!ペラペラと喋ったな!油断も隙もない。
「ランス様とロトが仲が良いなんて知らなかったわ」
「彼とは古い付き合いでね。何度も手合わせしているけど、いつも俺が勝ってるんだ」
そう言えばそんなことをアリシアが言ってたわね。
はぐらかすような私にロトが痺れを切らしたようにその手を私の手に重ねた。
「シンシア、返事が欲しい。……それともこんな気の利いた会話もロクにできない男はやっぱり嫌か?」
ロトは思いの外口下手を気にしていたらしい。不安そうなその目が切なく私を見つめる。
私はその顔に見惚れた。やっぱりこんなに美しい男性の相手が私なんかで良いのだろうか。
「……私、辺境で思ったことがあるの。どうして私はもっとロトと沢山話をしなかったのだろうって。ロトが女の子達に囲まれるのを見る度に、どうして私は近づけないんだろうって……」
私は俯いて言葉を紡いだ。
「私は臆病で、自分に自信がなくて、ロトに相応しくなんて……」
「シンシア!それは違う!臆病なのは俺の方だし、俺はいつも穏やかで凛としたシンシアに憧れてたんだ!」
「相応しくなんてない」と言おうとした私の言葉を掻き消すようにロトが強くそう言った。顔を上げると真剣な眼差しを向けてくれる大好きな顔が間近にあった。
「シンシア。君は、君だけはいつも穏やかで、変わらずに俺に接してくれたんだ。それが俺にとってどれだけ救いだったのかわかるかい?顔しか見てない女性や、やっかみだらけで喧嘩腰の男どもや、俺を見ずに情報だけで判断するような大人たちばかりだった。……君以外は。君は、君だけはずっと変わらないでいて……」
懇願するようなその言葉に胸を掴まれたような気がした。
「……私なんて、ただの弱虫よ」
「弱虫は辺境の魔物狩りなんか参加しないと思うよ。君が参加することになったと聞いたときには耳を疑った。……でも俺のシンシアならあり得るなって」
ロトがクスクスと笑う。えっ今爆弾発言をサラリと言ったけど、「あり得る」って何よ!
「何で『あり得る』のよ!」
「だって俺と父の激しい剣をいつも怖がらずに見てたじゃないか。初めて会った日も肝の据わった女の子だと、父も感心してたんだよ」
何だか褒められている気がしないのはなぜだろう?きっとニヤニヤ笑う(珍しく)意地悪そうなその綺麗な顔のせいだ!
「……褒められた気がしないんだけど」
「褒めてるよ!それでこそガウェイン家の嫁に相応しいさ!」
自信たっぷりのロトが胸を張って言う。
……これは同情なんかじゃなくて素直に私自身が求められたと思っても良いのだろうか。
その疑問が私の気持ちと溶け合って自然に言葉が口から出た。
「……私、初めて会った時から、ずっと貴方が好きだった。でも同情で婚約してくれたんじゃないかと思って辛かったの。……本当にロトが私を選んでくれたの?」
「シンシア、俺が君を求めたんだ。俺も初めて会った時からずっと好きだよ」
そう言って私の手を取ってそっとキスしてくれた。
「もう一度聞く。シンシア俺と結婚してくれないか」
私はこくりと頷いた。
「はい。喜んで!」
その言葉を受けて今まで見たことがないほど満面の笑みを浮かべたロトと、やはり笑っている私がいた。
デビュッタントの日、髪を整え、化粧をし、レイさんのドレスを着て、ロトのペンダントとアリシアのイヤリングをつける。
鏡の中には私史上最高に可愛いと自分でも思える私がいた。
ロトが迎えに来てくれることになっている
のだけど、どんな言葉をかけてくれるだろうか。いや、口下手にあまり期待しない方が良いか。
部屋で待っていると、ロトが迎えに来たと母が呼びに来た。
吹き抜けのホールに正装したロトが佇んでいる。
私はドレスの裾を片手で上げて、もう片方の手は手すりに添えて、ゆっくりと階段を下りた。
ロトの顔を見つめながら。
私に気づいたロトが顔を上げた。じっとこちらを見る。恥ずかしくて目を逸らしたくなったけど、やはりいつもと変わらず美しいその瞳に私も釘付けになった。
「……迎えに来てくれてありがとう」
「いや……、そんな。……ごめん、信じられないくらい綺麗で言葉が出ない」
そう言って固まったようにまじまじと私の顔を見てくるので、いたたまれなくなってしまう。
……綺麗なのはそっちの方でしょうよ!
「……これぐらい盛らないと貴方の横に立つには勇気が出ないのよ!」
「シンシアは前から綺麗だったよ。背も高くて、俺とピッタリだってうちの親達もいつも言ってるさ」
普段の調子を取り戻したようで、やっといつも通りのロトがそう言った。
口下手と言いながらサラッと持ち上げてくるからむず痒いわ!きっと今私は耳まで赤い。
「さあ、行こう。俺の婚約者殿」
「よろしくお願い致します。私の婚約者様」
私たちは腕を組んで家を出た。
デビュッタントは王宮で行われる。
低位貴族の女性にとって、滅多にないチャンスで浮かれてしまう。
そんな中、私は王国一のハンサムの婚約者というものがこれほど注目を集めるものかと今痛感しつつあった。
だってすれ違う人、すれ違う人、皆が私たちを見てビックリしたように目を見開くのよ。
女の人は睨んでくるし怖いわ!
私は思わずロトの腕に添えた指に力を込めた。
すぐにロトのもう片方の手が私の強張った指を包んでくれた。安心させるようにポンポンとさすってくれる。
「大丈夫、俺が付いてる。今日は絶対に手を離さないで」
そう耳元で囁いてくれたから私の心は少し強くなった。魔物狩りより緊張するけど、今日は最高の味方がここにいるのだ。嫉妬ややっかみの視線ぐらい受けて立ってやる!
「ありがとう。私、頑張れそう」
「頑張らなくても良いから俺だけを見てて。ほらあんまり君が綺麗だから、男達の目の色が変わってるんだ」
それは貴方の贔屓目だと思うけど!
ロトの婚約はもう知れ渡っているそうだから、好奇の目なだけだと思うけど!
「……ひゃあ!」
小声だったけど変な声が出てしまった。ロトが組んでいた腕を解いて。私の腰を抱えるようにして自分に寄せた。ちょっと突然やめて!密着しすぎて心臓破裂するわ!
「ちょっと!やだ!離してよ」
「駄目だ。君が俺のだって見せつけないと!」
ロトは戦いに挑むような真剣な表情だ。とてもこれからダンスを踊るような甘い雰囲気ではないけど、ロトらしいかもしれない。
王様の言葉が始まりを告げ、王太子殿下とその婚約者がファーストダンスを踊る。その間もロトの手はずっと私の腰にあり、私たちは密着したままだった。
私の羞恥心メーターが百を超える頃、やっとダンスができるようになった。超絶美形の顔をずっと見つめさせられた私の脳は蕩け切って、もう彼しか目に入らない。
結局二曲続けて踊ったあとは、ロトに連れられるまま自分が誰と喋ったのかもよく分からないけど、なぜか会場にいたランスとアリシアに祝福されたことだけは覚えている。
王国一のハンサムの婚約は大きな衝撃だったようで、その後絡まれたり、嫌味を言われたり、泣かれたり大変だったけど、その度に颯爽と現れるロトがいつも私を守ってくれて、そのあまりの過保護ぶりにいつの間にか周りも私をロトの唯一だと認めてくれるようになった。
婚約から半年経った今は私をじゃなくてロトをランスが揶揄うぐらいだ。
軽口を叩き合う男達二人の横でアリシアさんとお喋りする。
「シンシア様!幸せそうで良かったですね!」
「これもアリシア様を始めとした辺境の皆様のお陰です。ありがとうございます」
あの経験がなければ私は今ロトの横に立てなかっただろう。あのドレスが私に勇気を与えてくれたのだ。
それに辺境からは今も度々お肉が送られてくる。冒険者仲間のジャックさん達や、ユリアさんが肉好きの私を思って贈ってくれるのだ。お陰でうちの食卓事情は大幅に改善した。
うちの家はガウェイン伯爵家の協力で金鉱山事業の改革に本格的に着手し始めた。今年中には軌道に乗る見込みなので、きっとお世話になった皆にお礼ができるのも、そう遠くないと思う。
そう言うと、アリシアは笑って言った。
「言ったでしょ、『いつか大切な方と来てください』って。ランスが唯一勝てないロト様と二人で魔物狩りに来てくださったら、それだけで十分お釣りが出ますよ!」
あれはそういう意味だったの!?
また春になったら辺境に行こう。
あのちょっと怖いけれど、刺激的で幸せなあの場所に。今度は私の「大切な人」を連れて。