シュラバッドエンドラブ 体験版
「あの子とは別れて」
報告に訪れた彼女の部屋で、僕はそんな言葉をかけられた。
「な、なんで…」
「決まってるでしょ。伊織じゃ桜と釣り合わない。それは他でもない、伊織が一番分かっていたはずじゃないの」
それは分かっていた。だけど、諦めることができなかった。
なにもしないうちに彼女が他の誰かに取られるなんて、それだけは嫌だったから。
後悔だけはしたくなかった。
「だから別れなさい。それがお互いにとって、一番いい結末なんだから。いい夢見れたって、そう思えばいいじゃない。桜も納得するはずよ」
だから僕はなけなしの勇気を振り絞って、ただの幼馴染という関係を変えたくて、桜に告白したんだ。
そのことを目の前にいる女の子も分かっていたはずなのに。
彼女もきっと喜んでくれると、そう思って報告にきたっていうのに…!
僕は震える身体を抑えみ、口を開いた。どうしても聞きたいことができたから。未だ信じられずにいる現実に、歯向かいたかったんだ。
「なら、なんで凛は僕のことを―――」
応援してくれるだなんて、言ったんだよ。
僕は困惑しながら、目の前の少女―――九条凛を見つめることしかできなかった。
僕には好きな人がいた。
いつから好きになったのかは分からない。多分ずっと昔から好意自体は持っていたのだとおもうけど、改めて意識するようになったのは彼女の人気が高まってきた中学の時だった。
改めて言葉にすると情けないけど、他の男子が彼女の話題で盛り上がるようになってから、呑気な僕にもようやく危機感が生まれたんだと思う。
もっともその時にはもうその子との間には大きな溝があり、いろいろと手遅れになっていたのだけど。
僕がそのへんに生えている雑草だとすれば、彼女は手の届かない場所に咲く大輪の花。高嶺の花といってもいい。手を伸ばしても手に入ることのない場所に今の彼女は確かにいた。
僕と幼馴染である女の子、西園寺桜の間には目には見えない、だけどとても大きな壁が確実に存在していたのだ。
桜は昔からとてもよくできた子だった。
ひとつ下の妹の面倒をよくみていたし、頼まれごとにもふたつ返事で引き受け、人の悪口も決して言うことはない。誰に対しても優しい態度を崩さないことからも人柄の良さは明らかで、聖人君子とは桜のためにある言葉なのではないかと密かに思っているくらいだ。
内面の良さに釣り合うように容姿も非常に整っており、顔立ちも芸能人やアイドルだって負けてはいない。いや、むしろどんな画面の向こう側の住人だって桜には敵わないと僕は本気で思ってるし、事実街を歩けばスカウトの話が後を絶たないと風の噂で聞いたことがあるくらいだ。事実中学の頃もよく声をかけられていたことを思い出す。
腰にまで届くほどの黒髪はまるで濡れた羽のように美しい色を放っており、見る者を自然と惹きつけた。温和な性格そのままに、少しタレ目がちだけど精密な人形のように配置された顔のパーツは神様に愛されて生まれてきたとしか思えない。手足だってスラリと長く、運動神経も抜群。さらに性格もいいとくれば、もはや文句のつけようもない。
完璧すぎるほど完璧な美少女。それが西園寺桜だった。
実際僕らが通う高校でも彼女の人気は非常に高く、その容姿の良さも相まって天使だとか女神だのと持ち上げられており、少し気恥ずかしそうにしていたのも知っている。
穏やかな桜からすれば、やはりそうして持ち上げられることには慣れていないのだろう。
そういう慎ましいところに僕は好感を覚えていたのだが、それは他の男子も同じだった。カースト上位の男子は積極的に彼女に声をかけて印象をよくしようと必死だったし、陽キャと言われるようなコミュニケーションに自信のある彼らはその能力を活かしてよく放課後になるとグループを形成して街へと遊びに繰り出し、確実に桜との距離を縮めていった。
それに対し僕はどうだろう。成績運動とも平均。身長だって人並みだ。容姿はそこまで悪くないとは思っているが、それを活かせるほど僕のコミュニケーション能力は高くない。せいぜい並かそれ以下だろう。特技もなければ人より秀でたところもまるでない、客観的にみて凡人止まりのただの人。
それが僕、神代伊織の直視せざるを得ない現実。どう足掻こうと僕では桜に釣り合わないのは明白だった。
それでもそう簡単に諦めることができるほど、僕は諦めのいい性格ではなかったらしく、いろいろ方法を模索しては上手くいかず、ため息をつくのが半ば日常と化している。こういった自己分析もその一環だ。
僕が他の人より一歩リードしているところがあるとすれば、それは桜の幼馴染であるという一点のみ。それだって絶対なものではなく、むしろ長い付き合いであることから、下手をすれば男として見られていない可能性もある。
他の男子より気安く話してくれるからといって、これはイケると勘違いして告白などしたら、十中八九失敗することだろう。
実際桜に告白し、玉砕した男子の話は数しれない。それはイケメンで有名な先輩から生徒会長まで等しく結果は変わらなかった。
告白した際に決まって桜が言う断りの言葉に、自分はまだ好きという気持ちが分からないからというものがあるらしく、なんとか学園のアイドルと化している桜を振り向かせようと多くの男子が日々自分磨きに精を出しているらしい。
それは振られた男子すら変わらないというのだから、ある意味魔性の女の子である。
学園一の人気者でありながら未だ誰とも付き合っていない事実と、振られた後でも態度を変えることがないことからワンチャンあるのではと思うのも、仕方ないことなのかもしれない。
僕なんて告白できずにいるのだから、勇気を出した彼らのことを未練がましいなどととやかく言える筋合いはないのだけど。
まぁこんなわけで、焦りはあるが慎重にならざるを得ない事情があったというわけだ。
さて、状況はハッキリ言って手詰まりだが、どうしたものかと考えた結果、僕はある結論にたどり着いた。
自分で答えがでないなら、他人を頼ろう。要は外部に手助けを求めようと画策したわけである。
協力してくれそうな友人に事情を話してアドバイスを求め、あわよくば協力してもらおうという、他力本願な計画だ。
ひとりで考えていつまでも動けないくらいなら、他の誰かの手を借りてあわよくば後押ししてもらいたいという、凡人の僕らしい答え。それでも案外悪い考えではないんじゃないだろうか。
小さなプライドに囚われてなにもできないうちに彼女を他の誰かに取られるくらいなら、情けなくとも他人を頼ってなんとか事態を好転させたいという想いはきっと間違ってはいないはずだと僕は思う。
これもきっとただの言い訳なのだろうけど、とにかく僕は桜にとってただの幼馴染という現状から、一歩踏み出したかったのだ。
「……というわけなんだけど、なんとかならないかな」
そんなわけで決意を固めた数日後。僕は放課後になるとある女の子とともに、夕方で賑わうファミレスへと訪れていた。
本来なら相談できる子はもうひとりいたのだが、その子はあまりにも桜とは近い距離にいる子だし、口が堅いほうでもないことをよく知っている。最初から相談相手としては除外せざるを得なかった。
からかわれるのを避けたかったという、複雑な男心もあったりはする。
「ふーん、告白ね…」
だから結果的にひとりしか選択肢はなかったわけだが、対面に座りメロンソーダを啜る同い年の少女の表情は芳しくない。明らかにつまらなそうに僕の話を耳にしたあと、気だるげに口を開いた。
「なんとかなると思ってるの?伊織が桜と?月とすっぽんじゃない。付き合いたいから助けてくれだなんて、無茶ぶりもいいとこだわ。身の程を知ったらどうなのよ」
「ですよねー……」
返ってきた言葉はひとかけらの優しさもない辛辣なものだった。こんなくだらないことに付き合わせたのかという不機嫌さを隠そうともしていない。黒いオーラがダダ漏れだった。
とはいえ割とこれが彼女のデフォルトでもあるので、曖昧に笑って場を濁すことに徹することを選択する。言ってることがごもっともというのもあるが、これも慣れたことだ。それに昔から変わらないという意味では、ある意味頼もしくもあった。
「でもさ、頼むよ凛。他に頼れる人がいないんだ」
今回僕が白羽の矢を立てたのは、同じ高校に通う九条凛という同い年の女の子だった。
背中まで届く綺麗な金色の髪に、ネクタイとシャツを緩めて着崩した制服。スカートもかなり短く、おまけにピアスまで開けたその姿は、傍目から見れば完全なギャルである。
顔立ちは桜に負けず劣らず整っており、若干釣り目がちな瞳とどこか大人びた雰囲気があることから、どちらかといえば美少女というより美人といったタイプだ。
こういえば人気も出そうものだし、実際凛は男子から人気もあるのだが、それでも桜に迫るものではない。理由としてはふたつあり、ひとつはその見た目だ。
割と自由な校風である我が校でも、いかにも遊び慣れているような外見をした凛はどちらかというとウケがいいほうではない。
圧倒的正統派美少女である桜がいるというのがやはり大きいのだろう。どんなときもやはり王道が強いのだ。
金髪というのも大きな要素であり、派手すぎることがどうにも声をかけづらい要因らしいと聞いたこともあった。
「無理。さっさと告白して振られてくれば?そのほうがお互いのためになるでしょ」
「そんな…」
そしてもうひとつ。これがやはり大きいのだろう。
凛はあまり愛想のいい子ではなかった。口から出る言葉にトゲが混じることも少なくないし、笑うことも滅多にない。いくら顔が良くともそれを生かそうとせず、あまり人を寄せ付けずひとりでいることも多いとあっては、宝の持ち腐れというものだ。正直もったいないと思うが、言ったところで素直に頷く子でもないことはとっくの昔に分かっていることなので今さら言うことは諦めているのだが。
とはいえ、今回ばかりは素直に引くことはできない。この気難しい少女が最後の頼みの綱なんだ。
凛は僕と桜の共通する幼馴染であり、数少ない桜と接点のある女友達でもあるのだから。
「それでもそこは幼馴染のよしみってやつでさ。なんとかならないかな…」
そう言って僕は頭を下げた。
他人との関わりを嫌う凛の性格はわかっていたが、僕も決死の覚悟で凛に相談を持ちかけたのだ。ここまできて、引くことなどできなかった。
「嫌よ。なんで私があんたたちの橋渡しなんか…そんなの絶対に、死んでもゴメンだわ」
そんな僕に対抗するかのように、凛はその端正な顔を歪め、吐き捨てるように僕の願いを叩き切る。
その言葉には明らかな苛立ちが混ざっており、頼んだ料理もまだきていないというのに手元のカバンへと手を伸ばす姿を見て、僕は慌ててしまう。
「帰る。時間を無駄にした。伊織なんて、振られたらいいのよ。私の気持ちも知らないで…!」
「待ってよ、まだ話は終わって…」
なんとか引きとめようとしたのだが、その行動は無駄に終わった。
凛は頑固なところがあり、一度言った言葉を引っ込めることなど滅多になかった。
仮にできるとしてもそれは桜か妹の杏だけであり、僕の発言など聞き届けてくれたことはない。
「お金は置いてくから。せいぜいひとりで頑張れば?それも無駄な足掻きになるでしょうけど」
今日もまたそうであり、財布から千円札を二枚取り出すと、叩きつけるようにテーブルへと押し付け、悠然と出口まで去っていく。
「凛…」
それを僕はただ見つめることしかできなかった。
明らかに失敗したことを悟るが、もう後の祭りである。
僕はがっくりとうなだれながら、テーブルにふたり分の料理が並べられるまでしばし頭を抱え込んで落ち込んでいた。
「……面白いことになってきたなぁ」
それはもう近くから聞こえたはずの言葉が耳に届かないほど、盛大に。
「伊織の馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿!死ね、死んじまえ!」
家に帰った私、九条凛は荒れていた。それはもう盛大にだ。
部屋のドアを閉めると同時にカバンを放り投げ、机の上にあった教科書もなぎ払ったからあちこちに散乱してるし、今も憂さ晴らしにひたすら枕を殴っている最中だった。
誤解しないでほしいがいつもはこんなことをしたりはしない。
私はもっとクールな性格であると自負している。物に八つ当たりするほど子供でもないし、基本的に暴力は嫌いなほうだ。
それでも今は自分の感情をコントロールすることができなかった。とにかくこの荒れ狂う気持ちをなんでもいいからぶちまけたい気持ちしかない。
なんせ今日はこれまでの人生で一番最悪の日になったからだ。
「よりによって私に告白の手伝いしろって?ざっけんな!するなら私にしろよ!期待させといて、なんなんだよ!」
気付けば次々に汚い言葉が吐き出されていく。涙を流さないのはなけなしのプライドと女の意地だ。
絶対に泣いてやるものかと心に決めた。それでも悲しみと怒りがごちゃ混ぜになり、暴風のように荒れ狂う感情が私を襲う。
だけど、本当に最悪としかいいようがないじゃないか。
私は今日、幼馴染であり長年の想い人である神代伊織に、自分以外の相手への告白の手助けを頼まれるという、最低最悪のサプライズプレゼントを貰ったのだから。
「凛、ちょっといいかな?」
今日の放課後、帰り支度を終え教室を出た私は、校門のところでひとりの男子に話しかけられた。
これ自体は別に珍しいことじゃない。自慢じゃないけど私の容姿はかなり目立つらしい。髪色に合わせてわざと不良みたいな着崩しをして人を遠ざけてるところもあったが、それでも顔だけに惹かれた男に告白されることはザラだったし、なんなら他校の生徒からもされたことがあった。
別にこのことを誇るつもりはない。誰にでも優しい桜ならともかく、私はむしろ男なんてうっとおしいと思っているし、告白を受けるつもりなんてサラサラないからだ。遠巻きに見るぶんなら構わないから、放っておいておしかった。
私にはずっと昔から、心に決めた人がいるのだから。その人と結ばれるのが私の運命だと、心の底から信じていた。
だから普段ならスルーするし、勘違いして慣れなれしく名前を呼んでくる男などもってのほかだ。そういうウザいやつにはお前なんかに好意はないと分からせるため、睨みつけるくらいのことはしている。付けあがられるが一番面倒だからだ。
今回もそうするつもりだったが、そんな気持ちはその声を聞いた瞬間に霧散していた。
「……伊織?」
私の口からは自然と、ある人の名前が零れ落ちていた。それを咎めるつもりはない。私が彼の声を聞き間違えるはずがないからだ。
威嚇のために細めた目を大きく見開いた先に、彼はいた。
「あ……」
私の想い人。ずっと昔から好きな人。
幼馴染の男の子。神代伊織がそこにいる。
胸が大きく、ドクンと弾んだ。
「うん、久しぶり…ってほどじゃないか。この前一緒に登校したばかりだもんね」
照れくさそうに頭をかく伊織だが、私の頭は既にこの時混乱しつつあった。
隣のクラスであり、目立つことを嫌う伊織が私に話しかけてくることなど滅多にないことだからだ。
「そうだけど…なに?なんか用でもあるの?」
本当はもっと気の利いたことを言いたかったのに、私の口から出た言葉はひどく無愛想なものだった。
昔からいつもこうだ。伊織を前にすると、何故か素直になれず、憎まれ口のようなことしか言えなくなる。
こんなことしか言えない自分のことが、昔からずっと好きじゃなかった。こういう時、幼馴染である桜のことがひどく羨ましくなる。あの子なら絶対こんなことは言わないだろう。ないものねだりと分かっていても、そう思わずにはいられなかった。
「うん。その、凛に相談したいことがあるんだ。時間あるかな?」
だけどやっぱり伊織は違った。愛想のかけもない私の言葉などまるで気にしてないようで、柔らかい笑顔を私に向けてくれたのだ。
昔から伊織はずっとこうだ。この優しい笑顔を見るのが、私は一番好きだった。ただに見ているだけで、ドンドン幸せな気持ちに包まれていく。
それだけで、私の心は暖かくなる。やはりこの人なのだと、そう思う。
「…うん。まぁ、あるけど」
頬が赤くなるのを感じながら、私は目をそらして返事を返した。
言葉が少ないけど、上手く伝わっただろうか。
「良かった。じゃあこれからファミレスに行かない?奢るからさ。好きなもの頼んでいいから」
私の心配は杞憂に終わったようだ。伊織が頷いてくれたことに、内心ほっとする。
「それなら、たまにはいいかな。付き合ってあげるよ」
…ちょっと上から目線だっただろうか。伊織、気にしてないといいんだけど。
「ありがとう、じゃいこっか」
「……ん」
そうして私達は並んで歩くことになる。なにはともあれ、久しぶりの伊織からの誘いだ。胸のドキドキは収まらず、今も高鳴りは止まらない。
もしかしたら注目を集めているかもしれないが、そんなことはどうでも良かった。
好きな人が隣にいる。ただそれだけで私の心はこんなにも満たされているのだから。
(今日はいい日になったな…)
相談したいことががなんなのか分からないけど、伊織から頼られるのは悪い気はしなかった。こういうのは昔からいつも桜の役目だったから、あの子に勝てたようでなんとなく嬉しくなってしまう。口元が自然と緩んでいった。
(もしかしたら相談にかこつけて告白とか…ないか、伊織は鈍感だし。そういうのは、きっとまだまだ先の話だろうな)
少しだけ歩くスピードを緩めながら、その時の私は呑気にそんなことを考えていたのだった。
「……なのに!桜に告白!?ふざけんな…私のほうが先に好きだったのに、ざけんなぁっ!!」
私は怒りのままに枕を壁に思い切り叩きつけた。
バシンと大きな音が鳴り響き、ズルリと壁伝いにベットまでずり下がっていく。青いカバーに包まれたそれは、中心部がベッコリへこんでしまっていた。
「ハァ、ハァ…クソ、なんなのよ。マジで、なんなのよ…」
もちろんそれを見ても私の溜飲が下がるはずがない。未だ収まらない激情のまま肩で息をするも、ますます怒りが膨らんでいく。
「桜…あの子、いつもいつも…!」
その怒りの矛先は桜だった。親友といってもいい、伊織と同じくらい長い付き合いのある幼馴染が、今はただただ憎らしい。
昔から私が桜に勝てるところなんてひとつもなかった。運動に勉強、友人の多さ。そしてなによりそれらを鼻にかけず、未だひねくれ物の私と友達でいてくれるその性格。
全てが私を常に上回る。いくら努力しても追い付けない。
容姿なら負けてないと自負しているが、それでも桜には勝つことなんてできないことも分かっていた。
全てを持って生まれた者には勝てないのだと、私は既に知っている。
私が世の中をひねくれた目で見るようになったきっかけは、間違いなく優秀すぎる幼馴染である桜だった。
私とは違って優しい性格のあの子の元には、いつも多くの人が集まった。
幼い頃から人嫌いの気がある私はそのこと自体は羨ましいわけではなかったけど、そのなかに伊織がいたことが私の心を曇らせた。
思い返せばいつだって、桜の隣には伊織がいたのだ。
ついでにいえば、桜の妹で一つ下の杏も姉妹で挟むようにちゃっかり隣に居座っていたが、あの子は桜の妹だけあって要領がいい。桜とは別のベクトルで、あの子もまた私を曇らせる存在だ。
もっとも伊織からはただの妹分としてしか見られていないことは私が見ても明白だったし、恋愛対象外だろう。
今はあの子のことはどうでもよかった。
今重要なのは桜。そう、桜だ。あの子はあまりにも完璧すぎた。だから桜を妬む気持ちなんて、とっくの昔に擦り切れてた。
親に散々あの子と比較されてきた過去も、既にどうでもいい色褪せた記憶になっている。少なくとも私は桜を恨んでなどいない。むしろ感謝してるくらいだ。伊織と引き合わせてくれるという、最高の幸福を私にくれた恩人でもあるのだから。
だから桜とはこれからも友人として、付き合っていけると、そう思っていたのに…!
「桜ぁっ…!」
伊織の気持ちを私から奪った桜が、今はどうしようもなく憎かった。
あの子の首に手をかけて、今すぐ絞め殺してやりたいほどに。
そうすれば、桜だってきっと苦しげに顔を歪めるに違いない。いつも笑顔を浮かべているあの綺麗な顔が、苦痛と絶望に染まる様はきっと心地よいものだろう。
あの完璧な桜を私の手で…そう考えたとき、私の脳裏にある考えが不意によぎった。
(完璧…?)
桜。私が知る限り、もっとも完璧に近い女の子。誰よりも秀でた、それこそ天使のような少女。
そんな子が、伊織のことを選ぶだろうか?
「それはない、きっと…」
控えめにいっても、伊織は運動も勉強も、せいぜい並か少し上程度の成績だ。
顔に関しては悪くない、むしろイケメンといってもいいくらいだが、それは決定打にはならないだろう。なにせいつも桜は美形にばかり囲まれている。伊織くらいのレベルなら、スペックで上回る生徒は何人もいるはずだ。
幼馴染でもあるから多少贔屓めにみることもあるかもしれないが、あの子はむしろ距離が近すぎて余計に男として見ることはないだろう。事実桜が私に伊織に関することを話すときは、どこか手の掛かる弟に対する態度であったように思えた。
要するに、伊織は桜から男として見られていないのだ。そうでなくても、桜の能力なら他にいい男をいくらでも選び放題のはずである。
そうだ。桜は選ぶ側の人間であり、断じて選ばれる側の人間じゃない。
高みにいる人間がわざわざ下にいる人間を選ぶなど、あり得ないんだ。
そのことに気付いたとき、私にはある光明が見えていた。
「そうだ、告白させればいいんだ…絶対に失敗するんだから」
そうして失敗したところを、私が優しく慰めてあげよう。
弱って涙を流す伊織の心に、私が優しく入り込んであげよう。
そのうち私を意識し始めたところで、私だけが伊織を愛してあげられるのだと、優しく伝えてあげよう。
そうすれば、伊織はきっと私に告白することだろう。
そうすれば、私が伊織を手にいれることができるはずだから。
「それだ…それがいい。むしろこれはチャンスなんだ…」
告白して振られればいいと言ったのは、むしろ憎まれ口だった。
伊織の前で泣くのだけは嫌だったから、無表情と無関心を装いながら、必死に口から出した強がりの言葉。だけど今は、本心からそうなることを望んでる。
だってこれが実現すれば、きっと私達は幸せになれるのだから。
「いいよ、桜。許してあげる。だから、お願いだから伊織をできるだけ手酷く振ってあげてね?」
そうすれば、私達はこれからも友達でいられるからね?
私は床に落ちていたスマホを手に取り、伊織の番号をタップする。
「伊織も、私がきっと幸せにしてあげる。だからいつまでも桜なんかに気を取られてちゃダメだよ?」
もしかしたら、私が先に我慢できなくなっちゃうかもしれないから。
そうしたら私、嫉妬でどうにかなっちゃうかもしれない。
さっきまで考えていた刹那の妄想が、現実にならないと言い切れない。
だからできるだけ早く、桜に告白してほしい。
そうすればきっと、深く傷付くことはないはずだから。
私が優しく優しく、その傷を舐め取ってあげるから。
そうなれば伊織も私も、ひどく甘美な気持ちに浸れることだろう。その日が今から楽しみだ。
「――ん。凛。もしもし。どうしたの?」
プツリと音がして、繋がった。
そして声が聴こえる。私の口角も自然と釣り上がっていた。
「――ああ、伊織。あのね、さっきのことなんだけど―――」
私はきっと今、嗤っている。
私たちの未来に、想いを馳せて。
その時のために、心を殺して嗤い続ける。
―――その未来が望むものであるとは、限らないのに
中途半端ですみません
長編書くかもしれない短編シリーズその1です
反応を見て今後の投稿考えようと思っている作品です。よろしくお願いします