第五章 ジョー博士の最終定理 2
宅配業者が呼び鈴を鳴らした。
ジョーは自由の利かない身体に鞭を打ちながら玄関までたどり着いた。
ようやく発注していたものが納品されるのだ。ジョーはこの日を待ち望んでいた。
リエゾンマインド社の営業担当は自宅までやってきた。営業担当は、ジョーの注文を聞くと、しきりに特注品を薦めたが、ジョーはそんなに待つことはできないと断った。
ジョーには、一刻も早く、手助けが必要だった。
ジョーが宅配業者に事情を説明すると、室内まで大きな荷物を運び入れてもらった。青年は、受け取ったチップをズボンのポケットにねじ込むと、「いいですよ」、と笑顔で言った。梱包を解き、商品を開封する。
半透明の梱包材に包まれている人型アンドロイドが現れた。安らかな顔は、まるで眠り姫のようだった。
青年は、手慣れた手つきで、充電ステーションを組み立てると、「どこに設置しましょうか?」と訊ねた。
「使い勝手の良さそうな場所に頼むよ」
ジョーは答えた。
青年は、充電ステーションを抱えたまま、部屋数の多いジョーの住居を物色して歩いた。一通り部屋を見終えると、リビングに近い書斎の端がいいのではないかと伝えた。
ジョーに異論はなかった。
青年は、充電ステーションを備え付けると、箱から人型アンドロイドを慎重に取り出して、充電ステーションにセットした。
ジョーの住宅は完全なスマートハウスではない。そのためのスキャニングは事前に行われており、住居とアンドロイドとの同期は、出荷前に済んでいるはずだった。
充電ステーションに収まっている人型アンドロイドは順調に電気を充電されつつあった。「名前の設定もしておきましょうか?」と青年が聞いてきた。青年はどこまでも好意的だった。
「お願いするよ」
ジョーは頼んだ。
「名前はそうだな……。リンダにしよう」
以前から決めていた名だった。いかにも今、思いついたかのように、青年に告げた。
青年はそんなジョーのささやかな芝居を気に留めた様子もなく、アンドロイドに『リンダ』という名を登録した。
「このまま充電が完了すれば、すぐに使えますよ」と、青年は言った。
「うちには介護アンドロイドがいるんです。病気の母を介護してくれています。僕がずっと家にいられればいいんですけど、日中は働かなくてはならないし。とても重宝していますよ」
青年は身の上話を織り交ぜながら、アンドロイドの良さを熱弁した。
ジョーがしきりにうなづきながら話を聞いている態度に気安さ感じたのかもしれない。青年は、ジョーに、「病気か何かですか?」とデリケートな質問を投げかけた。
ジョーは一瞬閉口したが、青年に医者に告げられた病名を教えてやった。青年は、「聞いたことないや」、とつぶやくと、興味を無くしたようだった。
ジョーの病気が判明したのは、症状を発症してから二か月後のことだった。
大学は、一月の試験期間を終えると、入試が始まる。それが終わるとなし崩し的に春季休暇に入るのだ。幸い、春季に講義をする必要はなかったため、ジョーは自宅で静養していた。
だが、症状は治まるどころか悪化していった。苦しい症状を抱えたまま、方々の病院を訪ね歩いた末に、ようやく病気が判明した。
治療法のわからない難病だった。しばらく途方に暮れた日々を過ごすしかなかったが、生きて行かねばならないと腹を決めた。
そのためには、助けが必要だった。ジョーの心はやっと暗闇を抜け出し、光のある方に進み始めたのだ。
リンダがジョーの生をつなぐ助けになってくれるはずだ。
ひとしきり話をすると、青年が「帰ります」と言ったので、ジョーはねじれた首を押さえながら、玄関まで見送った。
玄関でスニーカーを履いた青年がなかなか扉を開けないでいるのをしばし眺めた後、ジョーは思い至った。
「良かったら持って行ってくれ」
玄関に造りつけられたガラスケースに陳列してあった中から一番高価なウイスキーを取り出すと、ジョーは青年に渡した。どれも卒業生から贈られた品物だ。もう飲むこともあるまい。
青年は「そんな高いものは受け取れません」と、大きな手ぶりで恐縮してみせた。
「いいから持ってお行きなさい」と、ジョーは青年に向けてウイスキーを突き出した。
「君のおかげで、本当に助かったんだ」
ジョーは感謝を伝えた。
「それじゃあ」、と言って、青年は、はにかんだ笑顔を見せながら琥珀色の液体が輝くボトルを受け取ると、ジョーの家を後にした。