17.アスパラガスをはんぶんこ〜カリーン村の収穫祭(2)
教会は村のいちばん奥にあった。
それより後ろは鬱蒼とした木々が小高く広がり、やがては山へとつながっていく。
ひときわ大きな木が果実をたわわに実らせて、身を乗り出すように教会を覆っている。
まるで教会と一体となっているかのようだ。
そう言うと、案内役の青年はにっこり笑って、この木に成っている果実はいちばんに祭壇に捧げるのです、と言った。
教会の前は広場になっていた。
駆け回る子どもたちの歓声が耳に心地よい。
村人たちはリーザの姿を見ると、足を止めて笑みとともに頭を下げる。くすぐったくて、リーザも同じように挨拶を返した。
「たくさんの収穫物に囲まれた祭壇は、なかなか美しいものですよ」
そう言って青年が扉を開けると、リーザの目には光に満ちた祭壇が飛び込んで来た。
木造の素朴な教会は、カリーン村のあたたかくてたくましい人々の気質をそのまま表しているように見えた。
「すばらしいわ……とてもあたたかい」
「そう言って頂けて恐縮です、リーザさま。さあ、祭壇の前へどうぞ」
促されるまま、リーザは祭壇へ近づいた。
青年の言うとおり、今年収穫された作物が所狭しと祭壇上に並べられている。色とりどり、形もさまざまと豊かで、すべての作物には捧げものである証として白いリボンが結わえられている。
青年が言っていたあの大木の果実も、確かに祭壇の真ん中にあった。
両膝をついて、リーザは両手を組んだ。
いつもの食前の祈りのように決まった文句を口ずさむのではなく、ただひたすら頭を垂れて感謝を捧げた。
「リーザさま、あの……」
祈りを終えて立ち上がったリーザに、傍で控えていた青年が声をかけた。
「先日は、大変失礼なふるまいを致しまして……申し訳ございませんでした」
「そんな……皆さんのお気持ちは、当然のことだと思いますから、どうぞお気になさらないで」
うなだれる青年に、リーザはそう言った。
「リーザさまは、わがままでおれたちの野菜を食べなかったわけじゃないんだって、ラードルフさんから聞きました。親方のために、大変な思いをして薬を作ってくださったことも……村のみんなも、それを聞いて感謝しています」
ラードルフはそんなことまで話していたのか。
リーザは恥ずかしさに頰を赤らめて、そっと頭を下げた。
「リーザさま、おれたちはもっと、リーザさまのことが知りたい。きっとそれは、村のみんなも同じだと思うんです。だから――」
青年は思い切ったように言った。
「どうぞ今日は、収穫祭を楽しんでいってください。おれたち、一生懸命準備しましたから! もう、おれたちの野菜なんて食べてもらいたくないなんて、二度と言いませんから……そしていつか、テオのつくった料理も、食べてやってください!」
晴れやかな笑顔が広がる。
それは青年の顔にだけでなく、リーザの顔にも、そして胸の内にも、同じように。
「……ありがとう、ございます。必ず、必ずそうします……!」
リーザがじわりと広がる喜びに満ちて、そう礼を言った。
「――王女さま」
開けっ放しの入り口の扉から、ラードルフの声がした。
リーザは広がる喜びを花のように束ねて、ラードルフの元へ駆け寄った。
「遅くなりました、王女さま」
「いいえ、そんなことありません。もういいのですか?」
「私が為すべきことはすべて為して参りました。……何か、よいことでもあったのですか。なんだか嬉しそうだ」
「ええ、とっても」
「教えてくださらないのですか」
「内緒」
まったく王女さまときたら、とラードルフは言葉とは裏腹にどこか満足げに言って、案内役の青年に礼を言った。
そして、リーザを外へ促すように手を差し出した。
「行きましょう、リーザさま」
その手に自分の手を重ねてしまいたいという気持ちをそっと包み隠して、リーザは歩き出した。
いつのまにかやって来ていた音楽隊の小太鼓が、村に軽快なリズムを添えていた。
そのリズムにのるように、なんとも言えない、いい匂いがただよっている。
「こんなにたくさんの料理が並んでいるところ、見たことがないわ……」
リーザは驚きのあまり溜め息をついた。
教会の前の広場に、各家々がテーブルを運び出して、その上に自慢の料理を並べている。匂いの秘密はこれだった。いろんなものが絡み合い、混ぜ合った、不思議ないい匂いだった。
リーザの驚きを受けて、ラードルフが言った。
「大きなデリカテッセンのようですね」
「デリカテッセン……ホラントが考えているっていう、おいしいもの屋さん?」
「ええ。ホラントが考えているのはここまで大きくないでしょうが、雰囲気は似ていると思います。大きなテーブルに数品並べて、それも日によって違うメニューで――ははは……」
「な、なんですか? どうして笑うの?」
楽しげな説明の声が途中から笑いを含んでいることに気づき、リーザはラードルフを見た。
少しうつむき加減で笑っているラードルフは、まるで初めて会った夜に大笑いさせてしまったときを思い出させるような姿だった。
「いえ、あの……『おいしいもの屋さん』とはまた、可愛らしく出たな、と」
「だ、だって、そう思ったんですもの! 間違ってないならいいではありませんかっ――」
「はいはい、別に、構いませんが――くくっ、ホラントがそう言われているかと思うと、ははは……」
いつまでも笑いやまないラードルフを、リーザはじとっと恨みがましく見つめた。
ワゴンに愛らしいパラソルをさして、押し動かしながら料理をあちこちで振る舞っている人もいる。持ち手に風船をつないで子どもたちに渡している。どうやら甘いものをのせて動いているらしい。あのワゴンをどこかで見たことがあるとリーザが言うと、王城から持って来ているのだとラードルフが答えた。その都合もあって、王立騎士団が収穫祭の運営に手を貸しているのだ。
順々に見て回ろうかと、ラードルフと二人で広場に足を踏み入れた途端、リーザに気づいた村の人々が手に皿を持ってやって来た。
「ああ、リーザさま! ようこそお越しくださいました。ささ、どうぞ、うちのたまねぎでつくったスープです。あたたまりますし、どうぞ召し上がってください!」
「うちのトマトも、どうぞリーザさま! 夏のトマトもいいですが、秋のトマトもなかなかのもんですよ。ほら、こうして湯でたてのパスタにトマトソースをからめて――」
「いやちょっと待ってくれよ、パスタなんてメインじゃねえか! うちのアスパラガスの湯がいたのでまずは腹ごなしだろ、順番的にはさ!」
口々に自分の村の作物のすばらしさを語る声は、明るくて、素朴で、虚栄心が邪魔しない自信に満ちあふれていた。手を振ってアピールしている者もいる。
それを好ましく思いながらも、突然の皆の大声に気圧されて、リーザはなんと答えて良いかわからずにただ驚いた。
「落ち着け、お前たち。王女さまも口はひとつしかお持ちでないんだ。一気に出されても召し上がれない」
リーザの隣で呆れたようにラードルフが言った。
冷静なつっこみに、村人たちはようやく気づいたかのように口をぽかんとすると、あれまあ、それは確かに、などと言い合って、照れたように笑い出した。
「あの、順番に頂きますから……ありがとうございます」
笑いながら、リーザはひとつひとつのテーブルをゆっくりと見て回った。
「よし! じゃあいちばん近いうちからだなっ」
アスパラガスをおすすめしていた男が、嬉しそうに皿を整えた。周りではそれをからかうように、ずるいぜー、だの、最初は責任重大だからしっかりしろ、だの、口ぶりは粗野だが和やかな声援がとぶ。
「どうぞ、リーザさま!」
木でできた皿に、あざやかな緑色が美しく映えるアスパラガスが、くたりと横になっている。
アスパラガスは一本丸ごとではなく、半本分が切られて乗せられている。
おそらく、食べられるかどうかわからないリーザを気遣ってのことだろう。リーザが食事によって体調を崩すかもしれないことを、本当にこの村の人々はよく知っているようだ。
それなのに、こんなに嬉しそうに皆が料理を勧めてくれる。
リーザはじんと胸があたたかくなった。
「湯がいて、塩と胡椒を振りかけただけです。それだけでもじゅうぶんおいしいんで、食べてみてください、リーザさま」
差し出された皿をそっと受け取る。
「王女さま。皿を、持ちましょうか」
ラードルフが訊く。
皿を持ったままでは、食前の長い祈りはできないと思ったのだろう。
リーザは首を振ると、両手に持った皿を見つめたまま祈った。
まるで、目の前の皿に話しかけるように。
「……どうか、光あらんことを」
祈り終わり、リーザはラードルフに向かって小さく訊いた。
「このまま、食べてもいいですか? 向こうのテーブルで食べるよりも、今ここで食べて、お礼を言いたいの」
「……陛下も収穫祭にいらしたときは、立ち食いされてますから、大丈夫です」
内緒にいたします、と笑うラードルフに礼を言って、リーザはアスパラガスを口に運んだ。
隣では自分以上に身構えているラードルフの気配がしていた。
ひとくち、またひとくち。
いくら食べても、いつもの痛みはやって来なかった。苦しい言葉の木霊もない。
やって来るのは、スパイスのあいだに立ち上るアスパラガスの青みがかった甘みだけ。
「とても、おいしいです」
安堵した様子のアスパラガスの男に微笑みかけてから、リーザはラードルフを振り返った。
「ラードルフ殿も、ひとくち食べませんか?」
「……え?」
リーザが倒れないかと身構えていたラードルフは、安堵してほどいた身構えを王女の言葉に再び硬直させた。
「リーザさま、他にもまだたくさん準備してありますから、ラードルフさんにも一皿用意しますよ」
「いいえ、それには及びません。新しく一皿頂いては他の皆さんの分がなくなってしまうといけませんし……」
アスパラガスを準備した男の申し出に颯爽と応えたリーザを、周りの村人がさすがあの青年王の妹君だ、という目で見ている。王家の慎ましさを体現したような言葉だった。
……本当はそういうわけではなくて、ただ単に、彼と一皿を分け合いたいだけ。
その本音を建前に上手にくるんで、リーザは差し出した。
なかなか策士だと、誰かほめてくれるだろうか?
「そうでしょう、団長殿? 私と、半分こしませんか? ほら、最初から切って分けておいたの」
あらかじめアスパラガスを半分に分けて残しておいた。
その部分をフォークで刺すとラードルフに差し出した。
フォークを目の前に、ラードルフは困惑したように眉をひそめた。
「アスパラガスはお嫌いですか?」
「い、いえ、そんなことは」
「ならよかった。私ばかり食べていては、失礼ですし」
ぐいとフォークを差し出してみると、ラードルフは大きな手をおずおずと伸ばし、受け取った。
渡す瞬間に指が彼の手に触れて、危うくフォークを落としそうになるのを必死にこらえる。
自分かこうも強引に事を進めようとするなんて。
リーザは自分で自分が信じられないような気がしていた。
「――では、いただきます」
そう言って、ラードルフはアスパラガスを口に運んだ。
ラードルフの一口はリーザのそれよりもはるかに大きい。
もぐもぐと食べるラードルフを、リーザはじわりと浮かんでくる笑みを隠すことなく見つめた。