第九章『星喰いマントルドレイク』
真っ白なベッドの上でフルミノは目を覚ました。辺りには消毒液の匂いが漂い、間接照明の控えめな明かりとベージュ色の天井が見える。彼女はぼんやりと病院に居ることを悟った。夢うつつの意識はたっぷり五秒ほどかけた後、バチッと火花が立ったように覚醒する。発作的に身体を起こそうとしたが刺すような痛みが全身を襲い、苦痛に顔をしかめた。彼女はベッドの上でそろそろと上体を起こす。
骨折していたはずの指先は真っ直ぐにつながり、全身の傷は全てうっすらと薄皮が張っている。再生治療の跡だ。辺りを見回しても彼女以外の患者はいない。どうやら個室の病室のようである。南東向きの角部屋で、カーテン越しの窓から涼やか朝日が差し込んでいる。そしてどうしたものかと気を揉む内に病室のドアが開いた。
「フルミノ!目ぇさましたか!!」
飛び込んできたのはいつかのように立方体の身体にアームとキャタピラを取り付けた勇助だった。彼は両手で花瓶を抱えている。水を取り替えに行っていたらしい。
「待ってろ、今すぐ医者先生を呼んで…!」
「いいよ。大丈夫だから。それよりオマエは?整備はされてるか」
「お?おうよ。ここの医者先生に保護液は毎日換えてもらってるぜ」
「そっか……ありがとう、オマエが助けてくれたんだね」
彼女は穏やかに微笑みかける。清らかで、柔らかな笑みだ。勇助は身体の奥の何処かに暖かい何かを注がれたような心地になり、その笑みから目を離すことが出来なかった。
「オマエに何があったか、聞かせて欲しいな」
「……聞かねえ方が安全かも知れねえ」
「今更さ。対策を打てない方が問題だ。構わないから話せ、これは命令だぞ」
フルミノの微笑は悪戯っぽいクスクス笑いに変わった。だが目に宿る光は真剣だ。勇助は彼がトパズスに攫われた顛末を話し始めた。
「なるほど……ね。道理でオマエがサイボーグボディを自由自在に扱えて帝国語も流暢なわけだ。多分あの男は帝国宇宙軍のスパイ、情報官の類いだったんだろう。全くオマエもとんだ災難に巻き込まれたな」
彼から渡された朝刊にも目を通しながら彼女は呟く。紙面には空港の爆発事故と謎のラケルタ人の死体が大々的に扱われていた。
「……巻き込まれたのはお前だろ。俺は……巻き込んじまった方だ」
「バカ」
フルミノは手を伸ばして彼の四角い額をピコッと指で弾いた。頬を軽く膨らませている。
「オマエだって巻き込まれた方に決まってる。もう一回そんな間抜けなことを言って見ろ。デコピンじゃ済まさないぞ。基礎能力十割増し結晶ゴーレム千人組み手の刑だ」
勇助はアームで額をこする。彼女に触れられた場所が何だか妙にむずがゆかった。フルミノはそんな彼を決然とした眼差しで真っ直ぐに見つめている。
「まだ剣闘士を続ける気はあるか」
彼女の声が病室の中で鈴のように凜と響いた。
「あの男の言葉は虚仮威しじゃ無い。これから数多の『敵』がオマエを狙うだろう。ボクらにとっての救いは『敵』同士にとっても争奪戦であること、そして帝国にとっても公に出来ないこと。だがこれはアドバンテージと呼ぶには余りにか細い蜘蛛の糸だ。剣闘士を続ける以上、オマエはその上を綱渡りし続けることになる」
真紅の瞳はルビーの如く煌やかに揺らめいている。瑞々しい桜色の唇から湿った躊躇いがちな声が漏れた。
「ボクは……この星の外へオマエを逃がすつもりでいた。いや、戻ってきたことを責めてるわけじゃない。だがボク自身がそれを必要と判断しただけの状況だったと思ってくれ。今でさえ……いっそオマエを地球に戻した方が良いんじゃないかと思ってるくらいさ」
彼女はシーツの上に置いた拳を強く握った。その手は微かに揺れている。それでも彼から目を逸らさなかった。
「ボクとの契約を……解除するか?今なら貯まったクレジットで地球に帰れるぞ」
「ふざけろ、バカヤロー」
勇助から飛び出した言葉にポコンと小突かれたように、フルミノは目を丸くした。
「地球に帰る?この身体で?惚けたのかよフルミノ。そりゃ帰るっつっても『死ぬ前に一度故郷を拝みたい』っつーメソメソした泣き言だろうが。ンな女々しい真似ができっか」
彼女は目を瞑って大きく溜息を吐く。そして再び目に強い光を宿して彼を見据えた。「危険だぞ」
「しゃらくせえ」
「死ぬかも知れない」
「知ったことか」
「……オマエだって知ってるだろう。死ぬよりも……もっとずっと辛いことだってある」
「関係ない。良いか、フルミノ。耳の穴をかっぽじってよぉーく聞きやがれ」
勇助はぐっと身を乗り出し、言葉に力を込めた。
「お前が何と言おうと剣闘士を続ける。そしていつか必ず……お前に帝都のチャンピオンベルトを持ち帰ってやるぜ。そう決めたんだ。お前が、俺を守ると言ってくれたように」
フルミノは息を呑んだ。頬が桃色に上気する。大きく見開いた目は潤み、恥じらうように顔を伏せた。
「……逆に、お前にも聞きたいんだけどよ。どうして俺をそこまで買ってくれたんだ?それに、どうしてたった一人で剣闘士の手配師なんて大仕事をやろうって気になったんだ」
「……うん、話したこと無かったね。聞いてくれるかい?」
彼女ははにかみながら語り始めた。
フルミノの父は帝都の人気剣闘士だった。父は彼女の誇りであり英雄であり、自慢の父であった。彼はフルミノを大変可愛がったが、実のところ彼らの間に血の繋がりは無かった。フルミノは赤子の頃に彼の部屋の前に置き去りにされていた子なのだ。彼と付き合いのあった娼婦の字で『貴方の子だ』と書かれた手紙が添えられてはいたが、娼婦は知らなかった。生体を模擬した身体ではあったが、彼も勇助同様のサイボーグだったのである。
「でもパパはボクのことを凄く可愛がってくれた。パパは本当に優しくて格好良くて……大好きだった」
だが昇る日が沈むように全てには終わりがやってくる。フルミノの父はチャンピオンとの死闘に敗れて重傷を負った。多額の治療費と引き替えにカムバックを果たしたが、それ以降の戦績は全く振るわなかった。
「一度落ち目になったパパを誰も助けようとはしなかった。プロモーターも、整備屋も、若手の頃にパパが世話をしてやった剣闘士達でさえそっぽを向いたんだ。ボクは……ボクのパパにはボクしかいなかったのに、何も出来なかった……」
フルミノの父は次第に高額な整備費用を賄えぬようになる。だがそれでもフルミノの前では、鋼の男を演じていた。ただそれは苦し紛れに手を出すようになったドラッグの手助けによるものだった。
「パパは……パパは……どんどん、どんどんボロボロになって……」
次第に嗚咽混じりになるフルミノの震える手を勇助は優しく握った。体温の無い金属のアームなのに、不思議と温かだった。彼女は泣きながら微笑み、目元を拭って話を続けた。
「パパが居なくなっちゃうまでそう掛からなかった。でもボクは覚えてるよ。あの連中の仕打ちを」
父の葬儀は賑やかだった。だが参列したのは別れを告げに来た者達ではなく、貸した物を返して貰うという名目で集まったハイエナ共だった。彼等は主無き家から値打ち物を洗い浚い掠め取っていった。高価な調度品は勿論、父からフルミノへ贈られたささやかなアクセサリーまで。
「ボクは着の身着のまま放り出された。でもパパは隠し口座に多額のクレジットを遺してくれていたんだ。ボクが拾ってからずっと振り込み続けて、ドラッグに冒された頃でさえ手を付けずにいてくれたんだ……」
フルミノはそれを元に大学へ行った。彼女はそこでサイボーグの剣闘士を作り、直し、売り出し、守る術を徹底的に学んだのである。
「ボクがあいつらから学んだのは、この世は力が全てだってことさ。ボクは『やり直そう』と思ったんだ。今度は負けない。今度は奪わせない。ボクは……ボクのための、ボクのヒーローを造りたかった」
そして勉学の傍ら開発した無敵のサイボーグボディと共に闘技会の盛況なこの惑星へやってきたのだ。
「それで大枚はたいて生体デバイスとして最高峰の地球人頭脳を手に入れたと思ったら、これなんだもの。ボクがあの時どれだけ腹を立てたか分かるかい?ボクはボクの理想のヒーローをオマエに台無しにされた気分だったよ」
フルミノは拳を口元に当ててクスクスと笑った。
「それであの拷問かよ……ひでえ言い草もあったもんだぜ」
「そうだね。それはまるで見当違いだったってことを、オマエはすぐ証明して見せた。オマエは理想の……ううん、ボクの理想以上の剣闘士だ」
フルミノは花が咲いたような微笑を零す。勇助は握り返された彼女の掌から伝わる熱を感じていた。
「オマエは強いね」
「……俺は強くなんてねえよ。ちっとばかし、誰かを殴りつけるのが上手いだけだ」
彼はそこで止めておくつもりだったが、一度堰を切った言葉の流れは止まらなかった。
「俺は…あんなに良いショーに付き合ってくれたのに、フンゴールさんを殺した。力になるって言ったくせに、フェレスを…殺した。大事な友達だと思ってたくせに、トパズスを…殺そうとして…結局奴は死んだ。俺は……強くなんて無い。ただの、最低な、人殺しなんだ……それも、アイツの言った話じゃ今始まったんじゃなくて……俺は……俺は……」
勇助はガタガタと痙攣し始める。フルミノは彼から手を離して両腕を広げた。
「おいで、ユースケ」
慈愛に満ちた笑みは雲間から差し込む一筋の明かりのように美しい。彼女の淡いピンク色の病衣の襟から赤銅色の胸元が覗いている。薄手の病衣は彼女の身体の柔らかな曲線を浮き彫りにしていて、ツンと上向いた胸元と丸い腰つきがいやでも想像できてしまう。勇助はそんな自分を恥じてレンズを背けようとした。
「良いから、ほら」
フルミノは彼のアームを掴み、ぐいとベッドの中に引き込む。勇助は慌てて這い出ようとしたが、彼女の胸の中に抱きしめられると動けなくなってしまった。彼の小さな身体を包む彼女の柔い肌の温もりは、抵抗するには余りに甘美だった。
「ねえ、ユースケ……『強い』って、何だろう?」
彼の耳元にフルミノは囁く。静かに、穏やかに、安らかな子守歌の如く。
「力が強いこと?頭が良いこと?誰かを……殺せること?どれも違うよ。勿論『弱さを知ってること』だなんて禅問答でもない。『強い』っていうのはね、何かを『決断できる』ってことなんだ。困難であろうと、苦渋に満ちた物であろうと、決断し実行する『意思の力』。それをなんて言うか知ってるかい?」
「――――――『決意』」
彼の形を確かめるようにフルミノの滑らかな指先が立方体の角を撫でる。
「そう……『決意』だ。決意の大きさこそが強さなんだよ。人はいつも何かに言い訳をする。お金が足りないとか、時間が無いとか、こっちの方が合理的だとか言ってね。その言い訳を残して、本当に自分が望むこと、為すべきことから逃げる。自分の運命から逃げ出すんだ。多くの場合それが余りに大きな犠牲と忍耐を要求するから。でもオマエは一度だって言い訳しなかった。何を犠牲にしようとも、どんな代償を支払おうとも、いつだってオマエ自身の意思の元に決断を下してきた。それを強いと言わず、何て言うんだ?」
「フルミノ……」
「オマエはきっと、これからも苦しむだろう。何度だって打ちのめされるだろう。だけど絶対に逃げやしない。そして必ず望みを成し遂げる。ボクはそう信じてるよ」
フルミノはゆっくりと勇助の身体を撫でていた。
「なあ、ユースケ。クレジットが十分に貯まったら一緒に地球へ行こう。ホットケーキの作り方、教えてよ」
「へへっ……お安いご用、と言いたいが……もうそんな簡単なモンの作り方も覚えてるか怪しいな」
フルミノは優しい微笑を浮かべて勇助の顔をじっと覗き込む。
「じゃあ、一緒に覚えて作ろう。オマエの家族に食べて貰おうよ」
彼女の腕の中で勇助の身体が今一度震え出す。彼は掠れた途切れ途切れの声を出した。
「なあ、フルミノよう…俺は…俺は、また思い出せるかなぁ…元に、戻れるかなぁ……」
「大丈夫だ。考えても見ろ。オマエは既に一度、帝国軍の洗浄作用をはね除けて記憶を取り戻してるんだぞ。いいかい、この世に奇跡なんて無い。一度できたことは必ず再現できる。それが科学だ。ボクの本分だ」
フルミノは強く強く彼の身体をかき抱く。
「オマエは必ず記憶を取り戻す。ボクがそうさせてやる。絶対だ」
「フルミノ……」
シーツの中で二人は見つめ合った。勇助の視線は熱い吐息を漏らす彼女の唇に吸い寄せられ、ゆっくりと距離は縮まっていき―――
プシュッと言うドアが開く空気音と共にバッと二人は離れた。
「あらぁ~お邪魔でしたか~?」
巡回にやってきたルプス人の看護婦が間延びした声を上げる。勇助はバタバタと椅子に戻り、フルミノはゴホンゴホンと態とらしい咳払いを繰り返した。
「ふ、フルミノ!退屈だろ!テレビでも見ようや!」
「う、うん!そうだな!何か適当に付けてくれ!」
「何かありましたらコールして下さいね~」
看護婦は会釈して出て行ったが引っ込みの付かなくなった勇助は備え付けのテレビに向けてでたらめにリモコンを押す。そして気まぐれに止めたチャンネルに映し出されていた光景を見て、二人は硬直した。
『この結末を誰が予想したでしょうか!!奮戦むなしく遂に英雄譚は悲劇的な最期を迎えました!!』
それは昨晩の闘技会のリプレイだった。竜の吐息に焼かれた黒焦げの元チャンピオンが映し出されている。呆然とモニターを見つめる二人の前でアナウンサーは続けた。
『しかし意思は受け継がれる物です!エキシビジョンマッチにて予想外のアクシデントにもかかわらず勇敢な試合を披露したユースケ選手が挑戦を表明しました!乞うご期待!』
画面の中で揺らめく炎を背景にユースケと竜が対峙している。フルミノは怒号を上げた。
「ふざっ……ふざけるなッ!!! 誰も承諾してないっこんな話!! ユースケ、今すぐ取りやめに」
だが荒れる彼女を細いアームが制止する。彼女は信じられないと言う目で勇助を見た。
「受けよう」
「なっ……! 本気か!?」
「大真面目な話だ。実を言や俺は……『コツ』を掴んだんだ。聞いてくれ、考えがある」
フルミノの見立ては正しかった。震えていようと、弱音を吐こうと、勇助の決意は既に固まっていたのである。
惑星ルブルムの周りを回る衛星の片割れサンギィッス。鉄錆のような赤茶けた地表に命の痕跡は一切無い。だがその荒野には広大な円盤状の窪みが掘られ、闘技会の特別試合場が組まれている。この衛星は生活惑星では為し得ない試合を執り行うための、一種の『檻』なのだ。
勇助は蟻の巣のように広がる地下施設の中、無機質な金属壁の控え室でその時を待っていた。今日の彼は普段の黒金の身体だけでは無く、一振りの槍を携えている。槍は穂先が長く、柄の先端にも同じ刃が取り付けられたいわゆる両剣の構造となっていた。色は漆黒。彼の装甲と同じく完全結晶タングステン製だ。
彼のレンズは試合場へと続く控え室奥の隔壁へ注がれている。彼の身体から青白い焔が立ち上るが如く、勇助は全身に集中を漲らせていた。
しかし、そんな彼の背後から軽く柔らかな重みが腰に押し当てられた。
「ユースケ……フンゴールとの試合を覚えてるか」
「ああ」
勇助は振り向かずに彼の腹部へ腕を回したフルミノへ答える。フルミノは勇助の背に身体を預けながら腕に込める力を強めた。
「素晴らしいショーだったよね……ボクはもっと、ああいう試合をさせてやりたかった」
その声は僅かに震えていた。勇助は優しくフルミノの手を解こうとしたが彼女は弱々しく抵抗する。
「止めろ、こっち見るな」
だが彼女は勇助の力にあっさりと負け、彼が振り向くままに任せてしまう。彼女の目元は腫れ、鼻は少し赤かった。勇助は彼女のこめかみに触れ、そのまま髪を梳くように頭を撫でる。
「これから幾らでも出来る。俺に任せろ」
フルミノは彼に撫でさせるがまま、赤い瞳で彼を見つめていた。だがやがて意を決したように息を吸い込むと、腰に手を当てていつもの不敵な笑みを浮かべて見せた。
「……よし。ユースケ、ちょっとしゃがめ」
「はあ?何だよ」
「いいから!しゃがめ!」
彼は膝をついて小柄なフルミノに目線を合わせた。
「レンズを切れ」
「注文の多い奴だな」
そうぼやきながらも勇助は素直にレンズを切った。
その時だった。頬に彼女の手が添えられ、ふわりと瑞々しい何かが額に押し付けられる。
「『貴方の決意が運命の声を聞きますように』『稲妻のような勝利の祝福あれ』」
額に押し付けられた唇が詠うように呟く。勇助がレンズを入れ直したとき、フルミノは一歩離れて彼の目の前に拳を突き出していた。勇助は自らの拳を軽く突き合わせる。
「勝てよ。本当の勝負はそれからなんだから」
「任せろ」
勇助も不敵に笑った。表情の無い鉄仮面なのに何故かそれがフルミノにも分かった。
フルミノは控え室の外へ出ると、対面の廊下の壁に背を預けてふぅっと大きく息を吐いた。心臓が暴れ馬のように跳ね上がっている。正式なコルヌの『決意の祈り』をしたのは初めてだった。無論、これから彼以外にするつもりも無い。
彼女はぱしんと両手を頬に押し当てる。そして船の発着場まで駆け出した。試合後の計画に向けて準備をしなければならない。彼女は勇助の勝利を微塵も疑ってはいなかった。
そして通路の角を曲がった瞬間、何かのガスが鼻先に吹き付けられたと意識することさえ出来なかった。
勇助はエレベーターの中で感覚を研ぎ澄ませる。あの時からずっと、頭の奥で此方を睨め付ける視線を感じていた。それは忌まわしい呪いであると同時に彼の力の源だ。古代、人が火の力に挑んだように勇助もまた己に潜む獣に対峙する。その力を飼い慣らす。
勇助は決意を胸に超硬水晶のレンズを輝かせた。体内のリアクターに火が灯る。
扉が、開いた。
『皆様お待ちかね!勇敢なるチャレンジャーの登場です!果たして新たなる闘技場の覇者となるか!はたまた数多の屍の山にその身を重ねるのか!蒼き電光石火!黒金の死神!!サイボォォオオオオグッユゥウウウウウウスケェェェエエエエエエ!!!!』
ゲートを潜って現れた勇助を爆発したような歓声が出迎えた。殆どは惑星ルブルムから届く中継だが、直にその目で見たいというVIPの為に設えられた特別観覧席からの声も混じっている。言うまでも無く、最も豪奢な個室席を占めるのはカンデラだ。
あの女は俺達が苦しむ姿をその目で拝みたいのだ。だからこそ必ずその場にやってくる。これまでの試合は全てそうだった。勿論、そうでなければならない。
彼の心を嫌悪と愉悦が同時に襲った。
『対するは前チャンピオンを屠った星喰いの巨獣!!!この恐るべき怪物は今日も闘技場の王者として君臨し続けるのか!!それとも新たなる伝説の為の贄となるか!!ご来場の皆様熱波にご注意下さい!!マントルドレェェェエエエエイクッ!!!』
闘技場中央にぽっかりと開いていた巨大な縦穴から地鳴りの様な轟音が響く。せり上がる床に乗ってそれは現れた。不動の山の如き巨体、灼熱の溶岩流で出来た鎧甲を思わせる表皮、殺意迸る蒼い瞳をぎらつかせた巨獣がそこにいた。試合直前の巨獣は長い首と両手足に分厚い拘束具が取り付けられている。拘束具は互いに連結し、巨獣は海老反りのような姿勢になっていた。
『遂に始まる頂上決戦!!新たなる英雄譚が今幕を開ける!!試合ッ開始ィッ!!!』
弾ける鐘の音と同時に巨獣の拘束具が解除された。巨獣は息苦しい轡くつわら解放されるや否や、燃え盛る業火を吐き出した。勇助の眼前に広がる絶死の火炎。彼は迷わず槍を深々と地に突き立て、その豪腕でもって岩盤を弾き上げた。迫り来る炎の壁は隆起した岩の穂先に阻まれて二股に分かれる。勇助は炎が過ぎ去ると同時に岩盤を槍で突き破った。岩壁を貫通して現れたサイボーグの突進は真っ直ぐに竜を狙う。だがしかし、炎の息吹を吐きかけたはずの竜は既にその場にいなかった。代わって、炎の明かりが消え去ることで勇助は自分が巨大な影の中にいることに気付く。槍を脇に抱え、垂直に構えて空を見上げる。そこには彼を押しつぶさんと落下してくる山のような巨体の腹があった。
『決まったァー!!!マントルドレイクのボディプレスがユースケ選手を捉えました!生身であれば圧死不可避の一撃に、果たして鋼の肉体は耐えうるかぁ!』
直下型地震のような地響きが闘技場を揺らす。巨獣は腹の下の獲物の気配を探るように身じろぎしたが、即座に殺気を漲らせた。巨獣の腹と大地の隙間から青白い閃光が迸る。
爆音と共に巨獣は高く跳ね上がり、宙で大きく回転して地に叩き付けられた。巨獣の腹部が作ったクレーターの中心で鬼火のようなプラズマを纏ったサイボーグが佇んでいる。勇助は超電磁カタパルト跳躍の加速力を槍に乗せ、巨獣の腹を突き破ろうとしたのだ。だが単分子ワイヤーソーでさえ断ち裂く完全結晶タングステンの刃が音速で突き当たったにも掛からず、巨獣の腹はごく僅かに表皮が削れただけであった。
勇助の装甲に匹敵する恐るべき硬度である。だが彼は観客のように驚くばかりでは無い。
胴体は言わば分厚い装甲の塊、対して四肢と首は可動範囲の制限もあって然程の硬度では無い。だからこそ、あの脚輪と首輪は拘束と同時に防具の役目を果たしている。加えて腹部の巨大な熱源から首を渡って頭部へ流れる熱量の奔流を感じた。
首だ。首を落としさえすれば俺の勝ちだ。
身の毛もよだつ巨獣の咆哮が闘技場内に木霊する。勇助は再び槍を構えた。
巨獣は再び牙だらけの口腔から火炎弾を吐き出す。だが今回は連弾だ。絶え間ない火の雨が勇助目掛けて降り注いだ。勇助は真っ向から突っ込む。電磁加速の蒼い稲妻が荒れ地に軌跡を描いた。一見して炎の弾幕に逃げ場は無い。しかし衝突の刹那、勇助は電磁場を纏わせた槍の穂先によって巧みに炎の塊を逸らした。火の壁に針のような穴が開けられる。彼は掠りもせずにその穴を通り抜けた。
観客の間に驚嘆の溜息が広がる。肉眼では火炎の壁を煙の如くすり抜けたようにしか映らなかったろう。実況者が早口でまくし立てる内に勇助は既に巨獣の懐に肉薄していた。
一閃。漆黒の刃が宙を駆ける。瞬きも許さぬその間に拘束具ごと巨獣の前肢が断ち切られた。吹きこぼれる青黒い血が赤褐色の大地を黒々と染め上げる。苦痛と憎悪に満ちた巨獣の咆哮が闘技場を震わせた。勇助は返す刀で首に狙いを付ける。足の物より二回りは頑健な首輪目掛けて刃を突き上げた。
しかし必殺の一撃は空を切る。巨獣は首を守るため、刃が届く寸前に後ろ脚で立ち上がっていたのだ。その巨体を高く跳躍させるほどの強靱な足腰による起き上がりは電磁加速による一閃さえ回避してのけた。巨獣は起き上がった勢いを利用してその場で鋭く回転する。刃を振り上げたサイボーグのがら空きになった胴目掛けて巨大な尾が叩き付けられた。
大質量弾そのものである一撃を受けた勇助は豪速で弾き飛ばされる。彼は音速に迫る勢いで岩壁に叩き付けられた。瞬時にショックアブソーバーが働いたがそれでもなお殺しきれぬ衝撃が唯一の生身である勇助の脳を直撃する。猛烈な吐き気と頭痛が彼を襲い、視界は白濁と暗転を繰り返した。だがそれでも彼は立ち上がる。傷だらけになった装甲とよろめく足で、なお槍を構える。観客達の歓声が轟いた。
勝機。次は外さない。
無論のこと勇助は諦めていない。巨獣は明らかに首への一撃を恐れた。すなわち彼の推測の裏が取れたのだ。彼は三度駆け出した。巨獣も獲物に止めを刺すべく腹腔の天然核融合炉の出力を上げる。竜は立て続けに四度火の壁を吹き出した。先ほどとはまるで異なる分厚い紅蓮の焔がサイボーグを焼き尽くさんと襲いかかる。だが勇助は槍の穂先を真っ直ぐに突き出し、一筋の稲妻となって炎を貫いた。電磁防壁が灼熱の炎をはじき返し、熱影響を最小限に押さえる。とは言え摂氏数千度に及ぶ火炎は勇助の電装系に著しい損傷を与えた。視界の隅に並ぶ警告表示が赤く染まり、アラームが脳内に鳴り響く。
それでも勇助は真っ直ぐに駆け抜けた。
遂に火の壁を突破する。だが既に巨獣は後ろ跳びに距離を取っていた。もはや彼を近付かせるつもりは無いらしい。長大な尾が破壊的な遠心力を帯びて迫った。衝撃が、勇助に叩き付けられる
『なんとぉー!!これは遂に決まってしまったかぁーッ!?……えっ?あれ?』
試合場を飛び交う撮影ドローンは先ほど同様に対面の壁を追っていた。だが叩き付けられる筈のサイボーグがいない。ぐるぐるとカメラが回り、遂にその姿が映し出された。
巨獣の背後に浮かぶもう一つの蒼い月。その中心に青白い影が浮かび上がっていた。
勇助は天高く舞い上がっていた。彼は衝突の瞬間にその尾に組み付き、巨獣が尾を引く勢いを利用して背後の空に飛んだのだ。
勇助は宙で姿勢を反転し、膝を畳んで槍を足の下に回した。全身に鬼火が迸る。黒金の死神は剛槍を宙に浮かぶ足場とし、全力で蹴り抜いた。音を置き去りにして稲妻が落ちる。
落雷は巨獣の首の根元、拘束具の連結部を正確に打ち砕いた。轟く巨獣の叫び。弾け飛ぶ金属片が宙を舞う。勇助は巨獣の首元で大きく踏み込み必殺の手刀を構えた。
「くたばりやが――ッ!?」
止めの一撃を振り下ろそうとした最中、崩れ剥がれた首輪の中から埋め込まれたクリスタルガラスが露わになる。それを見た勇助は渾身の力で手刀を止めた。
「クソッタレェェエエエエエエエッッ!!!!!」
サイボーグは憤怒の雄叫びを上げる。振り下ろすことなど出来ようはずも無かった。
その中には、猿ぐつわを噛まされ縄で縛られた、フルミノが居たのだから。
勇助は絶好の瞬間と必殺の間合いを逃した。そしてその間が致命的だった。巨獣の激しく身震いによって足場が揺らぐ。勇助が伸ばした手はフルミノを閉じ込めたケースに届かぬまま、彼は滑り落ちた。宙で身動き取れぬ彼を再び巨獣の尾が捕らえる。今度は彼を弾こうとはせず、ぐるりと締め上げた。
「ドッッッ畜生がァァアアアアアアア!!!!」
尾の中で勇助はプレス機のような圧力に抗う。圧壊寸前の間接プラグが悲鳴の様な軋みを立てた。彼は渾身の力で尾を引き裂く。しかし脱出と同時に充填を済ませていた巨獣の火炎が彼を焼き払った。紅蓮の突風が彼を岩盤に叩き付ける。二度目の衝撃は深刻なダメージを勇助に与えた。勇助の意識が明滅する。
首を落とすのは無理だ。腹よりマシとは言え表皮は柔いわけでは無い。それを貫く程の一撃は間違いなくフルミノを閉じ込めたケースに及ぶ。彼女が無事でいられる保証は無い。加えて巨獣の俊敏さではフェレスのように助け出すことも不可能だ。しかもアレはご丁寧に偏光グラス。勇助ほど間近で接近しなければ中に人質がいるなど分かりもしない。観客は気付いてさえ居ないだろう。
唯一の弱点が突けない。突けば……フルミノが死ぬ。
「ヴォォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!」
黒金のサイボーグは地に伏せたまま、絶望の咆哮を空に放った。
特別観覧席の中で黒衣の美女が酷薄な微笑を浮かべている。トラバサミに掛かった獣が暴れ、刃が食い込んでいく様を嘲るように。
「良いわねえ……その調子よ、ユースケちゃん♪ 苦悩が深まるほど貴方の力は引き出されるわ。そのままの貴方に価値なんてないもの。フォアグラみたいに、死ぬまでたっぷり絶望を食べさせてあげる」
巨獣の足音が聞こえる。確実に止めを刺すために近付いているのだ。もはや彼に為す術は無かった。
助かるためにフルミノを殺すのか?それともフルミノを生かすために殺されるのか?その後でアイツを守る奴はいるのか?
俺はフンゴールさんを殺した。フェレスを殺した。トパズスを死に追いやった。そしてまた殺すのか?死なせるのか?俺に期待を寄せてくれた人を。俺を友達だと言ってくれた人を。俺を……救ってくれた人を?
嫌だ!!!!!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッ!!!!!!
ふ ざ け る な ッ !!!!!
「舐めてんじゃ…………ねェェェエエエ!!!!!!」
サイボーグは立ち上がる。目の前には既に巨大な火球が飛来していた。勇助は左腕に電磁力を纏わせ、力尽くでそれを撃ち返す。ピッチャー返しの様な一発は見事に巨獣の口に押し込まれ、爆炎を広げる。だがそれも僅かに巨獣を怯ませただけだ。しかもその代償に勇助の左腕は半壊していた。
『遂にユースケ選手が追い込まれたァ!!やはり現代の竜退治はならずか!!奮戦むなしくサンギィッスの灰と散るのかァ!!!』
言ってろクソがッ。勇助は胸の内で毒づいた。彼にとってはほんの一時を稼げれば十分だったのだ。彼は首を狙えない。ならば腹を破るしか無い。だが最大限の電磁加速でも破れなかった壁である。
熱が必要だ。溶岩流を泳ぎ、星のコアを喰らう竜をも焼き尽くすほどの熱が。
記憶を失う?しゃらくせえ! 俺が俺でなくなる?知ったことか!! 死ぬより辛いって?関係ない!!!
勇助は頭の奥深く、扉の向こうでその時を待っている闇に向かい合う。
俺の記憶が欲しいか?俺の魂が欲しいか?俺の身体が欲しいか?欲しけりゃあ……くれてやる!!代わりによこしやがれ!!!ありったけの…………力を!!!!!!
データカードに火花が走る。扉が、開いた。
サイボーグは立ち上がり掌に全神経を注ぐ。精緻極まる荷電粒子操作により彼の掌に超高真空が作り出された。体内のナノマシンは互いに連結し、掌に経絡が作られる。更に全身を超伝導体化し、強烈な電磁力の結界によって掌を包み込んだ。そして掌の中心に向けて高周波電流を発生させ、掌で超高圧プラズマを発生させる。蒼白いプラズマの焔が掌で渦を巻きながら収束していく。それはまるで極小の銀河のように壮大だ。電磁波により電子は共鳴的に加速した。際限なく加熱するプラズマは優に一億度を超えている。
体内ではナノマシンが余剰水分を分解し、水素イオンを作り出していた。指先に送り込まれる超高出力重水素原子ビームがプラズマを更に極限を超えて回転させる。掌の中で飛び交う重水素原子は秒速千キロメートルを超える速度で互いに衝突核融合し、膨大な熱量を吐き出してヘリウム四原子核へと変化した。
そして遂に掌に生まれたのは、極小の太陽だった。これぞ銀河帝国を崩壊の危機から救ったサイボーグコンバットの究極絶技・恒星熱核掌である。
口腔の熱傷から復帰した巨獣は目の前に突如現れた恒星に恐れ戦いた。彼の本能が最大限の警報を鳴らす。掌大とは言え己を焼き尽くすには余りある炎だ。虫けらならば考える間もなく逃げ出しただろう。だが目の前の鋼鉄の塊は自らが作り出した熱量に耐えきれず、徐々に融解している。何より星竜種の王者たるDNAに刻まれた誇りが巨獣に逃走を許さなかった。
巨獣は体内炉の出力を最大限に引き上げて炎の息を吐きかける。サイボーグは溶けゆく身体を引きずりながら掌を突き出した。すると吐き出された炎は見る見るうちに彼の掌に吸い込まれていく。巨獣の瞳に浮かんでいた殺意は瞬く間に困惑と恐怖の色に変わる。掌の太陽は炎を吸って益々膨れあがった。
勇助には今もフルミノの顔が見えていた。彼女は囚われの身だというのに、首元で彼と目が合った瞬間に目で言っていた。『構うな、ボクごとやれ』と。そして今では『止めろ!!!』の怒号に変わっている。その目には大粒の涙が溢れ、滝のように彼女の頬を濡らしている。
また泣かせちまったな。だけどよぉ……フルミノ。俺みてえな人殺しが馬鹿みてえだと思われるかも知れねえが、俺は……お前は……お前だけは……!
「助けるってなァ!! 決めたんだよォオオオオオオオ!!!!」
サイボーグは残る全ての力を注ぎ込んで腕を突き出す。全身は既に真夏の氷細工のような有様だ。だが構いはしない。灼熱の恒星は遂に巨獣の腹に触れた。黒金の死神は手負いの獣が全てを投げ打って逃げる暇など与えない。勇助はそのまま腹を焼き尽くし、突き破った。恒星はそのまま生体核融合炉すら飲み込み、一際大きく輝く。勇助は蒸発する体液の白煙を纏い、真っ直ぐに巨獣を貫通した。
星喰いの竜は血を吐き出し、倒れ伏せる。サイボーグはそのまま燃える恒星を天高く投げ上げた。蒼い月の下、輝く極小の恒星は大きく膨れ上がり、全てを巻き込んで爆裂した。
クリスタルガラスの破片が舞い散る中、フルミノは勇助の溶けかけた右腕と半壊した左腕に抱きしめられて泣きじゃくっていた。
「ユースケ…ユースケェッ!…ごめん、ごめんっ…ボクのせいでこんな、こんな……!」
「泣くな、本番はこれからだ」
爆炎と粉塵の中、勇助は半壊した腕にフルミノを移すと地に突き立った槍を拾い上げた。あらかじめ狙いを付けていた座標を見据える。
そして一投。殺意漲る投げ槍がカンデラの特別観覧席向かって放たれた。
「あら、いけない」
カンデラは壁に掛かったコートをたぐり寄せるような様な気安さで側の護衛の男を引っ張り寄せた。反動でカンデラがのけぞった瞬間、その頭上を駆け抜けた槍が男の胸を貫く。
「もう十分ね、回収しましょ」
火炎地獄と化した闘技場の中心で勇助は舌打ちする。
「外したか……悪いフルミノ、プランBだ」
「元から事故に見せかけるのは無理があったさ。本命は次だ、行くぞユースケ!」
ショーの幕は下りた。ここから先に観客はいない。ユースケとフルミノ、二人だけの為の戦いが始まった。