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第六章『襲撃者』

――闇の中で光が瞬く。次第に強く……赤く、紅く――

 赤熱した大地と立ち込める黒煙の中、自分は隊員を伴って爆心地の中心を目指して急斜面を駆け下りていた。周囲一帯はガイガーカウンターが発狂したように鳴り響く放射線嵐の地獄だ。強烈な放射線はサイボーグにも有害である。全身に蒸着された耐粒子線多層コーティングも長くは持たない。無論生身であれば即死であり、分厚い防護服を着れば身動きは取れないだろう。自分達が必要とされる戦場だ。

 辺りには轟く地響きに加えて遠雷のような戦闘音が木霊している。制空権及び制宙権を維持していられる時間もまた無限ではない。装置を運搬する隊員達と共に自分は急いだ。

 程無くして自分達はクレーターの底へ到着した。隊員達へ号令を掛け、装置を中心部に設置する。パネルを起動させると瞬時に目標が表示された。地下2万メートル。地殻破砕弾は確かにそこで停止していた。大方の予想通りであったがやはり信管が故障している。

 二射目の余裕は無い。ここから直接起爆するしかないだろう。

 隊員達は解析装置を取り外し、代わって地殻貫通杭射出装置の設置に取り掛かる。自潜式の杭は体腔から侵入して内臓を食い荒らす寄生生物のように岩盤を食い進んでマントルへ到達する。本来はマグマ噴火を誘発する兵器だが今回は地殻破砕弾の雷管代わりに使用する。破砕弾は惑星全体にヒビを入れ、地殻を構成する各プレートを粉々にする。広がったヒビはマグマを吹き上げて惑星全体を生まれたての姿に戻すだろう。

 この惑星は銀河連盟の主要拠点だ。豊富に産出する良質なロケット燃料の原料を基に重化学工業が栄え、今では銀河連邦の一大補給拠点となっている。この星を失えば少なからず銀河連邦の船足は鈍る。また経済的な損失も計り知れないだろう。加えて人口はそのまま戦力だ。この星で採掘工として生活する男達、家族、生まれる子供達――

「設置完了しました」

 隊員達が指示を求めて自分を見つめる。重大な任務だ。この惑星を破壊することで銀河帝国はまた一歩勝利に近付く。我々の存在意義はより確固としたものとなり、将軍もお喜びになる。我々は再び戦い、殺し、彷徨い、手を紅く染め、足元にはお互いをかき抱く姿勢のまま黒焦げになって固まった大小の焼死体が―――『止めろ!』

「隊長?」

 自分は我に返る。足元に焼死体など無い。いつものアレだ。ドクターは洗浄前の記憶が残留しているのだと言う。忌々しい――擦ろうと引っかこうと剥がれ落ちない、こびり付いた便器の垢だ。しかし勧められるまま再洗浄するのは不安が残る。洗浄のたびに自分の頭脳はフォーマットを繰り返した記憶水晶のように白く濁る。また、それ以上に訓練結果と仲間達や将軍の記憶を失うのが惜しかった。

 自分は蓄積したキャッシュをクリーンアップし、隊員に向かって命令を発『止めろ!』

「隊長?準備は整っております。御命令を」

 頭が痛『止めろ!!』い。鳴『止めろ!!!』り響く声が止ま『止めろ!!!!』らない。自分『止めろ!!!!!!』は――――


「止めろォォオオオオオッッ!!!!!!」

 絶叫と共に勇助は眼を覚ました。目の前を真っ白に覆い尽くす光の靄が急速に薄らいでゆく。晴れた霞の向こうに目を丸く見開いた赤銅色の肌の美少女が居た。

「……ユースケ?」

 震えた唇が乾いた声を漏らした。美しい蛍火の緑髪は寝癖まみれで、跳ね返った毛先があちらこちらにぴょこぴょこ飛び出している。黒い油汚れが染み付いた作業着と皺だらけの白衣のまま、フルミノは作業机の上に乗せられた勇助を呆然と見つめていた。

 勇助はゆっくりとレンズを動かした。どうやら箱詰めの身体に戻っているようだ。立方体の体に夥しいケーブルが繋がれ、作業台周りにはありったけの工具と部品類、数式や化学式のメモが散らばっている。さながら爆撃を受けた町並みのような有様だ。しかしこれは彼女が繰り広げた凄まじい格闘の跡に違いない。勇助は再びフルミノに焦点を合わせた。

「あの子達はどうなった?フェレスは無事か?」

「その前に言うことがあるだろッ!!このっドチンピラがァ――ッ!!」

 フルミノは机のキーボードを掴み上げ、勇助目掛けて勢い良く振り下ろす。が、その手は叩き付ける寸前でピタリと静止し、代わってぶんと横に向かって放り投げた。壁にぶつかったキーボードが派手な音を立てて粉々になる。キーはポップコーンのように弾けて部屋中に飛び散った。

 フルミノはギリギリと歯軋りしながら真紅の瞳を怒りの炎で燃やしている。寝癖頭がゆらゆらと湯気を上げて立ち上り、こめかみの角も相まってその顔は般若そのものだ。

「……あーっと……その……悪かった」

 フルミノはまだ臨戦態勢を解かない。残念ながら言葉が足りないようだ。勇助は余計なもの付け加えないよう、慎重に言葉を選んだ。

「じ…時系列順に行くぞ。まず…お前の制止を無視してバカをやって、悪かった。次は、絶対お前のオーケーを貰ってからにする。それから、俺を治してくれたんだよな? そ、その……あ、あ…あり、ありがとう」

 慣れぬ感謝の言葉に発声器がもつれる。フルミノはしばらく拳を握ったまま彼を睨みつけていたが、やがてふっと体の緊張を解いた。

「今後一切あんな無茶苦茶は無し、と言いたいが……どうせオマエは自分が必要だと思えばボクの命令を無視するに決まってる」

 彼女の言うことも尤もだった。勇助は同じような時に自制できる自信が無い。

「だから別の部分でペイしろ。今後ボクの命令を破って被った損害は全部オマエ持ち。ボクの作業費は倍額請求だ。払えなくても利子無しで次の試合まで待ってやる。異論は?」

「無いです」

「よろしい」

 フルミノは両手を腰に当ててフンと鼻で息をついた。勇助も内心でホッと溜息をつく。漸く気にかかっていた話題に入れそうだ。

「フルミノ、頼んでた話だけどよ……」

「落ち着け。オマエのメディカルチェックが先だ。その後でゆっくりと説明してやる」

 彼女は真剣な目で予備のコンソールを取り出して接続し、作業を再開する。今度こそ勇助は大人しくじっと待っていた。

「頭痛や目眩はあるか?記憶はどこまである?」

「どこも痛かねえし、試合も最後まで覚えてるぜ。あ、でも…何か変な夢見たような…」

「……後で詳しく聞かせろ。覚えてる部分だけでいい」

 フルミノは勇助の検査を続け、チェック項目を一つ一つ丁寧に潰していった。


 試合の後、フルミノは勇助を回収して強制的なスリープ状態にした。そしてすぐさま試合相手の、つまり子供達を送り込んだ相手側エージェントと交渉を始めたのだが、簡単には済まなかった。そもそも試合中に止めを刺されるならともかく、終わった後で相手を寄越せと詰め寄る彼女の行動が異常なのである。エージェントの雇い主はフルミノの予想通りヴァリ生化学だった。目的は子供達に投与した薬品の臨床データだ。もちろん逐一モニタリングしていただろうが、生体解剖記録に勝るデータはない。エージェントは雇い主の意向を汲んで彼女の要求を突っぱねた。だがフルミノも用意に引き下がりはしなかった。

「所詮は何の権限も持たされてない伝書鳩野郎だからね。ヴァリ生化学本社の窓口を直接呼び出すしかなかった。ま、結局勝ったのはボクだけどさ。子供達は全員あの腐れバイオ屋とは無関係の病院で治療中。孤児院の手はずも整え済みだ。感謝しろよ」

「流石のやり手だな。どんな手を手ぇ使ったんだ?」

「大学時代に作った製薬プログラムの特許をくれてやったのさ。タンパク質の折り畳み構造解析のアルゴリズムを組み込んだ特別製で製薬能率が従来の倍以上になる優れ物だ」

 彼女は赤い目を細めて少しだけ悪戯っぽく笑い「ボクがオマエの保護液を作るのに使ったプログラムの三世代前だけどね」と付け加えた。が、その笑みもすぐに消えてしまう。フェレスの方は子供達のようにはいかなかったのだ。

「交渉と平行して雇ったハンター達に廃ビルを探させたんだけど、中はもぬけの殻だった。それに屋内には戦闘の跡があったんだ。十中八九、子供達と一緒にヴァリ生化学に捕まったと思う。だがこれに関してはどんなに飴を積んでも何も答えなかった」

 フルミノの表情は苦々しげだ。苦悩と後悔、若干の恐れの色が混じり合っている。

「……分からねえことだらけだ。どうしてフェレス達なんだ?何の意味があるんだ?連中は『何がしたいんだ?』」

「一つは嫌がらせ……いや待て、語弊があった。正確には、あの女の『趣味』だ。あの陰険女はオマエが子供達を惨たらしく殺すか、あるいは何もできずに惨たらしく殺されるところを見たかったのさ。いかにもあの女がやりそうな話だよ、全く……吐き気がする」

 フルミノは何かを堪えるように目元を手の平で覆う。

「言い換えれば…ボクらが目を付けられたせいで、巻き込んでしまったってことかな…」

「あいつ等を直接ぶっ飛ばすってできねえのか」

 彼女は息を呑んで彼を見つめた。

「俺のせいでフェレス達が狙われたなら俺には責任がある。俺は落とし前を付けなきゃならねえ。第一、放って置いたらあのアバズレは味を占めて同じことを繰り返すぞ。最悪フェレスをあの子たちみたいに俺にぶつけようとしかねねえ。手を打つべきだ、フルミノ」

 フルミノは答えない。

「ここまで『コケにされて』黙ってるのか? アレが全部あの女の仕組んだ話なら、俺は次に会ったときに我慢できる自信がねえぞ」

 フルミノはゆっくりと深く息を吸い、同じだけ時間をかけて吐き出した。

「……いいだろう。オマエの気持ちはよく分かった。ボクも同感だ。だが、今のボクらには他に考えなきゃならないことが多すぎる。今は保留だ」

「俺は今殴りたいんだ」

「分かってる!」

 フルミノは叫んだ。勇助はそこで漸く、彼女の拳がいつかのように堅く固く、自らの爪が皮膚を破り赤い滴が滴るほど握りしめられていることに気付く。

「ボクが平気だと思ってるのか? 腹を立ててるのはオマエだけだとでも思うのか? ボクだってハラワタが煮えくり返ってるに決まってるだろ!! だが今は手立てが無い! ボクはオマエを英雄にすると誓ったんだ! ボクらはその上で報復しなきゃならない!」

 勇助は驚いた。彼女はまだ剣闘士興業の成功を諦めていないのだ。

「いいか。必ず、必ず機会を用意してやる。力一杯殴りつけにいく機会を用意してやる。だから待て。ボクがプランを完成させるまで、機会がそろうまで待つんだ。ボクはオマエのプロデューサーでもある。ボクが『いい』と言うまでボクに任せろ」

 勇助は眼を反らしかけたが、その気持ちを堪えてじっと彼女を見つめる。彼は自分が恥ずかしかった。

「……分かった。フルミノに任せる」


 フルミノは勇助の整備を終えた。幸い記憶障害や後遺症の兆候は見られず、二人は揃って安堵の溜息を吐く。とは言え、負荷が大きい戦闘用ボディはしばらく使用を避けて興業を休むことにした。彼は休養期間に子供達の見舞いやもう一度フェレスを探しに廃ビルを探索しようと提案しかけたが、フルミノの顔を見て言葉が発生器の奥に引っ込んだ。

 整備は滞りなく終わったというのに彼女の顔は些かも緩んではいなかったのである。

「まだ何か気掛かりなことでもあるのか?」

「うん……言っただろ、考えなきゃならないことが多いって。でもこれは結局一つの事柄に収束するんだ。即ち『オマエは何者か』だ」

「はぁ?何だそりゃ禅問答か?」

 勇助はレンズを傾げた。しかしフルミノは至って真面目な様子だ。言葉遊びや哲学的思考実験に興じようという雰囲気ではない。むしろ目の前に差し迫る脅威をいかに対処するか、そんな目だった。

 彼は不意に自分の真後ろに切り立った崖が現れたような気がした。思わず身震いする。

「いいか、ユースケ。これはボクらの安全に直結する話だ。知らぬ存ぜぬで素通りするには余りに危険なんだ。だが同時にオマエにとって非常にショッキングな話になる。そしてあの女がオマエに執着するのも『これ』について断片的に知っているからじゃないかとボクは踏んでいる。――覚悟はできてるか?」

「宇宙人に拉致されて脳味噌一個だけの体になったんだ。今更ショッキングもクソもあるか。聞かせてくれ」

「よし、いいだろう。始めに前提としてオマエの不安を払拭しておく。まず、地球でオマエの家族が見つかった。オマエの仕送りも無事送金済みだ。希望するなら簡単な連絡も取れるように手配してやる」

「そうか!ありがとよ、フルミノ!」

 勇助は珍しく心からの礼を述べた。だが、彼女の顔色は晴れない。

「……本題はここからだ。オマエ、自分が地球を離れてどれ位立つと思う?」

「はぁ? ここにきてからまだ半月も経ってねえから、せいぜい一月か、長くても二月くらいか?その辺りだろ」

「約三年半だ」

 勇助は硬直した。彼女の言葉は確かに聞こえたが、その意味を理解できない。

「正確には地球時間で……オマエが地球で行方不明になってから三年五ヶ月と四日が経過してる。オマエの家族は引っ越してたから見つけるのに時間がかかったんだ。だが落ち着け。まずオマエの家族は全員無事だ。家計は逼迫してオマエの弟は高校を諦めかけていたが、それもオマエの仕送りで解決する見込みだ。大きな怪我や病気もない」

 勇助は固まったままフルミノの言葉を聞いていたが、急に彼女の声が遠ざかったようで現実感が無かった。

「あんな試合の後でオマエを混乱させるのは良くないが、悠長なことを言ってられなくなった。これを見ろ」

 フルミノは卓上ホログラムに三次元映像を投射する。ゆっくりと回転する蛍光緑色の物体は勇助の頭脳の3Dモデルだった。彼女はモデルの一部を指さす。頭脳の底の部分、小脳の真下に明らかな人工物があった。トランプケースほどの四角い立方体だ。

「これはオマエを買った時点で既にオマエの頭脳に取り付けられていた。表面状態から、少なくとも設置されて約3年が経過している。初めは密猟者が取り付けた制御用のデータボックスだと思ったんだが、よくよく調べると不審な点が多い」

 フルミノはコンパネに指を滑らせ、複数のグラフや数値を3Dモデルに並べて表示する。

「まず製造表示が無い。どこかの海賊版かとも思ったが、それにしては作りが精巧すぎる。分解しようにもオマエの神経系と完全に接合されていて迂闊に手出しできない。これを取り付けた奴は、少なくともこのフルミノ・ウィクトーに匹敵するサイバネ技術者だ」

 続けて彼女は映像を映しだした。その中にはユースケが特大級のサファイアゴーレムを打ち砕く瞬間と、地下闘技場でスパークを起こした瞬間が流れている。

「それから、オマエは気づいていないみたいだが、オマエは時折『ボクが備え付けていない機能』を発現させた。そして……そのときには必ずこのデータボックスと何らかの情報のやりとりをしている。いいか、本来はこんなこと『出来るはずが無い』んだ」

「は? いや、現にやってのけてるじゃねえか。……え?」

「だからおかしいんだ。人工筋肉の超伝導体転移現象、ナノマシンを流用した電流網形成、そんな機能をボクは組み込んでいない。あり得ない…ボクが知る一つの例外を除いては」

「……もったいぶんなよ」

「ボクが『二度と使うな』って言ったの覚えてるか? アレは露見した時の万が一を防ぐためだ。オマエに取って有害なことでもあるからだが……ともかくこれは既存の機能を組み合わせて全く新しい技能を発現させるサイバネ応用技術であり、約一年前に休戦に入った百年戦争末期に投入された兵器の一つに酷似している。通称サイボーグコンバット」

 彼女が唾を飲む音が聞こえた。

「ユースケ……オマエの頭脳には軍事機密が使用されている可能性がある」


 勇助とフルミノは人混みの中をかき分けるようにして路地の奥へ進んでいた。周りより頭一つ文背の高い生活用ボディの勇助と対照的に、フルミノはすっぽりと人込みの中に沈んでいる。だが勇助の手を引いて流れるように前へ進むフルミノは、水面の下で流木を避けながらすいすいと泳ぐカワウソのようにしなやかだった。二人は程なくしてやや開けた通り道に出た。通りの両側に所狭しと出店が並んでいる。しかしやりとりされている商品は軽食でも土産物でもない。帝国軍装備の横流し品や違法採掘された特殊鉱物、密漁で得られた宇宙生物の素材。ここは惑星ルブルムの裏の顔の一つ。大闇市だ。

「俺ぁこんなとこで売られてたのかよ……危なくねえ?」

「危ないさ。だけど他に手がかりが無いんだ。しっかりボクを守るんだぞ」

 勝手知ったる何とやらか、フルミノは人混みの中をスルスルと滑る様に通り抜けていく。二人は何かの機械類が所狭しと並べられた露店の前までやって来た。露店の奥ではキャスケット帽子を目深に被った小男がござの様な物の上にちょこんと胡坐をかいている。小男は全身が短い毛で覆われていて、鼻先が長く尖っていた。鼠のような顔付きだ。

「オヤオヤ、ウィクトーの御嬢ちゃんじゃありヤせんか。何かご入用でヤすか。ぃえっひっひっ……」

 小男は鼻先をヒクヒク動かしながら小さな手を揉み合わせる。しわがれた笑い声は小さく囁く様なのに妙に響いた。

「オマエから買った地球人の頭脳の出所を教えろ」

「ぃえっひっひっ……それはそれはご無体でヤスなぁ。ここじゃあお互いに、知らぬ存ぜぬがマナーでヤスよ。ひょっとして、そこのサイボーグがそうでヤスか? ぃえっひっひ……立派な首の下をつけてもらいヤしたなあ」

 彼女は両手は腰に当てたまま、グッと腰を曲げて鼻先を小男の前に突き出す。

「オマエ、自分が思ってるよりヤバいヤマに手を突っ込んだ自覚が無いな?」

 小男は揉み手をやめてぴくりと眉を動かした。目やにだらけの瞼の奥から葡萄のような黒紫の瞳が抜け目ない光を放つ。

「ボクは半分くらいは親切で言ってやってるんだぞ。詳しい『座標』なんか聞かない。コイツを回収したときの状況を知りたいだけだ。もちろん只とは言わないさ」

 フルミノは後ろに控えた勇助に顎をしゃくってみせる。彼はバッグを小男に手渡した。小男は恐る恐る受け取って中を改める。そして『中身』を確認したとたん目の色を変えた。フルミノは口の片端を吊り上げて不敵に笑う。

「洗いざらい喋ればそっくりくれてやる」


 二人は小男に連れられて路地裏の奥にある小さなテントの中に入った。小男は何かの草で編まれた丸い座布団のような物を二人に差し出す。

「こいつは誰にでもすることじゃありヤせん。お得意さんのウィクトーのお嬢ちゃんだからお話しするんでヤスよ」

「分かってるよ。ボクも暇じゃないんだから早く話せ」

 小男は衣装ケースほどの金属箱から何枚かの写真を取り出してフルミノに手渡した。

「そいつを回収した現場の写真でヤス。お嬢ちゃんもご存じでヤしょうが、宇宙のゴミが流れ着く重力平衡点、所謂『宇宙船墓場』の一つで見つけヤした。このときはまだ首から下が残ってヤス。正直言って、この破損状態で頭脳が無事だったのは奇跡的でヤしたね」

 フルミノは砂粒の中から砂金を探すような慎重さと丹念さで一枚一枚をじっくりと眺めていた。勇助も脇から覗く。宇宙の闇を背景に漂う機械類と人型の何かの残骸が写っていた。デッサン人形のように表情がないサイボーグもしくはアンドロイドの残骸だ。それは踏み込んで右腕を前に突き出しているような姿勢だが肝心の右腕の肘から先が無くなっていた。肘の断面は一度溶けて固まったガラスのようにドロリとした滑らかな曲線を描き、虹色の金属光沢を放っている。全身の正面にも右腕ほどではないが融解した後があった。

「この残骸はどうした?」

「申し訳ありヤせん。商品に出来そうな部分を見繕った後はまとめて屑鉄屋行きでヤス」

「商標はあったか」

「……どこにもありヤせんでした」

「それを幸いに売り捌いたわけだな。海賊版にしては妙に出来が『良過ぎる』サイバネ部品を。怪しいと思わなかったのか」

 小男は見るからに慌てて辺りをきょろきょろ見渡し始めた。

「声が大きいでヤス!そ、それにそこは……」

「前線宙域からは離れてたんだな? それでオマエは帝国軍とは関係無いと思い込もうとしたんだ。写真を見れば分かる。これだけ高品質の部品類を見て見ぬ振りなんて出来っこない。だが迂闊だったな」

 小男は首をすくめて喉の奥でキュウと小さく鳴いた。

「ウィクトーのお嬢ちゃんに隠し事は出来ヤせんなあ……でも、やっぱり変でヤスよ。今代のお上の代にゃ、とっくに……」

「そうだ。地球人頭脳の生体デバイス使用は違法になっている。だから『ヤバいヤマ』だと言ったんだ。単なる正規品装備の横流しなんかよりも遙かに抜き差しならない状況だ」

 フルミノは写真から目を離すと小男に向けて冷ややかに笑う。青白い刃のような冷笑だ。小男は震え上がった。

「このボクにこいつを売りつけたのはオマエだ。イヤでも最後まで付き合ってもらうぞ」


「ちょっと脅かしすぎたように見えるかもしれないが、本当は足りないくらいだ。あいつは金に汚いが約束は守る男だし、顔も広いからな。手付け金を奮発したんだ。ボクらの為にしっかりと働いてもらおう」

 路地裏の帰り道でフルミノは饒舌に語る。かすかに上気した頬は上機嫌の証だ。

「出来れば原物が欲しかったが、売り払われた後じゃ仕方無い。ボクだって取引相手の情報をべらべら喋る奴から買ったりしないからね。写真が見れただけでも運が良かったよ」

 しかし彼女と対照的に勇助はむっつりと黙りこくったままだった。フルミノは幾ら声を掛けても反応しない勇助をジロリと睨む。

「……オイ、どうしたんだ? オマエ少し変だぞ」

 声を掛けられた勇助は不意に立ち止まった。数歩前に出たフルミノはくるりと振り返り、彼の前に立ち塞がる。勇助は立ち尽くしたまま、躊躇いがちな声で彼女に告げた。

「……なあ、フルミノ。ここからならフェレスの廃ビルが近い。少し寄っていけないか」

 彼女は両手を腰にあて、口を結んだまま答えない。しかし大きな溜息を吐いてから笑みを見せた。

「いいだろう。だけどもう時間も遅いから、長居はできないぞ」

「ああ、分かってる」


 二人が廃ビルに着いた頃、日は既に沈みかけて真向かいの空には青い月と赤い月が昇っていた。夕日の黄金色と月明かりの紫色が混じった奇妙な蘇芳の中天がこの星の黄昏時だ。

 二人は廃ビルの中を見て回る。辺りの壁には幾つかの真新しい弾痕が残っていた。粗末なテーブルや椅子がひっくり返って散乱し、血が滲んだ毛布が部屋の隅に残っている。ひび割れたガラス窓から黄昏の明かりが物悲しく差し込んでいた。

 勇助は毛布の前にしゃがみこみ、じっとそれを見ていた。

「……ユースケ」

 フルミノは声を掛けたが返事は返ってこない。しかし、意を決してもう一度声を掛けようとした時、その機先を制すように勇助の声が遮った。

「なあ、フルミノ。俺は……薄情だと思うか」

「な……唐突に何を言い出すんだよ」

「俺はお前から話しを聞いたとき、すぐにあの女をぶちのめす事に頭を切り替えた。普通は……もっと、こう……何だ……『どうにか助けられねえか』って悩んだりとか、『どうしてこんなことに』みてェに後悔するんじゃねえのか?でも俺はそうしなかった。いや……そう『ならなかった』。カッコ付けた台詞吐いたくせによ……俺はいつもこうだ。クズ野郎だ。駄目だと思ったらすぐ諦める」

 勇助はフルミノに背を向けたまま、部屋の隅でじっと蹲っている。彼女の返事が聞きたいのか、それとも単に聞いて欲しいだけなのか、実の所彼にも良く分かっていない。

 フルミノは暫し沈黙していたが、腕を組んで無理やり口の端を持ち上げた。

「罵倒して欲しいのか? 情けない奴だな。オマエはとんだナルシストのマゾヒストだ。オマエ如きチンピラが自惚れるんじゃあない。自分の領分を弁えろ。いいか、ボクはオマエに自己嫌悪なんていう『贅沢』は許さないぞ。ボクの命令をこなす事だけ考えてればいいんだ。分かったか、野蛮人め」

「お前は優しいやつだよな、フルミノ」

 背を向けたままの勇助に思わぬ返しを貰ったフルミノはカッと顔を赤くした。今度こそ真心込めた罵倒をくれてやろうと口を開きかけたが、またもや勇助に機先を制される。

「俺に軍事機密がどうのってのは、どの程度確かなんだ?」

「…まだ与太話の域を出ないよ。状況証拠は続々と出てくるけど、状況証拠でしかない。確実なのはデータボックスの開封だけどオマエに損傷を与えずに開けるのは現状じゃ無理だ。もう一つはサイボーグコンバットの再現をさせて解析することだけど、これは…」

 フルミノは言いよどんだ。勇助は膝に手をついてゆっくりと腰を上げ、部屋の中央で俯く彼女に歩み寄る。この体では彼女の背は勇助の胸ほどまでしかない。立方体の状態ではいつも見上げていたのに、今になってそれが不思議とおかしく思えた。

 フルミノは面を上げて彼を見上げる。真紅の瞳が静かに揺れていた。

「フルミノ、俺が厄介な事になったらさっさと放り出せ。大丈夫だ、慣れてるから」

「なっ!?ばっ馬鹿言え!!オマエに幾らかけたと思ってるんだ、この盆暗!!このボクがクレジットの成る木をそう易々と手放すわけ無いだろトンマ!!第一オマエは」

 突如として電子音が廃屋に鳴り響いた。勇助の携帯端末だ。彼はフルミノに背を向けて端末を取り出し、表示を見る。誰かからの通話のようだが見覚えの無いナンバーだ。勇助はコールが四回繰り返された後、それに応えた。

「ハァイ♪ お元気かし」

 その声を聞くや否や勇助は端末を床に叩き付けた。衝撃で床にヒビが入り、端末は火花を散らして画面が砕ける。直後に勇助は力一杯その端末を踏みつけた。踵が床にめり込み、足の裏で潰れた端末が破裂する感触が伝わる。殺風景な部屋の中に反響音が木霊した。

 勇助は熱が引くのに合わせてゆっくりと、床から足を引き抜く。

 フルミノは彼の突然の激昂を呆然と見つめていた。勇助は瞬間的なエネルギー圧の上昇で冷却が追いつかず、体内に篭った熱が彼の頭からゆらゆらと陽炎を立ち上らせている。だが落ち着く間も無く次の着信コールが彼女の端末から鳴り響き、彼女はびくりと震えた。

 勇助は振り向かない。その背中は『憤怒』以外の何も語ろうとはしなかった。フルミノは迷ったが、思い切ってコールに出る。

「ちょっとぉ……酷くなぁい?折角私が電話してあげたのに、あんな仕打ちって無いわ」

「カンデラ…さ、ま……ッ」

 フルミノは静かに拳を握りしめた。猛りを押さえ込むように奥歯を強く噛む。勇助は不意に振り向き、フルミノの背を赤紫色に染めていた光を遮るようにして窓の前に立った。

「…何のご用件でしょうか。ボクは今回の件について貴方に強く抗議したはずです。貴方から誠意ある謝罪を受けなければ試合も受けないとお伝えしたはずですが」

「そんなこと言っちゃってぇ……困るのはフルミノちゃんでしょ? 私がこうして仲直りの機会をあげたんだから、素直に喜びなさいな」

 フルミノは勇助がしたように端末を叩き付けてやりたいという猛烈な衝動に襲われた。しかし、顎が軋むほど歯を食いしばり、その誘惑に耐える。

「もちろん、ボクも今後一切カンデラ様のご厚意に預かれないというのは痛恨の極みです。しかしながら今回のような試合を立て続けに行われては、ユースケの商品価値を損ないます。彼はもっと相応しい舞台で活用すべきです」

「ふーん……そんなに不満なの?第一、私は嘘は吐いていないわよ。あの子供達は不法滞在者、つまりは犯罪者よ。洗い直せば窃盗や詐欺、恐喝くらいの余罪はぼろぼろ出てくるわ。それに相手が子供だろうと大人だろうと、殺すのは同じじゃない」

「断じて違います。まずユースケは必ずしも試合相手の殺害を前提としてはいません。次に、同じだというなら何故貴方は子供を試合相手に用意したのですか?それは子供にあって大人に無い要素を貴方が求めたからです。そしてその要素をボクとユースケは望んでいません。それのみを求める観客をも望んでいません」

「あら、そう?なら私を楽しませてくれる気は無いってことかしら」

「そう申したわけではありません。事実、フンゴールとの試合でボクのユースケに興味を持って下さったのでは無いのですか? あの試合にそういった要素は無く、あれこそがボクらが演じたいと願うショーです。ああいったショーをお楽しみ頂けるのであれば今後も是非お目にかけたいと思っております」

「フフ……淀みない回答ね、フルミノちゃん。私は賢い貴方が大好きよ。もっと意地悪したくなっちゃうわぁ……そこのサイボークさん♪」

 巨大な流氷が擦れ合うような、鋼の軋む音が部屋に響いた。フルミノは勇助の拳もまた、彼女と同様に固く握りしめられていることに気付く。窓に向かう彼の背が怒りと敵意で大きく膨れ上がっているようにさえ見える。その拳の内に握られた感情は如何ほどだろうか。

 場違いなほど明るい声がフルミノの端末から響いた。

「ウチに移籍しない? クレジットはフルミノちゃんの三倍出すわ」

「ふざけないで下さいッ」

 矢も楯もたまらずフルミノは端末に向かって叫ぶ。しかしスピーカー越しの声はケタケタと笑うばかりだ。

「何なら、貴方のことが大好きな猫ちゃんもおまけしちゃ」

 フルミノはそこで通話を切った。もっと早く打ち切るべきだったと軽く舌打ちする。一方的に通話を切るなど本来なら非礼極まる行為だが、礼を先に失したのは向こうだ。それにカンデラ婦人の機嫌などよりも目の前の勇助の方がずっと気がかりだった。彼が発する敵意はもはや凄まじい。憤怒の気配が彼の周囲の空間を歪めているようにすら感じる。

 フルミノが彼を宥めようと口を開きかけた、正にその時だった。

「来るぞ」

 数百ものベルを一度に鳴らしたような甲高い硬質な衝突音が響いた。勇助は窓の外に右手を突き出すような姿勢を取っており、何故かその拳から白煙が上っている。彼は即座に後方へ跳んだ。飛び退きざまにフルミノを左脇に抱え、窓の死角に入る。

「ユースケ!オマエ、拳が…ッ」

「ああ……クソッ。試合用の体じゃねえと、こんなに脆いんだな」

 彼の右手は掌の中程から先端までが吹き飛んでいた。彼は外から撃ち込まれた弾丸を拳で叩き落としたのである。驚くべき勇助の反応速度だが、一般生活用のボディでは例え鋼の拳と言えども対物ライフル弾の衝撃を無効化することは不可能だった。

「マズルフラッシュは三百メートル先のビルの最上階だ。かなり前から張ってやがったぞ。下手すりゃもう囲まれてんな。どうする?」

 勇助の声は微塵も動揺を臭わせなかった。フルミノは突然の銃撃で混乱しかけていたが、彼の落ち着き払った声のおかげで平静を取り戻す。

「下水道を使おう。中にも敵が居るかもしれないけど、何人居るかも分からないスナイパーに頭の上から狙われるよりマシだ」

 二人は壁伝いにジリジリと後退し、部屋の中から飛び出した。しかし階下から数人が駆け上がってくる足音が聞こえる。フルミノは悪態を吐いて護身用の改造ショックガンを取り出した。出力の目盛りを目一杯まで回して固定する。『死んでも構わない』レベルだ。

「フルミノ」

「だっだっ大丈夫だッ! ボクは闘技会の興行師だぞ! 日頃殺し合いを命じてるんだ。自分でヤるぐらいなんてこと無いッ」

 彼女は気勢を吐いたがその手は微かに震えていた。勇助は彼女の手を優しく押さえる。

「強がりは止めろ。かえって危ねえ。実際に手を汚すのは俺の仕事だぜ、フルミノ。日頃どうのっつうんなら、それこそいつも通り偉そうに俺を顎で使えばいいんだよ」

「何だと!!お前こそボクに向かって一人前な口を叩くんじゃあないッ!」

「そうそう、その調子だ。行くぜ」

 勇助は階段の下へ飛び降り、フルミノは下がって端末にスイッチを入れた。画面上に勇助の視野が同期される。

「少なく見積もって六人!まず一階まで降りるぞ。下水口がある部屋へ移動だ!」

「了解、ボス」

 階段の踊り場で勇助は身構える。駆け上がる音は彼の真下、一階下の踊り場で止まった。次の瞬間に拳大程度の何かが階下から壁に跳ね返って勇助の前に飛んできた。

―ノワ・ルーナ社製フラッシュグレネード、有効射程三メルテ。起爆まで残り0.5秒―

 何かが電流のようにサイボーグの頭脳を走る。彼が咄嗟に左手を伸ばしてつかみ取った瞬間と閃光弾のタイマーがゼロを刻んだ瞬間は全く同時だった。

 階下でライフルを構える灰色のセラミックアーマー姿の男達は訝しんだ。鳴り響く筈の炸裂音が一向に聞こえない。不発と見た男達が二個目を取り出そうとしたその時、階上から壁を跳ね返って閃光弾が落ちてきた。彼らは即座に防御姿勢を取ったが、閃光弾はやはり破裂しない。罠と気付いた時には既に遅かった。狭い階段の壁と天井を蹴って豹のようにサイボーグが頭上から襲いかかった。

 サイボーグは閃光弾をつかんだ瞬間、掌全体を導線と化して強烈な高周波渦電流を放っていた。三百六十度全方位に走る電流の焦点は起爆回路の中心だ。電磁誘導作用により熱せられた配線は瞬時に融解し、断線した。大戦中に数々の破壊工作で使用されたサイボーグコンバットの妙技、超電熱サイクロン握撃である。

「敵性対象の全数排除を確認」

「うん……えっ?」

 男達を蹴り伏せた彼の声は、予め録音されたアナウンスのように無機質で抑揚が無い。フルミノはもんどり打って彼の元へ駆け寄り、倒れた男達の中心で佇むサイボーグの頭を掴んで揺さぶった。

「ユースケッ!! おい!しっかりしろ!」

 脳がシェイクされる感触で勇助は目覚める。目の前には両手を伸ばして彼の頭を掴むフルミノがいた。唇が青ざめ、目が大きく見開かれたまま硬直している。その顔は目の前で燃え始めた火を必死で叩き消そうとするような焦燥に満ちていた。

「フルミノ……?」

「よし、よし!大丈夫だな!?オマエはユースケだ。ボクの、このフルミノ・ウィクトーの剣闘士、スズキ・ユースケだ!! 行くぞ!!グズグズするなッ!」


 薄暗い部屋の中、ゆったりとしたビロード地のソファでカンデラは寛ぎながらモニターを眺めていた。モニターの白い光を浴びながら美しい銀髪が静かに揺れる。彼女は画面の奥へ走り去る少女とサイボーグを見つめながら口の端を歪めた。背後から黒い帝国風スーツの男が近寄って何かを耳打ちする。カンデラはそれに気怠げに答えた。

「焦っても仕方ないわ。まだ確定したわけじゃないし、下手なやり方で火傷したくないしねぇ……強引な手は幾らでも取れるけど、時間もお金もかかる。まずは手持ちの兵隊でじっくり様子を見ましょ。追い詰めれば追い詰めるほど、情報は確実なものになるわ。これも貴方達のためじゃない。それより本社に来月の分を早く送るように言っておいて」

 カンデラはグラスに注がれた水で錠剤をあおる。美女は生き返ったような心地で息を吐き、観戦に戻った。


 二人はその後も何グループかの襲撃者をやり過ごし、どうにか下水口に降りることに成功していた。勇助はフルミノを背負いながら汚水に足を浸ける。周囲は闇と悪臭で満たされ、膝下まである粘ついた汚水と漂う得体の知れない何かが足にまとわりつく。

 彼はここまでの戦闘で勇助の装甲は銃創だらけとなっていた。エネルギーは戦闘の度に奪い取ったエネルギーパックで補充しているが潤沢とは言い難い。

「ヤバイぜ、フルミノ。クソッ、試合用の体で来りゃ良かったか?」

「馬鹿言うな。あの体の運転費用にどれだけ掛かるかはオマエも知ってるだろ。毎日使ってたらオマエのファイトクレジットが幾らあっても足りないぞ。今回のことはもう、仕方ない。今は無事に帰ることを考えろ」

「つってもよ、こりゃ間違いなくあのアバズレの仕業だろ。家に帰れたところでゆっくり寝てられるのか?」

「幾らこの惑星が無法地帯だからって、ボクらが住んでる中心街に私兵部隊を送り込んだりはしないと思う。下手をするとカンデラ婦人の名前に傷がつくからね」

「チッ! なら、このスラムは差し詰め無法地帯の中の無法地帯ってことかよ。こんな無茶苦茶が罷り通るわけだぜ」

 勇助は水面に浮かんだ何かの空き缶を蹴り上げた。汚水が跳ねて下水道の壁に滴る。

「フルミノ、道は大丈夫か?」

「当然。この街はボクの庭みたいなものさ。地図も端末にダウンロード済みだ」

 勇助は背中越しのフルミノの指示に従いながら汚水の中を進んでいった。端末に表示された地図と付属した小さな明かりだけが頼りだ。フルミノの鼻は既に効かなくなっていた。超感覚器である二本角も感度が落ちている。また勇助も銃撃戦によって完全防水が破れていた。足から少しずつ汚水が染み込んでいく感触が恐ろしい。

「頑張れユースケ。次の十時路を右に曲がって、突き当たりまでまっすぐ行けば市街へ続くはしごがある」

「オーライ。フルミノ、吐き気とか頭痛はしねえか」

「ずっとしてる。早くシャワーを浴びたいよ……でも、ちゃんと臭いが落ちるかどうか」

 珍しい弱音に彼は内心苦笑した。だが僅かに緩んだ空気も瞬時に張り詰める。十字路の中心に巨大な棍棒のような鈍器を構えた全身セラミックアーマーの大男が二人もいたのだ。

「……悪いな、フルミノ。少しここで待て」

 勇助は壁に開いた横穴にフルミノを下ろす。ここならば汚水は流れていない。しかしフルミノは全く意に介さずに汚水の中に水音を立てて飛び降りた。

「ボクに指図するんじゃあない。オマエ一人じゃ手に余る相手だ」

 勇助は彼女を押し止めようとしたが、その顔を見て手が止まる。跳ねた汚水に塗れてなお、瞳は煌々とした決意の光で満ちていた。そして不敵な笑みも全くいつも通りだった。

「言っただろ、大丈夫だ。ボクは後ろから援護する。ボクの援護に不安があるならさっさと行って片付けろ。ボクは早くシャワーが浴びたいんだ」

「あーあー……わーったよ、ったく。オーライ、ボス」

 勇助は駆け出した。

 二人の大男は左右に分かれて通路を塞ぐ。強行突破は難しい。勇助は右の敵目掛けて汚水の波を物ともせずに疾走した。全身にサイボーグコンバットの初歩、電磁加速を施した彼は一筋の雷光と化す。しかし見合わぬ高出力のために勇助の彼は空中分解寸前だった。

 右手の壁沿いに勇助は加速した。敵は彼が間合いに入ろうという絶好のタイミングで棍棒を振り下ろした。が、その直前、突如勇助は壁を蹴って左方向へに直角に曲がる。予想外の鋭い角度で方向転換したサイボーグが左手の大男へ襲いかかった。

 左手の大男は明らかに狼狽えながらも鋭い突きを放つ。だが勇助はまるでピッチャーフライを受けるように棍棒の先端を片手で受け止め、そこを支点にして自身の体を宙へ跳ね上げた。片手を着いた前宙返りの要領で回転しつつ跳躍する勇助。彼は優美な弧を描いて頂点に達した瞬間、天井を蹴って鋭く急降下した。降下中に更に一回転の加速をつけた豪速の踵落としがセラミックヘルムに覆われた脳天に振り落とされる。だがそれを狙い澄ましていたかのように横凪の鉄槌が勇助に叩き付けられた。右手の大男は勇助のフェイントを予期していたのだろう。棍棒の一閃は全力で振り切った後では為し得ない鋭さである。

 右手を塞いでいた大男の痛烈なアシストによって勇助は手痛い衝撃と共に汚水の中へ墜落した。咄嗟に右腕で受け身を取ったが衝撃は殺しきれずに装甲が砕け落ちる。炭素繊維人工筋肉が露出し、切断されたコードと共にだらしなく垂れ下がった。勇助を打ち落とした男は彼が立ち上がる間を許さず追撃を加えようと棍棒を振り上げる。その瞬間、何かの破裂音と共に大男の体が稲妻のように明滅して硬直した。フルミノのショックガンだ。

 九死に一生を得た勇助は追撃を逃れるために汚水の中を転がって距離を取る。その危機の最中、次の脅威が二人を襲った。はじめ勇助に狙われていた男は勇助に目もくれずにフルミノ目掛けて突進していた。彼女はショックガンで応戦するが大男は巧みに棍棒でガードする。勇助は側で硬直した男に止めを刺すことなど考えなかった。己の身の安全さえ。即座に彼は脚部に『チャージ』する。汚泥に満ちた下水道の中、死を運ぶ鬼火のような青白いプラズマ球が震えるほど美しく迸る。雷撃の如く彼は跳躍した。

 棍棒がフルミノに襲いかからんとしたその時、男の背中に蒼い稲妻が直撃した。男は衝撃によって昏倒し、セラミックアーマーに蜘蛛の巣のような亀裂が走る。しかし勇助もまた右腕を肩から失い、血しぶきの様なオイル漏出と漏電に苦しんだ。跳躍距離は姿勢反転を行えるほどの距離は無く、彼は右肩から突っ込んだのだった。だが彼は一瞬たりとも怯みはしない。倒れた男の背に馬乗りになると亀裂の中心を残る左腕で滅多打ちにした。きらめくセラミックの白い破片が雪のように舞い散り、大男の筋肉質な緑色の肌が露出する。勇助は起き上がろうとする大男を渾身の力でねじ伏せた。

「フルミノォッ!!!」

 彼の叫びと同時に飛び込んだフルミノが男の肌に銃口を突きつけ、ゼロ距離射撃を浴びせる。閃光と共に男の体は衝撃によって大きく痙攣し硬直した。

 だが、次の瞬間二人は目を疑った。大男の体は炙られた蝋人形のようにどろりと溶け、セラミックアーマーの隙間から流れ出して汚水の中に消えたのである。

 しかし驚愕に身を任せている猶予など無い。激しい水音に勇助が振り向くと、硬直から回復したもう一人の大男が棍棒を構えて突進してくる。勇助は左腕で倒した男の棍棒を引っ掴むと果敢に応戦した。

 激しい金属音が嵐の如く下水道に鳴り響く。男の棍棒捌きは実に流麗そのものだった。フェイントを織り交ぜつつ確実に勇助の装甲を削り飛ばしていく。彼も必死に応戦したが腕一本のハンデは大きかった。彼は後方へ飛び退き、後ずさりながら水面に浮かぶゴミを棍棒の柄で男目掛けて弾き飛ばしていく。だが大男は無駄な動き一つ無く棍棒の切っ先で逸らしていく。破れかぶれのメクラ撃ちのような勇助の瓦礫攻撃は最後、大きなドラム缶を男の頭上を越えて高く打ち上げるという結果に終わった。ドラム缶は男に掠りもせず派手な音を立てて背後の水面に落下する。大男はゴミを撃ち尽くした勇助に向かって突進すると、己の重量と突進の速度をハンマーに乗せて槍のように突き出した。勇助は棍棒を突き立てて防御姿勢を取るが、こらえきれるはずも無い。吹き飛ばされた勇助は壁に叩き付けられる。止めを刺さんと大男は勇助に歩み寄るが、突如背筋を走る悪寒と共に気付いた。

 少女が居ない。

 そしてその刹那、正に悪寒が走ったその場所に鋭い針を突き立てられたような衝撃が迸る。硬直し掛かった筋肉で錆び付いたドアのようにゆっくりと振り返ると、そこには横倒しになったドラム缶とショックガンを構えた全身汚水塗れの少女がいた。大男はそのまま硬直する。そして彼の脳天に勇助の最後の力による鉄槌が振り下ろされた。

 砕け散るセラミックヘルム。白い破片を撒き散らしながら男は汚水の中に倒れ込んだ。勇助は半壊した体を引きずりながら男の顔を見ようと近付く。あの美しいとさえ言える棒術捌きには覚えがあった。もう一人の男の筋肉質な緑色の肌にも見覚えがあった。

 その顔を覗き込んだ勇助は呪詛の呻きを上げる。

「また…汝の……勝ち、だな……若人、よ…………すまな……い…………」

 汚水と出血で赤黒く染まった毛むくじゃらの顔の奥で、穏やかな光を湛えた青い瞳が濡れる。今際の言葉と共にかつての処刑人はもう一人と同じくゲル状に融解した。

「あぁ…ちくしょう………クソッタレ……が…………」

 力を使い果たした勇助もまた汚水の中に倒れ込む。駆け寄ったフルミノの顔は血の気を完全に失っていたが、その手先は精密そのものだ。熟練の外科医のような手さばきで勇助の頭脳を強制停止し、首から下を切り離す。彼女は彼の頭部を鞄の中にしまい込むと一目散に駆け出した。

 もはやこの場にとどまる理由など何一つ無かった。

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