第四章『休暇』
閃光が迸った。敵航宙機が投下するポリ窒素ナパームの火柱が大地を消し飛ばす。ただ一度の投下で前線惑星第一基地の四分の三が消失し、煮え滾るマグマの海へと姿を変えた。
『――号――応――よ二十――』
明滅する視界と爆音の耳鳴り覚めやらぬ中、本部からの伝令が通信機を伝わって空ろに響く。ナパームに加えて超長波阻害粒子が散布されたらしい。自分は立ち上がり、通信機の出力を上げた。
「こちら二十号。外気圏降下に成功。特殊作戦班ニル以下全十体行動可能」
『よろしい。断じて連邦のクズどもにアレを渡すな。行きなさい、私の二十号』
「了解。作戦行動開始」
自分は班員に指令を飛ばす。皆はブリーフィングに従って散開した。自分は真っ直ぐに残された基地の一部目指して走る。マグマを迂回する猶予はなかった。灼熱の大地を高速で踏み込み、沈み込む前に次の足を繰り出す。粘性の高い流体は十分な速度があれば液面の歩行が可能だ。自分が燃えさかる海を蹴って進む中、班員達から連絡が次々に届く。
『こちら第一ポイント、敵地上部隊殲滅』『第二ポイント殲滅』『第三ポイント撤退開始を確認』
残された敵航空部隊の第二波がやって来た。投下されたポリ窒素爆雷が残された基地に迫る。自分は即座にチャージの後、跳躍した。マッハ8で空中の爆雷へ迫る自分の体。接触の寸前、自分は爆雷周囲の気体を掌から迸る高電圧でイオン化した。加えて誘電作用を引き起こし力尽くで荷電気体を『膨らませる』。気体は瞬間的な断熱膨張により急速な冷却作用を引き起こした。爆雷は一瞬で完全凍結する。コンマ一秒にもみたぬ早業は、傍目には触れた瞬間に凍り付いたとしか見えなかっただろう。瞬時に百メガジュールもの熱量を奪うサイボーグコンバットの絶技、荷電粒子ディフュージョン凍結である。
ドッキングする宇宙ステーションのように繊細且つ素早く爆雷を捕らえる。自分は跳躍の速度を爆雷に乗せて落とし主へ突き返した。体は反動で眼下の基地へとつっこみ、爆雷は敵機へ射出される。高速による空気摩擦は雷管の解凍には十分だった。青空に再びの閃光が走り、轟音と共に敵機は全滅する。自分は基地に着地すると同時に班員へ通達した。
『こちら目標地点、敵航空部隊を殲滅。各員脱出準備開始』
各々の『了解』の声が届く。自分は目的の場所へ走った。基地の地下、秘密格納庫でその男は血塗れでブリーフケースを抱えていた。負傷してはいたが、その黄色の瞳には消えぬ戦意がありありと見て取れる。
「へへっ……信じられねえ。オレは……助かるってのか……?」
「作戦第一目標及び第二目標確認。回収の後、撤退を開始」
『素晴らしい……よくやった。さすが、私の二十号だな……』
自分は男をブリーフケースごと担ぎ上げ、基地を脱出した。
――闇の中で光が瞬く―――
『将軍の前で自分は敬礼する』『疑似超新星爆弾は既に建造されていた』『光、光、光、自分の四肢は溶融する』『自分を将軍が抱きしめて泣いている(閣下、自分は戦闘継続可能)』『戦争は終わった』『自分の任務は消失』『転属命令』『将軍がいない』『新たな極秘任務』『皇族専用艇』『潜入』『機関部に設置』
――光は膨張し、弾ける―――
『彼女は血塗れの両手で単分子ワイヤーソーを構えていた』『震える両手』『濡れる碧眼』『乱れた赤髪』『燃える船』『爆破の衝撃で通信装置は故障していた』『寒い、と彼女は言った』『彼女は非常糧食をゆっくりと咀嚼していた』『彼女は初めて私に礼を述べた』『時間は無く、焦りばかりが募った』『彼女の追っ手はまだ来ていなかった』『遺棄された星間移民船に辿り着いた』『元移民のミュータントの群れ』『酸素、電力、食料』『遂に脱出艇の修理に成功した、たった一機分の』『ガラス越しに彼女の顔が映る』『ミュータントの群れが迫る』『泣かないで』『爆炎が私を包んだ』
――――意識は――明滅し――――
「――――スケ。おい、ユースケ。換装が終わったぞ。寝惚けてるんじゃない」
「……んん?…ああ、もうか。何か……変な夢見た気がする」
作業台の上で勇助は目を覚ました。体は既に一般生活用のボディに変わっている。試合用の黒金のボディからは一転して、真珠のようにつるりとした白色の身体だった。
「夢? 記憶領域が刺激されるような処置じゃないはずだけど…精密検査するか」
「ああ、いや……大した事じゃねえよ。早いとこ帰ろうぜ」
二人は勇助の試合用ボディが入ったコンテナをトロビスで運びながら帰途に着いた。フルミノは始終上機嫌だった。勇助への賛辞は控えめだったが、彼女が彼の勝利に満足しているのは明らかだ。しかも彼女は秘密裏に彼の勝利に賭けていたらしく、多額の配当金を手にしていた。
「関係者は買えねえって聞いたぞ。違反じゃねえのか、それ」
「有名選手のマネージャーなら問題になるだろうけど、新人ならお目こぼしされるさ。初勝利のご祝儀みたいなものだと思えばいいんだよ」
彼女はその儲けをそっくり彼へのファイトマネーに追加するつもりらしい。配当チケットを指先で挟んでけらけらと笑う彼女は年相応の少女の顔だった。
しかしその笑みは彼女が家の戸に手をかけた瞬間に凍りついた。その目は手元を凝視している。いぶかしんだ勇助が彼女の肩越しに覗き込むと、ドアの取っ手付近の小さなランプが赤く点滅していた。
「どしたよオイ」
「……ハッキングされた」
乾いた声で呟くや否や、彼女はバン!と乱暴に戸を開け放って駆け込んだ。そしてまっしぐらに整備室へ飛び込んでいく。玄関のドアを閉めた勇助が後を付いて入った時、既に彼女はモニターを広げて慌しく指を滑らせていた。
「……馬鹿な!! トラップ群がかすりもしてないなんて……いや!いや!それどころじゃない!第二防壁まで突破されてる!だっ第三……は、無事か……良かった……」
フルミノはブツブツと呟きながらそのまま忙しなく手を動かす。五分ほど経った後、彼女は大きく溜息を吐いた。そして後ろで見守っていた勇助に向き直る。
「大丈夫か。ハッキングとか何とか言ってたけどよ」
「ああ……メインデータベースには進入されてない。でも何かウイルスやバックドアが残されてる可能性があるから、ボクはこれから調査と対策に入る」
彼女はこめかみをぐりぐりと指先で押さえながら目を瞑り、もう一度深い溜息を吐いた。
「深刻なのか。よっぽど性質の悪ぃ奴に目ぇ付けられちまったかな」
「いや、十中八九は単なる愉快犯か、今日のオマエの試合で虜になったファンの仕業だとは思う。でもこのボクが構築した電子防壁に穴を開けたんだ。軽視は出来ないよ」
「何か手伝えることあるか?」
「無い。それよりオマエはリフレッシュして来い。試合の後には休暇と褒賞が必要だ。次へのモチベーションに繋がるからね。ここはボクに任せて遊びに行け」
「や、俺だけブラブラ遊んでるなんてねぇだろ」
「休むのも剣闘士の仕事の内だ」
渋る勇助に対してフルミノはぐいと端末を彼の胸元に押し付けた。そのまま彼女は「さあ行った行った」と勇助をずいずい押しやり、家の外まで押し出した。
「楽しんで来い。ボクからのボーナスだ。寄り道と無駄遣いはほどほどにしておけよ」
彼女は不敵に笑う。が、その笑みには薄い影が差しているように見えた。勇助はトラブルの真っ只中にある彼女の傍を離れることに抵抗があった。しかし自分が傍に居て何かが出来るとも思えない。結局彼は勧めに従い、『リフレッシュ』とやらに向かったのだった。
半透明なチューブ内を移動するモノレールのような物を乗り継いで目的地を目指す。端末にはナビゲーションなどの生活アプリの他に電子通貨が記録されているため不便は無い。
チューブの中で荒涼とした大地をぼんやり眺めるうちに、勇助は繁華街へ辿り着いた。けばけばしい電飾が煌き、客引きのボーイや娼婦がたむろするのは銀河帝国でも同じらしい。喧騒の中、勇助はフルミノがくれた端末のナビに従ってのんびりと歩を進めていた。
唐突に誰かが彼の服の裾を引っ張った。振り向くと勇助と同じフルサイボーグらしき男?が居た。男と判断したのは身なりや体系のデザインからだが、彼の身体は至る所に茶褐色の錆が浮いていた。塗装は剥げ落ち、半身の装甲が剥がれて内部構造が露出している。男は勇助に縋り付き、ゼイゼイと咳をするような掠れた声で訴えかけた
「なあ……なあ……エンダ買わねえ?エンダー……安いよ、凄く安い。ディディなんか駄目だよ、すぐ効かなくなるから。こっちのがいい……なあ、安いよ……なあ、なあ…」
勇助は黙ってその手を振り払い、歩を進めた。注意して見渡せば、路地裏に続く道には横たわる浮浪者やサイボーグ達が居た。その中にはフェレスと同じ猫耳の者が多かった。
「けったクソわりィ」
勇助は誰にとも無く毒づき、先ほどよりも気持ち足早に進んでいった。
ナビが彼を運んだ場所はデム・ドクトリナという名前の情報サービス施設だった。勿論、ただのネットワークであれば態々施設を作る意味は無い。ここで提供されるのは仮想空間だ。それも一般家庭で利用可能なVRゲームやネットワークで配信される汎用型仮想体験とはまるで別物である。勇助のようなフルサイボーグを初めとした身体欠損者のためのリハビリテーションから、富の支配者達が現実には満足できない欲望を存分に吐き出す、現実と寸分違わぬ精度の仮想世界だ。
いわば仮想空間の高級品である。
勇助はそこで地球の海を選んだ。仮想空間の中とは言え、彼は実に久しぶりに生身の感触を味わった。目も眩むような陽光が勇助の瞼を焼くのを感じ、彼の肌を撫でる塩辛い海風が全身で味わった。むせ返るような潮の香りと足裏を心地よくこする砂粒。目の前には抜けるような青空と白い砂浜が続いていた。
海でたっぷりと泳いだ後はコテージの柔らかなベッドで寝そべることさえ出来た。水着姿の美しいアジア系女性の姿に扮したデム・ドクトリナの職員が給仕に控えていたが、勇助は極力一人にしてもらうよう頼んだ。彼はブラッドオレンジの強い甘みと酸味を楽しみ、清清しい香りの液体が喉を滑り、胃に流れ込む快感を満喫した。
鋼の体に戻るのが惜しい程、彼は『リフレッシュ』したのだった。
勇助はデム・ドクトリナを出た後、当ても無くぶらぶらと街をうろついていた。酒場や娼館の窓には闘技場のポスターが貼られ、皆次の試合を期待しているのが見て取れた。道端には明らかに海賊版らしき試合の映像データや剣闘士の盗撮写真などを売る露天も有り、怪しいことこの上ない。
「安いっすよーお買い得っすよー! 何と今日一番の話題の試合!フンゴールとユースケの試合映像っすよー!これは買わなきゃ損っすよー!」
勇助は躓きそうになった。聞き覚えのある声が前方から響いてくる。目を凝らせばやはり、そこでは見知った猫耳娘が小さなワゴンに海賊版の映像データを並べて店をやっていた。勇助は自分の試合と言うこともあり、興味本位で眺めに行く。
「ヘイ、らっしゃいらっしゃい。ちょっとそこ行く旦那さん、お子さんへのお土産に如何っすか。今なら重戦闘サイボーグの生写真まで付けちゃうっすよ」
フェレスは道を行きかう人々に声を掛けて商品を売り捌いていく。どうやら勇助の写真が効いているのか、売り上げは好調のようだ。だがそれは水晶ゴーレムと戦う彼の盗撮写真だった。勇助は使用料でもふんだくってやろうかなどと考えつつ、遠巻きにフェレスの輝く笑みをぼんやり眺める。
しかし、ふと勇助の注意が別の対象に移った。黒のスーツを着込んだ厳ついルプス人の大男がガラの悪い取り巻きを連れてワゴンに近付いていく。明らかに堅気ではない。フェレスが集めていた客はみな、彼の見えない膜に押し出されるようにワゴンから離れていった。彼女は風のように商品を片付けてからビクビクと上目遣いにスーツの男を見る。
「誰に断り入れて店出してやがる、クソ猫」
「え……えへへ……み、見逃してくれませんかねえダンナ」
フェレスは愛想笑いを浮かべながら逃げる隙を伺っている様だが、既に回りは下卑た笑みを浮かべるゴロツキどもで固められている。壁際にジリジリと後ずさるフェレスの肩に男が手をかけた。それがきっかけだった。
突然ゴロツキの一人が声も無く崩れ落ちる。驚いた傍らの男が振り向くと、そこには白いサイボーグがいた。男が怒りの雄叫びを上げる間も無く、その顎下をツバメが疾るように鋼の拳が掠める。脳震盪を起こした男は即座に気絶した。
「丁度食後の運動に誰かをぶん殴りたい気分だったんだ。運が悪かったと諦めて、大人しく俺のサンドバックになれ」
唐突に現れたサイボーグは仲間を叩きのめした上に理不尽極まりない暴言を放つ。荒くれ達は殺気立ち、スーツの男は直ちに命令した。
乱闘が始まった。
男達は光線銃や高周波ナイフ等の得物を手に襲い掛かる。しかしサイボーグは触れさせもせずに片端から男達を殴り飛ばして行った。千切っては投げ千切っては投げの大暴れである。勇助が腕や足を閃かせる度に誰かが吹き飛んでいく。歓声を上げる野次馬が周囲を取り囲むのにそう時間は掛からなかった。フェレスはと言えば、何と騒ぎから逃げ出すどころか大喧嘩の動画を撮影しながら野次馬達相手にどちらが勝つかの賭けを始めていた。
結果は当然、勇助の勝利だった。彼は気絶した男達の中心で拳の埃を叩き落とす。
「いやーお強いっすねえ! あっこれ、さっきの賭けの儲けの半分っす。お名前を伺ってもいいすか?」
「その前に俺のショーゾーケンってやつを勝手に使った件について聞かせてもらうぜ、フェレス」
「はにゃっ?」
フェレスはその声と身振りにフェレスははっと目を見開く。途端にパッと顔を綻ばせて勇助に飛びついた。
「ユーちゃんじゃないっすかー!」
「だぁーっ!離れろこのアマ!うっとおしい!!」
勇助はフェレスを振り落とそうともがくが、彼の首をがっしりと捕まえた彼女は中々離れようとしない。おまけにいつかのように熱烈なキスをくれようとするので、勇助は彼女の顔面をギリギリと押さえ込むのに必死だった。
そのために反応が遅れたのだ。
一人起き上がったスーツの男が二人目掛けて高周波ナイフを構えて突っ込んでくる。気付いた勇助は咄嗟にフェレスの体を脇へ放り出したが、それで精一杯だった。彼はやけにゆっくりと腹部に迫る刃を眺めながら『またフルミノの奴がキレまくるな』と変に緊張感の無い思いを廻らせていた。
高周波で振動する刃が強化樹脂製の腹部装甲を切り裂こうと迫る。だが触れるや否やのその刹那、何かが割り込むように勇助の体を横合いへ押し出した。突き飛ばされた勇助は受身を取りながらもすぐさま立ち上がる。そこで彼が目にしたものは、錆び塗れのフルサイボーグが胸を切り裂かれ、火花とオイルを散らして崩れ落ちる姿だった。
どよめく観衆。舌打ちしながらサイボーグを蹴り飛ばす男。勇助は跳躍した。
ナイフを構えなおそうとする男の胸に白銀の脚甲が突き刺さる。流れるような勇助の飛び後ろ回し蹴りが決まり、男は派手に吹っ飛んだ。勇助はゴミ捨て場につっこんだ男など省みず、崩れ落ちたサイボーグに駆け寄る。
「フェレスッ! サイボーグの修理場所に宛てはあるかッ!?」
「うええ!? いっいや、廃工場なら一つ知ってるっすけど、こんなスクラップ寸前を見てくれるような修理屋が居ないっすよ! いてもべらぼうなクレジットをふんだくられるだけでっ」
「いいから案内しろッ! 修理屋は一人宛がある!」
勇助がサイボーグを担ぎ上げる。フェレスは駆け出し、彼も端末に連絡を入れながら後を追った。
寂れた廃工場の中、作業台に寝かされた崩壊寸前のサイボーグの前でトカゲ男は携帯端末に指を走らせながら診断を下した。
「駄目だな。破損部どうこう以前に内部の生体が殆どドラッグでやられちまってる。そう幾ばくも保たないぜ」
「そうか……悪いなトパズス。態々仕事中に抜け出してきてもらって」
「なぁに、良いってことよ。オレもデカイ壁にぶち当たって休憩してたとこだったしな」
トパズスは隣に立つ勇助の背中をパンと叩いた。フェレスは不思議そうに作業台の前の二人を見つめている。
「ユーちゃんって顔広いんすねえ」
「ンなことねぇよ。この星で俺の知り合いらしい知り合いはお前とトパズスとフンゴールさん、それからあの銭ゲバ女ぐらいだ」
「うひゃあ、凄いっすねえ。処刑人とお友達になっちゃったんすか」
「そんな大げさな話じゃねえよ。ただ、まあ……試合後に少し話し聞かせてもらってさ。エライ人だよ」
感心したようにうんうんと頷くフェレスを他所に、勇助は作業台の上のサイボーグを眺めた。喘息の発作のようにゼイゼイと喘ぐその顔には見覚えがある。
「なあトパズス。『エンダ』とか『ディディ』って知ってるか?」
「それならこいつも持ってたぜ。バイオ屋が裏で流してるって噂の、いわゆる電子ドラッグだ。神経に電流走らせて脳内麻薬を無理やり作らせる類のかなり悪質な奴だな。いや待て。まさか興味あんのか?」
「ダメダメ!絶対ダメッす!ジャンキー一直線っすからね!」
「ヤクはヤらねえよ。少し耳に挟んだだけだ」
サイボーグは苦しそうに喘いでいる。トパズスの言う通り、もう長くは無さそうだった。だが彼はレンズを勇助に向け、何かを訴える様に手を伸ばした。勇助は近付いてその手を取る。彼は掠れた声で話し始めた。
「なあ…ア、アンタ……剣闘士だろ……分かるんだ…お、おれも…剣闘士だったから…」
「ああ、そうだ。アンタのおかげで助かったよ。礼を言う」
「良い…良いんだ……ア、アンタは、おれみたいに……なっちゃあいけねえぞ……拍手喝采に、利子は付かねえ……落ち目になっても……貯金みてえに、自分を、助けちゃあくれねえ……クレジットを、大事にしろ……」
「ああ」
サイボーグは咳き込むように身体を折り曲げて痙攣した。しかしそれでも勇助の手を離そうとはしなかった。
「でも……アンタぁ……良い……剣闘士だ…………きっと、トップに行ける……へへ…おれぁ……未来の、チャ、チャンピオンを……守ったんだぜ……」
彼はもう一度大きく痙攣し、そして二度と起き上がることは無かった。勇助はその手を握ったまましばし立ち尽くし、トパズスとフェレスも声を掛けられずにいた。
三人は大衆食堂の片隅でささやかな宴会の席を開いていた。並ぶ料理と酒を前にしてトパズスが勇助の脇を小突く。
「兄弟、お前が音頭を取らなきゃはじまらねえぜ」
「あ?ああ。あー……じゃ、あのサイボーグのおっさんの冥福を祈って、献杯」
「「献杯」」
形だけジョッキを掲げた勇助にフェレスとトパズスが続いた。二人は泡立つ褐色の液体を一息に飲み干す。
「俺とあのおっさんの分までじゃんじゃん飲み食いしてくれ。今日は二人に迷惑かけた」
「水臭えことは言いっこなしだぜ兄弟!オレ達ゃもう友達だろ?」
「そうっすよ! 大体トパっちはともかくアタシなんか工場に案内しただけっすよ! それくらいユーちゃんの頼みなら何てことないっす」
二人は口々に言う。この短い間に彼らはすっかり打ち解けていた。
「ありがとよ。本当に世話になった。」
ややしんみりとした始まり方だったが、酒が入って陽気になったフェレスと豪快に笑うトパズスのおかげで勇助も会話を楽しむことが出来た。残念ながら彼らと食事を共にすることはできないが、彼には料理を頬張り酒を煽る喜色満面の二人を眺めるだけで十分だ。
「見ろよ兄弟、あの連中を。モニターん中で暴れてる当人がここに居ると知ったら腰抜かしてぶったまげるぜ」
酒場に犇く客の殆どは据えつけられた大型モニターに夢中になっていた。映し出されているのは今日の闘技会のリプレイだ。チャンピオンの防衛戦はあっさりと終わってしまったらしく、代わって勇助の試合の扱いは随分と大きかった。観客達は勇助とフンゴールが互いに技を繰り出すたびにテーブルを叩き、叫び声に近い喚声を上げる。
「何しろ百年戦争がグッダグダのまま停戦して、景気は悪いわ、連邦の連中は気に食わねえわで、誰も彼も鬱憤が堪ってるからな。何でもいいから血を見たくてたまらねえのさ」
「みんな貧乏が悪いんすよー貧乏がー」
フェレスは早くも顔を赤くしてカウンターに突っ伏している。
勇助も酒場を見やった。試合に熱狂する観客はみなお世辞にも裕福な身なりとは言えなかった。通りに面した窓を見ると、年端も行かない子供達が食い入るように窓に顔を押し付けている。彼らの瞳はじっとモニターを凝視していた。
モニターに視線を戻すと今日の試合のハイライト集が終わってチャンピオンのインタビューシーンに移っていた。
『偉大なる皇帝陛下と銀河帝国のために散っていった戦士達、そして私を応援して下さっているファンの皆さんにこの試合を捧げます。実のところ私は自身の武勇がそれほど秀でたものとは思っていません。技術も、知略も、体力も、私より優れた戦士達は五万と居るでしょう。今日戦ったスマラグダも、多くの面で私より秀でた戦士だった。だが勇気で負けたと思ったことは一度も無い。私は偉大ではないが、偉大な存在になりたいと願っています。そして勇気こそがそれに近づく唯一のものと信じているのです』
青い肌の美丈夫が白い歯を除かせて熱っぽく語る。子供達は垢塗れの黒い頬を赤くしてモニターを見つめていた。
「けど、兄弟はすげえよなあ」
トパズスの声が勇助の意識を引き戻した。
「何がすげえってそう、何でも無さそうにしてられるのがすげえよ。フルサイボーグはどっかイっちまってる連中が多いからな」
「あーそうっすよねえ。うちの周りもドラッグでぶっ飛んでる奴等ばっかっす。ユーちゃんどうしてそんな平気なんすか?」
「どうしてって……いや、普通なのがそんなに変か?」
「違う違う、変っつーか、褒めてんだよ。ハートが強えっつーのかね。機械換装自体は割合どこでも見るようになったが、フルサイボーグってのはよ、気の毒な連中が多いんだ。戦争で無くした手足を少しずつ代えてった奴等なんかまだマシな方だよ。酷いのになると無理やり棺桶から引きずり出された挙句、今度は脳が潰れるまで働けってなこともあるんだぜ。そりゃ頭もおかしくなるってモンさ」
「そーそー。それにユーちゃんみたいなピッカピカの体なら良いっすけどね、今日のおっさんみたいに安物使ってろくにメンテも出来ない連中のほうがアットーテキに多いんすよ。で、その場しのぎの苦し紛れに電子ドラッグに手ぇ出して廃人になっちゃうんす」
勇助はフルミノが折につけて彼の精神状態に気を配っていたことを思い出していた。
「……ま、俺が特別どうこうってより、単にあの女の腕がいいんだろ。デム何とかにも連れてってくれたしな」
トパズスとフェレスは目の色を変えた。
「デム!?デム・ドクトリナか!? っかぁーっ!たまげたねえ!で、どうだった?どんな感じだった?」
「やっべーチョー羨ましいっす。剣闘士ってのは儲かるんすねえ。ウチなんかあそこに行くクレジットがあれば家族揃って三ヶ月はたっぷり食えるっすよぉ。って言うか、フルミノちゃん本当に何者なんすか」
「待て待て。お前ら食い付き過ぎだ」
勇助は軽くデム・ドクトリナについて話す。二人は大げさに感嘆の溜息を吐きながら耳を傾けていた。
「ふーむ!やっぱし凄ぇやな、噂以上だぜ。兄弟、気に入ったならクレジットは嵩んでもチョクチョク行った方がいいぜ。ありゃ、フルサイボーグにとっちゃ格好の息抜きになるらしいからな」
「そーそー。間違っても電子ドラッグなんかに手を出したら駄目っすよ。アタシはヤク中のユーちゃんなんか見たくないっす」
「肝に銘じとくよ」
トパズスはジョッキをカウンターに置くと、ずいと身体を勇助に寄せた。
「で、だ。話は変わるんだけどよ、フェレスが言ってたみてーにあのお嬢さんはマジで何者なんだよ。色々と普通じゃねえぞ」
「アタシも聞きたいっす。ユーちゃんみたいな重戦闘サイボーグのオーナーってことは、チョーお金持ちのお嬢さんっすか。フルミノちゃんてばブルジョアっすか。そんなお嬢さんが何で態々ハンター稼業なんてヤクザな商売を見物に来るんすか。下々の渡世にキョーミ深々なお年頃っすか」
フェレスもぐいと勇助に体を寄せた。大分目が据わっている。勇助は二人にぎゅうぎゅうと圧迫された。
「アイツについちゃ俺も殆ど何も知らねえよ。分かってるのは、一から十まで一人で俺の面倒見てくれてる奇特なやつってぐらいだ。俺の体を作ったのも、ハンターの免許取って段取りしたのも、試合を組んでくれたのも全部アイツだ」
トパズスとフェレスは勇助の体越しに目を見合わせる。その後でトパズスの方はげらげらと笑い出し、フェレスはむぅっと頬を膨らました。
「そりゃちょいと盛り過ぎだぜ、兄弟! 幾らコルヌ人が仕事熱心でも、エンジニアと手配師の両立は簡単じゃあねえよ。まして兄弟みてえな高級品の扱いとなっちゃ、日々のメンテナンスだけでも大工場並みの設備がいるぜ?」
「そうっすよ!馬鹿にしないで欲しいっす!大体、宇宙生物狩猟免許証は一番下の丙種だってこぉーんなに分厚い参考書と問題集を五教科分もこなさなきゃなんないんすよ!アタシなんかそのために夜学に通ってんすからね!」
トパズスは笑いながら勇助の背中をバシバシと叩き、フェレスは如何に難関資格かをとうとうと並べ立てた。
「あいつ頭は良いらしいぞ。二日で取ったっつってた」
フェレスが噴出す。
「ああ、あと銀河帝国大学の学位を持ってるとか言ってたな」
トパズスが椅子からひっくり返った。フェレスは噴出したまま咳き込み、苦しそうに身を屈める。勇助はトパズスに手を貸し、フェレスの背中をさすった。
「じょ、じょ、ジョーダンも大概にしてくれよ兄弟!あのお嬢さん、せいぜい高次課程も半ばってとこだろ!?」
「え?え?銀河帝国大?帝都の?え?飛び級?銀河帝国大で?」
トパズスは泡を食って目を白黒させ、フェレスは顔中を『?』マークで一杯にしていた。
カウンターの奥から燃える幽霊のような見た目のマスターがジロリと彼らを睨んだ。店の客も何割かが勇助達を見物している。これ以上要らぬ騒ぎを起こすのも面倒になった勇助はフルミノの話を切り上げることにした。
その後も彼らは他愛無い話に花を咲かせた。夜も余り遅くならない内にフェレスは席を立ち、そこでお開きとなった。
「ここは勿論トパっちのオゴリっすよね。ゴチっす!」
「アレ!?オレそんなこと言ったっけ!?言ってないよなあ兄弟!」
「俺に振んなよ。第一俺は一切飲み食いしてねえぞ」
「早くフルミノちゃんに顎口作ってもらったらいいっすよ。そしたらまた一緒にトパっちに奢ってもらうっす」
「いやいやいや!待て!待てお前ら!オレ言ってないからね?奢るとか一言も言ってないからね!?」
最後の馬鹿話を一通り楽しんだ後、勇助はフェレスを自宅まで送った。
うらぶれたスラム街の端、廃ビルの中にフェレスの家はあった。彼女がさび付いたドアを押し開けると中から子供達がわらわらと集まってくる。殆どは彼女と同じ猫耳の異星人だったが、中にはトパズスのような鱗肌の子や鳥のような羽を帯びた子も混じっていた。
子供達は真っ先にフェレスへ抱きつき、続いて勇助を見て歓声を上げた。珍しい玩具でも手に入ったように彼に取り付いてはしゃぎ回る。
フェレスはどこに隠していたのか、酒場の料理の包みを子供達に渡して嗜めた。
「こーらー。お客さんにメーワクかけちゃ駄目っすよ」
「ねえねえ!あんちゃんサイボーグだよね!強い!?今日テレビで戦ってたやつより強い!?」
「つえーぞー。ってか、ありゃ中身は俺だ」
子供達はわあっと声をあげて勇助に飛び付く。勇助は子供達を肩車したり、両腕にしがみ付く彼らをぐいと持ち上げたり、痛くない程度にプロレス技をかけてやったりなどして遊びに付き合った。
遊び疲れた子供達が寄り添いあうようにして毛布に包まった後、フェレスは勇助と一緒にベランダで月を眺めていた。
「いやもーホントに申し訳ない。お茶でも出すとこなんでしょうけど……」
「気にすんな。俺も……まあ、久々で楽しかったから」
フェレスは微笑む。酒がまだ残っているせいか、頬は赤く染まっていた。勇助がじっと黙っていると、彼女は冗談交じりに取り留めの無い話を始める。みな戦争孤児であること。流れ者の異星人には殆ど仕事が無いこと。中にはスリや盗みを働かなければ食べていけない子もいること。本当は大学へ行きたかったこと。歌手になる夢があったこと。
勇助は時折頷きながらそれらを黙って聞いていた。
「……いやー……ハハッ!申し訳ないっす!詰まんない話ばっかしちゃって。バカみたいっすね!」
「いや、辛い話だ」
サイボーグの勇助の顔色は見えない。しかし彼が真っ直ぐフェレスを見つめていることは彼女にも分かった。それ故にフェレスは赤い顔を逸らして月を見上げる。
「俺の家も金が無くってよ。俺も、色々やりたいことがあった。高校行くとか、役者になるとかな。だけどよ、本当にクソなのはそれが出来なくなったことじゃねえ」
勇助はベランダの手すりを掴み、空を見上げる。うす曇りの夜空の向こうで蒼紅二つの月が紫光を滲ませていた。
「最悪なのは……それを『あーすりゃ良かった』だの『アレさえなきゃ』だの、頭ン中で繰り返しちまうっつーことだ。どんな理由があったにせよ『そうする』って決めたのはテメエなのによ。その度に、何度も何度も同じようにテメエをテメエで痛めつけちまうんだ。道を無くした時の苦痛を、思い出しちまうんだ。一番クソなのはそれだ……っ」
勇助はハッと気付いた。彼の話を聞いていたフェレスが肩を震わせながらハラハラと涙を流している。堪らず勇助は駆け寄って彼女の手を取った。
「悪い!言い過ぎた!!」
フェレスは勇助の手を握ったまま首を振った。
「ねえ、ユーちゃん……何でなんすかね?何でアタシらみたいのはいつまでもこんなままなんすかね?アタシも、あの子達も……いつになったらここから抜け出せるんすかね?」
鼻をすすりながらぼろぼろと涙を零すフェレス。勇助の手の甲に熱い雫が滴った。
「わからねえ。誰にもわからねえよフェレス。俺に言えるのは生まれは誰にも選べねえし、俺達は生まれちまった以上、必死に手を尽くすしかねえってぐらいだ。だが……そうだな。よし、フェレス。端末出せ」
フェレスは涙と鼻水で濡れた面を上げる。勇助は固い金属の体とハンカチの一つも持ち歩かなかった己を呪った。彼女は懐から端末を取り出し、おずおずと彼へ差し出す。
勇助はそれを自分の端末と接続した。そして最低限の交通費を残してクレジットの大部分を彼女の端末に放り込む。
「ちょっ!こ、こんなの受け取れないっす!」
「バカ。誰がくれてやるっつった。預けとくだけだ。いいかフェレス、コイツを俺の次の試合で全部俺に賭けろ。儲けを山分けだ」
勇助はきょとんと彼を見つめるフェレスの懐に端末を押し付ける。
「なあフェレス。お前もトパズスも、俺のダチだ。二人ともこのクソったれな場所に来て初めてできた大事な友達なんだ。俺は控えめに言ってクズだしバカだが、テメエのダチに何をすりゃいいかぐらい分かってる」
勇助は彼女の手を優しく握った。
「俺はダチに惨めな思いをさせたくねえ。それだけだ」
フェレスは乾きかけていた瞳を再び泉のように潤ませ、勇助の胸に飛び込んだ。勇助は彼女の嗚咽が途切れるまで静かに背中をさすった。
勇助は泣きはらした赤い目ではにかむフェレスに見送られ、その場を後にした。彼は鼻歌交じりに帰途に着く。何か良いことをしたようで気分は晴れやかだった。ただ、思っていたよりも遅くなってしまったことは確かだ。彼の小さなオーナーが神経を尖らせていないかが心配だった。
勇助はそっと家の戸を開く。中はしんと静まりかえっていた。
「わりぃー結構遅くなったぁー」
玄関口で声を上げる。しかし返事は無かった。
「……フルミノー?」
戸を閉めながら彼女の名を呼ぶ。だがやはり返事は無い。一瞬『寝てるのか?』とも考えたが、彼の中の何かが突如警報を鳴らした。勇助は発作的に整備室へ走る。
整備室には誰も居なかった。彼は矢も盾も堪らず屋内を駆け回る。そして一拍の躊躇を踏み越え、遂に彼女の自室の扉を開け放った。
「フルミノッッ!!!」
そこには作業着と白衣のまま、机の前で椅子から崩れ落ちるように倒れ伏せたフルミノが居た。