第三章『処刑人 フンゴール』
「ユースケ! ユースケったら! 喜べ、デビュー戦が決まったぞ!」
机の上でエアロスミスの『ゲット・ア・グリップ』を聴いていた勇助は、ドアを開けて駆け込んできたフルミノへぐるんとカメラのレンズを向けた。スパーリング以降、勇助は『ご褒美』としてある程度の自由を与えられていた。と言っても、立方体の体に取り付けられたキャタピラで移動できる範囲の自由である。併せて支給された自室と小遣いで勇助が初めにしたのは、地球で好んでいた音楽を取り寄せることだった。フルサイボーグの数少ない慰めの内、最もポピュラーな物の一つは音楽である。それを知っていたフルミノは快く許可を出した。
彼女は質の粗い黒紙の束を持って机に駆け寄る。紙には小さな白い文字が細かく印字され、所々に写真が添えられている。雑誌や新聞の類のようだった。勇助はピンセットに似たマニピュレーターでそれを受け取り、表紙の見出しをちらりと眺める。
『皇帝陛下 帝国議会の金融規制緩和案を承認』『ノワ・ルーナ社 20万人削減 フェネストラ星系工場を一斉整理の対象へ』『皇室専用艇爆破事故 第一皇女殿下が退院後初の公式会見 連邦のテロ説を正式に否定』『帝国議会次期予算案提出 軍費大幅縮小か』『第一皇子殿下 カプト前線基地を慰問 国境防衛力の強化に意欲』
勇助はレンズを表紙からフルミノへ戻した。
「テーコクって景気わりぃの?」
「ああ、まあ……泥沼の百年戦争が停戦してまだ一年だからね……じゃなくて!反対だよ反対!読んでる方が反対!」
フルミノは紙束の裏を指差した。勇助は細長いアームを器用に動かして紙束を裏返す。上段に大きく『第二十八回イグナイズ星系闘技会』と書かれ、青い肌に金色の目をした美丈夫と緑の肌をしたブルドックのような強面が睨みあう写真が一面の上半分を飾っていた。下段には演目と出場者の名前がずらりと並んでいる。燃え上がるような写植で『第三次防衛戦!!』『雪辱なるか!?』と煽りが付いていた。
「俺は?」
「オマエはここ」
フルミノは写真の一段下を指差す。『エキシビジョンマッチ 処刑人フンゴール対重戦闘サイボーグ』と書かれていた。見出しの脇に毛むくじゃらの牛のような男のバストアップ『だけ』が載っていた。
「……俺の写真がねーぞ」
「前座でやられ役予定のド新人にスペース割くわけ無いだろ、身の程知らずだな」
勇助は空いたアームの先でコツコツと机を叩いていた。レンズがキュッと毛むくじゃらの男に焦点を絞る。そんな彼の様子を見て、フルミノはニヤリと不敵な笑みを見せた。
「誰もオマエの勝利なんて期待してない。要は血祭りに上げられる生贄の羊さ。だからこそ、センセーショナルなデビューはになるんだ。来い、プランを説明してやる」
勇助とフルミノは会議室で過去の試合映像を見た。出場者は処刑人フンゴールと銃火器で武装した男達である。彼らは司法取引で減刑と引き換えに闘技場へやって来た重犯罪者達だ。いかにも惑星の情勢を窺えるところだが、ともかく彼らは無罪放免のために己の命を賭したのである。尤も今まで賭けた者達の殆どは無残な結果に終わっており、観客達もそれを期待していた。闘技場内には幾つかのバリケードが散らばっているが、ヒグマのように大柄なフンゴールが身を隠すにはどれも些か小さかった。加えて犯罪者達が飛び道具を持っているにも拘らず、フンゴールは長柄の巨大なハンマー一つきりだった。
『今晩もやって参りました、皆様お待ち兼ね屠殺ショウの始まりです! 今日の豚共は十五人! 何とロケットランチャーの使用が許可されています。使い方次第では久々の生還者が期待出来るのではないでしょうか!』
弾けるトランペットのような底抜けに明るい声が闘技場に響いた。実況を務める触角を生やした金髪の異星人の美女は屈託の無い笑みで物騒な単語を並べている。
『さあ!ゴングが鳴った! 合図と同時にクリミナルズは早速バリケードに移動します!ゴキブリのように物陰に飛び込むや否や一糸乱れぬ一斉射撃だ! ロケランも惜しみなくぶっ放すゥー!』
けたたましい実況の通り、フンゴールに激しい弾幕の嵐が襲い掛かった。しかし処刑人はその殆どを小さなバリケードと巨大なハンマーを盾にして弾いてしまう。それどころか、一拍遅れて飛んできたロケットミサイルを対戦チーム目掛けて鉄槌の柄で打ち返した。『出たァー!フンゴールのシューター返しだァ!!豚共が堪らず逃げ出します!しかし残念、爆破炎上だァ!フンゴールシェフによるバーベキュー・クリミナル風です!おーっと、しかし数名は逃げ延びた模様!だが処刑人の鉄槌が背後から襲い掛かるゥー!』
処刑人はぶちかましや脚払いで身動きを取れなくした後、泣き喚いて命乞いする犯罪者達を一人一人丁寧にハンマーで叩き潰していった。フンゴールが黙々と鉄槌を振るい対戦相手達が地面や壁の赤い染みになる度、観客の喝采が飛ぶ。結局ルールの制限時間内で生き残ったものは一人もおらず、フンゴールは闘技場の真ん中で高々と血まみれのハンマーを掲げたのだった。
「気に入らねえ」
映像が途切れるなり、出し抜けに勇助は呟いた。フルミノは目を瞬かせて首を傾げる。続きを待つ彼女の沈黙に気付いた勇助は、コツコツと机を叩きながらはっきりと言った。
「気に入らねえっつったんだ。悪趣味だぜ。おい、覚えとけよ拷問女。俺はな、幾らカネのためでも、あんな見世物をやるのはゴメンだぜ。テメエが幾らサド趣味でもだ」
フルミノは目を丸くし、続けてニタニタと笑い出した。いつもの挑戦的な微笑ではない。望外の吉報に喜びを隠せない、と言った表情である。
「何がおかしいんだクソアマ。奴隷風情が殺し合いに好みを差し挟むのがそんなに笑えるってか?」
その笑みを侮辱と取った勇助は憤る。しかしフルミノは笑み溢れる口元を袖で隠しながら「違う違う」と手を振った。
「ボクもオマエと同意見なんだよ。確かにこういった血生臭さが売りのショーは受けるんだ、刺激が強いからね。だけど……ごく短期間なんだな。お客はすぐ慣れてしまう。そして更に更にと過激性を増していったショーは、結局陳腐なものに成り下がる。お客はいずれ単調なショーに飽きて、離れてしまうのさ。だからボクはそんなチープなショーは絶対にやらない。安心しろ勇助、ボクのプライドに賭けてオマエに王道を歩かせてやる」
フルミノは画面を切り替える。フンゴールの写真と彼の戦績がモニタに映し出された。
本名フンゴール・マレウス。クレタ星出身の巨漢。人呼んで闘技場の処刑人。この星系内の闘技会における目玉剣闘士の一人であり、十数年のキャリアを持つベテラン選手だ。主に犯罪者や戦争捕虜相手の一方的な殺戮ショーが人気演目となっている。
「本来ならどこの馬の骨とも知れないド新人が一対一の試合を組めるような相手じゃないぞ。このボクのような敏腕マネージャー抜きではね」
「テメエは一々その自慢を挟まねーと話を進められねえのかよ、自惚れ女」
「黙れ。今回は本当に苦労したんだからちょっぴりくらい感謝しろ、サイコロ野郎」
勇助は画面を見つめた。ロケットミサイルの信管を起動させずに弾き返す芸当を見る限り、ただの力自慢ではない。それに雄叫び一つ上げずに淡々と試合を進めたフンゴールの姿は『処刑人』のキャラクターを装っている、と言うよりは、役不足で単調なショーを持て余しているように勇助には感じられた。
ともかく相手は強い。が、勇助が勝てないかと言えば全くそうは見えなかった。
「フルミノ。言っちまうけどよ、俺が負ける要素なんてあるか」
「無いな。普通にやり合えば皆無だ。だからこそ難しくもあるんだが……」
「何も難しいことあるもんかよ。真っ直ぐ走って、ハンマー躱して、殴り付けりゃあそれで話は終わりだろ」
傍で聞けば勇助の言い分は不遜そのものである。だが事実それは可能であった。予想外の隠し玉でもない限り、身体的な能力は勇助が圧倒しているのである。しかしフルミノの目は冷たい。勇助の言葉を承服していないどころか若干の軽蔑の色さえあった。
「ユースケ。剣闘士で一番大切なこととは、何だ?」
「は? ンなもん、勝つことに決まってんだろ」
「ちっっっっがぁぁぁああああああああう!!!!!」
ガン!と音を立ててフルミノは会議室の机に拳を突き立てた。その振動で勇助は正しくサイコロのように机から転げ落ちそうになる。
「ユースケ良く聞け?闘技会はショー・ビズだ。ステゴロ最強を競い合うチンピラ共の殴り合いとはワケが違う。ボクらはショーマンなんだ!!お客の立場に立って考えろ。ショーマンシップを忘れるんじゃあないッ!」
忘れるも何もショーマンになった自覚など全く無かった勇助は完全に面食らっていた。だが頬を紅潮させて息を荒げるフルミノは噛み付くように捲くし立てる。
「第一にだ。お客は処刑人が惨たらしく相手を血祭りに上げるショーを期待してるんだぞ。そんな舞台でオマエが一秒で相手をノしてしまったら、お客はどう思う?」
「そりゃあ……呆気に取られるんじゃねーの?」
「ちぃぃぃいいいいいっっっっがーーーーーーーーーうッッッッ!!!!」
フルミノは再び机を殴りつけた。勇助は細いアームを机の上に広げて安定をはかりながら、力任せに叩き付けられる彼女の手の甲をハラハラしつつ見守っていた。
「バカ!!無神経の唐変木のでくの坊!!オマエには想像力というものが無いのか?呆気に取られるだけで済むと本気で思ってるのか?ブーイングの嵐が巻き起こるに決まってるだろうがッッ!!!」
呆気に取られていたのは勇助の方だった。普段の彼ならば負けじと言い返すところだが、余りに興奮した彼女に向かってそれは出来なかった。
「いいか!お客が求めてるのは予想外のドラマだ!息もつけないスペクタクルだ!オマエ一人が気持ちよく敵を殴り倒して『ばんじゃーい』なんて誰が喜ぶんだ!!」
「あー……オッケー。分かった。お前が剣闘士にすげえ拘りがあるのは良く分かった。だから、な?落ち着けって」
「ボクはいつだって冷静だよっ!それなのにオマエが的外れのことばっかり言うから!」
三度目が振り下ろされようとした。勇助は大慌てでキャタピラを全速回転させて飛び込み、真剣白刃取りのようにはっしとフルミノの拳を受け止める。ピンセットのように小さなアームが、赤く腫れた細く柔らかい手を震えながら支えていた。
「分かったッ!トンチキな受け答えした俺が悪かったッ!謝るから机を殴るのを止めてくれ!俺の身体を手入れしてくれる大事な大事な手なんだ!ぶっ壊さないでくれ!」
フルミノの拳を押さえながら必死で懇願する勇助の言葉を聞いて彼女は我に返る。自らの拳が鈍い痛みを訴えていることに今更ながらに気付いた。見る見る内に彼女の顔から険しさが抜け落ちていく。興奮と共に緊張と気負いもすっかり流れ出し、そのまま泣き出しそうに目を潤ませていた。
「ごっ…ごめん、ユースケ……ボクちょっと、カッとなっちゃった……」
「いや……俺もちょっと考え無しだったぜ。打合せを再開しようや」
勇助は彼女の手を離す。フルミノは深い深呼吸を何回か繰り返した後、両手でぴしゃりと自らの頬を打った。
「……よし。オマエがショー・ビズについてズブの素人なのを忘れてたよ。このフルミノ・ウィクトーが特別にレクチャーしてやる。ありがたく思え」
「立ち直った途端にこれだよ……」
不敵な笑みを取り戻したフルミノを見て彼はぼやく。しかし彼女は構わずに話を続けた。
「……うん、例え話をしようか。オマエが料理を注文したとして『食材がコックに噛み付いて逃げ出しました』なんて言われて、水だけ出されたらどう思う?」
「そりゃふざけんなって思うわな。食券買った後なら金返せっつうわ」
「だろう?でも、代わりにもっとずーっと美味しい料理を出されたらどう思う?オマエが注文した料理よりも、もっともっと美味しい、予想だにしないようなご馳走をだよ」
勇助はしばし沈黙して考えた。
「出される料理によるだろうな。注文したのと違うもんが来るんだから、そりゃ俺を納得させるようなもんでなけりゃよ」
「それだよ」
フルミノは、よく言った、とばかりに勇助を指差す。彼女は口の端を吊り上げた。
「お客の期待を裏切る以上、ボクらは彼らの予想を遥かに上回る『ご馳走』を提供しなければならないのさ。オマエが相手を瞬殺するのが許されるのは、お客がそれを望んだ時、つまりオマエの圧倒的な強さに大勢のファンが付いた後だ。今はまだ早すぎるんだよ。ついでに言えば規定の時間一杯一杯まで使った方が広告会社は喜ぶね」
勇助はフルミノへ反論こそしなかったが、まだ手の先でコツコツと机を叩いていた。
「リクツは分かっけどよぉ……相手をぶちのめすのにも一々客だの広告だの気にしなきゃなんねえのかよ」
フルミノはふぅっと息を吐いて、勇助の前に顔を寄せた。
「ユースケ。オマエが剣闘士になったのは何のためだ?喧嘩がしたいからか?」
「ナわけねェだろ。カネのために決まってんだろが」
「そうだな。じゃあ、お前にクレジットを払うのは誰だ。ボクか?違う。元を辿ればファンとスポンサーさ。ボクらはプロだよ?顧客の意向を汲むのは当たりだと思わない?」
先ほどとは打って変わって駄々っ子に言い含めるような口調だった。いつの間にか立場が逆転していた勇助は面白くない。
「でもよ、結局勝たなきゃそのカネは貰えないんだろうが。それにあんまり向こうの要望に合わせてたら、俺達のやりたいことが出来ないんじゃねぇか?」
「そこさ。漸くオマエも頭を働かせるようになってきたな。だからこそボクらはぐうの音も出ない『ご馳走』を提供するんだ。最初の話題に戻るぞ。剣闘士はショーマンだ。剣闘士で一番大切なのは観客を満足させること。逆に言えばそれを達成できるなら、やり方は僕らの方で選べるのさ。オマエの好きな『やり方』をだ。残りは訓練と平行して話そう。『ご馳走』の作り方を教えてやる」
恐れるものなど何一つ無いと言わんばかりの笑みだった。フルミノはモニタの電源を落とし、彼のために会議室のドアを開けた。しかし、さあ訓練室へ行こう、という所でぴたりと立ち止まる。彼女は振り返り、しゃがんで足元の勇助をがっしりと掴んだ。彼女の鋭い視線が稲妻のように箱の中の勇助を貫く。
「大事なことを言い忘れてた。ユースケ、スパーで最後に使った『アレ』のことだがな」
「『アレ』?ああ、すっげージャンプのことか?何か使い方がフッと頭に浮かんでよ。ってか、お前もあんな秘密兵器を付けてたなら教えてくれりゃあ良かったじゃねえか。見た目も派手だし、スペシウム光線とかライダーキックみてえな止めの必殺技にでもするか」
「二度と使うな。いいな?約束しろ」
有無を言わせぬ彼女の目は全く笑っていなかった。
「訓練でボクが指導した技術以外は絶対に使うな。どうしても必要な時に咄嗟に使ってしまった、なら……まだ許す。でも意識的に使うのは無しだ。約束できないならボクはオマエとの契約を破棄して、オマエを再洗浄に掛ける」
殆ど脅迫だった。声音には僅かに焦りと懇願の色も滲んでいる。勇助は勿論疑問に思ったが、質問を差し挟むことすら許さぬ緊迫した面持ちだ。彼はただ頷くしかなかった。
そして入念な打合せと数日間の訓練を経て、勇助のデビュー戦当日がやってきた。
二人は闘技場地下の点検室に通されていた。全ての剣闘士達は規則に違反した武装や薬物などを持ち込んでいないか入念なチェックを受ける。例えば今日の演目では剣や棍棒等は許可されているが、銃などの推進剤を使用した火器は厳禁である。特に武装を隠しやすいサイボーグである勇助は半ばオーバーホール寸前の全身点検を受けていた。
二人の整備士が手際よく点検を進める様子を、フルミノは腕を組んで監視していた。
「暇なら先に行っててくれてもいいんだぜ」
「オマエが心細くならないように居てやってるのさ。……おい、試合前のボクの剣闘士に傷を付けたらクビじゃ済まさないからな」
フルミノは整備士達を鋭く睨む。整備士は一人が年配のルプス人。もう一人がトカゲの様な鱗肌の異星人だった。ルプス人は毛先が白っぽく色が抜けているので年配と分かり易いが、トカゲ男の方は良く分からない。だが、ひょうきんで良く喋る男だった。
「へへっ心配しなくっても引っかき傷一つ、凹み一つ付けやしねえですって、お嬢さん。第一オレぁ馬鹿みたいに強えサイボーグが出るって噂で聞いて、直に拝みたいばっかりにこの仕事に飛び込んだんですぜ。しかしこの御時勢に純タングステンの装甲たぁ珍しいモン使ってますねえ。もっと他に良い合金があったでしょ。ネブ・マク社の複合鋼板なら半分の重量で三倍は頑丈ですよ」
「うるせぇぞ、新入り。ラケルタ人てのはこれだからいけねえ。悪いねお兄さん、喧しい奴でよ。ほんの昨日入ったばっかなんだが煩くてかなわねえ」
「いや、試合に間に合えば何でもいいぜ。なあ、フルミノ」
実際のところ勇助は検査の間身動き一つ出来ないので、お喋りなトカゲ男のおかげで退屈せずに済んだ。トカゲ男は勇助の体をチェックするたびに大きな感嘆の溜息を漏らす。
「装甲は意味不明だし、炉の内部構造も何だこれ、どうなってんだ……ねえお嬢さん、何をどうしてこの重量とサイズでこんな出力があるんですかね」
「企業秘密だ。レギュレーションの範囲内ならツベコベ口を出すんじゃあない。無駄口叩いていないでさっさと検査を済ませろ」
「……なあ、兄弟。アンタのボスはカワイコちゃんだけど、中々気位が高いようだね」
トカゲ男は爬虫類のような黄色の瞳をキラリと光らせ、大きな口を豪快に開いてガハハと笑った。勇助もつられて笑みを漏らす。
「しかしガワは本当に意図がわからねえな。兄弟、タングステンは純金属の中じゃ硬いけどよ、脆さを考えると処刑人のハンマーは防げねえと思うぜ。悪いことは言わねえから、多層チタン合金辺りに変えとけよ。ミサイルは無理でも機銃くらいなら耐えられるぜ」
「心配いらねえよ。俺も不思議なんだが、この体はちょっとやそっとじゃ壊れねえんだ」
トカゲ男はふうむと呻った後、勇助にそっと耳打ちした。
「奴の装備にゃ気ィつけろ。処刑人は興行主側だからよ、きちっとチェック受けてっかどーか怪しんだ。どんな仕掛けが隠してあるか知れたもんじゃねえぞ」
「ありがとよ。今からでも間に合うなら俺に賭けとけ。礼をするよ」
「へへっ嬉しいお誘いだけどな、闘技場の関係者は買えねんだ。でもアンタ気に入ったよ。生き残ったら良い店を紹介してやるぜ」
勇助の体は無事にチェックを通過し、二人は公開調整場へ進んだ。ここは剣闘士達が試合前の最終調整を行う広々とした運動場だが、観客達に試合前の剣闘士達を顔見せをする『お披露目』の意味合いが強い。野球観戦で両チームの練習時間から球場に足を運ぶようなもので、来るのは殆どが熱烈な愛好家である。闘技場への莫大な出資者も少なくない。
薄暗い廊下を抜けて二人が明かりの下に出たとき、既に数名の剣闘士達が各々の準備運動や武具の確認に精を出していた。調整場の真正面には個室型の観覧席が設けられており、ガラス越しに見える内装は実に豪奢だった。勇助が遠くから目を凝らすと、極薄手の黒衣を纏った銀髪の美女が柔らかそうなソファにゆったりと腰掛けているのが見えた。
フルミノはそっと耳打ちする。
「覚えてるな?彼女がレディ・カンデラだ。ちゃんと練習どおりに挨拶するんだぞ」
フルミノがカンデラ婦人と呼んだ女性はこの闘技場一の闘技会ファンであり、同時に最大のスポンサーでもある。正確な素性は誰も知らないが、莫大な資産と帝国中枢に対する強固なコネクションを持つ妙齢の美女だ。一部では元帝国貴族とも噂されていた。多くの剣闘士と興行師を召抱えており、彼らの参加試合には必ず足を運ぶ。処刑人フンゴールも彼女のお抱えであった。そして彼の試合に代表されるように苛烈で凄惨な試合を特に好むことで知られていた。
フルミノは事前に彼女のことを勇助へ知らせていた。曰く『機嫌を損ねても不味いが、気に入られるともっと厄介。無関心でいてもらえるのが一番良い』とのことだった。勿論それは勇助を売り出していく以上、不可能なことである。ただ少しでも時間を稼ぐためにフルミノは勇助へ一番当たり障りの無い挨拶の仕方を教え込んでいたのだった。
フルミノは一度静かに息を吸い込み、長くゆっくりと吐き出した。そして勇助を連れて観覧席へと近付く。しかし、後一歩と言うところで邪魔が入った。鋼のような分厚い筋肉の鎧を纏った緑肌の大男だ。身長二メートルの勇助よりも更に頭一つ分高い。胸甲と脚甲のみの軽装に大剣を帯びたクラシックな剣闘士風の男はブルドックのような闘争心溢れる顔付きをしていた。勇助はその顔を見て新聞の裏表紙を思い出す。
「へえっ!コイツは驚きだね。処刑人に喧嘩売った馬鹿がいるって聞いたが、興行師は小間使いの餓鬼じゃねえか!お嬢ちゃんよぉ、おめえの玩具に俺の前座が勤まんのかい?お人形さんごっこなら余所でやってもらいたいもんだね」
男はゲラゲラと下卑た笑い声を上げるが、フルミノは言い返すどころか目を合わせようとさえせずに横を素通りしようとした。それが男の癇に障ったらしい。大男はフルミノの小さな頭に手を伸ばした。
「ユースケッ!止めろ!!」
勇助は気が付いてから「しまった」と思った。彼は全く反射的に二人に間に割り込み、男の腕を捻り上げていたのだ。男は流石に剣闘士だけあって悲鳴を上げるような無様な真似はしなかったが、脂汗をかきながら勇助の腕を逆に捻ってやろうと悪戦苦闘していた。
勇助はフルミノの命令通り大男の腕を放したが、彼の肩の付け根は赤く腫れていた。試合前の剣闘士に傷を付けるのは御法度だと散々フルミノに言い含められていたにも関わらず、己を押さえることの出来なかった自分を勇助は強く恥じる。しかし、一度手を出してしまった以上、もはやお互いに後へは引けなかった。大男は殺気の籠もった目で二人を睨みつける。勇助はその視線からフルミノを庇うように前へ出た。一触即発の空気が張りつめる。大男の手が剣の柄へと伸び、勇助がゆっくりと腰を落としたその時だった。地を揺るがす轟音が調整場に鳴り響き、みなは音の発せられた場所へと目を向けた。
そこには処刑人の鉄槌が地に深々と突き刺さっていた。フンゴールは片手でゆっくりとハンマーを引き抜き、太い足で地を踏みしめながら諍いの場へ近づいてくる。
「待てスマラグダ、そのサイボーグは我の相手よ。汝も晴れ舞台を前にして、場を温める贄を潰したくはあるまい」
重く巨大な岩を引きずるような声だった。誰もが息を飲み、処刑人の毛むくじゃらの顔に見入っていた。
「チッ……俺のせいじゃねえ。このガラクタが俺の大事な腕をよぉ」
「ほう、汝の豪腕はガラクタ如きに傷を付けられるほど柔であったかな……?」
「ンなわけねえだろう!!オイ、ガラクタァ!!フンゴールに助けられたな!!今日俺がチャンピオンになっったら真っ先にテメエを指名してやるぜ!!」
大男は捨て台詞を残して去っていく。フルミノは勇助の前へ出てフンゴールに頭を下げようとした。しかし彼は手を振ってそれを制す。
「よい。それよりも汝が今宵の我の相手であったな。フルサイボーグならば万一のことがあろうと命は無事であろう。互いに武勇を示しあう良き試合となることを望むぞ」
フンゴールが手を差し伸べる。勇助は一瞬戸惑ったが、彼の手を力強く握り返した。毛むくじゃらの顔の奥で小さな青い瞳が思慮深い知性の輝き覗かせていた。
二人の剣闘士が握手を交わす様子を銀髪の美女はガラス越しにじっと眺めていた。微笑ましい者を眺めるような微笑をたたえていたが、彼女の口の端が奇妙に歪められたのに気付いたものは誰もいなかった。
「全く……挨拶どころじゃなくなっちゃったじゃないか。あれほど駄目だと言ったのに……脊髄反射のしすぎで海馬が萎縮してるんじゃないのか?」
「あーあー俺が悪かったよ、ぜーんぶ俺のせいですよ。二度とやるかクソッタレ」
二人は控え室でその時を待っていた。勇助はソファに腰掛けて指先でこつこつと膝の甲を叩いている。フルミノは壁を背に腕組みをして彼を見守っていたが、ふうっと息を吐いて彼の側に近寄った。
「怖いか?」
「ふざけろクソアマ。怖いわけねえだろ」
勇助は相変わらず膝の甲を叩いていた。フルミノは困ったような笑みを浮かべ、彼の隣に座る。そして彼の膝の上の手に自分の手の平を重ねた。
「じゃあ、イライラしてるかい?」
勇助は黙って答えなかったが、忙しなかった手はフルミノの小さな手の平の下で静まっていた。じっと正面の扉を睨む勇助にフルミノは柔らかな声をかける。
「さっきのオマエは格好良かったよ。だけどな、それは舞台の上で見せなきゃ駄目だ。オマエの体はそのためにある。ボクが作った無敵の体は誰かを脅かすためにあるんじゃない。無意味な意地の張り合いの為にあるんじゃない。オマエの姿を見に来た観客達を熱狂させるためにあるんだ。誰かを、喜ばせ、楽しませるためにあるんだよ」
フルミノはゆっくりと彼の指先を握った。冷たい鋼の指に彼女の体温が穏やかに馴染んでいく。
「決してそれを忘れないでくれ。それはただ身を守るために敵を滅ぼすことよりも、ずっとずっと、素晴らしいことなんだから」
勇助は我知らず掌を返して彼女の手を握っていた。部屋のブザーが鳴り、出場を促すアナウンスが聞こえる。彼は彼女の手を離してゆっくりと立ち上がった。もはや震えは無い。
「ふふん、ボクのおかげでリラックスできたようだね」
「そういうテメエも随分と嬉しそうに見えるぜ」
「それはそうさ。何たって自分の剣闘士を戦わせることはボクの夢だったんだから」
フルミノは勇助に向かって拳を突き出し、勇助は自分の拳を会わせた。
「勝ってこい。『貴方の決意が運命の声を聞きますように』」
「何だそりゃ」
「コルヌ星のおまじないみたいなものさ」
フルミノは彼の背を叩いて送り出した。彼女と彼の勝利を信じて疑わない、揺るぎない眼差しでフルミノは笑った。
勇助は一人薄暗い廊下を歩く。闘技場に近づくにつれて歓声の木霊が大きくなる。勇助は自分へ言い聞かせるように頭の中で何度もルールを繰り返していた。
『どちらかが戦闘不能と見なされるまで戦うこと。必ずしも対戦相手を殺害する必要はないが、それは生命を保証するものではない』
彼は扉の前に立った。扉一枚隔てた向こう側から、生け贄の血を待ち望む猛り狂った歓声が響いてくる。機密性の扉だというのに、こびり付いた血のような渇いた死の臭いが漏れ出していた。勇助はほんの一瞬、視覚・聴覚・触覚、全ての感知系を切った。無音の闇に沈んだ彼の意識に四人の姿が上る。それは寡黙だが情に篤い父、大人しいが本好きで算数が得意な上の弟、良く笑い良く喋り野球が大好きな下の弟、そして勝ち気で理屈屋で、口は悪いが今にも弾けんばかりの熱意に満ちた少女が腕を組んで不敵に笑う姿だった。
勇助は超硬水晶に覆われたカメラアイを光らせた。内蔵された二重メビウス環薄片リアクターが生み出す半無尽蔵のエネルギーが全身に漲る。
扉が、開いた。
「そして赤コーナーから今日の自殺志願者が登場だァ!鋼の体は全身凶器か!それとも棺桶と化すのかァ!重戦闘フルサイボーグ、ユゥゥウウウウスケェエエエエエエエ!!!」
スポットライトの鋭い閃光が勇助のカメラを焼く。ドームはすでに興奮の坩堝と化していた。観客は身の程知らずのサイボーグが叩き潰されるのを今か今かと待ちわびている。
勇助の正面では既にフンゴールがハンマーを構えて臨戦態勢を取っている。処刑人の巨大なハンマーは両面の中心に円錐状の突起があり、より戦闘的なデザインとなっていた。
勇助は彼が微かにうなづくような仕草を見せたことに気付いた。拳を交え合おうというお互いにだけ分かる仕草だ。勇助も重心低く腰を落とし、彼に返礼する。
「試合、開始です!!」
実況者の掛け声と共に鐘が鳴った。
勇助は鐘を聞くなり遮二無二フンゴールへ突っ込んだ。フンゴールはハンマーを振りかぶり、真っ直ぐ走ってくるサイボーグに向かって横凪に振る。勿論全力ではない。ハンマーを切り返すだけの余力を残した、いわばフェイントであった。
が、しかし。勇助はそのスイングをもろに浴び、小気味よい打撃音と共に弾丸ライナーのようにすっ飛んでいった。何か仕掛けてくると予想してたフンゴールは鉄槌を振り切ったまま唖然としたが、勇助はそのまま壁に激突した。
「な、なんとぉ!!試合開始わずか一秒で決着がついてしまいました!!かつてここまで呆気ない幕切れがあったでしょうか!!しかし、あの目にも留まらぬ早さにタイミングを合わせた処刑人の鉄槌裁きは流石といえましょう!些か物足りない結末ではありましたが、見事な負けっぷりを披露したサイボーグはどんな有様に……ウソぉ!!??」
脳天から壁に突っ込んだ重戦闘サイボーグは上半身が丸ごとめり込んでいた。しかし複合鋼板に覆われた超硬化耐熱樹脂製の壁材からはわずかに掌が外へ出ている。サイボーグは力ずくで壁をこじ破り、指先を壁にめり込ませながらゆっくりと己の上半身を引き抜いた。サイボーグは悠然と立ち上がり、胸に付着した破片を払う。
困惑のどよめきが闘技場に轟いた。
「ごぉっ……ご覧下さい!!サイボーグは死んでいません!あろう事か無傷!!無傷です!!凹みの跡すら見えません!!」
勇助は再びファイティングポーズを取った。フンゴールもハンマーの柄を握り直す。そしてその後二回勇助はフンゴールの鉄槌に打ちのめされたが、その都度何事もなかったかのように立ち上がった。観客は勇助が再起するごとにざわめき、手元の闘券と試合時間を見比べはじめた。フンゴールの完勝に賭けた者は早くも破って捨てている。フンゴールにとっても三回目の強打は手加減無しの一撃だった。しかしそれでも立ち上がるサイボーグを見て処刑人は構えを変えた。これまで単に胸の前で斜めに握られていたハンマーは、薙刀のように前へ突き出す格好を取る。処刑人が構えを見せたとたん、観客席から地鳴りのようなどよめきが響いた。
「なっなんと言うことでしょうか!!処刑人が構えを取ったのは何時以来でしょう!!私の記憶が正しければ二年前の宇宙恐竜との一戦が最後だったはずです!!」
そして処刑人と同様にサイボーグも構えを変えた。これまでは単純に腰を落とした前傾姿勢を取っていたが、より歩幅を狭く半身の姿勢を取る。観客の声援が更に高まった。もはや闘技場の空気は生け贄の血を求めるそれとはまるで異なっていた。誰もが新鮮な驚きと興奮に、目が覚めたように試合に釘付けにされていた。
控え室で一人、端末のモニターで試合を観ていたフルミノは興奮を隠せずに独り言る。
「そうだ……それでこそだ処刑人!!アンタはショーを分かってる!だからボクはユースケのデビューにアンタを選んだんだ!」
フルミノが採った戦略は手っ取り早く「おや、これはいつもの試合とは違うぞ」と観客に分からせるためのものだった。観客達にとってフンゴールの鉄槌は一撃必殺でお馴染みである。それが一度や二度ならまぐれで済まされるものの、三度も凌げば幸運なだけでは説明が付かない。嫌でも勇助の実力が伺えようというものだ。しかし幾ら勇助のサイバネボディが堅牢とは言え、車も平たく押しつぶすフンゴールの鉄槌を何の対策も無しに浴びるのは無謀だった。ボディは無事でも、生身である勇助の頭脳は最悪の場合脳震盪を起こしてしまう。そこで勇助とフルミノは数日間を防御の鍛錬に費やしたのである。
勇助は鉄槌が直撃する瞬間、絶妙なタイミングで自ら後方へ飛んでいた。自分から首を捻り、仰け反り、跳びすさることで衝撃を殺していたのだ。勿論一度は壁にめり込むような危険な演出をする必要があったが、少々のリスクは織り込み済みである。フンゴールのハンマーよりも壁の方が柔らかい、という若干の打算もあった。ただしあまり露骨にやってはフンゴールはともかく観客にばれてしまう。フルミノは「ハンマーがもろに直撃したにも関わらず、悠然と立ち上がる重戦闘サイボーグ」を演出したかったのだ。全ては観客を驚かせ、楽しませるためである。
しかしそれは難行そのものだった。観客に悟られまいがために、目と鼻の先までハンマーを引き付けなければならない。言わばレールの上で迫り来る機関車を身に触れる寸前まで待ち受けるようなものだ。その気になれば悠々とかわせるはずの死の一撃を、目の前を覆い尽くすほど近づくまで待たねばならないのはいかな心地であっただろう。
しかし勇助はフルミノの無茶ぶりをやってのけた。場は最高潮に暖まり、処刑人フンゴールもショーマンの流儀に則って強者対強者の構図を演出してくれた。だが、お互いに勝利は譲れないのである。まさに真の勝負はここからであった。
先に仕掛けたのは挑戦者たる勇助だった。勇助は重コンクリの床材を激しく踏み割り、放射状に亀裂を入れた。無論、その程度でフンゴールの巨体は一ミリたりとも揺らがない。しかし勇助はフンゴールを中心に素早く回り込み、円を描いて数カ所に踏み込みの亀裂を入れた。闘技場の床は至る所ヒビだらけとなる。ぐるりと回った勇助がスタート地点に戻ってきた瞬間、彼は床を『蹴り上げた』。
驚愕のどよめきが津波のように広がった。数え切れない巨大ながれきの塊が宙に舞い上がり、その内の幾つかが弾幕となってフンゴールへ襲いかかる。しかし処刑人は動じない。巧みな鉄槌裁きで瓦礫を叩き落とすに止まらず、幾つかをサイボーグに向けて打ち返した。が、そこに彼の姿は無かった。サイボーグを見失った観客達が試合場の多角カメラモニターに目を移すと、なんと宙に舞い上がった瓦礫の一つに『乗っている』サイボーグの姿があった。観客が驚きの声を上げる間もなく、サイボーグは再び姿を消した。途端に巨大な爆竹を慣らすような破砕音が連続し、その度に巨大な瓦礫の塊が粉みじんになって吹っ飛んでいく。サイボーグは浮かんだ瓦礫を蹴り飛ばすことで空中を縦横無尽に移動し始めたのだ。サイボーグは跳ね回るピンボールのごとく鋭角的に宙を舞う。居場所を目で追うことなど到底不可能な超高速の跳躍であった。そしてサイボーグは最後の跳躍で処刑人の後方に移動し、突如として猛然と襲いかかった。斜め上方の完全な死角から無防備な首筋めがけて、落雷の如き跳び蹴りが放たれる。
激しい金属音が鳴り響いた。勇助の右足は深々と足首までめり込んでいる。しかしそれはフンゴールの首の肉ではない。彼が瞬時に担いだハンマーの頭であった。しかも彼は柄を床に突き立て、衝撃の殆どを腕で支えず床に逃がしている。余力を十分に残したフンゴールは即座に鉄槌を突き立てたまま回転させた。ハンマーに足をめり込ませたサイボーグはハンマーと共に独楽のように回る。そして彼が体勢を崩したところでフンゴールはサイボーグ諸共ハンマーを振り下ろした。叩きつけられる寸前に勇助は自由な左足でハンマーを蹴り、右足を引き抜く。開放されるや否やバク転で飛び退き、間一髪処刑人の追撃を逃れた。瓦礫が降り注ぐ中、電光石火の攻防を凌ぎ合った両者は再び睨み合った。
嵐のような歓声が巻き起こる。
「はぅあッ!申し訳ありません!私あまりの出来事に実況を忘れておりましたッ!しかしご来場の皆様にはもはや言うまでもありませんが、いつものエキシビジョンマッチからは完全に様相を異にして参りました!驚きのパフォーマンスを披露した重戦闘サイボーグですが、更なる賞賛を贈りたいのは鮮やかに捌いた処刑人フンゴールでありましょう!特に注目したいのは先ほどの防御動作ですが、彼は振り返りもせずに即死級の蹴りを防ぎました!おそらく彼は跳躍音から攻撃角度を予測したのでしょう。むしろ瓦礫が浮いた時には既に、その大きさから攻撃がくるであろう場所に予測を立てていたに違いありません!」
実況者が早口でまくし立てる。観客の興奮は天井知らずに高まり続けていた。
視線の火花散る睨み合いの中でフンゴールはハンマーの柄を握り直し、指先で探るような動きをみせる。が、突然サイボーグへ向かって突進した。対する勇助は退かず飛ばず、受けて立つと言わんばかりに力強く一歩踏み出し、空手のような構えを見せる。フンゴールは己の重量と突進の速度をハンマーに乗せて槍のように突き出した。勇助は渾身の力を込めて正拳突きを繰り出す。鉄槌と鉄拳は周囲の大気を圧縮しながら激突し、コンマ一秒遅れて衝撃波と激突音が辺りを吹き飛ばした。
正面対決に撃ち負けたのは勇助だった。彼自身が踏み砕いた床が踏ん張りを支えきれず、鉄槌の衝撃力に押し負けたためである。足元を崩された勇助はよろめく。フンゴールはその隙を逃さずハンマーの柄で勇助の足を払いにかかった。勇助は一度は飛び退って避けたものの、フンゴールの連撃が襲い掛かる。フンゴールは巧みな棒術さばきで勇助の跳躍を許さず、じわじわと彼を追い詰めていく。そして勇助は遂に壁際まで追い込まれていった。
勇助が己の背後に注意を向けた瞬間、フンゴールは鉄槌を大上段に振り上げた。彼が前に意識を戻した時には彼を圧殺せんとする死の鉄塊が迫っていた。しかし勇助はやはり逃げず、退かず、素早く両腕を額の前で十字に組んで防御姿勢を取った。壁際の床にはヒビは及んでいなかった。フルミノとの特訓で、正面からクッションのように衝撃を受け止める技術も習得していた。フンゴールの全力の一撃、その速度も既に味わっていた。
だが、勇助が前身に緊張を走らせ、豪速で迫るハンマーの影に完全に入った瞬間―――ハンマーの突起が弾丸のように射出されたのだ。
何かがひしゃげるような音と轟音が響き渡り、それら一切を掻き消すかのような歓声が闘技場内を満たした。
「決ぃまッッたァーーッ!! 処刑人の必殺の一撃が遂にサイボーグを捕えました!」
振り下ろしたハンマーを握り締めながら、フンゴールは忸怩たる思いだった。
フンゴールのハンマーにはパイルバンカーが内蔵されている。柄の持ち手を捻ることでスイッチが入り、単なる突起を偽装した杭がハンマーの表面から飛び出す仕掛けだ。杭はダイヤも砕く六方晶ボロンナイトライド製である。加えて小型のポリ窒素炸薬が生み出す射出力はスペースデブリの衝突に耐える宇宙戦艦の装甲すら容易く貫く。
無論、推進剤を使った禁止武器である。しかし相手がハンマーの影に入った瞬間に射出することで観客には決して見破られない。中継用の多角カメラは彼を預かる主催者側の手中だ。加えて粉砕時の轟音は炸薬の破裂音も掻き消し、叩き潰された死体は杭の貫通痕など残さない。勇助のような防御技術と装甲を併せ持つ難敵を屠るために用意された奥の手であった。ハンマーの速度に慣れた相手は完全に不意を突かれて串刺しとなり、追って迫るハンマーによって証拠諸共圧殺される。正しく必殺の一撃なのだ。
「素晴らしい戦いを披露した処刑人フンゴール! 彼の両手は勝利の余韻をじっくりと味わっているかのようです!」
フンゴールは観客の気配が彼の『締め』を求めるものに変わったことを察知した。彼はハンマーを掲げようと柄に力を込める。その時だった。
ピシッと、何か硬い物が小さく弾ける音が闘技場内に響いた。沸きかけた観客の興奮は、一瞬にして音の在り処への注意に変わる。闘技場内でただ一人、フンゴールだけがその正体を知って青ざめた。
轟音が炸裂した。音と共に何かが弾け飛び、その衝撃で処刑人は吹き飛ばされる。処刑人は両足を踏ん張ったが、全く単純な力押しだけで壁際から試合場中央まで押し戻される。
「おっ……おーーーーっとぉ!!??」
観客達が困惑するどよめきの中で素っ頓狂な実況が響いた。壁際でもうもうと立ち込める土煙の中で赤い光が煌く。
「ヴォォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!」
金属質な咆哮が突風を巻き起こし、土煙を払う。ハンマーの残骸の中から双眸に真紅の眼光を讃えた黒金のサイボーグが現れた。
再度、絶叫に近い喚声が闘技場内に溢れた。実況者も早口で何かをまくし立てているが、それすらもかき消される音の津波だ。
サイボーグは一歩踏み出す。しかしその歩みに試合開始時ほどの力強さはない。全身から排熱による陽炎が立ち上り、一歩一歩踏みしめる度に間接を軋ませる音が聞こえる。装甲に傷は見当たらないが、深刻なダメージを負っているように見えた。しかしそれでも尚、サイボーグは一歩、また一歩と処刑人へと近づいていく。観客は傷付きながらも闘志を燃やすサイボーグの姿に熱狂した。
ハンマーが炸裂する一部始終を間近で目撃していたフンゴールだけが、ただ一人戦慄を味わっていた。サイボーグは振り下ろされた筈のハンマーを『内部から引き裂いた』のである。インパクトの瞬間に一体何があったのか。
勇助はハンマーの影に入った瞬間、面の中心から僅かに身を逸らしていたのだ。確信があっての事ではない。ただ、トカゲ男の忠告と、ハンマーの柄をなぞる様な指の動き、そして頭の中で何かががなり立てる警告があった。彼を救ったのは豪運と、全くの直感だった。流石にフルミノが作ったボディも、初速が音速を超える杭を発射されてから避けることは叶わなかっただろう。杭はかすかに勇助の胸元を掠め、床に突き刺さった。
回避は半ば偶然とは言え、その後の判断は迅速だった。勇助は即座に杭を踏み折ると、空いたハンマー内の空間に身を滑り込ませた。もちろん、鉄鎚の衝撃は全てを逃せるものではなく、勇助の全身を締め壊すような圧力が勇助を襲った。しかしフルミノが施した多層流体型圧電素子は圧縮力を瞬時に電圧へと変換し、反撃の活力にせしめたのである。
そして闘技場の中央で二人の剣闘士は対峙した。決着を求める観衆の掛け声が唸る。もはや小手先の大道芸は不要だった。サイボーグと処刑人は半メートルの間合いで互いに睨み合い、勢い良くぶつかり合った。肩と肩が激しく衝突し、互いの背中に腕を回しあう。大相撲のような取り組みの中で、猛烈な力がお互いをねじ伏せようと荒れ狂った。フンゴールの筋肉は皮膚を突き破りそうなほど盛り上がる。それは噴火寸前の活火山のようだ。対するサイボーグは全身の人口筋肉を唸らせ、二倍近い体躯の大男の腕に抵抗する。それは活火山の火口を雁字搦めにして押さえつける鋼の鎖だ。激しい軋み音を立てながら二人の体はますます膨れ上がるようだったが、遂に決着の時は訪れた。
サイボーグは雄叫びを上げながらフンゴールの巨躯を『持ち上げた』。まさしく山を担いだ様な威容に観客は総立ちになる。そしてサイボーグはフンゴールを担ぎ上げたまま仰け反り、激しく脳天から叩き落したのだった。
荒れ狂う喚声の渦の中、圧巻のスープレックスを決めたサイボーグは悠然と立ち上がる。そして彼は高々と拳を突き上げた。震えるような歓喜と熱気が彼を満たし、冷たい鋼の皮膚にぶち当たる拍手と喝采のシャワーを全身に感じていた。
勇助は通路を走り、台車で医務室へと運ばれるフンゴールに追いついた。彼は寝そべったまま目線だけを勇助に合わせ、くぐもった笑い声を漏らした。
「何故ばらさなかった?」
「アンタが俺と、最後に取っ組み合ってくれたのと同じ理由さ」
フンゴールは再び笑い、腕を振って台車を止めさせた。
「何故我を殺さなかったのだ?」
「あの蹴りは殺すぐらいのつもりでやったぜ。見事に防がれたけどな」
「あんな見え見えの蹴りを放っておいてか」
フンゴールは大きく息を吸って、心底楽しそうに深い笑い声をこぼす。そして澄んだ青い目をじっと凝らし、勇助の超硬水晶の瞳の奥を覗いた。
「ショーでも勝負でも、汝の完勝だな。この老兵に何か聞きたいことはあるか、若人よ」
「……アンタは凄い人だ。だが何でアンタみたいな人が、あんな役を」
フンゴールは少しの間黙った。その瞳は優しく、寂しげで、悲しかった。勇助はその瞳に、幼き頃母の帰りが毎晩遅い理由を尋ねた時の、父の顔を思い出した。
「舞台には悪役も必要だ。誰もがベビーフェイスとなれるわけではない。だが、汝は王道を行くがいい。その資格も実力も、十分にあるぞ若人よ」
フンゴールは再び手を振って台車を進めさせた。勇助は彼が運ばれ遠ざかっていくのをじっと見つめている。そんな風に言われたのは地球でもついぞ無かった。
カン!と小気味良い音が背中から響く。振り返れば頬を膨らませたフルミノがレンチを片手に立っていた。
「試合が終わったら真っ直ぐ整備室に来いって言っただろ! 勝手にうろつき回るんじゃあないっ」
「おうおう待て待て。小言の前に試合の評価を聞かせてくれよ。どうだった?」
彼は膝を曲げて小柄な彼女と視線を合わせる。彼女はパッと花が咲いたように笑った。
「言わなくったって分かるだろ?最後の観客の反応がそのままボクの採点結果さ」
二人は笑い、こつんと拳を突き合わせた。