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第二章『賞金首 結晶ゴーレム』

 契約交渉の後、勇助は磔から解放されて街を案内されていた。とは言っても二本の足を使って、ではない。彼の脳みそだけ箱詰めにされた上、台車に乗せられてゴロゴロとフルミノに運ばれているのだ。そもそも解放直後の彼は歩くどころか立つことさえままならなかった。立ち上がろうとしても思うように足が動かせず、ようやく立てたと思った瞬間に重心を崩して転倒する。フルミノ曰くサイボーグに成り立てなら当たり前とのことだった。そのため彼は甚だ不本意ながら贈答品のメロンの様に箱詰めされているのである。

 箱にはレンズとマイクが取り付けられているので見聞きと会話は可能だ。とは言え勇助は箱の中で『人間の尊厳とは』と自問自答せざるを得なかった。

 フルミノと家の外へ出た瞬間、夕日の赤い日差しがレンズに突き刺さった。太陽は並び立つビル群の向こうには沈みかけており、赤い夕焼けの真向かいには青い月が荒野の裾野から顔を出している。勇助は地球と同じ赤い夕焼けを見られたのが不思議と嬉しかった。

 街の通りを歩く人々の多くは黒髪で彫りの深い顔立ちだが、フルミノと同様に地球人に似ていた。ただし皆銀色の瞳と犬のような尖った耳を持っている。肌は青白いが顔以外の目に付く皮膚の殆どは針の様な黒い毛で覆われていた。彼らはルプス人。この周辺星域の支配種族である。勇助が見た限りでは、ルプス人に混じって彼の様なサイボーグと思わしき金属製の体の持ち主と、フルミノの様な異星人がちらほら混じっていた。

 そしていざその闘技場を目の当たりにしたとき、彼は箱の中で大きく溜息を吐いた。映像で見せられた闘技場よりも一回り小さいが、それでも東京ドームと同じ程度のサイズである。鯨が顎を開いたような入り口と側のチケット売場は観客でごった返している。ダフ屋と思しき青い蛸のような異星人がチケットを片手に行列待ちの客へしきりに話しかけていた。辺りには飲食屋台が立ち並び、中にはござの上に写真を並べただけの露店もあった。品は剣闘士の生写真らしい。子供達がコインを握りしめて露店の周りに群がっていた。

「どうだい? 立派な闘技場だろう。コロッセオ・タイト・ペリ・カエデ。帝都には及ばないけれどこの星域で最大の舞台さ。オマエはここで最高のショーを披露するんだ」

 フルミノが彼を連れてきたのはモチベーションの向上が狙いだった。実際、彼女の思惑通り勇助の頭脳は不思議な高揚で満たされていた。

「悪くねえな。女に顎で使われるのは癪だが、いいハコだぜ」

 フルミノはにんまりと笑い、ポンと彼の箱を軽く叩く。

「結構。ボクも連れてきた甲斐があった。手続きを済ませて帰るぞ。特訓開始だ」

 フルミノは彼をこじんまりとした建物へ連れて行き、紺のスーツを着てゴーグルをかけたルプス人相手に手続きを済ませた。即ち勇助を所有するための手続きである。ここは地球で言う市役所に相当する施設だった。しかし先ほどの闘技場とは似ても似付かない人気のない寂れた建物が、この星の情勢を物語っているようでもある。

「ここじゃ真面目に法を守ってる奴は少ないけど、こう言うのは初めが肝心だからな」

 フルミノの言葉通り、この惑星ルブルムは闘技場を中心にややダーティな娯楽産業で運営される星だった。表向きは頻繁に行われる闘技会を目当てに観光客が詰めかけるレジャー惑星だが、帝都では禁止されている闘技賭博が公然と罷り通っている。更に一歩表通りを離れれば、より暗い面が顔を出す。ならず者が出入りする闇市が日常的に開かれ、違法薬物や禁輸動植物、希少な鉱物から横流しされた帝国軍装備までが法外な値でやり取りされている。言わずもがな、勇助の頭脳が彼女に買われたのもここである。

 街全体を七色の煌めく有期EL電飾照らし、サイバーパンクな雰囲気が漂う。勇助は歌舞伎町の路地裏に似た気配を感じていた。そんな場所に勤めているせいか役所のルプス人も覇気が無かった。勇助に対する扱いもぞんざいであり、厳しい審査を予想していた彼は拍子抜けと同時に若干の不安を覚える。ともかく彼は正式にフルミノの『第六等級被雇用帝国外星人』、言い換えれば彼女の奴隷となった。彼は憤懣やるかたなかったが、納税も兵役も務められず帝国に忠誠を誓ってさえもいない身分では当然のことだった。

 フルミノは『生体デバイス扱いならこんな手続きさえ要らない』と言う。奴隷は部品より上等な待遇と言えるだろうか。勇助には大して変わらない気がしたが、いずれ成り上がるためには雌伏して時の至るを待つしかない。


 街から帰ると勇助は会議室のような部屋に通された。フルミノはペンのような銀色の棒を持って黒いボードの前に立っている。街に出る前に軽く家の中も案内されていたのだが、実に殺風景な家だった。第一に生活感が無い。物が詰め込まれているのは作業室だけで、後はがらんとしていた。流石に彼女の私室には通されなかったが、居間らしき広間には机一つと椅子二脚だけ。廊下も埃が積って彼女の靴跡が残っている。靴跡の殆どは玄関、私室、作業室とだけ繋がっていて、キッチンらしき場所は入った形跡さえなかった。

 家族は居ないようだった。

「さて、ゴールを明確にしておこう。一口に身体を取り戻すと言っても、オマエには幾つかの選択肢がある」

 ぼんやり掃除道具の在り処を探していた勇助の意識をフルミノの声が呼び戻した。ボードの上彼女が書いたギザギザした帝国語の文字が白く輝いている。彼女は主に値段が高い順に、彼の『選択肢』を懇切丁寧に講義した。

 まず一つ、勇助のクローン人間を作る。幸い彼の細胞は脳が残っているので、そこから遺伝情報を採取してクローンを作り脳を移植する。これは最も完全に近い方法だが費用も時間も一番掛かる。ローンを組むことも可能なのだが、この手のバイオテック企業自体がかなりあくどい。帝国内でも余命幾ばくもない難病の末期患者に話を持ちかけ、借金で縛り付けて奴隷にする手口が過去に社会問題になっていた。

「他にも若返りの薬、テロメア修復剤を法外な値で売り捌いたりね。バイオ工学専門の連中は大概倫理が崩壊してるからな。オマエも金蔓や実験材料にされないよう気を付けろ」

「お前はどうなんだよ、拷問女。それともゴミ売りから買った脳みそでサイボーグ作るマッドサイエンティストの方が良いか」

「黙れ、目無し耳無し口無し骨無しの脳みそだけの箱詰めくらげ野郎。このフルミノ・ウィクトーをあんな一山十クレジットの凡才どもと同列に語るな。第一オマエを拾ってやった上に将来の自由を約束してる時点で、ボクより優しいやつは銀河帝国に存在しない」

 抜かしやがる。勇助は内心で毒づいた。

 フルミノの自画自賛は置いておくにせよ、勇助はクローン人間案を避けたかった。何よりも彼のクローンに入ってた頭脳と今の自分自身の頭脳を交換するわけである。彼の倫理的に容認し難かった。交換された後の脳が何に使用されるのか、想像するだに恐ろしい。臓器ごとに培養する方法もあったが、丸々複製するより割高になる。露骨に足元を見ているやり口が勇助は気に食わなかった。

「ん? そういや、クローン技術が確立してるんなら何で俺は密漁なんかされたんだ?」

「少しは想像力を働かせろ、間抜け。さっき高いって言っただろう。培養された脳なんて、かける時間とコストに対して得られる品質が全く割りに合わないんだよ。初等学校の教材AIでも使った方がまだマシだ」

 黙って立っていれば楚々とした美人に見えるフルミノだが、本人にそれを演出する気は全く無いらしい。勇助は何度目か分からない呆れと苛立ちが混じった舌打ちをした。しかし傍から見れば彼の口の悪さも五十歩百歩なのには気付いていない。

 次の案は人体に似せたサイボーグボディだった。これは性能的にピンきりであり、機能的にほぼ人体そのものから外見を似せただけのものまで様々である。飲食や睡眠、食物の動力変換が可能な高機能品は価格も相応になる。逆に言えばガワを模倣しただけ体ならば安価だが、後で維持費が高く付いてしまう。

「ボクとしてはほぼメンテナンスフリーのハイエンドがお勧めかな。安物は危ないし一生分の維持費を稼いでおくのは現実的じゃないからね。基本的に生身と変わらない生活が出来るし、クローンより大分安価で安全だ。倫理的問題も少ない。初期投資はそれなり必要だけど、トータルで考えれば一番穏当だと思う」

「良いこと尽くめってわけでもないんだろ。欠点は?」

「まず見た目が老化しない。これは定期的に外から弄れば周りの人間に怪しまれることは無いけれど…………最大の欠点が……子供が作れないこと」

「それは別にいいわ」

 フルミノはボードを見つめていた目を勇助へ向けた。赤い瞳を丸く見開いている。彼女の驚きを他所に、勇助は箱の中で地球にいる家族に思いを馳せていた。彼は子供どころか、彼女を作る気さえまるで無かった。父に孫の顔を見せるのは、今はまだ幼い弟達がいずれ担う役割だと思っていた。

 しかし彼はそこでハタと気付く。

「フルミノ!」

 勇助は机の上で声を張り上げた。彼女はマイクの最大音量に驚いてやや後ずさる。

「ど、どうしたのさ。やっぱりクローンの方が良い?」

「いや、そうじゃなくって……アレだ。地球に仕送りって、出来ねえか? 金稼がねえと弟達が大学に、下手すっと高校にも行けねえんだ」

 勇助は地球に居た頃から弟達の面倒を見つつ生活費と学費貯金のために働いていた。ただ当初から二人の弟達の分を稼ぐには父親の収入だけでは些か心許なかったのである。

 フルミノはぽかんとあけていた口を閉じてから首を傾げた。

「出来ることは出来る……けど、地球でのエージェントを雇わないといけないから割高だぞ。オマエのファイトクレジットから差っ引くから目標資金達成も遠のく」

「構わねえ、手配してくれ。最悪仕送りさえ出来れば、の新しい体が手に入るのが遅れても問題ねえ」

「そうか……ふむ……じゃあ、こういう選択肢も有りうるな」

 フルミノはボードの一番下に最後の選択肢を書き足した。

「……『帰らない』……ってか?」

「そう。ボクとしては一番オススメしたいのがこれだね。スター剣闘士になれば地球なんて遅れた惑星よりもずっと刺激的で楽しい毎日が送れるぞ。ボクもオマエと一緒にビジネスを続けられる。それに全く帰れないわけじゃない。確かにワープドライブ便は馬鹿みたいに値が張るけど、たまに里帰りするくらいなら賄えると思う。オマエは家族に定期的な送金さえ出来れば大丈夫なんだろ?」

「そりゃ……まあ……カネさえあれば大体の問題は片付くけどよ」

 二人はしばしの間沈黙する。やがてフルミノは彼の葛藤を感じ取ったようにそっと机に歩み寄り、ぽんと優しく箱を叩いた。

「慌てるな。今すぐ決める話じゃない。何よりお前はまだ一戦もこなしてないんだ。ピカピカのド新人でさえない。十分なクレジットを稼いでから考えればいいさ。それにボクは約束したはずだぞ? オマエを必ず、銀河帝国一の英雄にしてやるってな」

 フルミノは不敵に笑った。自信と野心と決意に満ちた、雷光のように鮮烈な眼差しが彼を真っ直ぐに捉える。勇助は箱の中で一塊の迷いを抱えたまま、じっとフルミノの真紅の瞳を見つめていた。


「体に違和感は無いか? 感覚がぶれてたりとか。めまいや吐き気はしない?」

「今のところ問題無しだ」

 勇助は頭の奥から聞こえるフルミノの声と会話する。彼は再び白い格子に囲まれた暗闇に立っていた。ここはフルミノが用意した仮想空間だったのである。戦闘サイボーグ専用の物理エンジン(高級品)をベースにフルミノが大改造を施した一品であり、勇助は小一時間ほど説明にかこつけた彼女の自慢話を聞かされた。

「体感時間は最高で四百倍まで圧縮出来るけど今回はやらない。オマエの商品寿命を縮めるしボクがモニタリングし辛いからな」

 彼はフルミノの案内や注意を受けながら体のあちこちを確かめた。ヴァーチャルリアリティの中ではあるが、やはり機械の体は妙な感じを受ける。指先や手足の感触は確かにある。だが身体の中身が空っぽになったような、寒く虚ろな不安感が常に伴った。

「少しでもおかしいと思ったらすぐに言うんだぞ。場合によっては精密検査するからな」

「マッドサイエンティストの癖に優しいとこあんじゃねえか」

「馬鹿! 誰がマッドだ! オマエが使い物にならなくなったらボクが困るんだよ!」

 勇助はフルミノの罵声を聞きながら音声機の奥からくぐもった笑い声を漏らした。彼は世の女性全般を敬遠していた。しかしフルミノは尊大で口が悪いものの、今のところ無能でも不実でもなかった。例えば契約交渉時の彼女は、最初に提示した契約金額を本当にびた一文も負けずに押し通したのである。それは悪辣な大人達に揉まれて来た勇助にとって十分に信頼に足る証だった。

「繰り返すぞ。電脳空間内とは言え頭脳に負担は掛かるから無茶するな。命令以外の動きは極力しないこと。それから何かあったときは慌てずしゃがんでゆっくり手を上げろ」

「分かった。いつでも始めてくれ」

 その声と共に数日間に及ぶ訓練が始まった。まず身体を動かすことに慣れるための体操。初めは身体の重心が上手く把握できず、勇助は前屈運動しただけで転びそうになった。続いて歩行、ジョギング、ダッシュと徐々にペースアップしてゆく。幅跳びや反復横とびなどの体育測定じみた運動が出来るようになった後は、電脳空間内に現れたアスレチックが相手になる。坂を上る。降りる。ロープを使って狭い足場を飛び交う、潜り抜ける、等々。体の動かし方に慣れてきてからは格闘技の基礎が始められた。立体映像の動きを真似ることから始まり、動きを覚えてからはマネキン相手の組手だ。勇助も蟹の化け物や結晶の巨人なら手こずっただろうが、幸い人型相手だったたおかげで殴りつけるのは簡単だった。

 勇助がフルミノ指示に従って黙々と課題をこなしていく中、彼女はぽつりと漏らした。

「……おい、ユースケ。オマエ、ひょっとして格闘技を習った経験があるのか?」

「いや? 売られた喧嘩はしょっちゅう買ってたけどよ、ボクシングみたいに本格的な奴は習ったことね……あ。あー……でも殴り合いのコツ掴むのに雑誌とか本読んだりしたことはあっか。強いていや、我流って奴だな」

 しかしフルミノは腑に落ちないらしく「うーん」と唸ったり、ブツブツと「それにしては妙に……」だの「この動きどこかで……」だのと呟いていた。訝しまれている勇助は良い気持ちがしなかったが、これ以上説明のしようも無かった。本当に彼は地球でそんなものを習ったためしが無かったのである。ただ機械の体になってからもきちんと人間の殴り方を忘れていなかったことは、彼自身も何となく不思議に思っていた。

「ってーかよォ。こういう訓練も宇宙人語みたく頭にぶっこむって出来ねえのかよ」

「止めろ、銀河帝国語だ。ウチュージン語なんて……お前の無教養が前面に出過ぎてて頭痛がしてくる。聞いてるボクまで頭が悪くなりそうだ」

 次々に勇助に襲い掛かる木偶達を殴り倒しながら勇助がぼやき、フルミノが悪態を返す。しかし勇助が疑問に思うのも尤もだった。彼はフルミノが聞いてもネイティブと遜色無いレベルの帝国語をあっさりとものにしたのである。

「今のオマエぐらい流暢に喋れるようになるのは稀だけど、言語導入そのものはかなり技術が確立しているからな。ただ、格闘技みたいに体全体の操作を伴う技能を脳に書き込むのは今のオマエじゃ無理だ。洗浄済みのまっさらなフォーマット状態じゃないと」

「やるだけやってみたらどうよ。言葉の方みたく予想外に上手く行くかもだぜ」

 返事が返ってこない。黙りこくってしまったフルミノに向かって、勇助が何度か呼びかけてから漸く声が聞こえた。

「………………そうだなあ。試してみる分にはいいか」

「おっ?マジでマジで?だったら七面倒くさいマラソンなんざさっさと切り上げて……」

「ただ……人格が残ってるから、十中八九、自我を切り刻まれるような苦痛があるけど」

「よっしゃ、次の課目は何だ? 百人組み手だってやっちゃうぜ」

 彼女の声が思ったより重々しく且つ深刻だったので、彼はきっぱり諦めることにした。

「何でもかんでも楽に逃げるのは良くねえやな!ハッハッハッ!」

「フン、調子の良い奴。ボクの拷問には耐えたくせに」

 彼は避けられるリスクは避けるタイプだった。金と面子と、人命が掛かった時を除いて。


 そして次の日もそのまた次の日も、延々と訓練が続いた。次第に訓練の内容は複雑になり、体感覚も現実の重量あるものへと変わっていく。だが相変わらず白い格子に囲まれた暗闇の中だった。訓練の周回が三十を越えた辺りでとうとう彼の我慢は限界に達した。

「飽きた」

「どうしたユースケ。まだまだやれるはずだぞ。オマエの脳の負荷は血流も血圧もph値も逐一モニタリングしてるんだからな」

「っだぁぁあああッッ!! 来る日も来る日も同じメニューの繰り返しじゃねえか!!! 俺ぁ回し車ん中のハムスターか? 毎日毎日ぐるぐる基礎トレ基礎トレってもう……もう限界だ!! 変わったことやらせてくれ!!!」

「根性無しめ。堪え性の無いやつだ」

 フルミノが辛辣な言葉を吐きかけるが、変わり映えのしない風景もあいまって彼はノイローゼ寸前だった。もちろん、フルミノが懇切丁寧に説明してくれたため、この訓練が無意味ではないことは勇助にも分かっている。生身のほぼ全てを失った彼は医学的に全身麻痺より酷い状態である。その彼が新しい体を意のままに操れるようになるには過酷なリハビリが必要なのだ。生まれたばかりの赤ん坊が這い、立ち、歩くことを覚えるように順を追って。筋トレが無意味なサイボーグボディである以上、必要なのは脳のトレーニングだ。新たな身体を如何に操作するか、それを脳に叩き込むには反復練習が最も効果的である、と。しかしそれにも限度があった。

「お前だって分かンだろ? 俺が慣れ過ぎちまえば肝心要の訓練に対する真剣味が無くなっちまう。これ以上は時間の浪費だぜ」

「うーん……確かにオマエの習熟ペースには目を見張るけど……しかしだなあ」

「待て待て。お前が心配してるのはこうだろ。俺が十分基礎を完成させたかどうか分からない。そんな状態でこれ以上危険な訓練をさせるわけにはいかない。そうだろ?」

「オマエってがさつで無教養な癖に機転が利くよな」

「反応に困るから貶すのか褒めるのかどっちかにしろ。とにかくだ。お前が不安なら俺をテストしてくれ。今ここで出来る一番難しい訓練で俺を試しゃいいんだよ。そこでオマエの眼鏡に叶えば、次の段階へ進む。どうだ?」

 フルミノはしばらく考え込んだ。一杯のお茶を淹れるほどの時間をかけてから、彼女はゆっくりと一つ一つ言葉を置くように答えた。

「いいだろう。丁度、次の段階に手ごろなものもある。ただし、ボクが出す課題に一つでも失敗すれば、まだしばらくは基礎訓練だ。いいな?」

「文句無し。やってくれ」

「基礎訓練モジュールを停止。各条件設定をマニュアルへ移行……始めるぞ。構えろ」

 某アスレチック番組を凶悪にしたような地獄の障害走が始まった。圧殺ローラー追われがらの平均台走。殺人レーザーに狙われながらのクライミング。加えて襲い掛かる数十体もの訓練用マネキンとの組み手。しかし勇助はその悉くを制覇し、最後には人形の残骸で出来た山の上で高らかに笑っていた。

「もういい……分かったよ、合格だ」

「ッシャアッ!! どうよ見たかオラァ!!」

 万策尽きた疲労が滲んだ諦観の声が聞こえた。彼は力強くガッツポーズを取って叫び、フルミノは大きく息を吸って長い長い溜息を吐いていた。

「オマエのスパーリング相手を見繕ってやる。明日に備えて休め」


 翌朝になると早速フルミノは勇助の身体の調整を始めた。彼の意識は久しぶりに仮想空間の外へ開放され、サイボーグボディの中に納められる。黒地に金の装飾が施されたその体は兵器の力強さと蒔絵細工の優美さが同居していた。

「中々イカすな。特に色が気に入った」

「コルヌの色言葉で『力』と『名誉』のテーマさ。腕を上げてみろ」

 体格こそ今までと変わらなかったが、実際に中に入っているからか専門的知識のない彼にも月とスッポンだと分かった。当然、今の体が月である。彼の意識に対して生身よりも忠実なほどの応答性。剣の達人が舞い落ちる木の葉の位置を感じ取るように、半径数メートル以内の全ての動体を関知するセンサー類。全方位を睨みつつ数キロ先の砂粒が数えられそうな視野。何よりも彼の胸の奥で地鳴りのように力強く唸るリアクター。黒真珠のような艶のある漆黒の装甲も見かけ倒しではない。だがフルミノは珍しく殆ど自慢もせずに淡々と数値を説明しただけで、後は黙々と機体の微調整と彼への問診を続けていた。

「もうちょっと具体的な説明してくれよ。宇宙怪獣ならどれくらいまでならヤれるとか」

「オマエに見せた録画のアステロイドベルトシザーズなら秒殺だな。カタログスペックで言えば間違いなくオマエは銀河帝国最強の個人だよ。帝国宇宙軍の戦闘用サイボーグ部隊なんかも含めて、素手で一対一ならオマエに勝てる奴は存在しない。もちろん十分な整備があって、一回の試合置きにクールダウンが取れればだけど」

「……は?……え?」

「ボクは天才だからな。それよりユースケ。次は右足の小指を触診するぞ。何か触れたと思ったら手元のスイッチを押せ」

「ボクは天才だから……って、お前……マジか?」

 彼は余り乗り気でないフルミノと短い応答を重ねる内に全容が掴めてきた。彼の体は軍事兵器並と言うよりは『剣闘士の試合』という一点にのみ特化したF1カーに近い物だった。分類上は重戦闘サイボーグだがコストや生産性、整備性は度外視されている。それも自称銀河帝国一の頭脳を誇るサイバネティクスの天才、フルミノ・ウィクトーが一から作った最強にして唯一の機体である。

 俄には信じ難かった。しかしこれこそが、フルミノの自信の最大の根拠だったのだ。ただしこの機体は余りに高性能に過ぎるため、全身を失った直後の頭脳に扱える物ではない。本来ならフルミノは彼に十分なリハビリと訓練を積ませてから乗せるつもりだったようだ。

「余りオマエを不安させたくはないけれど……オマエみたいな全身サイボーグの精神疾患発症率は物凄く高いんだ。その率なんと健常者の約二十倍。有名所じゃサイボーグ鬱。精神分裂も多いな。厳密には精神疾患とは異なるけれど幻肢なんかも頻繁に起こる。それぐらい……全身を失うって言うのは頭脳にとって『ショッキング』な出来事なんだよ。『洗浄』を行うのも命令に従順にさせたり品質を均一化することよりも、こういった精神疾患由来の事故を未然に防ぐ意味合いの方が遥かに大きいんだ」

 フルミノは高価な美術品を扱うように、丁寧に慎重に念入りに、彼の体を整備した。そして腕のいい医者が患者の体を確かめるように、鋭い目つきで彼の体を診察したのだった。


 十分な調整を終えた後、勇助とフルミノは密閉式のトライクのような三輪の乗り物に乗って郊外の発電所を目指していた。フルミノがトロビスと呼ぶこの乗り物は前後二席となっている。勇助が座る前部が運転席であり、フルミノが座る後部座席が物騒なことに銃座付きだった。

「おい、フルミノ。この真ん中についてる箱って何だ?何か赤いスイッチあっけど」

「触るな。押そうものならオマエの首に埋め込んだ爆薬を起爆して頚椎を剥離してやる」

「出たよマッド女が……って、まさか本当に仕込んじゃねえよな」

 二人は街から出発する前にハンターズギルドへ寄っていた。ギルドは主に宇宙生物の捕獲もしくは駆除の仕事を斡旋する場所である。駆除業務の請負には帝国資格の宇宙生物狩猟免許証もしくは星系証書の特別教育修了証が必要だ。今回は勇助の雇用主であるフルミノが丙種免許証を持っていたので勇助本人は免除された。彼女は黄門様の印籠の如く小さなカードを勇助に突きつけ「国家資格とは言え、このボクにかかれば一番簡単な丙種なんて二日もあれば楽勝さっ」と見せびらかした。勇助は「わーすげえすげえ」とおざなりな拍手を送ったがフルミノの得意げな笑みは崩れなかった。

 またギルドは同時に日雇いの仕事も紹介する宇宙の人材派遣業でもある。二人以外にも仕事を求める人々で賑わっていたが、武装していることを差し引いて見てもガラの悪い連中が多かった。フルミノ曰く『3個で一クレジットで掻き集められるハンターとは名ばかりの何でも屋稼業のゴロツキども』らしい。なお彼らの殆どは特別修了証しか持っておらず、この星系の外では改めて教育を受けねばならない。フルミノからの説明を付け加えると、帝国内全ての地域で全ての生物を狩猟可能な甲種宇宙生物狩猟免許証の保持者は所謂『特級ハンター』と呼ばれ、畏敬の眼差しを集めている。

 二人はそこでスパーリング相手として郊外の発電所を襲っている結晶ゴーレムに目を付けた。そう、勇助を仮想空間で踏み潰した因縁の相手である。


 勇助は時折進路を塞ぐ岩や地割れを避けながら、後部座席のフルミノへ声をかけた。

「フルミノ。最初からあいつを俺にぶつけるつもりだっただろ」

「まあね。洗浄が成功していればプログラム上でオマエを調整した後、コイツを試金石にする予定だった。スパーの相手には打ってつけなんだ。それより体に違和感はないか?」

「もう何度目だよ。心配性だな」

「この……馬鹿!! 自分の体がどれほど危険な状態かまだ分からないのか!? 帰ってからもう一回オマエの状態についてサイバネの講義をするからな」

 フルミノの雷のような大声がキンキンと車内に響く。フルミノはその後も何度も彼の調子を尋ねた。ただ、心配ばかりでもなかった。

「怒鳴るくらいならもっと俺の体を大事に扱えよ。高級品なんだろ? 外にまで拷問スイッチ持ち歩きやがって」

 彼は例のスイッチで極々弱めではあったが二回ほど電撃を浴びせられていた。フルミノに道を尋ね、去り際に彼女の財布をスろうとした男の腕をへし折って締め上げて気絶させた時に一回。ギルドの近くで彼女の胸と腰を無遠慮に眺めていたハンターを折り畳んで路地裏に投げ込んだ時に一回。

「黙れ。このボクに赤っ恥のこきっ恥をかかせやがって……大体オマエはどうしてそう、喧嘩っ早いんだ?見ず知らずの赤の他人にいきなり因縁を吹っかけて暴行に及ぶなんて、野蛮人丸出しじゃないか」

「るっせーな。テメェが無防備過ぎんだよ」

 勇助はハンドルを握ったまま振り返らず、フルミノは仏頂面で後部座席に身を沈めて溜息混じりに呟いた。

「……別に、オマエが進んで悪役になる必要は無かっただろ」

 勇助は黙ったまま、ゆっくりとアクセルを踏み込んでいった。


 発電所に付いた頃には既に日が沈みかけていた。今にも紫色の夜の帳が空から下ろされようとする黄昏時だ。二人は発電所から離れた岩陰にトロビスを止める。発電所から百メートル程は離れているが、生ぬるい風に乗って銃撃音や金属質な破砕音が聞こえてきた。

「むぅ……どうやら先客がいるようだね」

「おいおい、依頼を受けたのは俺らだけじゃなかったのか」

「この手の仕事は基本的に早い物勝ちなのさ。とは言え、行政からの駆除依頼は大概割に合わないからボク等以外に引き受ける奴なんてそういないと踏んでたけど……冒険家連中の台所事情はボクの想像以上に苦しいらしいねえ」

 フルミノは『やれやれ』とでも言わんばかりに半目で小ばかにしたような溜息を吐いた。

 勇助はトロビスのハッチを開いて、やや車高のある車体から地面へ降りる。そして後部座席のドアを開き、フルミノへ向かって手を差し伸べた。彼女は怪訝な目で彼の掌を睨む。

「……オマエ、どういう意味か分かってる?」

「は? 何が。転んだらアブねえだろ。オマエに十分なタッパがありゃ、女相手にこんな真似しねえし。そもそもしたくもねえよ」

 フルミノはそれ以上何も言わず、ムスッとした顔で彼の掌に手をついてトロビスから降りた。サイボーグになった彼の固く冷たく大きな掌に置かれた手は、小さく柔らかで温かかった。勇助の身体に無防備に預けられた体重は羽根のように軽い。それを意識した瞬間、彼は何かに不意を突かれた様に言葉を無くした。地面に着地したフルミノは、乱れた髪を片手でそっと梳いた。青白い夜の闇がフルミノの体を覆い始めていたが、夕日の最後のきらめきが彼女の顔を浮かび上がらせるように照らし出す。そのせいか、フルミノの赤銅色の頬がうっすら桜色を帯びているように見えた。消えかけた陽光の一筋が彼女の瞳に反射してほんの一瞬だけ、稲光のように鋭い輝きを放つ。

「行くぞユースケ。スパーリングパートナーを台無しにされちゃ堪らない。結晶ゴーレムも賞金もボク等の物だ。他の誰にも渡すもんか」

 高く笛を鳴らすような声が荒野の乾いた風と響き合っていた。


 発電所内に踏み込んだ瞬間、ノワ・ルーナ社製軽光線銃の赤い光線と、施設を破壊する結晶生物が目に入った。サイボーグは瞬時にライフルの射角と結晶生物の体表入射角及び反射角、結晶屈折率から予測される乱反射光の照射位置を算出する。それは傍に居たコルヌ人の少女の左わき腹から右肩に掛けてをなぎ払っていた。即座にサイボーグは少女を庇う。一ナノ秒後にゴーレムの体内で乱反射した光線がサイボーグの純タングステン装甲を炙った。

「ユースケッ!」

「問題無い。遮蔽物の中へ移動する。しっかり捕まっていなさい」

「なっ!? え、ちょっ! わきゃあっ!!」

 サイボーグは少女の体を抱き抱え、飛び交うレーザーの隙間を縫って走り抜ける。プラズマ電磁加速走行は発生する加速度が少女の身体強度を上回ると想定されたため使用できなかった。室内で発射されている光線銃はそれの懸念どおりデッドコピーだ。照射角が著しく乱れるため、乱反射光の予測散乱範囲を安全率5以上で計算しなければ危うい。サイボーグはライフルの位置を確認しながら照射位置を解析し続け、絶えずのたうつ蛇のような安全領域を駆け抜けた。

 無事に少女を安全な場所まで移動させる。それが崩落した壁で出来たバリケードの裏へ移動する間に確認した限りでは酸化アルミニウム結晶生物が五体。ハンターズギルド所属と思しき武装市民が十七名。施設の規模と戦闘音から、それは確認数の二から三倍程度の敵性存在がいると推測した。幸いにして保護した少女に怪我はないようである。しかし何故か少女はそれの腕の中で苦しそうにもがいており

「離せって言ってるだろバカぁぁああああああ!!!」

 ――衝撃!――――意識が――明滅し――――

「ッッてえじゃねェかオイ!! まァた拷問スイッチ入れやがったなドS女!!」

「離せって言ってるのにオマエが離さないからだろ!バカ!バカッ!! おっ……オマエなぁっ!オマエに掌を許したからって調子に乗ってるだろ!! コルヌ人の身体を抱き上げるなんて、恥知らずッ!!」

「はァっ!? いつ!!誰が!!お前みてぇなのに抱き付いたってェ!?」

「今!!オマエが!!今正に!!やっただろ!!自分の一秒前の行動ことすら覚えてられないのか!!バクテリアだってもうちょっと賢いぞ!!」

 フルミノは顔を真っ赤にして喚き散らしていた。勇助には何が何やら皆目分からなかったが、どうやら肌に触れられることに酷く抵抗を示しているようだ。しかしそもそも勇助にはその覚えが無かった。

「……大体っ……ボクは、ボクはまだウィっ……ウィウィウィっ……ウィルゴーなんだぞ……それをっ……それをっ……!」

 フルミノはまだ興奮冷めやらぬ様子でブツブツと呟いている。彼の方も身に覚えの無い言いがかりを付けられて業腹だったが、それよりも状況の把握を優先すべきと気付いた。レーザー光線が飛び交う中で罵り合うのは愚の骨頂である。

「チッ……拷問女、一時休戦だ。とにかくここでの仕事を片付けるぞ。この件についてはそれまで後回し。オーケー?」

「……未開の野蛮人が偉ぶるんじゃあない。オマエの雇用主はボクだ」

 フルミノは納得していないようだったが、一旦お互いの怒りを腹に納めることには同意した。二人揃って大きく深呼吸をする。彼らは物陰に隠れながら様子を伺った。

 発電所内は天井が高く、大型の発電用ガスタービンが所狭しと並んでいる。しかしその幾つもが破壊され、黒い煙と火花を吹き散らしていた。破れたチタン合金製の隔壁から配線が剥き出しになり、配電盤が火花を散らし、天井から壊れたクレーンとワイヤーがつり下がっている。あちこちに戦闘によって破壊された跡が見受けられた。

 そして結晶ゴーレム達がタービンに取り付いて電力を吸い上げていた。胸の奥で赤く煌めく小さなコアがゴーレムの体内を走る光を集めて輝きを増している。瓦礫が散らばった通路でハンター達がゴーレムを狙っているのだが、酷い有様だった。結晶ゴーレムが彼らを次々に叩き潰し、踏みつけ、蹴っ飛ばし、投げ飛ばし、全く勝負になっていない。ハンター達は必死になってビームガンやレーザーライフルで応戦しているが結晶質の体は光を透過してしまい、殆ど効いている様子が無い。小銃や実弾兵器を使用している者も多く居たが、やはり傷一つ付いていなかった。

 フルミノは蒼く透き通ったゴーレム達を見て目の色を変えた。

「くそっ話が違うぞ。サファイアゴーレムじゃないか! ギルドの連中いい加減な仕事しやがって!」

「手渡された依頼書だと無色透明だったな。なんか不味いのか?」

「クリスタルゴーレムより四倍は硬くて強くて気性が荒いんだよ。普通なら最低でも対物ライフルか、あるならポリ窒素爆弾を使う相手だ。ギルドの奴等め、裏取りも碌に出来てないまま手配をかけたな。幾ら物を知らないゴロツキ相手の仕事だからって……だからこそ余計に不味いぞ。大体あいつらは……」

 フルミノが言い終わらない内に一際大きなゴーレムがハンター達の弾幕の前に進み出た。ゴーレムはレーザーを浴びながら破れた隔壁に近付くと、その一部を掴み取ってコア近くの胸元に取り込む。すると今まで反射や透過をしていた光線が見る見る内に胸部へと集まり、目も眩む輝きを放った。途端に弾けたゴーレムの胸部から緑色の光線が発射される。極太の光線によってバリケードを薙ぎ払われたハンター達は悲鳴を上げて逃げ散らばった。

「……な?見ただろ。あいつらはレーザー光線を集めて反射しちゃうんだよ」

「なるほど、チタンサファイアレーザーか。怪物の割りに器用な真似しやがる。一時的にチタンを取り込んでレーザー媒質にしてんだな」

 フルミノは目を丸く見開いて勇助を凝視した。チタンサファイアレーザーは地球でも微細加工に用いられる工業的技術である。銀河帝国では一部で兵器利用もされているが、何れもその詳細は科学的な専門知識に属する内容だった。

 フルミノは勇助を問い詰めたかった。だがそれを許されるほど悠長な状況ではない。

 彼女はバックパックからてきぱきと小型のカメラとモバイルPCのような物を取り出して準備した。画面に暴れるゴーレムたちが映し出され、彼女はその動き一つ一つを手早くサンプリングしていく。サンプリング数が増える度にハンターたちがやられていった。

「労せずデータが増えるのは構わないけれど、どうしても偏るな。うーん……連中が邪魔だ。どうしよう」

「ハンターか? 全員ボコって放りだしゃいいじゃねえか」

「だから!チンピラ思考の丸出しは止めろ!少し細工するから大人しく待ってるんだ」

 フルミノは画面を切り替え、発電所の見取り図を出した。モニターには工場内の配管や配線が表示されている。彼女の細い指先がキーボードの上で踊り、蛍光緑色の文字列の洪水が画面を埋め尽くした。

「……よし。クラッキング完了。んふふふ、ボクってやっぱり天才だよなぁ……」

「うへぇ。まじまじ言ってるよコイツ……」

 ぽかり、とフルミノの小さな拳が勇助の頭を小突いた。つい茶化してしまったが、彼から見てもその腕前は鮮やかだった。彼女はほんの数分で発電所内の防火設備を乗っ取り、ハンター達が陣取っている区画の防火扉と消火装置に仕掛を施してしまったのである。

「ボクの操作で防火扉が閉まる。先に区画内に忍び込んでおけよ。十分に効果が出たら連中を縛り上げろ」

「ケッ、偉そうにしやがって……おい、足手まといになっちゃ敵わねえからテメェは十分距離取っとけよ」

 フルミノは一瞬眉を開き、そのすぐ後でにやぁ~っと頬を緩ませた。

「ふふん。オマエがボクの心配なんてとんだ見当違いさ。だけどまあ、オマエの殊勝な心遣いは受け取っておこうじゃあないか」

「あーあーすぐチョーシに乗りやがる。コレだから女は嫌いだってんだよ」

 ユースケはばつが悪そうにそっぽをむき、かゆくも無い鋼鉄の頭をゴリゴリと掻いた。


「防火扉閉止。窒素ガス弁開放」

 フルミノの通信音声が勇助の頭で響く。すぐさま重い瓦礫を引きずる様な防火扉の音が鳴り響き、続いて勢いよくガスが放出される音が聞こえた。ハンター達は突然の異常事態に慌てふためいているようだがもう遅い。フルミノがクラッキングしたのは窒素ガスによる消火装置だ。本来であれば空気中に窒素ガスを充満させて相対的に酸素の割合を減らし、火を消し止める装置である。しかし防火扉で密閉した空間に押し込められた者に取ってそれは死神の吐息となる。殆どは高濃度の窒素を直に吸い込んで気絶したようだった。ガスの直撃を免れたハンター達も幾ばくもしない内に酸欠で意識を失う。フルミノの通信からものの数秒でレーザー光線の嵐はピタリと止み、その場 に立っているのは電力を吸うのに忙しいゴーレム達とサイボーグである勇助のみとなった。

 彼はあらかじめ破れた壁から回収しておいたワイヤーを使い、ゴーレムにノされて伸びていた者も合わせて一人残らずハンター達を縛り上げた。

「作戦成功だ。開けてくれ」

 正面入り口の防火扉が開放される。勇助は十数人のハンター達をまとめて担ぎ上げ、発電所の外まで運んで放り出した。新鮮な空気の下にいればその内意識も戻るだろう。

 二人は余計なトラブルを起こさず、勇助の顔も誰に見られることなくハンターの排除に成功した。彼は再び発電所内に戻り、フルミノと合流する。

「ご苦労だったな。早速オマエのスパーリングを開始す」

 フルミノが最後まで奴が言い終わらない内に発電所の奥で爆発音が炸裂した。勇助の高感度マイクは同時に微かな女の悲鳴を捉える。

「んあああっ! 次から次へと鬱陶しい! ユースケ、行け!!」

「人使いの荒い女だ」

 勇助は床を踏み壊さない程度の速度で通路を駆け抜け、フルミノがその後を追う。爆発音の元はすぐに見つかった。黒こげになった発電用タービンの周辺に砕けたガラスのような破片が散らばっている。側にはハンターらしき武装した女が倒れ、一体のゴーレムがまさにその女を踏みつぶそうと近寄っているところだった。

 勇助はその真っ只中へ飛び出した。ゴーレムは突如現れた重戦闘サイボーグのエネルギーを察知したらしい。二階建て家屋程の水晶の巨人が巨体に似合わぬすばやさで向き直り、突っ込む彼へ両腕を伸ばした。勇助は額に触れそうな距離まで接近した瞬間に重心を落とし、紙一重で腕を躱して懐へ飛び込む。そして間髪入れずに巨人の右膝へ激しい蹴手繰りを入れた。巨人は残った左足を支点に時計回りで回転して倒れこみ、彼は手繰りの勢いを殺さず体をひねって腰を落とした。瞬時に半身で一歩踏み込み、右の拳を床スレスレから加速し、円弧を描いて振り上げる。倒れこみのタイミングに合わせた重戦闘サイボーグの拳が巨人の顔面に突き刺さった。ダイヤモンドに次ぐモース硬度九を誇る鋼玉の顔面をアッパーカットが粉砕し、ガラスの固まりを高所から叩き付けた様な破砕音が発電所内に反響した。剛拳の衝撃は頭部の破壊に留まらない。亀裂は胸から全身へと瞬く間に広がった。途端にゴーレムの体は砕け散り、煌く破片を周囲に撒き散らす。

 勇助はゴーレムの破片がピクリとも動かなくなったことを確認してから年若い女ハンターへ視線を移した。よく見れば彼女はルプス人ではなかった。同じ獣っぽい耳だが、犬や狼のようなルプス人よりも猫科動物に近い。唖然とした顔でぽかんと口を開いている。中肉中背でカーキ色のパンツとシャツの上に胸と腹を守るだけの簡素な防護ジャケットを着ていた。女は肩まで伸ばした栗毛の長髪で、くりっとした丸い黒目、慎ましい鼻と口元、そして半円を描くような緩やかな曲線の眉が柔和な印象を与えている。

 勇助は散らばったゴーレムの欠片を足蹴にして、呆然としているハンターへ声をかけた。

「スパーの邪魔なんだよ、ブッ潰すぞボケアマァッ!!」

「ヒィィイイイイッ!!! いいい、命ばかりはお助け下さいいいいいい!!」

 女ハンターは腰を抜かして半泣きになりながら悲鳴を上げる。特級ハンターの中でさえ滅多に見ない重戦闘サイボーグに凄まれれば無理も無かった。小銃程度の衝撃力では傷も付かない結晶ゴーレムを拳で粉砕したとあれば尚更である。しかしそんな恐るべき超人の後頭部を誰かがビームライフルの柄でガツンと殴りつけた。

「何しやがんだクソアマ!!全然痛かねェけどな!!」

「うるさいっ!スイッチを入れなかっただけ感謝しろ!誰が脅しつけろなんて言った!? 普通は女性をヒロイックに助けに入ったら、キザな台詞の一つも囁くもんだろ!!」

「ざッけんなマッド女ァ!!それならいつテメェがンな注文を俺に入れたってェ!?大体俺ァ女が嫌ェなんだよ!!」

「ああ、そうだな!!オマエの馬鹿さ加減を低く見積もりすぎてたボクのミスだよ!!折角女性ファン獲得のチャンスだったのにオマエわぁああ!!!」

「あ、あのぉ……ちょっといいっすかねぇ……」

 お互いに罵詈雑言を叩きつけあっていたサイボーグと少女が血走った目で女ハンターへ向き直る。罵り合いに水を差された二人の剣幕に女ハンターは「ヒッ」と悲鳴を漏らしたが、涙目になりながら周りを指差した。二人が周囲を見回せば、そこには重戦闘サイボーグの豊潤なエネルギーに有り付こうというゴーレム達の円陣が出来上がっていた。

 しかし二人は動じない。

「一体一体殴りつけに行く手間が省けたぜ。サンドバックでストレス解消してやらァ」

「逐一指示を出すからな。オマエが攻撃を食らうたびに減点一。ボク等に及べば減点百だ。覚えておけ」

「抜かせ。お前がそこの女と一緒にじっとしてりゃあ指一本触らせやしねえよ」

 フルミノは身動き取れないハンターの女に近寄ってると「失礼します!」と言い放ち、否応無しに彼女の装備に手を掛けた。女ハンターは抵抗を試みるも無慈悲にエネルギーポットを奪われてしまう。フルミノがポットをゴーレムの足元へ放ると、彼らはそれをつまみ上げた。あっと言う間に中のエネルギーを吸い取り、空になった容器を放り捨てる。

「ああっ!高かったんすよ、それぇ……」

「アレを持ったままじゃボクらまで狙われます。ボクの剣闘士の戦いの邪魔です」

「いつでもいいぜ。命令寄越せ、フルミノ」

 ユースケは胸の前でガンと拳を打ち合わせる。フルミノはカメラをセットして端末のモニタを開いた。彼女の指先が画面の上で踊る。

「行け」

 鋼鉄製の床を踏み砕く音と共に勇助の姿が消える。戦闘が始まった。

 跳躍した勇助は一瞬で天井まで到達していた。そして再び天井を蹴って反転、急降下する。降下の刹那に膝を抱えて身体を一回転し、真っ直ぐに足を伸ばす。彼は豪速の踵落としをゴーレムの脳天に食らわせた。黒金の鉄槌はゴーレムの頭部を粉砕するに留まらず、そのまま床まで突き抜ける。ゴーレムの全身に亀裂が走るより速く振り下ろされた踵は、結晶質の巨体をを真っ二つに両断してしまった。勇助はゴーレムが崩れ落ちるよりも速く次の行動に移る。並んで突進してきた二体のゴーレムのタックルを宙返りでかわし、一方の肩の上に乗る。と思うが早いかゴーレムの背中を蹴り飛ばし、もう片方のゴーレムに正面衝突させた。砕け散る二体のゴーレムを背に勇助は床へ着地する。だがそこには彼を取り囲むように四体のゴーレムが待ち構えていた。瞬時に八つの腕が勇助に伸びる。が、掠りもせずにお互いへ拳をぶつけ合ってしまった。彼は一歩も動いてはいない。ゴーレム達は困惑しつつも諦めずに彼を捕まえようと手を伸ばす。だが一向に触れることすら出来なかった。勇助は上体逸らしだけで全ての手を躱していた。更にそれだけでは回避不能な場合は、上体逸らしの方向によって腕を誘導し、ゴーレムの拳同士を衝突させていたのだ。

 女ハンターは目にも留まらぬ早業と演舞のような動きに、驚嘆と興奮が入り混じった熱っぽい溜息を漏らしていた。だがそれと対照的に、傍らでキーボードを五月雨の如く叩き続ける少女の目は冷徹そのものだ。彼女は勇助の動きを撮影しながら矢継ぎ早に勇助へ指示を送っていた。彼の曲芸じみた動きは全て彼女のリクエストによるものである。フルミノは自身の理想的なイメージを忠実に再現し続ける最高傑作の姿に、つい口角を上げた。

「データの採取は十分だな。ユースケ、ちょっと待ってろよ」

 彼女は最終段階に備えて女ハンターに肩を貸した。二人は大きな瓦礫の影へ移動する。

「やれ。フィニッシュブロウといこう」

 フルミノの合図に従って勇助はゴーレム『全て』に止めを刺しに行く。彼は身をかがめて蛇のように素早くゴーレムの股下を潜り抜け、包囲を脱出した。そして即座に身を翻し、両の豪腕でゴーレムの両足を捕らえる。同時に彼は踏み出した一歩で鋼の床を踏み抜き、揺るがぬ『軸』としていた。

 瞬間、サファイアの嵐が巻き起こった。鼓膜を劈くような激しい破砕音が轟き、砕け散る鋼玉の破片がダイヤモンドダストのように煌く。勇助は吹雪のような嵐の中心でゴーレムの足を掴んだままコマのように猛烈に回転していた。彼を取り囲んでいたゴーレム達は振り回される同胞の身体を叩きつけられて弾け飛ぶ。彼らは次々に衝突による衝突よって倒れ、砕けた破片がまた破片を作り出した。渦が膨れ上がると共に、大きく荒々しい衝突音は細かく連続した破砕音へと変化する。結晶ゴーレム達は倒れ、砕け、大きなサファイアの塊から砂粒のような破片へ変わり、遂に渦は無音の霧へ変じた。

 鋭利な結晶質の破片による巨大ミキサーと化した渦から身を隠していたフルミノと女ハンターが物陰から這いした。白煙がもうもうと辺りに立ち込め、二人は口元に手を当てて渦の中心を見やる。霧は次第に晴れてゆき、ゆっくりとおぼろげな黒い影が現れた。

 そこには無傷の黒金のサイボーグが立っていた。彼は彼女達に気付くと、右手を胸に、左手を後ろ手に、彼女達へ一歩踏み出して恭しく腰を曲げた。実に堂々たるカーテンコールの振る舞いだった。

「ブラヴォー!!」

 スタンディングオベーションを送ったのは、負傷した足を庇いつつ壁を背にして立ち上がった女ハンターだった。フルミノも拍手こそしなかったが、彼に向かって小さくガッツポーズを送っていた。勇助は辺りに動くものがないことを確認し、サファイアの絨毯を踏みしめながらゆっくりと彼女らの元へ歩み寄る。

「どうよフルミノ」

「やけに様になってるじゃあないか。一体どこで覚えたんだ? ともかく百点満点をくれてやろう」

 フルミノは破顔して拳を勇助へ突き出した。勇助は己の拳に付いたサファイアの粉を払い落とす。そして彼女の柔らかく小さな拳を傷つけぬよう注意深く、しかし力強く己の拳を合わせた。

「連れて来てくれてありがとよ。おかげでフラストレーションってやつが解消されたぜ」

「ボクも満足だ。オマエにこれほどボクの造った体を使いこなす才能があるなんて想像もしなかったよ。素晴らしいスパーだった。オマエは間違いなく一流の『パイロット』さ」

 フルミノはいつになく手放しで勇助を褒める。彼は顔を伏せてゴリゴリと頭をかいたが、合わせた拳は離さなかった。

 その後、三人は揃って駆除の証拠品であるゴーレムのコアを拾い集めた。彼らの体内には親指の先ほどの赤い結晶が有り、これが彼らの文字通りの中枢となっているのである。ルビーによく似た結晶はあれほどの乱暴な扱いの中にあって不思議と傷一つ無かった。

 女ハンターはフェレスと名乗り、傷を庇いながらコアの収集を手伝った。

「俺気になってたんだけどよぉ、何でアンタ一人であんなとこ居たんだ?」

「いやー…そのっすねぇ……アタシ新米なもんで、先輩方に援護射撃してもらいながら、ダクトの上から爆弾を落とす役目を拝領しまして……」

「はぁ?ンだそれ。要は使い捨ての鉄砲玉じゃねえか、くっだらねえ」

「グッサァー! 刺さったー!言葉のナイフがメッチャ刺さったっすよ! 人が頑張って目を背けてる努力を無にしないで欲しいっすねぇー!」

 フェレスはケラケラ笑いながら大げさに胸を押さえて仰け反って見せる。猫のような短く尖った耳がピコピコと動き、忙しない。彼女はすっかり二人と打ち解け、勇助のファン第一号を自称していた。彼のデビュー戦には有り金全部を彼に賭けると言って譲らない。

 幾ばくもしないうちに掌一杯分のコアが集まり、三人は息を吐いた。

「いやー悪いっすねえ。一割も貰っちゃうなんて」

「いえいえ。あっでもフェレスさん、もう他にバッテリーの類は持ってませんよね?」

「空っぽになっちゃったやつだけっすよ。でもフルミノちゃん、何か問題あるんすか?」

「大有りですよ……ハンターなら標的の生態ぐらいは調べておきましょうよ」

 フルミノはファン第一号のよしみと言うことでコアの一部をフェレスへ渡すことにした。ただ、フルミノの鞄は機材で一杯で勇助は小物を持ち運ぶのに向いていなかったため、ギルドまではフェレスにコアを運んでもらうことになったのだった。

 フェレスは「お安い御用っす!」と腕まくりをして見せた。

 が、しかし。和気藹々と発電所を出る彼らを出迎えたのはずらりと並んだ黒金の砲塔だった。発電所の出口へ向かってぐるりと扇状に小型戦車や装甲車両が並んでいる。加えてバズーカ砲や小型ミサイルランチャーのような銃火器で武装したハンター達が随伴しており、それらの銃口は例外なく勇助達に向けられていた。

 ハンター達はみな、ガラの悪いルプス人達だった。獲物を前に舌なめずりする狼のように獣欲をむき出しに目で下卑た笑みを浮かべている。

「ギャハハハハハッ! 見ろよ、カモがノコノコネギ背負ってきやがったぜ!」

「ボス、例のサイボーグですぜ。仲間に手ぇ出した野郎です」

 勇助は縛り上げていたハンター達がワイヤーを解き、その内の何人かが包囲に加わっていることに気付いた。おそらく見えない者は戦車の中に居るのだろう。また彼が街の路上で腕をへし折って締め上げた男も包帯を巻いた状態で混じっていた。

 一際大きな戦車の搭乗口から身を乗り出していた男が叫ぶ。

「おいそこの雌猫ォ!テメェがその鉄くずと鬼っ子と組んで俺達をハメようとしやがったのはお見通しだぜ! 大人しくコアを持ってくれば、命だけは助けてやらぁ!」

「あっ! そ!そのぉー……い!色々と誤解があると申しますか!…こっこの人達も一緒に見逃してくれませんか!…ねぇ……」

 フェレスはコアが入ったバックパックのベルトを硬く掴みながら、ひっくり返った声で叫ぶ。男達はそれを聞いて互いの顔を見合わせた後、げらげらと腹を抱えて笑い出した。

 頭目らしき男が再び吼える。

「いいぜぇー子猫ちゃん! 助けてやろうじゃあないの! 鉄くずも鬼っ子も売り飛ばしたりしないよぉー! ただちょーっと大人しくしてもらうだけだからね!」

「嘘だな」「嘘だね」

 勇助とフルミノはほぼ同時に呟いた。勇助は小さく「やっちまっていいか」と尋ね、フルミノは「程々にな」と答える。ぴくっと耳を動かしたフェレスが二人を見た時、既に勇助は陸上選手のクラウチングスタートのような姿勢を取っていた。

 爆ぜるような音が鳴り響く。フェレスが止める間も無く、勇助は土煙を上げて鉄騎の群れへと突っ込んでいった。しかし荒くれ達も予想はしていたのか、迷わず勇助に向かって砲撃を開始した。各車両の主砲、電磁加速迫撃砲、果ては携行型対宙誘導弾まで。小型の宇宙戦闘艇なら瞬く間に木っ端微塵となる量の質量弾が雨あられと勇助に降り注ぐ。着弾点で爆音と共に猛烈な火柱が立ち上り、皮膚が焼け付くような熱風が周囲を炙った。荒くれ達はサイボーグの粉砕を確信し、喝采を上げようとした。しかし喉まででかかった歓声は寸前で叫換に変わる。大地が溶けてガラス化するほどの焦熱地獄から、赤熱したサイボーグが飛び出したのだ。炎の化身となった鋼の男はまっしぐらに頭目の男が乗る戦車へ突っ込んだ。彼は猛烈なぶちかましで戦車の装甲を貫通し、多層ハニカム構造の劣化ウラン装甲板を紙の様に引き裂く。更に砲頭部の上層をぶち抜き、中から引きずり出した頭目の男を片手で吊るし上げた。勇助の全身から高温による陽炎が立ち上り、彼が握り締める男の着るセラミックアーマーが焦げる匂いが辺りに漂った。

 灼熱の腕で胸倉を捕み上げられた男は恐怖と衝撃で真っ青になっていたが、ありったけの気勢を振り絞って叫ぶ。

「舐めてんじゃあねえぞ三下ァ!! 俺達チームに手ぇ出してタダで済「しゃらくせェ!!!!」

 言い終わらない内に勇助は男を吊るし上げたまま鋭い右フックを食らわせた。絶妙に顎を掠めた拳は男の首を支点にして強烈に脳を揺さぶる。男は一瞬びくりと全身を硬直させた後、だらりと脱力して気絶した。勇助はゴム人形のようにぐったりと動かなくなった男を地面の草むらに投げ捨て、ハンター達全員に向かって怒鳴りつけた。

「ゴロツキ共ォ!!身の程知らずがイキがるとどうなるか、教訓をくれてやるッ!!全員歯ァ食い縛りやがれェッ!!」


 五分後、鉄塊の上で天高く拳を突き上げながら高笑いを上げるサイボーグが居た。フルミノは頭を抱えながら盛大な溜息を吐く。彼女はツカツカと勇助の元へ歩み寄り、下から彼を睨み付けた。

「あのな……ユースケ。飛び出す前にボクに一言許可を求めた点は褒めてやる。だけどなあ……ボクは『程々』って、言ったよなぁ?」

「程々だろ。どいつもコイツも伸びてるだけで死んでねえぞ」

「どッ!こッ!!がぁ!!!『程々』だッッ!!! 見ろ!この惨憺たる有様を!!」

 怒気を露に雷鳴の如く叫んだフルミノが指差した先には、死屍累々と横たわるハンター達と煙を上げるスクラップの山があった。ひしゃげた砲塔、破裂したエンジン、軒並みへし折られた重火器類、もはや元が何だったのか想像すら出来なくなった鉄くずの群れ。文字通りの全滅であった。勇助が踏み台にしているのはその一部である。フェレスなどは勇助の余りの暴れぶりに、発電所の出口で腰を抜かしていた。

「確かに、確かに具体的な指示を下さなかった責任はボクある……だけど、だけどだなぁ! オマエ手加減という言葉を知らないのか!?」

「だから!したッつってんだろーが!俺が本気出しゃこいつら形も残っちゃいねーよ!」

「その『死ななきゃ安い』みたいな極端思考止めろ!! チンピラ!野蛮人!!」

「ンだと、この拷問フェチのマッドサイエンティストの自惚れ屋の銭ゲバ女ァ!!」

 少女とサイボーグは休戦条約をかなぐり捨てて互いに罵詈雑言をぶつけ合う。一人離れてへたり込んでいたフェレスも緊張の緩んだ苦笑いを浮かべて、その口論を眺めていた。身長二メートル近い黒金の重戦闘サイボーグがその半分程の背丈の少女と憎まれ口を叩き合っている様子は、傍目には滑稽で緊張感の欠片も無い。脚に力の戻ってきたフェレスは二人の仲裁に入ろうと立ち上がろうとし、後頭部に突きつけられた銃口の感触で硬直した。

 口論の最中だった二人も只ならぬ気配を察知し、すぐさま発電所のほうへ顔を向ける。そこには一人仲間を見捨てて隠れていたらしいハンターの男がいた。加えてその男は、紛れも無く勇助がギルドで折りたたんで路地裏に放り込んだ男だったのだ。

「げへへ……動くんじゃねえぞメス猫。おっと、オマエもだぜ、鉄くずよぉ」

 男は一歩踏み出そうとしていた勇助に向かって抜け目無く指図する。フェレスは光線銃を突きつけられた恐怖でガタガタと震えていた。

「オイ、クソ野郎。テメェその引き金にかけた指を1ミリでも動かしてみろ。汚ねえ腹掻っ捌いて中身をお前の口にねじ込んでやる」

「安心しろや。お前が大人しくしりゃあ、放してやるさ……俺が無事に街まで逃げられたらなあ」

 勇助はどすの聞いた声で恫喝するが、男は怯まない。フェレスを引きずりながら一歩一歩、勇助達が乗ってきたトロビスの方へ移動する。フルミノは苦々しげに舌打ちした。鍵は簡易的な普及品だ。その道に長けた者なら解除に物の数分と掛からない。勇助も飛び掛るタイミングを見計らっていたが、男は片時も銃口の狙いを外そうとはしなかった。

 ハンターの男は状況を支配できていることに内心安堵した。それほど彼は目の前の重戦闘サイボーグを恐れていたのである。そして安堵から生まれた精神の余裕が、フェレスの鞄から覗くゴーレムコアに気付かせた。

「泥棒猫共には勿体ねえ分不相応なお宝だな。コイツは没収しとくぜ」

 男は空いた手を無遠慮にフェレスの鞄へ入れ、鷲掴みにしたゴーレムのコアを自らの鞄へ突っ込んだ。そしてそれが運の尽きだった。フルミノが気付き、叫んで制止しようと思ったときには既に遅かった。そこには光線銃の予備のエネルギーパックがあったのである。

 男の鞄が眩い閃光を放ち、瞬く間に中から溢れ出す結晶質の物質で覆われ始めた。仰天した男は悲鳴を上げて鞄を手放し、突き飛ばされたフェレスの上に落とす。鞄が放つ光はますます膨れ上がり、巨大な氷山がぶつかり合うような激しい音が鳴り響いた。

 それらは僅か数秒のことだった。だが光が静まった時。発電所の前には身の丈二十メートル以上の、青く煌く宝玉の巨人が聳え立っていた。ハンターの男は目の前の出来事に理解が追いつかず、呆然と巨人を見上げる。巨人はゆっくりと足を上げ、やはりゆっくりと男の頭上に落とした。

 重々しい地鳴りに水っぽい音が混じって響く。巨人が踏みしめた大地には赤い花が咲いていた。暗雲立ち込める空に向かってサファイアの怪物が咆哮を上げる。胸には巨大な一塊の赤い結晶と、驚愕の表情のまま硬直したフェレスが閉じ込められていた。

「くそぉ……だからボクは言ったんだ!! あの馬鹿のせいでコアが共鳴融合しちゃったじゃないか!!」

「オイ、フルミノォ! 今日はちょいとスパーしてすぐ帰る手はずだったよな?それがどうしてこう、アクシデント塗れなんだ!? それともハンター稼業ってぇのはこれが平常運転だってのか!?」

「知らないよっ。ボクだってこんな仕事は今日が初めてなんだ!」

「ハァ!? それにしちゃオマエ妙に手馴れて……」

「ちゃんと下調べしたに決まってるだろ、バカっ! ボクはオマエの雇い主なんだぞ! オマエの前でオタオタした姿を見せられるか!!」

 二人の言い争いもそこまでだった。巨大な体を構築したばかりのゴーレムは飢えていた。目の前の高出力エネルギー炉を備えた重戦闘サイボーグに目をつけるのは自明の理である。ゴーレムの殺気を感知した勇助は間一髪、フルミノを脇に抱えて跳躍した。すんでのところでゴーレムの腕が彼らをかすめる。一足飛びにゴーレムから距離を取った勇助は真っ赤な顔をしたフルミノに岩陰へ隠れるよう指図した。

「危ねえから隠れてろ。コイツはショーでもスパーでもねえ……ああ、断りも無くお前を抱きかかえたのは謝るよ」

「ち、違う!それは、それはいいって言うか…今のは、仕方なかったもんな!……ってそうじゃなくて!お前が勝つに決まってるけど、フェレスさんが破壊に巻き込まれるぞ!」

「安心しろ。この体の『コツ』を掴んできたところだ。大事なファン一号の猫耳女もきっちり助けてやる」

 勇助は地響きを立てながら近づくゴーレムに向かって、再びクラウチングスタートのような姿勢を取っていた。だが、見かけは先ほどと同じでも、サイボーグの体内で起こっている事象はまるで別物だった。

 話は遡るが、勇助は決してただフルミノの言うままにスパーをしていたわけではない。彼は踏み込みの一歩一歩、突き出す拳の数々に対してじっくりと吟味を重ねていたのだ。どの程度の速度までなら出せるのか、力は、装甲の耐久性は。ハンター達との一戦は最後の仕上げだった。その結果、彼はフルミノが作り上げたボディの異様な耐久性と俄かに信じがたい出力、その恐るべき性能のほぼ全てを静かな感嘆と共に把握していた。そしてそれは確信を得ていたのである。『この体ならば十全に使用可能』と。

 サイボーグの体内を駆け巡る流体アクチュエーターが高速で循環を始める。高分子重合体による人口筋肉は二百万気圧を越える超高圧によって金属化し、常温超伝導体へと転移した。彼は膨れ上がる体を更に深く沈め、アンカーロックで己の脚を拘束する。そして『チャージ』が始まった。黒金の体躯に青白い火花が散り、鬼火のような光の玉が現れては消える。彼の体内で増幅される電磁力によって周囲の気体がプラズマ化しているのだ。通常であれば既に最高圧まで高まっているはずの電圧は全身の超伝導体化により際限なく増幅されてゆく。ゴーレムが己の身の丈分ほどのまで距離を詰めてきた時、アンカーの構造的強度は限界に達した。彼の全身に蒼い稲妻が迸る。

 ――全てが白く飛んだ――

 眩い閃光と轟音を置き去りにしてサイボーグは跳躍した。初速マッハ8に到達するサイボーグコンバットの絶技、超電磁カタパルト跳躍である。跳躍はサイボーグを衝撃波を帯びる弾丸へと変えた。ゼロコンマゼロ1秒の飛来の刹那、それは古い記憶を呼び起こしていた。資源調達を兼ねた訓練、特務部隊での結晶生物群駆除任務の記憶を。

 蒼い稲妻がゴーレムの胸を貫く。巨人は反応する所か感知する暇さえ一切与えられなかった。切っ先鋭い雷は貫通した先で怪我一つないハンターの女を抱きかかえていた。彼女の手には拳大の赤い宝玉が握られている。サイボーグが行った破壊は神速且つ精密そのものであり、ゴーレムの胸は彼が貫いた穴の他はヒビすら入っていなかった。だがそれは驚くべきことではない。彼はゴーレムの結晶構造で最も割れやすい方向と位置を知っていたのである。勇助は余計な破壊と衝撃がフェレスに及ぶよりも早く、ゴーレムから彼女を掘り出したのだ。

 勇助が着地してからきっかり一秒後、ゴーレムの体に亀裂が走る音がした。サファイアの巨人は立ったまま、発破解体されたビルのように崩れ落ちてゆく。激しい突風と瓦礫が立てる騒音が荒野に響いた後、そこには煌く結晶の残骸が残るばかりだった。

「おい、怪我はねえか」

 勇助なりに気を遣った言葉だが、フェレスは反応できなかった。そんな余裕がなかった。訳の分からぬまま光に飲まれたと思えばゴーレムの中であった。捕らわれた後も意識はあったが呼吸もままならず、逃れ得ぬ死を理解するには十分な状況だったのだ。それが、自らを窮地から救った鋼の男が今再び雷光のように現れ、自分を逞しい黒金の両腕で抱いているのである。感動と憧憬で満たされた心に数秒遅れてやっと勇助の言葉が届き、慌てて彼女はがくがくと首を縦に振った。

 一部始終を目撃していたフルミノは表情を無くしていた。勇助の跳躍した後には巨大なクレーターが出来上がっており、発生した衝撃波によって周囲の瓦礫は軒並み吹き飛ばされていた。彼女は自他ともに認める類稀な科学者である。観察によって勇助の体内に生じていた現象と彼が使用した技法の詳細をほぼ完全に把握していた。だが、それ故に納得できなかった。サイボーグコンバットはサイバネティクス応用の一つの極致であり、一人の兵士を一個の戦術兵器へ変貌させる超技術だ。それも百年戦争の末期に投入され、銀河連邦の反撃を瞬く間に押し返した帝国軍の機密中の機密である。彼女が知るように一部の技法は両国の退役軍人によって語られている。しかし端的な知識では、仮に勇助に『パイロット』としての天賦があったとしても絶対再現不可能な、正しく絶技なのである。彼女は呆然とフェレスを抱えた勇助を見つめていたが、やがて一つの決心を胸の内に固めた。

 その後三人はギルドで報酬を分け合った。共鳴融合によって一塊になった特大級のゴーレムコアは本来の報酬を三倍にした。フェレスは勇助に抱きついて熱烈なキスをくれようとしたが、大きな手の平で顔をぐいと押し返されて未遂に終わった。それでも満面の笑みで大きく手を振りながら去るフェレスを見送り、勇助とフルミノも帰途に着いたのだった。

 勇助は調整のために再び箱詰めにされている。だがスパーを最高の出来で終えた彼は上機嫌であり、フルミノの精密検査に素直に従っていた。

「いやーしっかしよぉフルミノ。あの体があんなツエーならもう、ハンター稼業でやってく訳にゃいかねえのか?」

 勇助は浮かれる様子を隠そうともせず饒舌に語る。フルミノは彼のバイタルサインが表示されたモニタから目を離し、箱詰めになった彼をジロリと睨んだ。

「オマエ、少しチヤホヤされたからって調子に乗ってるな? いい機会だから教えてやる。出題、今回の報酬クレジットで、オマエの維持費をどれくらいの期間賄えるか」

 ジト目になりながら人の悪い笑みを浮かべるフルミノを見て、勇助は内心冷や汗をかいた。彼は乾いた笑い声混じりに「一週間くらい?」と回答する。途端にフルミノはニコッと笑い、すっとピースサインをした。

「な……なあんだよ、脅かしやがって。二週間も『二日だ』」

 フルミノは笑顔を貼り付けたまま冷たい声で宣言した。よくよく見れば笑顔なのは目尻と口の端だけで、その瞳は全く笑っていない。

「二日だ。繰り返すぞ、たったの二日だ。ちなみに今日の仕事はハンター連中に渡る依頼の中じゃ、かなりの大捕り物だ。一月に一回あるかないかだな」

 質問も反論も許さずに彼女は更に言葉を重ねた。

「分かるな?全然割に合わないんだよ。残念でも冒険ごっこは今日でおしまい。考えてみれば分かるだろ。オマエの故郷でもショービズのスターと日雇い労働者、どれほど稼ぎに差があった? 害虫駆除とプロのトップアスリート、良い暮らしなのはどっちだ?」

 ハリウッド俳優の方がコンビニバイトより収入は上だ。スズメバチの駆除よりメジャーリーガーの方が良い暮らしができる。彼は突きつけられた現実に箱の中でうなだれた。

「理解できただろう。オマエが自由を取り戻すには、生半可なその日暮らしの稼ぎでは到底足りないんだ。別に職業差別をするわけじゃないけどね。ただ、オマエの望みを達する道ためにボクが用意できるは一つ、ボクの命令に従って闘技場のヒーローになること。これしかない」

 勇助はただ黙って言われるがままだった。女に言いたいように言わせているのは勿論癪だったが、彼女が彼を馬鹿にしているわけではないのは分かっていた。加えて自分が思っていた以上に舞い上がっていたことが恥ずかしかった上、現実と理想のギャップに対して自覚以上に落胆していたのである。

 フルミノは少し困った要に眉を寄せた。先ほどとは打って変わって瞳にも暖かい明かりがあった。彼女は椅子から立ち上がり、コードに繋がれた勇助の箱をそっと撫でる。

「落ち込むな。今日の結果を見る限りオマエは素質十分さ。このボクが保証するとも」

 フルミノの細く滑らかな指先がつぅっと箱の角をなぞる。触覚など無い筈なのに、勇助は変にくすぐったかった。


「……お、おい……フルミノよう……」

「どうした?お望みどおりの新しい訓練パターンだぞ。実物よりもパワー、スピード、耐久、全部十割り増しだ。張り合いがあるだろ」

「いや……そうじゃなくてだな……」

 翌日、勇助は再び仮想空間の中にいた。目の前には勇助が倒したサファイアゴーレムが立っている。彼女の言うとおり彼が願ってやまなかった新しい刺激だった。ただ、問題なのはそれが地平線の方までずらりと並んでスパーの順番待ちをしていることである。

「まずは軽くウォーミングアップにサファイアゴーレム百人組み手といこうか。大丈夫、一斉にかかってくるわけじゃないから。持続力は大切だぞ。何しろ最後に物を言うのは気力と体力だからな」

「ちょっ……!」「訓練開始」

 無慈悲な宣言と共に猛然とゴーレムが襲い掛かってくる。勇助は雄たけびを上げながら拳を振り上げた。

「このッッ……ドS女ァァァアアアアアアアア!!!!!」

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