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フロアの中心にある陸地、そこを囲むように深い池が配置されたフロアです。
しかしそこで待っていたのは、予想だにしない光景でした。
「やっほー、君がトッププレイヤーのファナちゃん?」
「……どなたでしょうか?」
この塔のボスと思しき巨大なイカが、既に瀕死の状態で這いつくばっています。
パーカーにハーフパンツの現代的な格好をした金髪の少女は、ブルーのサングラスの奥の目を細めて、言いました。
「CIAって知ってる?」
「確かアメリカの……」
そう、アメリカの諜報機関として有名な組織です。
ゾワリ、と背筋が泡立つような悪寒を感じて一歩、後ずさりました。
「いやぁ凄いよね。二万人を越えるブレイン・エミュレーションは個人としてはダントツ破格の規模だよ。これをやってるマサナオ・ハラグチに思わず拍手したくなるね!」
「……っ」
――露見した。
原口さんの個人的野望が、CIAに露見した。
……すると、どうなりますか!?
「CIA……あなたは……」
「うん?」
「管理者権限でログインしていますね?」
「そうだよー。まあこの格好見れば、分かるだろうけどさ。まっとうにゲームをやるつもりはないんだよねー」
「ならば、何の用でここに? 私はまっとうにゲームを楽しんで、クリア後も楽しみ続ける約束になっているのですが」
「それ! 聞いたよ、マサナオから。いやーマサナオもトチ狂ってるけど、君も君だよねー。サーバーが止まるまで延々とゲームの中で暮らすって、本気?」
「……それ以外に、私が生きていく道がないもので」
「ふーん。ま、いいけどね。そういう君に、新しい道を示すために来たわけだから」
「……新しい、道?」
何を言い出すのか。
何を言っているのか、さっぱりわかりません。
ですが既に原口さんのしていることがCIAにバレていて、話がある程度は済んでいるということくらいは想像できます。
問題は何の話し合いが終わっているのか。
……このゲームを止められたら、私は認識するまでもなく死亡するわけですが。
苦痛がない分だけありがたいとも思いますが、しかし生き足りない。
ええ、まだまだ私は生きていたい。
死にたくなど無いのです!!
「それで。新しい道とやらはどんなものですか」
「うん。まずは普通にゲームクリアをしてもらおうかな」
「それは変わらないのですか」
「マサナオがやりたいことだからねー。尊重くらいしてやるってことだよー。まあ期限は切らせてもらうけど」
「期限……」
「そ。半年でクリアしてね」
「……もし、半年でクリアできなかった場合は」
「その時は残念ながら、マサナオの夢は叶わずって感じかなー」
「それで。あなた方の目的は?」
「うん! どちらにせよ、私達の目的はただひとつ。君の身柄……この場合はブレインエミュレーション再生形式で保存されている君の脳データが欲しい」
「……私の?」
「そう! アンナ・フナバシのデータ! CIAは……合衆国は君が欲しいんだ」
「私に……一体、何の価値があるというのですか。私はただのサラリーマンですよ」
「ご謙遜! 君は自分の置かれた状況を知りながら、ゲームを遊び続けること、生きることを選んだ優秀な人格だよ」
「優秀な、人格?」
「そう! 君の人格は非常に、ひっじょーに! 有益なんだ」
少女は物分りの悪い子供に説明するように、滔々と語り始めました。
「全人類は病んでいる。国際社会はある種の行き詰まりに陥って、抜け出せないでいる。君はそのなかで、勇敢に悪に立ち向かうことができ、限界まで生きることを選択できる人間だ」
「……」
「合衆国は君を歓迎するよ! いやこの場合、CIAはというべきか」
「私に……今の私にスパイになれとでも?」
「スパイじゃないんだなー。君にやってもらいたいのは、VRの中で狂わずに生き続けることなんだよなー」
「はい? そんなことをしてなんのメリットが……」
「人類の寿命ってさ、長いようで短いんだよ。特に老いた金持ちや権力者にとっては、足りないらしいんだよね」
「……」
「でね? 君みたいにVR環境に適応して、脳データだけで永遠の命を生きていける。そういう存在になれるのかどうか、それを秘密裏に合衆国は研究しているわけ」
「非道な人体実験ですね」
「まあそこは否定しないよ。で、どう。ひとりぼっちでゲームの中で生きるより、もう少し刺激のある生活を送ってみる気はないかい?」
「……刺激?」
「そう! 君と同じく脳データだけで生きている人間が既に小さな街を作って生活しているんだなー。VRの中で」
「そんな……狂気の街があるのですか」
「あるんだよ。でね、君もそこの住人にならない? せっかく同じような環境で生きていくなら、よりよい生活環境を整えたくない?」
「…………」
「どうよー?」
なんというか。
なんというか、馬鹿げた話でした。
大国の、いやこの場合は老いた金持ちや権力者の考えることは分かりません。
しかしこれ、どうしたものでしょうか。
「あ、返事はゲームクリア後でもいいよ。マサナオに義理立てして、そのくらいは待ってやるって言ってあるし」
「いえ、その返事ならいまここでしますよ」
「うん? してくれるならここで聞いておくよー」
「分かりました。その話、乗らせてもらいます」
ヒュゥ、と口笛を吹いて少女は拍手をしました。
「いいねえ。決め手は何だったの」
「私はただ死にたくないだけですよ」
「ま、生に執着するってことはいいことだよ。私たちの目的にも合致しているからね!」
「……」
「じゃあ私はこれで消えるよ。ゲーム、クリアしたらまた会おう。じゃあねー!」
少女はプツン、という音とともに消え去りました。
……そういえば、名前を聞いていませんでしたね?
まあいいでしょう。
ゲームクリアした後、サーバーが止まるまでの命だった私ですが、どうやら更に長い時間を生きることができるようになったようです。
……合衆国に政変とかなければいいですねえ。