TS作品を書くにあたって
著者近影
さて、諸君。TS作品、と言ってなんだかわかるかね。それは単純に言うならば、主人公の性別が唐突に変化せしめる作品を言う。この場合、唐突というは、主人公が継続的にそれを望んでいるか否かである。否であれば唐突である。望んでいるのならばそれは別の問題だ。突発的であったり、異性の方が利益が大きいとかいう理由でないならば、それはそれで主題たりうるだろうが、それを書ける人はそんなに多くはないだろう。そのような人物がいないとは言わん。というか、現実にいるから書きにくい。その辺は他人に任せるとして、その突発的な変化の方を扱う。
さて、このようなモノってのはいくつかパターンがある。入れ替わり、朝起きたら、病の治療事故、挙げていけばきりがない。だが、傾向として男が女に変わるものが多い。これは何でか。
私にもある変身願望というやつである。この私でない私になりたい。それがその原点だ。そして私を含めて、男は大抵女の方が人生、トクしているように見えるのである。もしかすると、女は男のがトクしているように見えているのかもしれないが、それはどうでもよい。男はこう考える、まずはそれが大事だ。変身できたならば、と考えたとき、人間以外の時の行動、思考、その他、パッと思いつくかね?カフカの『変身』だと虫に、近頃の作品なら下手すれば自販機、完全な無機物だってある。で、想像できるかね?凡人たる我々に。できなくはないだろうが難しい。というか、パッとは浮かばない。なら、変身する対象は人間が良い。え?仮面ライダーとか、ヒーローは?ってその変身とは違うし、それらはれっきとした『人間』だ。さて。そう、同じ人間なら、せめて異性だ、となる。ブ男からイケメンというのもあるが、変化に乏しいし、それだけで女が寄ってきたりしたら、私ならそれだけで女性不信になってしまう。つまり、感情移入しにくい。だからTS作品は書かれる。お手軽に想像できるからだ。
さて、私は男だ女だというもので、その人物を評価しない。それは、自由意志が介在しないからだ。そもそも性別を選んで生まれてこれたならば私は苦労していない。みんなだってそうだ。違うかね?私はそう思う。で、あるとすれば、その人格に一体性別などどれくらい関わる?皆無だ。しかして周囲は変わる。ちやほやしだしたり、好奇の眼で見たり。時には好色な目線にさらされることもあるだろう。そして、そもそも男と女には『文化』の壁がある様々な点で違う。生き様、集団における序列、屈辱に名を沈めることへの忌避、戦い方、その他もろもろ。
そういう違いを私が全て理解しているわけではない。全てを理解しようとすれば、この肉体を投げおいて、どこからか同世代の女性の肉体に入り込むとかして、それなりの期間過ごせばわかるだろう。そんなこと、できるか。できないからこういうお話があるというのに。
私がときどき見かけるのが、作者の性的な欲求の化身としてのTSである。リアリティを求めるならば当然否定されるべき存在だ。ホルモン療法において、男性にエストロゲンを投与せしめたときに性欲の減衰が見られるという。ならば、肉体まで女性化せしに、それが体内にて生成せられ、全身に回ることを考えれば。しかしてそれはどうでもよい。第一、そんなところへのリアリティにどこまで需要があるかね?というか、そもそもこういったことを知っている者がどれほどいる?気にしたら負けだ。私はそれも読むし、体の変化に戸惑うのが好きだ。
だが、だいたい欠落しているのは、周囲だ。周囲の手のひら返しの中、自己同一性を信じられるか?私が私であり続けねば私でなくなってしまうという危惧が常に私にはあるが、TS主人公でそういった危惧があるのは珍しい。見失わないか、見失ったことすら気づいていない。そこに至る葛藤は、危惧は、恐怖・狂気はないのかと。だから書いてみよう。すでに一つ書いている。もう一つ作る予定だ。
諸君はTS作品に何を求めるかね?何を書いてみるのかね?もう少し広げて、TSでなくとも、変身であれば何でもよい。さて、何を?