死刑囚
「はずみだったんだ。仕方ねぇだろ」
立錐の余地もないほど混雑した群衆から、死刑囚の男は視線を集めていた。慈悲の心から身なりは丁寧に整えられており、まるで貴族様が着るような服が与えられている。両脇には憮然とした顔の兵士が二人並んでいた。
「罪を悔い改めよ。貴様は一度許されておきながら、またも裏切りおった」
「神もケチなもんだな。盗みは許してくれても、殺人は別って訳かよ」
堂々と佇んでいる神父に対する、判りやすい反逆。彼は威勢良く叫び続けた。
どうやら、自分の言葉に相当酔っているらしい。皮肉に歪められた唇、興奮に上気した頬に、嫌な輝きを見せ続ける目つき。
極め付けは、神を愚弄する言葉に翻弄される見物人へ向ける、諦観したような雰囲気。あれは、狙ってやっている。彼なりに考えがあるのか、それとも死ぬ間際に彼自身が見出した勇気と呼べる物なのか。
「馬鹿な……俺の気持ちなんて……ねぇよ」
彼の叫びを原料とし、敬虔な教徒達は燃え盛っていった。聞くに耐えない罵倒。罪にではなく、人格に対する攻撃が口々に認められるようになってきた。危ない兆候だ。これ以上は無用な争いを生むだろう。
「では、罪を認めるのだな」
乾燥した空気に、神父の声はよく通った。私のすぐ隣には、汗を滲ませ枯れあがるまで罵倒し続けている男がいるが、潤い澄んだ神父の声には及ばない。精緻である。故に、彼はこの舞台の脇役を演じ切ることができた。
「ああ。倨傲と不精に満ちたこの男に、祝福をお与えください。罪の重さを感じることのできないのは、この子の責任ではございませんのです。淫蕩と乱倫に育てられたのです」
「おい、変態神父。俺の親を馬鹿にするんじゃねぇ」
「全ては、子の両親に問題があったのです。全知全能の神よ。もう一度、彼に機会を。やり直す機会を、お与えください」
神父の声により簡単に理性を取り戻した見物人。狂躁に包まれていたはずの群衆が、突如として一変するこの瞬間が、私は堪らなく好きだ。今まで罵倒の限りを尽くしていた一人一人の敬虔な教徒達の醜悪な顔からは、信じられない様な表情を浮かべている。
清々しいまでの嘘。性欲を禁じておきながら、何処かで発散しなければ落ち着けないという虚偽が、人間の美しさを助長しているように感じる。
いや、うず高く嘘に嘘を重ねた人間が、他者に重しを押し付け、身軽になった身体に幸せが満ちる。その瞬間に見せる表情にこそ……。
「鬱陶しいこと言ってんじゃねぇ。どうせ殺すつもりなんだろうが」
死刑囚は、知悉している。両手両足を拘束され、身動きの取れない状態に至る。そんな状態を補うように発達した思考と鋭敏な感性が、無知な者に理解させるのかもしれない。
それは彼にとっての身近な問題を踏み超え、より巨大で、より複雑な、誰にも取り除けない社会という病巣の奥底に横たわる不可視の何か。希望ではない。絶望ではない。言葉にあらわせる類のものではない何かが、いまの彼になら明瞭に見えるはずだ。
段々と雲が広がり始める。隙間なく陽光に照らされていた群衆は、翳りつつある太陽を見上げる。神は太陽からやってくる。