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「そうだ、星野に言っておきたいことがあったんだ」
「また何かやらかしたんですか?」
よく言えばのんびり、正直に言えば鈍臭い先輩は、時々とんでもないことをしでかす。直近で言うと製氷皿の破壊だが、わたしが知る最大の事件は実家のガレージに車で突っ込んで、父親の新車を廃車にしたことだろうか。
結果、奇跡的に損傷の少なかった先輩の車は父親に取り上げられ、運転免許証は母親預かりになった。先輩に大きな怪我が無かったことだけが不幸中の幸だ。
「ひどいな。ぼくは何もしていないよ。──そうじゃなくて、また始めようと思ってるんだ、吹奏楽」
「……どうやって?」
わたしは中高の六年間吹奏楽部に所属していた。先輩とは高校で知り合ったのだが、未だに付き合いのある部活仲間は、中高合わせても彼だけだった。
「楽団を作ろうと思って知り合いに声をかけ始めたところなんだ」
「そんなに簡単に作れるものなんですか、吹奏楽団って」
残りわずかだったグラスを空にして肉まんも食べ終えると、先輩はテーブルの上を片付け始めた。
「正直、難しいね。練習場所や楽器の確保にはお金がかかるしね」
それはそうだ。高校のときでも楽器を個人で所有していた部員は半数もいなかったと記憶している。吹奏楽経験者でもチューバやコントラバス、ティンパニーなどを持っている人間はまず、いないだろう。ということは、それらの楽器は楽団が用意しなければならず、数十人が一気に音を出せる防音設備の整った施設もこんな地方都市では限られてくる。
「だから、とりあえずは手当たり次第に声をかけて、人が集まってから次のことを考えようと思って」
「先輩って、無駄に行動力がありますよね。とりあえず動け、的な」
幼少時からピアノ漬けだった先輩は、高校で吹奏楽に出会った。わたしたちの高校の吹奏楽部は地元では有名で、毎年コンクールの全道大会に出場していた──とは言っても道大会の最高成績は銀賞で、全国への道のりは遠い感じだったが──。そんな事情もあってより多くの部員を確保するため、部の顧問である音楽教師は毎年、新入生の一番最初の音楽の授業でとるアンケートの最後にこんな質問を設けていた。
──今まで何か楽器の演奏をしたことがありますか。
正直に十年以上に及ぶピアノ歴を書いた先輩は顧問に目を付けられ、上級生による様々な勧誘活動の末に入部した。当時、自分のピアノの腕に限界を感じていた先輩は、その現実から逃げるように吹奏楽に夢中になった。担当になったパーカッションは初心者だったが、複雑な楽譜も読めるうえに絶対音感もあるとあって、一年生のうちから色々なパートにアドバイスをするようになり、二年生になる頃には学生指揮者になっていた。 他の学校は知らないが、わたしの高校の学生指揮者──学指揮は合奏練習前のチューニングやウォーミングアップをしたり、年に一度の演奏会では、数曲だけだが練習から本番の指揮までを任されたりしていた。その二年間の学指揮経験で指揮の面白さに気づいた先輩は、高校三年生の秋に思い切った決断をした。
「高校のときだって『音大の指揮科に行きます』って急に言い出して、担任と顧問の胃に穴を開けかけたじゃないですか」
「それは、ぼくだけのせいじゃないよ。受験シーズンだったからじゃないかな」
「地元の大学の推薦に内定してたでしょ、先輩。それなのに東京に行くとか言い出すから緊急職員会議が開かれたって噂ですよ」
あはは、と他人事のように笑ってごまかす先輩が大学時代のことを話してくれるようになったのは、ここ数年のことだ。
一年間の浪人期間を経て、念願の東京の音大に進学した先輩の学生生活はとても苦しいものだった。必修のピアノや座学だけ見ると先輩は優秀な学生だった。けれど、指揮法の実技が本格的に始まると、先輩は自分が指揮者になるには致命的な欠陥があると気付いてしまった。
自分の主張を最後まで通すことができないのだ。一概には言えないが、音楽家には自分に絶対的な自信がある者や、理論よりも感覚を重視する者、独特な思考回路を持つ者などアクの強い人間が多い。そんな人たちの集団を相手に、指揮者は自分が作りたい音楽を伝えて演奏させなければならない。方法は色々あるだろう。強い言葉で服従させる。丁寧に懐柔する。音楽的才能で屈服させるものもありだ。
先輩にはどれもできなかった。数十人、時には百人以上の音や視線とたった一人で対峙するのに精一杯で、楽譜の解釈の違いで奏者に一つでも反論されると、彼は言葉を飲み込み、受け入れてしまうのだ。
人付き合いが下手なわけではないが、人見知りの気がある先輩は慣れるのに少し時間がかかる。一度打ち解けてしまえば言いたいことも言えるのだが、彼の大学では同じ学生で構成されるオーケストラのコンマスやメンバーが微妙に変わってしまうため、結局学生生活の最後までオーケストラとの間の壁を壊しきることができなかった。
先輩の原点である高校の部活動は試験期間以外にほぼ休みは無く、平日は数時間、休みの日には朝から夕方まで練習だった。そんな日々は部員を家族のような関係にする。何より、高校生にとって指揮者は絶対で、それは学指揮であっても変わらず、奏者が反論することはまず無かった。
──だから、ぼくでも指揮者でいられたんだよね。
寂しそうに先輩がそう呟いたのは、確か二年前の夏だった。
「まぁ、とりあえず頑張ってください。演奏会が開けるようになったら手伝いますから」
「星野は一緒にやってくれないの?」
「……やりません。卒業してから十年以上吹いてないんですよ? 何より楽器を持ってませんし」
「そうか、残念だな。でも、一応考えておいてね」
散らかっていたテーブルの上は、いつの間にか片付いていた。台拭きを簡単に水洗いした先輩は、何故かコートを手に取った。