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 店を出て車に乗り込む。窓の氷が溶けるまでしばし待機だ。

「素敵なお店を教えてくれて、ありがとうございました」

「あぁ。暇なときにまた来てやってくれ。薫の、俺がユリに恋をしていない云々の話だが、気にしなくていいからな。あいつが俺をからかいたいだけだから、またされても聞き流せ」

「……実際はどうなんですか?」

 立ち入り過ぎな自覚はあるが、少しだけ聞いてみたかった。気を悪くさせてしまう可能性もあったが、やっぱり相田さんは笑って話してくれた。

「そうだな。好意の感情に温度があるとしたら、正直俺はユリほどの熱さは無いな。あいつを俺のものにしたいとか、独り占めしたいなんて思ったこともない」

「でも、好きは好きなんですよね?」

「まぁな。何とも思っていないやつと結婚するほど酔狂じゃない。あいつは、ガキの頃から俺が好きだと態度で伝えてくれていて、それを俺は嬉しいと思っていた」

 相田さんは言葉を探しているのか、少しだけ黙り込んだ。

「もしも、恋というものに胸の高鳴りや嫉妬が不可欠なんだとしたら、薫の言うとおり俺はユリに恋をしていないな。ただ、あいつを守るのは俺の役目だと思うだけだ」

「それは、家族としての庇護欲ですか?」

「正直、わからん。ただ、あいつと会わなかった高校三年間に何人かの女と付き合ったが、そのどいつにも同じように感じていたから俺はそういう人間なんだろ」

「……相田さんは恋から始めるんじゃなくて、最初から愛する人なんですね」

「どういうことだ?」

 氷が溶けたフロントガラスにワイパーをかける。一気に視界がクリアになった。

「昔、誰かに聞いたことがあるんです。恋は求める幸せ、愛は求められる幸せって。相田さんは自分よりも相手を優先するんですよ」

「そんな大層なもんじゃない」

 相田さんは大きな手で、きっちりと整えられていた前髪を乱した。

「女は好きな男に隣にいてほしいもんなんだろ? だけど、俺は好きな女の少し後ろにいて、いつでも背中を支えたり押したりする存在でいたいんだ。高校時代の彼女にはそれが理解してもらえなくて、結局は全員にフられたけどな」

「高校生ぐらいだったら多少の嫉妬や束縛はされたいでしょうしね。でも、百合子さんは相田さんの愛し方を理解してくれたから一緒にいるんですよね?」

「まぁな。でも、頭では理解してても時々不安になるんだろうな。その結果がこのボディクリームだ」

 相田さんは身長も高く、筋肉質な体の男性らしい魅力の持ち主だ。顔の作りも悪くないので正直モテると思う。百合子さんが自分と同じ香りを纏わせたのは、ほかの女性への牽制もあるのだろう。だけど、それよりも好きな人とお揃いのものを身につけたいという少女のような恋心の方が強いようにわたしには感じられた。たぶん、相田さんもそれがわかっているから、女性用の甘い香りのボディクリームを使いながら百合子さんが帰るのを待っているのだろう。

 薫さんの言っていたことはある意味当たっていた。世間で言われている恋というものの枠に相田さんは入らない。だから、相田さんは百合子さんに恋をしていないと言える。でも、二人の間にある感情に名前は付けられなくても、小学生のときに出会って今も一緒にいることが答えのような気がした。

「二人に似合ってますよ、その香り。──そろそろ帰りましょうか」

「そうだな」

 相田さんに頭をぽんと叩かれて、不意に亡くなった父のことを思い出した。そうか、相田さんの愛情は恋情や友情に分類されることが無く、何もかもが入り混じった大きな一つの固まりなんだ。

 わたしがこんなに早く普段どおりに話せるようになったのも、きっと相田さんの大きさのおかげだったんだ。


 来た道を戻ろうとしたら、いんそむにあの横の細い道を行くように言われた。夏場だったら車同士でぎりぎりすれ違えるだろうが、脇に雪がある今は対向車が来たらアウトだ。

「無理ですよ。向こうから来たら避ける場所もありませんよ」

「大丈夫だ。ここは普段からほとんど使われてないし、ましてやこんな時間に誰も通らねぇよ」

「ホントに大丈夫なんですよね?」

 半信半疑で恐る恐る車を走らせると、数百メートルほどで知っている場所に出た。

「あれ? ここって相田さんの家の裏側ですよね?」

「あぁ。今の道は抜け道で、家から歩いても行ける距離だ」

「うわぁ嬉しい。私の家からここまで五分だから、わたしも歩いて『いんそむにあ』に行ける!」

「バカか。おまえの家から五分は、車でだろうが。その不健康な足で歩いたら確実に三十分以上かかるぞ。歩けるのか、小夜に」

「そうでした。いつになったらあの店でお酒が飲めるんだろ……」

 自己嫌悪に陥りながら車を玄関先に回した。パーキングブレーキをかけて、相田さんが降りるのを待つ。

「あそこで酒を飲みたいんなら、今度家に泊まりに来い。和も喜ぶ」

「お言葉に甘えて、近いうちに」

 これは本心だった。たった三カ月で相田さんや百合子さんとは何も考えずに話すことができるようになった。もう少し距離を近づけても大丈夫なような気がしている。

「なぁ、小夜。『野口組』の居心地はどうだ?」

「どうしたんですか、突然。大丈夫ですよ。まだ、全員と仲良くなったとは言えませんけど、そんなに緊張はしなくなりましたから」

「そうか。──余計なお世話なのは承知で言うが、俺は小夜に恋人ができたら良いと思っている。相手は誰でもいい。でも、野口組の独身のやつらだったら、俺はどいつでも安心して小夜を任せられる」

「ちょ、ちょっと待ってください。本当にどうしたんですか?」

 シートベルトを外して、助手席に体を向けた。相田さんはいつになく真剣な顔をしていた。

「薫も言っていたが、冗談じゃなくて俺は小夜の父親のような気持ちでいる。だから、おまえがいつでも泣ける場所を持っていてくれたら安心できる」

「それが恋人の側だと」

「恋人じゃなくてもたぶん良いんだろう。家族や友達、俺やユリや草太でもかまわないはずだ。でも、例えば家族と何かがあって離れなければならなくなったとき、泣きつけるのは他人だ」

「相田さんでもいいなら相田さんのところに行きますよ」

 急に自分の内側に踏み込まれた戸惑いや不快感で、わたりの口調はきつくなる。でも、相田さんはかまわず話を続けた。

「あぁ、それでもいい。だけど、小夜が泣きついてきたとき、ユリも何かで悲しんでいたら、俺はどうしてもユリを選ぶ。そして、ユリが悲しむことで苦しむだろう和を。そうしたら、おまえは何処で泣ける?」

 答えられなかった。そんなこと想像したこともない。他人との関係が築けなくても、自分には家族がいるからとどこかで安心していた。でも、母は六十歳でおそらくわたしより先に逝くのだろうし、家庭をもった弟とは近所に住んでいても会うのは月に数回で、相田さんと一緒で自分の妻と娘の方が大事に決まっている。

「自分の優先順位の一番上に小夜を置いてくれて、なおかつ周りもそれを認めてくれるのは、友達じゃなくてたぶん恋人だ。おまえが人と交わるのが苦手なのはわかってる。だけど、考えてみてくれないか。誰かと愛し合う未来を」

 相田さんが本気で言っているのは、普段よりも丁寧な言葉遣いでわかる。まだ、会って数カ月のわたしのことを心配してくれていることも痛いくらいに理解できるのに、ちっぽけなわたしは頷くことができない。

「……無理ですよ。友達が精一杯です」

「ゆっくりでいい。少しずつでいいから小夜の中の『恋愛』の優先順位を上げてみてくれないか?」

「……百合子さんに恋をしてない相田さんに言われたくないですよ」

「そうだな、悪かった。俺が言えることじゃなかったな」

 子供をあやすような相田さんの声が、不思議と不快ではなかった。

 わたしだってこのままじゃ駄目なことも、変わらないといけないこともわかっている。

「……ホントにわからないんですよ、どうしたらいいのか。きっと、いっぱい相談するし、愚痴も文句もいいますよ?」

「あたりまえだ。いつでもいいから俺のところに来い」

 傷つくのは怖いけど、今ならわたしを泣かせて慰めてくれる人が側にいることを相田さんは教えてくれた。恋愛までたどり着けるかはわからないけど、わたしが変われるのはこれが最後のチャンスかもしれない。

「助けてくださいね、──将平さん」

「やっと、呼んだな。あぁ、助けてやる」

 また、がしがしと頭を撫でられた。わたしの髪は細いから、絡まるとなかなか解けないのに。

 将平さんが車から降り、きれいに雪かきされた玄関までのアプローチを歩いていくのを見送る。すると、途中で急に振り返った将平さんがこちらに戻ってきた。忘れ物かと運転席の窓を開けて顔を突き出す。

「どうしました?」

「一つ気になってたんだけどな。草太のこと『先輩』って呼ぶの、変えてみたらどうだ?」

「何でですか。もう、十五年以上そう呼んでるんですよ?」

 将平さんはコートの襟を立てて、あごの辺りまでを覆った。寒くて当然だ。もう、十一時を過ぎているんだから。

「同じ学校だったって意味では俺だっておまえの先輩だぞ。直治だってそうだし。年齢で言ったらもっといる。誰のこと呼んでるかわかんねぇだろ」

 言っていることは間違っていないが、この三カ月大丈夫だったんだから問題は無いはずだ。

「でも──」

「団長命令だ。草太って呼べ」

「理不尽だ。百合子さんに言いつけてやる」

「言ってみろ。最終的にユリは俺の味方になる」

「うわーん、バカップルなんて夏に歩いている途中でサンダルが脱げちゃって、素足で犬のウンコを踏んじゃえばいいんだー」

「おまえ、えげつないな」

 素直に言うことを聞くのが悔しくてぐずってみたが、先輩の呼び方を変えるのも小さな一歩かもしれないと思えた。

「わかりました。草太先輩って呼びます。まずは、それくらいで勘弁してください」

「そうだな。俺もゆっくりでいいって言ったしな」

 じゃあな、と手を振って、今度こそ将平さんは家に入っていく。窓を閉めると、車内はすっかり冷えていた。暖房を少し強めて、ウィンカーを上げながらハンドルを切った。

「あのキャラ、男の子にしてみるか」

 家路につきながらこの後の予定を考える。来年から書き始めるつもりだった新作のプロットの変更を思いついた。急ぎではないが、気分が乗っているときに進めておいた方が無難だろう。

 まずは、小説の中の少女に胸が苦しくなるよな恋をさせてみようと思った。


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