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「何曲ぐらいやる予定なの?」

「まだ申し込んでいないので詳しい時間はわかりませんが、例年通りだと五曲くらいですね」

「五曲ねぇ……。間に合うのかしら」

 わたしが紅一点の楽団で、わたしより女性らしい話し方をするのは、サックスパートのリーダーの鈴木直治(すずきなおはる)さんだ。ナオさん──こう呼ばないと無言でアイアンクローをされる──は三十六歳の美容師で、今はお姉さんと共同で三店舗のヘアサロンを経営している。

 ゆるいウェーブの掛かったミルクティーブラウンの長い髪に、女性的な言動。彫りの深い彫刻のような顔は整っていて、体型はいわゆる細マッチョ。華やかな色合いの、タイトなラインの服を好んでよく着ている。

 わたしが始めて運営会議に参加したとき、失礼ながらも興味深く観察いていたら、ゆったりと近付いてきたナオさんはこう言った。

 ──あたしは『ビジネスおねぇ』だから、喰らうのは女よ。

 世の中にはいろんな人がいるのだな、と改めて実感した。

「確かに、約八カ月あっても全員が集まって練習できるのは月に三、四回あればいい方でしょう。その分、個人やパートで頑張ってもらうことになりますが、貴重な合奏練習でぼくが全曲仕上げてみせますので、信じて助けてもらえませんか?」

 先輩の何時にない強い言葉に、わたしや他のメンバーは驚いた。

「いいんじゃないっすか。指揮者がここまで言ってるんだし。そろそろ、楽団としての実績も必要っしょ」

 軽い口調で先輩に助け船を出したのは、パーカッションのリーダー、高本順哉(たかもとじゅんや)だ。彼はわたしの同級生で、高校時代はわりと話をした方だと思う。

 明るい茶色の短めの髪をツンツンと立たせ、ピアス、ネックレス、ブレスレット、リングが標準装備な風体からやんちゃな人間だと思われがちだが、常に冷静に物事を考える心優しき保育士さんだ。

「でも、あたしたちのデビューになるわけだし、ある程度のクオリティは必要よ? まだ、早いんじゃないかしら」

「だからこそっすよ。活動を始めてその勢いがあるうちに、わかりやすい目標があった方がいい。練習だけの期間が長すぎると気持ちがだれちまうから、創団一年でのお披露目はちょうどいいんじゃないっすか? それに、屋外ならある程度の粗はごまかせるっしょ」

「高本君の言うとおりだと思います。できればごまかしは必要ないところまで持っていきたいですが」

 先輩の言葉に、場の空気が緩んだ。流れは演奏会をする方向に向かっているようだ。

「小夜っちはどう思うの?」

 急にナオさんに話を振られて、啜っていた温かい緑茶が少し気管に入ってしまった。せき込むわたしの背中を、栗林さんが撫でてくれる。動悸が激しいのは咳のせいだけではなく、意見を求められているからだ。

「……今までの数回の全体練習で感じたことですけど、音に力強さがあっていいと思いました。だから、大丈夫ですよ。このメンバーなら」

 ナオさんの少し垂れた目が細まる。栗林さんの手が、わたしの頭の上でぽんぽんと弾んだ。

「副団長がそう言うなら出ましょうか、夏祭り」

「団長と指揮者の意見は聞けねぇのかよ、直治!」

「どうして野郎の意見を聞かないといけないのかしら? それに、ナオって呼べって言ってんだろうが、バカ将平!」

「てめぇの名前は直治だろうが!」

 相田さんとナオさんは同級生で、わたしと同じ高校の卒業生だ。学生時代から顔を合わせる度に口喧嘩になるらしく、いわゆる喧嘩するほど何とかというやつだ。

「はいはい、トムとジェリーごっこはそこまでっす」

「誰がトムだ!」

「誰がジェリーなのかしら?」

 全くもって息ぴったりだ。

「それでは、来年の夏祭りのコンサートは決定ということでいいですね?」

 満場一致でわたしたちの初お披露目の日が決まった。

「何だか変に疲れたな。本当は演奏する曲を決めるところまでしたかったんだが、今日はやめるか」

「そうですね、食事も皆さん終わったみたいですし、解散しましょうか」

 賛同の声が上がり、自然とテーブルの上の片付けが始まる。わたしは濡れ布巾を取りに再び給湯室に走ったのだが、戻る頃には空になった総菜のパッケージや使用済みの皿とコップはレジ袋にまとめられ、全員帰りの身支度をしていた。

「ミニコンサートでやりたい曲の候補を考えて、事務局にメールをしておいてくれ。期限は年内だ」

「了解っす。今年はもう、会議も全体練習の予定も無いんすか?」

「緊急事態が起こらない限り無いな」

「それじゃ、次に会うのは来年すね。みなさん、良いお年をー」

 高本くんがそう言って帰って行ったのをきっかけに、続々とみんな年の瀬の挨拶をして部屋を出ていった。残ったのは、相田さんと先輩と、わたし。二人は残った寿司や総菜を食べながら、ミニコンサートのことを話している。あらかた、テーブルは拭き終わったが、何だか帰りづらくて椅子二つ分の空間を空けて座ってみた。

「あのぉ、お茶のお代わりいりますか?」

 二人とも要ると言ったので、誰にでも淹れられるティーバッグのお茶を淹れる。それから、さほど時間もかからず楽団の話も食事も終わったようだが、二人に帰る気配はない。

「相田さんは、帰らなくてもいいんですか? 百合子さんと(なごむ)くん待ってますよ」

「今週は二人とも向こうの実家に行ってていねぇんだよ」

「とうとう、見限られ──」

「てねぇよ。少し早いが、じじばばにクリスマスプレゼントをもらいに行ってんだ」

 相田さんの大らかな性格もあって、わたしは先輩とするように普通に会話ができるようになっていた。これは、かなりの快挙だ。

「実家は何処なんですか?」

「東京だ。年末年始はうちに親戚や何やらが集まるからな。ユリの実家には行ってやれねぇんだよ」

「何だかんだで優しいですよね、将平さん」

「何言ってんだ、俺は何処から見ても優しさの固まりだろうが」

 意外とまめな相田さんは、こんな会話をしながらもゴミをまとめてテーブルを拭いている。きっと、家でも良い夫で、良いパパなのだろうと思う。

「そろそろ、帰るか。ここも閉めなきゃならんし」

「先輩はどうやって帰るんですか?」

 相変わらず母親に免許を預けさせられている先輩の移動手段は、バスかタクシーだ。

「ちょうどいい時間のバスがないから送ってもらってもいいかな?」

 通勤通学の時間帯ならそれなりの本数はあるが、それ以外は他の田舎町と同様、一時間に一、二本くらいしかバスは通っていない。

「いいですよ」

「小夜、俺も頼むわ」

「車はどうしたんですか?」

「エンジンの調子が悪くて修理に出したんだが、代車が無くてな。ここまでは会社の人間に送ってもらったんだよ」

「わかりました。狭い車ですけど、それでよかったら」

「ありがとな」

 ホールの閉館時間の八時はとっくに過ぎているので、三人で手分けをして戸締まりをした。普段は、管理担当の職員さんがしているのだが、勤務時間が終了しているので今日はわたしたちの仕事だ。

 真っ暗になったホールから出ると、雲一つ無い夜空に星がきらめいていた。さっき部屋の中からエンジンスターターのリモコンでエンジンを掛けておいたので、フロントガラスの氷はだいぶ溶けている。

 車に乗り込んで帰り道の道順を頭の中で確認した。先輩の家はここから十五分ほどで、先に降ろすことになる。最近知って驚いたのだが、相田さんの家はウチから車で五分のご近所さんだった。

「じゃあ、行きますよ。途中で寄りたいとこはありますか?」

 後部座席の二人の無いという返事を聞いて、まっすぐ先輩のアパートに向かう。バックミラーで相田さんをちらりと見る。やっぱり気になる。

「相田さん、髪型変えたんですか?」

 いつもはふわりと上げられている前髪が、今日はかっちりと固められていた。筋肉質で身長も高く、男らしいイメージの相田さんにはどちらも似合っているが、見慣れないせいか違和感は大きい。

「いつもはユリがやってくれてるんだよ。今日は自分でやっただけだ」

「そうだったんですか。百合子さんプロみたいですね」

 見る度に夫婦漫才のように激しいどつきを見せている百合子さんだが、実は夫である相田さんを献身的に支えている。自身も経理担当として同じ会社で働きながらも、夫のスーツ選びやお弁当づくりを毎朝欠かさずやっている。今聞いて知ったが、身支度まで手伝っていたとは。独り身でだらだら生きているわたしは、脱帽するしかない。

「将平さんたちラブラブですねぇ」

「当たり前だろ。惚れてねぇ女と結婚なんかするか」

 先輩はからかうつもりで言ったようだが、何の照れもなくそう返されて、言葉に詰まってしまっていた。


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