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Cond. 野口草太 1

 一月三日、午後七時。わたし──星野小夜は、自宅から車で十分ほどの場所にある居酒屋にいた。

 コの字型のカウンター席だけのこの店に来るようになって約十年。だけど、店主である禿頭のおやじさんとはまだ親しくはなれていない。それもそうか。来店するのは年に二、三回。滞在時間は一時間ちょっと。注文以外は連れとしか話さない。

 お世辞にも愛想がいい客とは言えない。だが、仕方がない。わたしは人付き合いが不得手なのだ。

「ごめん、待たせちゃったね」

「いいえ。わたしが早く来すぎただけで、先輩は時間通りです」

 そんなわたしにも一緒に食事をする友人はいて、彼は高校の部活の一学年上の先輩だ。年に数回決まってこの店で食事をとり、その後は先輩の部屋で酒を飲むのが恒例になっていた。

 待ち合わせの時間ちょうどにやってきた先輩は、コートを椅子の背もたれに掛けながら少し高めの柔らかい声で店員さんを呼んだ。

「ビールを中ジョッキで。あとは、キムチチャーハンの大盛りとブイヤベース。それと、チキン南蛮にカプレーゼ、漬け物の盛り合わせの小にグリーンサラダと揚げ出し豆腐。とりあえずはこんなところかな。──星野はどうするの?」

「わたしは、塩焼きそばと餃子スープでお願いします。──相変わらずの痩せの大食いですね。しかも、和洋折衷はなはだしい」

 目に眩しい金髪を一つにくくった店員さんが、カウンターの内側で揚げ物をしている親父さんに、ハスキーボイスで注文を通していく。

「それしか食べないの? お酒は?」

「今日は車で来たので、これで」

 先輩を待つ間に注文した、水滴の付いたウーロン茶のグラスを少しだけ持ち上げた。

「この冬はちょっと厳しいので節約キャンペーン中です」

「仕事、少ないの?」

「仕事は相変わらずですけど、三月に車検があるので」

 私は著述業をしていて、簡単に言うとライトノベルと呼ばれる小説を書いている。幸いなことにそれなりに仕事はあって、二十代の事務職のOLさんと同程度の収入があった。贅沢はできないが住まいは実家で家賃がいらないので、公共交通機関があまり充実していない田舎では必須の、自家用車を持ち続けることができている。

「それは大変だね。お兄さんが奢ってあげるからもっと食べるといいよ」

「忘れているかもしれませんが、私と先輩、誕生日が一月も違いませんからね」

 三月下旬生まれの先輩と、四月中旬生まれのわたし。学生時代には一学年の差を大きく感じていたが、互いに三十代の今では年齢差は無いに等しく、呼び方と辛うじてな丁寧語だけが当時の名残だ。

 先輩こと野口草太は、現在ピアノの先生をしている。母親が自宅で経営しているピアノ教室をメインに大手楽器店でも講師のアルバイトをし、他にも臨時の仕事を時々こなしながら実家近くのアパートで一人暮らしをしていた。

「覚えてるよ。でも、冗談じゃなくて何か奢るよ。近所の老人ホームのクリスマスコンサートで演奏したら謝礼をいただけたんだ」

「そうですか、それじゃあ遠慮なく。──すみませーん、鶏の唐揚げネギソースがけと、胡麻団子とジャスミンティーを追加で」

 おやじさんの「あいよっ」という声を聞きながら、氷で薄まったウーロン茶を飲み干した。壁に貼られた茶色くなったお品書きを何気なく見上げながらおしぼりで手を拭いていると、二人の飲み物と先輩のサラダと漬け物が出された。

「それじゃあ、乾杯でもしようか。今年も色々と頼りにしてます、かんぱーい!」

「……年始からネガティブな宣言。今年もよろしくお願いします、かんぱい」

 メニューの豊富さと美味しさで人気のこの店も、一月三日の夜では明日から仕事始めの人も多いせいか空席が目に付く。

 次々と出される品を食べ始めると二人の会話はほぼ無くなったが、ここには食事をしに来ている、というのが二人の共通認識なので問題は無い。

 三十分ほどで食事を終えてデザートの胡麻団子を頬張っていたわたしの隣で、いつの間に追加注文したのか、先輩がチョコレートパフェを食べていた。

「ぼくの家に行く前にコンビニに寄ってくれるかな。冷蔵庫が空っぽなんだ。でも、お酒はあるよ。実家からもらってきたから」

「わかりました。おつまみと先輩の夜食を買うんですね」

「氷もね。今朝、製氷皿を壊しちゃったんだよね」

「……何をしたら壊せるんですか?」

「ストーブの上に乗せているのを忘れて火をつけたら溶けちゃって」

 どういう状況になったら製氷皿をストーブに乗せるはめになるのか。ある意味、彼は貴重な体験をしている。

「百均でも売ってると思いますので、近いうちに買ってください」

「そうするよ」

 全ての器を空にして、ハスキーボイスな金髪の店員さんに「お勘定お願いします」と声をかけた。出入り口近くのレジまで向かう途中で、コートを着込んでショルダーバッグを斜めがけに背負う。財布を出そうとカバンに手を差し入れたが、クリーニングから戻ったばかりでふかふかのダウンコートの袖が、予想以上に動きを阻む。チーンという鈍い金属音に顔を上げると、人知れず孤独な戦いをしていたわたしの分まで先輩が支払いをしてしまっていた。

 スマートに財布を出せなかった照れ臭さを隠しながら、軽いトーンで「ゴチでーす」と言って出入り口の引き戸を開けると、冷たい冬の夜風が顔に刺さった。直接、席には風が当たらない設計にはなっているが、店内に冷気が入る前にと急いで外に出た数秒後、先輩もマフラーを巻きながら小走りで出てきた。

「今日は暖かいですね」

「そうだね。昨日はこの時間帯、十度超えてたけど、今日は七度くらいかな」

 居酒屋から徒歩五分の駐車場に、肩をすくめながら向かう。すると、ふいに先輩が笑い出した。

「大学一年の冬に同級生の前で『昨日より暖かいね』って言ったら笑われたんだ。『冬なんだから暖かいはおかしいだろ』って」

「あぁ、北国特有の表現みたいですね。寒さが緩むと『暖かい』って言うの。気温がマイナス十度でも、前日が十五度だったら『今朝は暖かいね』って言いますもんね 」

「そうなんだよね。あとは帰省後に『実家に帰った次の日の朝、気温が十三度で布団から出れなかった』って言ったら、かなりの寒がりなんだねって」

 わたしは思わず笑ってしまう。北海道の海沿いにあるこの街は、真冬の気温は日中でも氷点下だ。だから、いちいち氷点下やマイナスを付けない。先輩が言う十三度はマイナスで、同級生が言う十三度は当然プラス。話がかみ合うわけがない。

「星野と話すときにはそういう違いを意識しなくていいから、とても楽だ」

「祖父の代からの道民ですからね」

「うちは曾祖父だから、ぼくの勝ちね」

「それ、おかしくないですか?」

 知らないうちに勝負の場に出され、なおかつ負けてしまったわたしは、釈然としない気持ちを抱えたまま話題を変えた。

「さっきの金髪の店員さん、バンドのボーカルっぽかったですよね。金色の長髪にハスキーボイス。体型はスリム、顔はちょっと女性的でビジュアル系? 貸しスタジオ代を稼ぐためにバイトをしてる感じ?」

 隣を歩いている先輩の顔を見上げると、何故か驚いた表情だ。

「星野は知らなかったの? あの人、おかみさんだよ」

「はっ?」

「だから、おやじさんの奥さん。結婚したのは五年前だったかな。四十五と二十で結婚して、今年三歳になる双子の娘さんたちがいるよ、確か」

「ちょっとびっくり。てっきり男の人だと。そのうえ、ママさんなんだ……」

 衝撃の事実に動揺しているうちに車が見えてきた。フロントガラスはうっすらと凍りついて白くなっている。エンジンをかけ暖房を最大にしながらトランクに積んであったスノースクレーパーで氷を削り取ると、数分でフロントガラスの大部分の氷は無くなった。後は走っている間に暖房で溶けて無くなるだろうと、わたしは冷たくなった手に息を吹きかけながらドアを開けた。


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