#14 心を溶かす、魔法の水
食事が運ばれてくるまで、ジョンソンさんはとても楽しそうに仕事の話をしてくれた。
私も難しい話はわからないし、レオンはなんだかつまらなさそうに聞いていた。
しばらくすると、料理が運ばれてくる。
生野菜のマリネに牛肉のカルパッチョ、トマトソースのスパゲティ。どれもこれも美味しそうなものばかりだ。
「……ねぇ、レオン。すごいわ、料理が順番に出てこないのね!」
「……? えっ!? あ、ああ、そうですね。リズ、街ではこのような形式も多いのですよ」
「まぁ、そうなの! へぇ、そうなのね……。」
それを知れただけでも来た価値があるわ。だって、お城のご飯はいつも食前酒やスープから始まって、いくらすぐにお肉やお魚が食べたくても、順番を待つしかないのだから。
「おや、スミスさんは相当よいお家柄の方だったのですね。選ぶ店を間違えたかな……。店を変えますか?」
会話を聞かれているとは思わずに、ドキリとする。
もしかして、気づかれてしまったのだろうか。
「まさか、一介の貴族ですわ。身分が高いなんて、そんなことないです。それに、い、いいのよ。料理も来たことですし、さ、食べましょう」
「ああ、そうですね、冷めないうちに食べましょう! リズ、ナフキンをどうぞ!」
レオンがすかさずフォローをしてくれる。愛想笑いでなんとか切り抜けたいが、食べはじめても尚、ジョンソンさんは何となく疑いを含んだ眼差しでこちらを見ているような気がしてならない。
「スミスさん」
「は、はい?」
「あなた、まさか……」
もしかして、バレている? 不安になって隣のレオンの袖を握る。
「あなた、スミス子爵のお嬢さんですか?」
「はい? え……人違いですわ」
「いや、人違いですか! すみません、食べ方が非常に上品でしたのでね、いやぁ、違ったか、これは失礼!」
はっはっはっ、と豪快に笑ったジョンソンさんの顔には一点の曇りもなく、疑いの眼差しを感じたのは気のせいだったみたい。
「スミスさん、レオンさん、シャンパンは如何です?」
「ええ、いただきます」
「俺はいりません」
一応、勤務中だからかな。レオンもいただいたらいいのに……。
ジョンソンさんと逢ってから、なんとなく私とレオンの間に溝が出来てしまったようで、少し胸がモヤモヤして、息が苦しい気がする。……何なのかしら、この気持ち。
それにしても、お昼からシャンパンを飲むなんて、ジョンソンさんは仕事は大丈夫なのかしら。
そう考える間もなく、シャンパンは運ばれてくる。
「出逢えたことと、君の海のように広い心に」
「これからの未来に」
「「乾杯」」
口の中でシュワシュワ弾ける泡は、喉の奥に滑り落ちて、嫌な気分を払ってくれる。
魔法の水は罪悪感も、胸につかえたモヤモヤも、全てを洗い流してくれる。
嗚呼、このまま何もかも忘れて、自分が好きなように生きてみたい。
私の心の叫びは、まだ誰も知らない。
ましてや、細身のグラスに満ちた、熟れた果実の香りに私の警戒心までもが掻き消されたことは、自分でさえ知らないことだった。