閑話その二 「天霧の勤務記録」
※※ 必読 ※※
・本編とは無関……係(?)
※※
●九時三十八分 天霧個人執務室
天霧の部屋には、熱帯魚が泳ぐ大きな水槽がある。会社の地下を強引に掘削し、まるでアリの巣のようなこの場所から地上まで出るのは億劫だった。そんな場所で頭に生まれる色のイメージは黒。毎日続けば気が狂う。そんな考えから、熱帯魚の華麗な鱗の色に癒される日々が始まった。
日課は熱帯魚たちへの餌やり。そして
「……もしもし? …………そう、編成はまかせるわ。絶対に守り切りなさい」
ジャンキー対策本部の指令塔となることだ。
●十一時二十分 天霧個人執務室
ただ「出動せよ」と命じるだけなら簡単だ。しかし、命じた内容が目標物の死守である以上、天霧を苛む罪悪感は一生消えることはないだろう。ジャンキーも、タダで倒れてはくれない。悲しくもワクチンの死が発生することもある。だからワクチンの補充は必要だし、質を高める意味もある。
『お疲れのようですね、天霧さん』
「え? 何言ってるのよぉ、もう。疲れてなんかないわ」
『では、質問への回答を』
「質問?」
『…………やはり少し、お休みになられた方がよろしいかと』
恨まれ役は寝たらダメなのよ、と真面目な返答をすれば、もう一度質問を言ってくれるだろうか。
「嫌よん♪ うふんっ」
『……お休みなさい』
突然、目の前のエレベータの扉が開き、屈強な男どもが入ってきた。ここをどこだと思っているのだろうか。
「ちょっと! 何するのよっ!! 私は元気だって言ってるでしょうが!!!」
『そのセリフは起きてから言ってくださいね』
冗談の通じない手合いは、天霧は苦手だった。
●十四時五十五分 会社内小医務室
本音を言えば疲れていたので、ふかふかベッドを前にして自らの意志で眠りに落ちた。そうしないと角を生やして文句を言ってくるヤツがいることを知っているからだ。
「……お腹ぁ、空いたわねぇ」
医務室には誰もいないと思い、呟いた。仮眠後の意識もはっきりとしてきたところで、自ら食堂へ行ってもいいだろう。しかし、時間は短いが良く寝た。ここまで睡魔を眠らせたのは久しい。
『それなら、これからお昼でも一緒に』
「……アンタ、暇なの?」
思わず素が出て声が低くなってしまった。コイツときたら、どうやら私を医務室のカメラで監視していたらしい。そんなことしなくても、大人しく寝てるつもりだったのだが。
『暇ではないです。それでも、食事は大事です』
「……同感よ。十分後に食堂」
『はい、分かりました』
時計を見て、正午を大きく過ぎていることを天霧は初めて知った。
「律儀なヤツなんだから……」
●十五時十五分 会社内食堂
「体調はどうですか?」
「元から元気よ」
分かって聞いているであろう質問に、分かり切っているであろう返答をした。コイツは笑顔で返してきた。
「ならば良かったです。いつもしっかり寝てくださいね?」
「そうも言ってられないでしょうが」
「何故です?」
「私が寝てる時にジャンキーが襲撃して来ないとも限らないでしょ! だから私はほんっっっとに最低限の時間しか寝てないの!」
「『司令塔が倒れたら、腕も足も動かない』」
「…………」
それは、天霧が自分を鼓舞する時の言葉であった。コイツに言われると、なぜか罪悪感を覚えてしまう。
「それで、さっき言ってた質問って何よ、ワン」
「…………にゃ~?」
「……ケンカを売るなら買うわよ?」
「冗談です。忘れてください」
ワン。犬ではない。天霧のペアである。ついでに、呼び方が序数ではないことは天霧の気分である。歳は十五を回ったあたりだそうだ。
「体調はどうですか?」
「さっき言ったでしょ。元気よ、私は」
「ならば良かったです。いつもしっかり寝てくださいね?」
「分かったから。それで、質問を早く言いなさいな」
「体調はどうですか?」
「……は?」
天霧は本気でワンを心配した。熱でもあるのか、それともたった今摂取した食事に悪いものでも入っていたか。
「最近お疲れのようでしたので。連日の襲撃に頭を悩ませているのは分かります。ですが、倒れて困ると言ったのは天霧さんの方です。困らないためにも、本日は無理矢理休んでいただきました」
「そんなことを聞くために電話を?」
「お邪魔でしたか?」
うん、邪魔。そんな言葉を吐こうものなら、ワンは一体どんな手を使って、天霧に『疲れた』を言わせるのだろう。
「ワン」
「にゃー」
「……ありがとう」
「いえいえ、お義父さん」
「ねぇ、ワン。何食べてるのよ?」
「ジャンキーから得られたエキスを精製したものをスパイスと一緒に何時間も煮込んで一日寝かした後にこれまたジャンキーから得られた表皮を粉末にしたものを隠し味としてルーに混ぜたカレーです」
「はぁ!?」
「冗談です」
天霧が男性であることを瞬間的に忘れてしまい、『お義父さん』と表記するところを当初は『お義母さん』としていました。オネェ言葉に騙されたんだ、きっと。