古巣の価値(1)
こんにちは、の時間帯の方はこんにちは。
今回から連番のサブタイトルです。ネタ切れとか言わないの。
「……失敗した?」
「誠に申し訳ございません」
全身に管を絡み付け、鷹揚な態度で返す男がいる。その管の先は男の体内へと侵入しており、点滴を想像させるような造りになっていた。もっとも、管を流れる液体は目に痛い色をしている。
「かなりの戦力を削ったと報告を受けたから技薬工場へと向かわせたんだが……。原因はなんだ?」
「ワクチンです」
虚を突かれるとは今のような状態かもしれない。どんな時でも男の目的を阻もうと、奴らは捨て駒のように『ワクチン』と呼ばれる人間を投入してきた。そのワクチンも、既に量も質も落ちているという算段から技薬工場を狙ったのだが。結果はワクチンを半数削っただけで目的は果たせなかった。
「見てみろ、ブラド。もう残りも少ない。早く……早く手にいれてくれ」
「……承知いたしました、デミク様。では、これで」
深々と頭を下げた方の男は静かな足音とともに陰に消えた。
デミクと呼ばれた男は、残りの液体に視線を向けて焦燥感に苛まれた。
◇
プロトタイプ製薬に身を置いて二日目。
初日から工場防衛の初陣という重要作戦に加わった上に、ジャンキーを相手にするという凄惨な部分を目の当たりにしても、草介は特段、逃げ出すという意識が湧かなかった。
「はい。これ、飲んでみようか」
だから、サーティーが放った技薬を勧める一言にも抵抗がなくなってきた。自身の感覚が麻痺していないことを願うばかりだった。
「飲むのはいいが、ここでか?」
「安心して。ただのガラスに見えるかもしれないけど、技薬に反応した部分が超硬化するプロトタイプ製薬特製ガラスよ」
「特製……ねぇ」
ガリッと砕いたタブレットの破片を唾液で溶かしながら飲み下す。
「あぁ、そういえば。コイツの効果は?」
「うーんとね、簡単に言えば火を出せる」
「俺はチャッカマンじゃなくて、ヒューマン。OK?」
そんな冗談を交えて、困ったことに火の出し方が分からない。これまでに経験した衝撃波ならば、身体の一部の風圧をイメージすれば拙くてもそこそこ上手くいっていた。
「…………これで、どうだ!」
試しに広げた手の平に意識を集中してみる。身体で感じている室温とは異なる温度が、体内から手のひらへ流れていき、球体を形作る感覚が伝わってくる。まるで小さく勢いの抑えられた太陽を掴む感じだ。
「――――火、出せたじゃない」
その言葉に目を開くと、オイル切れ寸前のライターのような弱々しい火が揺れていた。
「って、小さっ!!」
「まぁ、初めて飲んだ薬だしこんなもんでしょう。そのままガラスに押し当ててみて」
火が灯る手を広げたまま、特製ガラスまで近づいて火を押し付けてみた。すると、薄氷を踏みしめるような音が伝わってきて、火を押し付けた部分が白く変色していった。
「本当だ、壊れないんだな」
「そうよ。技薬のテスト用に作られた部屋なんだから」
押し付けた手を離すと、白く変色した部分は元の透明な色へと戻った。
「さて、技薬の効果も出たことだし、このままその能力を使ってちょっとした訓練でもしてみよう」
とても簡単に言ってくれるが、身を置いて二日目の草介に何が出来るか疑問だった。
「八木くん。さすがに今のままの効果だと、ジャンキー相手に手品してるみたいなもんだから、もっと大きな火を出せない? 一瞬でもいいからさ」
「もっと大きな火、か……」
気づけば消えていた火を、もう一度イメージする。身体の奥に存在する、別の体温。腕の血管を通過しながら煮えたぎるまでの温度に――――
「――――はっ!」
「…………えーと、八木くん? そんなに落ち込まないでね? 私だって氷漬けにする技薬を初めて飲んだ時は同じような感じだったし」
草介の手の平には確かに火が灯っている。ただし、先刻と変わらない大きさの、小さな炎だった。落胆した草介はそのまま大げさに膝から崩れ落ちて床に手を付く。少しづつ変色していく床に、『へぇ、床も特製なんだな』なんてどうでもいい感想を抱きながら、ちょっとした悔しさが芽生えた。
「そう、残念に思うこともないよ。ワクチンの中には、その小さな火を出すことさえ難しい人だっているんだから」
「でもよ、ジャンキーを目の前にしてこれじゃぁ……考えただけでも恐ろしいんだが」
「慣れた薬を飲むってのも手段の一つだけどね。私は氷漬けにする技薬が身体に合うし。何度か繰り返せば効果をもっと大きく引き出せる例もあるしね。どうする? もうちょっと続ける?」
「そうだな……いや、止めておく。なんだかさっきから眠気がすごくて……」
「あー…………、それじゃぁ止めようか。火を消して出てきて」
「おう、分かった」
さて、どうやって消そうか。水もなければ土もない。ホールケーキに刺さってるロウソクの火にしては大きすぎる。吹いても酸素の無駄だろう。第一、魔法のように出すことが出来る火を人間の常識で消火できるかは疑問だ。試すだけ無駄だろうと思ったが、線香の火を消すように、草介は手首にスナップを利かせた。
パキリッ
「……ん?」
足元に、白く小さな点の範囲で変色した特殊ガラスが見える。加えて、草介の手を離れても、煌々と燃えるマッチのような火が燻っている。しばらく見ていると、燻っていた火は消えて床も透明に戻った。手の平の火は、少し、勢いが弱まった気がした。
「サーティー! ちょっと聞いてくれ」
「え? なに?」
検査室の片づけの途中で呼び止められたサーティーは、背が届かないことが分かり切っているであろ棚へ向けて荷物を上げよとしていた。
「……っ、きゃ!?」
ガラガラと、許容傾斜角度を超えた荷物はサーティーへと降り注ぐ。
「後で俺が上げてやるから。それよりも――――」
特殊ガラスに囲まれた部屋で、草介は忍者が手裏剣を投げるが如く火が揺らめく手を振った。すると、遠心力で手から離れた火の粉が草介の振った腕の先のガラスに刺さった。
「え、すごい……。どうしたのこれ?」
「火の消し方が分からなくて……腕を振ってたら火が刺さったんだ。本当はどういう使い方が正しいんだ?」
「特に使い方を定めてるわけじゃないけど……。これまで、たった今八木くんが飲んだ技薬では火を身体に纏って直接ジャンキーに衝突させる……つまり、殴ったり蹴ったりっていう使い方しか知らなかったんだけど」
要は、飛び道具のような使い方をしていなかったということだ。放った自身でも、この火を飛ばす威力がどれほど小さいかは分かっている。こんなものでは実戦では使えないだろう。
「後は慣れだよ。コツを掴むんだ」
腕を組んでうむ、と頷くサーティーは学校の先生のようだった。
◇
「資料は見ていただけましたでしょうか、天霧さん」
「えぇ、見たわ。正直、驚いてるわよぉ?」
「同感です。体内で技薬の効果をあそこまでブーストさせることができるワクチンは……そうはいないでしょう」
天霧の執務室へと来ていた原山は、内心ではヒヤヒヤしていた。昨日の技薬工場防衛の際に草介を強行出撃させた責任を問われると考えたからだ。しかし、一向に天霧の口からその件の話が飛び出さない。
「サーティーとはどう? ケンカとかしてない?」
「今は仲良く訓練の最中です。彼の身体に適する技薬を見つける狙いもありますし」
「ならいいわ。……八木ちゃんのこと、調べたりしてみた?」
「え? えぇ、ですからその資料に技薬への適性なども……」
天霧が首を小さく横に振る。
「違うわ、八木ちゃん自身のことよ」
「そっちでしたか。……いえ、調べていません。これから話を聞いてみようと思ったところでしたから。なにせ、いきなり防衛に向かわせて……」
言葉が続かなかったのは、自らボロを出してしまったからだ。天霧は見て見ぬ振りをしてくれていたのだろうが、話題に出たら原山は不利だ。自らの軽率さを呪った。
「……戻ってきてよかったじゃない。でも、二度と訓練なしで投入したらダメよぉ?」
「その説は……ありがとうございました」
お咎めなし、という結果になった。
◇
「起きて、八木くん」
「…………あと五分」
「十秒以内に上体を起こさないと、天霧さんのキスが待ってるわよ?」
「はっ! サーティー様、どのような用件でありますでしょうか!!」
時計は夕方を指していた。火を操る技薬の訓練が終わり眠気を伝えた草介は、そのまま朝と同じベッドで睡眠を取った。問答無用で色々な技薬を飲まされる覚悟だったが、なぜかすんなりと睡眠の許可が下りたのが腑に落ちなかった。それも、起きたら全て忘れているのだが。
「夕食は原山さんと一緒に三人で食べよう……って、原山さんが」
「夕食?」
製薬会社に来てからの食事はこれまで二回経験した。風呂後の朝食、訓練の休憩を含めた昼食。さすが製薬会社、健康に気を使っていることは味覚から察知できた。
「また薄味なんだろう? もう少し濃い味で食べたいんだけどなぁ……」
「慣・れ・て」
「い・や・だ」
『仕方ない、今夜は食堂に言って特別料理を出してもらおう。それで満足かい、八木くん?』
ベッド脇のスピーカーから原山の声。どうやら、このベッドが草介専用のものらしい。
「いいのか? 遠慮はしないぞ?」
『あぁ、しなくていい。少し君に聞きたいことがあるからね、それくらいはこちらも奮発しよう』
「あ! 職権の乱用はダメだって天霧さん言ってたでしょ!」
「どこでそんな言葉覚えたんだよ……」
難しい言葉を使うサーティーの背後に、怪しい笑みを浮かべた原山が見えたのは気のせいだろう。
『サーティー』
「なによ! 観念したらいつも通りの食堂のメニューで……」
『ハンバーグ、チーズ入り。ニンジンの甘煮を少々』
「「マジで!?」」
勝負あり。二人は何も言わずに人事部を目指した。
「来たわよ、ハンバー……じゃなくて原山さん!」
「早く、腹減ったんだ!」
「えーっと……」
それはまるで踏み荒らすような勢いであった。人事部の目を釘付けにしながら、草介とサーティーは突撃していた。困ったなぁと言うように渋い顔をする原山は、早めの夕食に二人を誘ったのだった。
「遠慮はするなよ。君には昨日、大きく助けられた」
そんな労いも、とろけたチーズの前では無力だった。原山の職権乱用を問いただすサーティーでさえ、黙々と食べている。
「…………美味しいなら、何よりだ」
十数分後、そこにはきれいに平らげられた鉄板だけが残っていた。
「さてと、八木くん。ちょっと聞きたいことがあるんだが……いいかな?」
「あぁ! なんだっていいぜ」
よほど満足だったらしく、草介もサーティーも、腹部をポンポンしていた。
「じゃぁ、ボクも遠慮なく。――――八木くんの昔話を聞かせてほしいな」
お読みいただき、ありがとうございます。
今回の幕の引き方から、次話は回想から始まってしまうという予想はあります。ですが、前回(だったと思います)で書いた回想とは被らないような内容(白紙)ですのでご安心を。
それでは、次話にて。