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肩が触れる。

作者: 桐 暁

染里(せんり)はゴクゴクと喉を鳴らしてビールを呑み、だんっと机にジョッキを叩きつけるように置く。


「ほんっとありえないっ!!」


そのままの勢いで吐き出した言葉に、まあまあと同じテーブルにいた3人は染里を宥める。

所属する部署は違うが、入社当時の研修で気のあった仲間たちだ。


「なんでまたそんなやつとデートする気になったんだ」


向かいにいた瑛斗(えいと)が呆れたように染里に尋ねる。

隣と斜めにいる2人もうんうんと頷く。

それに染里はうっと詰まって、ジョッキに口を付ける。

口を開こうとしない染里に3人の視線が集中する。

今日は染里の鬱憤晴らしに集まってもらったのだ。

話さないわけにはいかない。

染里は気まずげに視線を逸らしながら、今度はジョッキを静かに置くと、はあと大きな溜め息を吐いた。


「複雑なジジョーがあるのよ」

「どーせ大したことないだろ、さっさと話せ」


遠慮も配慮もない瑛斗は肴に箸を伸ばしながら、染里を促す。


「あんたに何がわかるのよ!」

「せんちゃん、ほらえーとくんのことは放っておいて。聞かせて?」


隣にいる華が染里を宥めて話を促す。

染里と瑛斗の言い合いはいつものことだ。


「……うちの課にさ、同期の高森育香(いくか)っているんだけど知ってる?」


染里たちが勤める会社はかなりの大企業だ。

この不景気にも関わらず、毎年新採用を100人前後とる。

全国の支社や工場含めての数で、 新入社員研修はその100人近くを集めて行うため、仲良くなった同期が遠方にいるということもままある話だ。

逆に同じ支社にいても顔見知り程度と言うこともある。

染里たち4人は全員が本社配属になったため、入社4年目の今も付き合いが続いている。

華と瑛斗は今年異動になったが、本社内での異動だったため、変わらず4人の仲は続いている。


「私は知らないなあ」


華が首を傾げる。

華の向かいにいる春樹も首を横に振る。


「俺も知らない。

今年の異動で本社に来たやつだろ」


春樹の言葉に染里は頷く。

それもそのはずだ。

本社勤務の同期は10人程度だが、数ヶ月に一回ほどのペースで飲み会を開いている。

全員参加はほとんどないが、それでも常に7、8人は集まるし、一回も顔を出していない人はいない。

異動があるとその前後で歓送迎会が開かれる。

送迎会は3月にやったが、新しく来た人間の歓迎会は5月半ば現在もまだ開かれていない。

異動になった人が仕事やそこでの人間関係に慣れるまでの間は、と毎年5月下旬から6月半ば辺りに開かれる。

今年はちょっと遅いようで、6月の第二金曜日に予定されていた。


「俺知ってるわ。

新採研修の時と変わってないなら、巻き髪のちょい派手メイクの子だろ」

「さすがタラシ」

「タラシじゃねえ!」

「新採研修なんて4年も前の話でしょ。

たかだか1ヶ月の間に何人引っかけたのよ」

「人聞き悪いこと言うなっ。ひっかけてねえよ!」

「手当たり次第に声かけてたのはどこの誰よ!」

「手当たり次第じゃねえ!人脈広げてただけたろーが!」

「ハイハイ、2人とも落ち着いて。

瑛斗も染里も暑苦しいから熱くならないで。

それでその高森さんがどうしたの?」


ちゃっかり毒を吐きながら春樹が促すと、瑛斗はビールに口を付け、染里はむうっと唇を尖らす。

不完全燃焼な言い合いだが、また騒ぐと今度は春樹の冷たい視線ともっとキツい毒舌が飛び出すので、黙らざるをえない。


「春ちゃんの言ったとおり今年から本社に来たんだけど、まあようは小悪魔系なのよ。派手な見た目とちょっとぶった態度だけど、仕事はちゃんとこなす子よ」

「染里が嫌いそうなタイプだな」


春樹の言葉に思わず苦笑いが零れる。


「あたしが嫌いなのは、身を着飾ることと男に媚びることしか頭にない女よ。

高森さんには積極的に関わろうとは思わないけど、同僚としている分には何とも思わなかったのよ」


過去形の言葉にようやく本題と、華と春樹は耳を傾ける。

向かいの奴は相変わらず食べたり飲んだり好き勝手で話を聞いているのかもわからない。


「高森さんのどんぴしゃタイプがうちの先輩にいて、あたしの指導係だったの。

だから、その先輩とあたしは課の中でも仲いい方だし、二人で飲みに行ったりもしてた。

だからあたしが邪魔だったんだと思う」


喉を潤すためにジョッキを傾ける。

ビールはすでに温くなっていた。


「異動して1ヶ月ちょいなのに、すごい行動力よ!

隣の課の勘違い野郎にわたしがそいつに好意持ってるみたいなこと吹き込んで、フロアの人が大勢いる前でデートに誘わせて、断れないような状況作られたの」

「すげえ」


春樹が半ば感心した声で呟く。


「すごくないわよ!

勘違い野郎に勘違いされて、あたしがどれだけ苦労してると思ってんの!?

自分から誘っておいてデートはノープランだし、エスコートもできないし、挙げ句の果てにホテルに連れ込まれかけるし!」

「大丈夫だったの……?」


華が心配そうに染里を伺う。


「ていちょーにお断りしたわよ」

「どうせ殴ったんだろ」


棒読みな染里の言葉に、瑛斗がふんっと鼻で笑う。


「……」

「ほらな」


社会人になってから抑えるようにしているが、気の短い染里は、割とすぐに手が出る。


「ちょっとヒールで足踏んづけて逃げただけよ」

「それなのに付きまとわれてると?」


デートしたのは二週間前の話だ。

痛めつけて逃げたにも関わらず、勘違い野郎は照れたと勘違いして、未だ染里に付きまとっている。

その行動の数々を愚痴って、冒頭の台詞となったのである。


「そうよ。ちゃんと断ったのよ?

それでも付きまとってくるし、周りは高森さんに乗せられて騒ぎ立てるし、それにさらに図に乗っちゃうし……」


溜め息しかでてこない。

甘いカクテルを注文して、その合間に温くなったビールを流し込む。

温いビールはおいしくなくて顔をしかめる。

大学生の頃はこの苦さが苦手で、社会人になって2年経つ頃にようやく慣れて、去年あたりから好きになり始めた。

それが今はこの苦さが辛い。

心を甘やかすようなカクテルに目が行く。


「1ヶ月くらい断り続ければ、諦めるんじゃねえの」


適当な口調に染里は目の前の瑛斗を睨み付ける。


「あと2週間も耐えろって?しかも耐えた後に諦めなかったらどうしてくれんの?」

「えーとくん適当なこと言わないで!」


華が一緒に怒ってくれる。

見た目も中身もかわいらしい華は昔からストーカー紛いの行為によくあったらしい。

男に付きまとわれる恐怖をよく知っている。

染里は恐怖を感じれば、怯えよりも怒りを前面に出して恐怖を隠す。

性格的な問題だが、今も実はかなり例の男に恐怖を感じている。

この前はなんとか逃げ出せたが、男が本気を出せば力で叶わないことなど百も承知だ。

その恐怖を払拭しようと怒り混じりの愚痴を吐き出すことでどうにか恐怖に耐えようとしているのだ。

怯えを見せて男に相談なんてかわいい真似は、染里の性格にも見た目にも合っていないことは自分がよくわかっている。


「諦めさせる方法あるけど」


春樹の言葉に染里と華はばっと注目する。


「「なに!?」」

「……彼氏作る、とか」

「春ちゃん……それはこの4年、オトコがいないあたしへの嫌がらせかーー!」


続けられた言葉に染里は思わず叫ぶ。

そんな簡単にできたら苦労しない。

社会人になってから彼氏がいたことはない。

それはあまり積極的に作ろうとしてなかったこともあるし、黙っていてオトコが寄ってくるような見た目・性格でもない。


「いや、ほんとに作らなくてもいいんだよ。

彼氏がいるっていうことをほのめかすだけで」

「そんな虚しいことできるかっ!いないってバレた時の職場での気まずさとか、居たたまれなさとか!!」

「じゃあ彼氏のフリをしてもらえばいいじゃん」

「誰にっ!」

「瑛斗に」

「「は?」」


二人の声が重なった。

いきなり話を振られた瑛斗は箸の動きを止めて、春樹を見る。


「だから、瑛斗に彼氏のフリお願いしたら?

前から二人が仲いいのを知ってる人は知ってるし、実は付き合ってましたーとか、段々進展して付き合い始めましたーとか」

「そ、そんなことできるわけないでしょ!」

「別にそのいざこざが終わってしばらくしたら、やっぱり付き合うのはちょっと違ったんで、友達に戻ります、で済ませれば大丈夫じゃない?

瑛斗も今フリーなんだし。

染里がアプローチしてる人とかいないなら問題ないでしょ」


タラシ、と染里が称す瑛斗は3月に相手が異動で遠方に行った関係で別れたらしい。

その前は指導した後輩と付き合っていたし、その前は別の会社の人間だった。

入社当時は大学の同級生と続いていたはずだ。

染里が知っているだけで4人だが、もっといるかもしれない。

そして喧嘩友達とでもいうべき瑛斗とフリで付き合う、その発想に染里は固まってしまった。

あまりに予想外の展開というか。


「いいんじゃね。

おれは別にかまわないけど」

「私もいいと思うよ!えーとくんなら染ちゃんを任せられるし」


まさかの当人と親友の同意に染里は無意味に焦る。


「え、いや、あの、でも……」

「染ちゃん好きな人いるの?」


華にうるうるとした目で見られて、染里はうっと詰まる。

同性でもかまわず魅了するこの可愛さが欲しかった、なんて現実逃避。


「……いません」

「じゃあけってーだね!」


にこやかに微笑む華に、染里はがくりとうなだれた。



じゃあそういうことで、なんて言葉と共に店の前で春樹と華とは別れた。

そういうことでって何、と言う前にいっしょにいた男が歩き出した。


「ほら行くぞ」

「彼氏面しないで」

「彼氏だろ」

「……」


なんでこんなことに……染里は泣きたくなる気持ちを抑えて、瑛斗の横に並んで歩き出した。

隣との距離を意識してしまう。

今までもこのくらいの距離で歩いていただろうか?

近い?遠い?いつもどおり?

友達としていつもどおりは、恋人としては遠い?

いつもならポンポン続く会話も、今日は何も思いつかない。

フリだけフリだけなのに、無駄に意識してはダメだ、と自分に言い聞かせるほど緊張が高まってしまう。

そのとき、とんっと肩がぶつかる。


「悪い」


横を見れば、歩道すれすれに走る車を避けようとして瑛斗が染里の方に寄ったらしい。

ぶつかって、もとの距離感に戻ったと思った。

そのはずなのに、時々染里の肩が瑛斗の腕に触れる。

手の指同士が触れる。

かあっと上がる体温に気付かれまいと顔を俯かせ気味に歩く。

暑いのはあれだ、お酒を飲んだからーーだったらよかったのに。

染里はきゅっと下唇を噛む。

酒には滅法強い方だ。

たかだか2時間飲み放題で飲み続けたくらいでは素面とさして変わらない。

体温が上昇するのは、瑛斗と触れるからだ。

瑛斗が嘘でも彼氏なんて立ち位置になったからだ。


染里はずっと瑛斗のことが好きだった。

研修で気が合って、よく話して、気付けば好きになっていた。

当時瑛斗には彼女がいたし、染里と瑛斗は言い合いばかりしている。

それに華と春樹と4人の仲を崩したくはない。

瑛斗に振られたら、気まずくてもう4人で飲みに行ったり、遊んだりなんてできはしない。

そう思うと瑛斗に告白する気は起きなかったし、だからと言って他に彼氏を作る気分にもならなかった。

それがなぜか偽彼氏だ。

どうしたらいいのか、染里にはわからなかった。

距離感が掴めず、離れることも近づくこともできずにそのまま歩いた。

ただひどく熱を持つ肩が時折触れるーー。

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