プロローグ:おのれ水晶、空気をお読みなさい
「――アルベール・フォン・アッシェン! 前へ!」
厳かな声が、王立魔導学院の大礼拝堂に響き渡る。壇上に据えられたのは、大の大人が両手で抱えるほど巨大な魔力測定の魔水晶。
今日この日は、15歳になった貴族の令息令嬢が集う『成人の儀』。
そして、これから通う学院でのクラス分けを決める運命の測定会だ。
(よし、完璧なシミュレーション通りにいこう)
俺――アルベールは、周囲の並み居る名門貴族の少年たちに紛れ、地味な足取りで壇上へ向かう。
前世の俺は、現代日本で馬車馬のように働かされた末、20代後半で過労死したシステムエンジニアだった。
神様のバグか気まぐれか、異世界の男爵家の三男坊として生まれ変わった。
家督を継ぐ必要はない。
実家は地方の、裕福でも貧乏でもない「ちょうどいい」田舎貴族。
二度目の人生、俺の目標はただ一つ。『絶対に働かない。成人したら適当な領地か仕送りをもらって、定時で寝て定時で起きる、平穏無事な隠居スローライフを送る』そのためには、この学院で目立ってはいけない。成績は常に真ん中。
交友関係も浅く広く。
特待生クラスなんかに選ばれたら、将来は宮廷魔導師や騎士団に就職させられ、前世以上のブラック労働が確定してしまう。
(アッシェン男爵家の平均魔力量は、数値にしておよそ『30』……。なら、俺は少し見栄を張って『35』くらいで出力を止めればいいな)
この15年間、前世の脳をフル活用して「魔力の精密コントロール」だけは徹底的に仕込んできた。
蛇口をほんの数ミリだけひねるように、体内の魔力を極限まで抑え込む。
「では、水晶に手を」
白髪の測定官に促され、俺は緊張を悟られないよう、至って普通の少年らしい笑みを浮かべて水晶に右手を触れた。
すっと、指先から魔力を注ぐ。
イメージは、コップに注ぐ一杯の水。
あるいは、そよ風。
ピキッ。
「……ん?」
静まり返った礼拝堂に、妙に硬質な音が響いた。
手元の水晶を見ると、中心部に小さな亀裂が入っている。
おかしい。
俺は確かに、アッシェン家の平均値である『35』の魔力しか流していない。
出力は完璧に制御したはずだ。
だが、俺が忘れていた、いや、気づいていなかった重大な事実があった。
俺がこの15年間、隠居生活のためにと血の滲むような思いで鍛え上げた『魔力の精密コントロール』。
それは、魔法のロス(無駄)を究極のゼロにする技術――すなわち、「魔力効率がバグレベルで世界1位」という、とんでもないチート才能だったのだ。
普通の人間が『35』の魔力を流すと、大半が周囲の空気に霧散し、水晶に伝わるのは『3』か『4』程度になる。
しかし、俺の『35』は、100%純度を保ったまま、レーザービームのように水晶の芯を撃ち抜いてしまった。
ピキピキピキピキッ!!!
「な、なんだ!? 水晶の輝きが……!」測定官が目を見開く。
「おい、見ろよ! 光が青から、金に変色していくぞ!」
「アッシェン男爵家って、あの田舎の……!?」
ざわめきが波のように広がっていく。
やめてくれ。俺の平穏が死ぬ。
俺は慌てて、さらに魔力の蛇口を閉めようとした。
しかし、焦ったせいで一瞬だけ、本当に一瞬だけ指先に力が入ってしまった。
直後。
――ドオォォォォン!!!
鼓膜を揺らす爆音と共に、樹齢数百年の大木ほどもある魔水晶が、粉々の光の粒子となって爆散した。
吹き荒れる魔力の突風が、礼拝堂のステンドグラスをガタガタと鳴らす。
静寂。
誰もが呼吸を忘れ、口を半開きにしたまま、壇上の俺を見つめていた。
粉々になった台座の前に、一人ポツンと立つ俺。
隣では、測定官が完全に腰を抜かして床にへたり込んでいる。
「しん……神話級……。かつての英雄王すら遥かに凌駕する、測定不能の魔力です……ッ!!」
測定官の震える叫びが、静寂を切り裂いた。
客席の最前列では、視察に来ていたこの国の第一王女殿下が、身を乗り出して爛々と目を輝かせている。
(終わった……。俺の、俺ののんびりニート計画が……)
こうして、平凡を愛し、平穏を貪りたかった俺の二周目の人生は、自身の自覚なき「才能」によって、初手から木っ端微塵に打ち砕かれたのだった。




