ACT-85『なんか疑われてる……』
「夕べ渋谷に居たってことは、あの事件は見てるか?」
「直接は見てないけど、えらい事になってるのは見ましたね」
「この世界に来て、化け物を見たことはあったよな」
「ええ、はい。
この世界、いったいどうなってんのかなって」
「ああ、その化け物なんだが」
信号待ちで車が停まる。
その間を突くように、北条は真剣な表情で卓也の方を向いた。
「あの化け物達が、元々は人間だったと言ったらどう思う?」
「……は?」
突拍子もない一言に、卓也の思考が一瞬停止した。
「どういうことっすか?
元は人間って?」
「聞いたまんまの意味だよ。
あいつらは“XENO”っていう、正しくは人間を捕食する未知の生命体だ」
「ほ、捕食?!
捕食って、人間を食うってこと?!」
「そうだ。
奴らは食った生物の生体情報を吸収し、擬態して成りすます事が出来る。
見た目だけじゃなくて、記憶や声や喋り方の特徴とかも、すべてな。
だから“元・人間”と言っても支障はない感じだ」
「うげ……」
青ざめる卓也をよそに、淡々と語る北条。
衝撃的で突拍子もない内容なのに、彼はまるでごく普通の一般知識であるかのように話し続ける。
「人間に擬態したXENOを見分けることは不可能だ」
「ってことは、普段は人間の姿なのに、人を襲う時に正体を現すって感じっすか?」
「勘が良いな、そういうことだ。
だから、人が多い街中でも突然出現する。
この前の渋谷や新宿の件も、恐らくはそんなパターンだ」
「うげぇ……」
■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■
ACT-85『なんか疑われてる……』
(そんなとんでもない化け物が、何処に潜んでるかわからない世界ってことか?
ヤバイどころの騒ぎじゃ済まないじゃんか……!)
青ざめながら、卓也は一刻も早くこの世界から脱出しなければと考え始める。
だが、
「それはそれとして、北条さんの用事ってなんです?」
肝心な要件について、自分から触れて行く。
早く帰ってその話を澪や老け卓也にもしなければならないからだ。
北条は、サングラスを指で直しながらゆっくりと語り出す。
「君達は、土曜日にはこの世界を出て行くつもりなのか?」
「え、ああはい。一応そのつもりです」
「だったら、これを渡しておく。
餞別みたいなもんだ」
北条がそう呟くと、助手席のコンパネの一部が開き、中から小さな四角い箱のようなものが出て来た。
よく見ると、それは古いタイプの携帯電話――所謂“ガラケー”のようだ。
「これ、ガラケーですか?」
「形はそうだが、実際は多目的ツール。
――そうだな、てっとり早く言うと“レーザーガン”みたいなもんだ」
「れ、レーザーガン?!
あの、SFに出て来るような?」
「そう、それだ。
それを君にあげるから、護身用として持ち続けるといい」
「えぇ……」
北条の説明によると、それは昔試作されたものの諸事情で実用が見送られ、長年眠り続けていたものらしい。
普段はコンパクトタイプの携帯電話だが、緊急時には変型し、液晶画面を照準器にして銃撃が可能となる。
北条は卓也の指紋と声紋を登録する方法を伝え、それを実施させた。
「これ、もしかして持っているとヤバイんじゃ……銃刀法違反とか何とかで」
「そうならない為の変型だね。
ただ、レーザーガンモードは本当の緊急時にしか使わない方がいいだろう」
「は、はあ。
でも、なんでこんな物騒なものを俺に?」
信号待ちで、車が停まる。
横断歩道を行き来する人の流れを見つめながら、北条は思い切ったように呟き出した。
「君のパートナーの、澪さんのことだが」
「ええ、はい」
「もしかしたら、人間ではないかもしれない」
「そうですよ? あいつは元々“ロイエ”っていう人造人間みたいなもんだから」
「え?!」
驚く北条に、卓也は澪の、ロイエとしての秘密を打ち明けた。
何故彼が女性のような姿なのか、どういう目的で生み出されたのかなど。
北条は目を剥き、とても信じられないという顔つきだったが、
「いや、でも……そうか、そういう世界から来た存在と考えれば納得出来なくもないか。
だけど、肉体は人間そのものなんだろう? ロボットやアンドロイドとかじゃなくて」
「それはまあ」
「だったら、彼も既に“捕食”されている可能性があるわけだな」
「はぇ?!」
「ぬわにぃ?! ピンクちゃんが二位だとぉ?!
嘘だろこれ、ふざけてんのか!」
突然大声で叫び出す老け卓也に驚き、澪は思わず皿を落しそうになった。
「ちょっとぉ! 脅かさないでよぉ!」
「だ、だってさぁ! これ見てくれよ」
「ん? なになに?
――何なのよ、この投票サイトみたいなの」
「これは有志が作成した、コスプレ集団の人気投票でな」
「へぇ、こんなのがあるのね。
――ああ、このピンク色があの子ね。
一位が……へぇ、あのグリーンの娘か」
澪は、あの豊満な胸のポニーテール娘の姿を思い返し、自分の胸を無意識に撫でてみる。
「おかしいだろこれどう見ても!
絶対ピンクちゃんの方が」
「よくわからないけど、ボクもそれには賛成ね。
あの子、とってもいい子だったもの」
「そうなのか?! やっぱりなぁ!」
澪の何気ない一言に、老け卓也が興奮気味に反応する。
「そうよ? 凄く物腰が丁寧で、必ず敬語で話すの。
ボクもあの子に助けて貰ったんだけど、まさに命の恩人だわ」
「そうなのかぁ~! いやぁ、やっぱりピンクちゃんは最高だな!
……ところで、助けられたって?」
「ああ、ボクね、瓦礫の下に――」
と、そこまで話してはたと言葉が止まる。
そういえば、瓦礫に閉じ込められるまでの記憶が、ない。
何か強い衝撃を受けたような記憶が僅かに残ってはいるのだが。
澪は、またも無意識に自分の後ろ頭を撫でてみた。
「なんだか運よく隙間に潜り込めたみたいで」
「そうなんかぁ、運が良かったんだな」
「そうなのよ! でもあの子が見つけてくれなかったら、もしかしたらまだ渋谷ぱるるの中にいたかもね」
「新崎は?」
「――え?」
「結局、あいつってどうなったの?」
「えっと……」
指摘されて、ようやく顔が青ざめる。
未央が発見されたという情報は、いまだ彼の許へは届いていない。
それに、何故か未央に対する心配や不安の気持ちが途切れがちだ。
本当なら、真っ先に確認を取るべきなのに。
(やだ、ボクなんて薄情者なんだろう……)
澪は急いで電話に飛びつくと、前に教えられた未央の電話番号に掛け始める。
十回ほど鳴った後、コールが途切れる。
緊張が迸る。
「あ、あの……未央?」
『澪さんですか?!』
「ああ! 良かった! 未央ね、未央なのね?!」
『澪さぁん! ご無事だったんですね!
良かったぁ、ほっとしましたよ!』
「ボクもよ!
もう、無事なら連絡の一つくらい頂戴よぉ~」
『す、すみません! 仕事があったもので、つい』
「仕事? あなた、今出社してるの?」
『はい!』
どうやら未央は特段問題がなかったらしく、普通に仕事に就いているようだ。
安心はしたが、胸中に大きな疑問が残る。
「ねぇ未央? あなた、あの状況からどうやって脱出出来たの?」
『え』
「ボクは、アンナローグに助けてもらってやっと出て来れたのよ。
あなたも、ボクと同じように瓦礫に閉じ込められたんじゃなかったの?」
『あ、そ、それは……』
「それに、彼女もあなたの姿を確認出来ていなかったわ。
いったい何が――」
『す、すみません! ちょっと仕事が入っちゃったので、失礼しますね!』
プツッ、と音がして通話が途切れる。
まるで、何かを隠しているかのような態度。
澪は、小首を傾げながらキッチンに戻ろうとした。
「アンナローグって誰のことだ?!」
突然、老け卓也が必死の形相で飛び出してくる。
「きゃっ! な、何よ脅かさないで!」
「アンナローグって、さっきも言ってたよな?
そりゃあ誰なんだ?
まさか、ピンクちゃんの名前か?」
「あ、え、えっと、そのぉ……」
ピンクの少女はローグ、赤い女性はブレイザー。
二人が会話する場に居合わせていた澪は、それが彼女達の名前だと判断していたのだが……
(あれ? そういえば、なんでそういう名前だって認識してたんだろ?)
「よ、よくわかんないけど、そんなことを言ってたような~って気がしてて。あはは」
「でかした澪! そうかぁ、あの娘の名前は“アンナローグ”っていうのか!
んで、何かのアニメかマンガのキャラか?」
「え? どゆこと?」
「だからさぁ、その名前の元ネタっていうか」
「あ? ああ……(そういう解釈をしたのね)」
「早速ネットに拡散しなければ!」
「ああっと! ちょっと待ってよ卓也さん!」
アンナの名前は絶対に秘密、漏洩してはならないというのが北条との約束だ。
澪は、咄嗟に老け卓也を止めたものの、どう誤魔化そうかと必死で脳のクロック数を上げた。
「聞き間違いかもしれないし、はっきりわかるまで拡散しない方がいいわよ」
「だってお前が直接聞いたんだろ?」
「そうだけど、救助活動でドタバタしてた時だもん。
未央との間ではこれで通じるけど、拡散する程確かな情報じゃないわ」
「ぐぬぬ」
「下手にウソネーム広めちゃったら、後で何言われるかわからないわよ」
「ぬぬぅ、確かに」
「だから今は普段通りのピンクちゃんでいいんじゃない?」
「そうかな、そうかも」
どうやら納得したようで、スゴスゴと引き下がる。
そんな彼の後ろ姿を見て、澪はふぅと胸を撫で下ろした。
(それにしても、未央どうしたんだろう?
なんだか様子がおかしかったみたいだけど)
仕事が終わっただろう時間を見計らい、後でもう一度電話してみようと考えると、澪はお茶の用意をするためにキッチンへ向かった。
「みみみ、澪がそ、その……XENOに?!」
掴みかかるような勢いで迫る卓也を抑えながらも、北条は冷静な態度を崩さずに話を続ける。
「落ち着け、もしもの話だ。
もし仮にそうだとしたら、君は今頃彼の餌食になってる可能性もあるんじゃないか?」
「そうかな、そうかも」
「だが、可能性は捨て切れない。
何故なら――」
そう言いながら、卓也の胸元を掴む。
一瞬ギョッとするも、北条は首元で光るネックレスを指差すだけだった。
「澪さんのこれが紛失しているからだ」
「これが?」
「そうだ。
そのパーソナルユニットは、装着している人間の身体情報を絶えず記録している。
それは、前に話したな?」
「え、ええ」
「だがもし、それを身に着けている最中にXENOに襲われてしまったら、必ずその情報が伝わる筈なんだ」
「あんたもしや、俺達がそのXENOって奴にならないかを観察するために、これを?」
卓也の言葉に、北条は無言で頷きを返す。
「だが澪さんは、身体状態が平常であるうちにパーソナルユニットを身体から外した。
恐らく、渋谷ぱるるのドタバタで偶然外れたんだろうが」
「だったら、もう一度新しいパーソナルユニットを装着させればいいんじゃないのか?!」
卓也の怒気を含んだ言葉に、北条は首を振る。
「さっきも言っただろう。
擬態したXENOは、正体を見抜けない。
それはパーソナルユニットでも同じことだ」
「じゃあ……」
「まだ澪さんがXENOだと限った訳じゃない。
だが、もしもの時が来たら――」
北条は、卓也の膝の上に置かれたガラケーを指差す。
「そのための、護身用武器ってことっすか?」
「そうだ。
使わないに越したことはないが、念の為持っていけ。
澪さんの件でなくても、この先の世界できっと何かの役に立つはずだ」
「え、ええ……」
「使い方を教える」
北条は、自動操縦で車を動かしながらガラケー型武器の説明を始める。
――その武器の名前は「フォトン・ディスチャージャー」と呼ぶそうだ。
「なぁ、新崎? 今日この後空いてる?」
定時になり帰り支度を始めている未央に、先輩社員が声を掛けて来る。
普段殆ど話すこともなく、仕事絡みの会話も最小限しかしない相手だ。
「僕ですか? はい、空いてますけど」
「そうか、ちょっといい店知ってるんだけど、良かったら一杯飲みに行かないか?
勿論奢るからさ」
「本当ですか? 嬉しい♪」
「そうか! じゃあ――」
そこに、更に二人程別な男性社員が割り込んで来る。
「ちょっと田島さん、抜け駆けはなしですよ!」
「新崎さん、良かったら食事に行かない? ご馳走するからさ」
「いやいやいやいや! ここは同じ班の俺でしょ!
新崎ぃ、大事な話があるんだけど、この後ちょっと俺と一緒に」
「途中からr割り込んどいて、何図々しく誘ってんだお前らぁ!!」
「何言ってんすか、田島さんだって!」
醜い男同士の争いが始まり、周囲の者達がキョトンとする。
よく見ると、順番待ちのつもりなのか、彼らの背後にあと三人ほど並んでいる。
その様子を見た未央は、クスッと微笑んで目の前の三人を見上げた。
意味深そうな、上目遣いで。
「わかりました。
じゃあ三人とも、全員で」
「ええ?!」
「ま、マジで?」
「どういうこと?!」
「最初は田島先輩と、その後に三田内さん、最後に二本柳さんの順番でどうでしょう?
僕なら時間はいくらでもありますので、皆さんさえ宜しければ大丈夫ですよ」
「う、うう……」
三人は小声で相談し、未央の提案に乗る事にしたようだ。
一番最初に声をかけた田島という男性社員は、大喜びで未央と共に部屋を退出していった。
「じゃあなぁ♪ お疲れぇ!」
「お疲れ様でしたぁ」
「おい見たかアレ」
「ああ、見た」
「腰に手ぇ当ててたな。あのオッサンホモだったのかよ」
「そういうお前はどうなんだよ?」
「おおお、俺は違うぞ! そういうよこしまな気持ちじゃなくてだな」
「しかし、新崎の奴、突然どうなっちまったんだろ?」
「わからん……わからんけど、あんなに美人で色っぽいとは思わなかった」
「神代の奴も、出社して来ればいいのが見られたのになぁ」
二人が出て行く様子を窺いながら、好き勝手な事をほざく男性社員達。
その目、その表情は、もう完全に未央に魅了されている者のそれだ。
いつまでも未央の席の近くに立ち尽くす男達に向かって、女性社員達はわざとらしく咳ばらいを連発した。
だが、次の出社日の月曜日。
田島をはじめ、未央に声をかけた男達は、誰一人として会社に姿を見せることはなかった。
――永遠に。