ACT-82『どこ行っちゃったんですか?』
二人の上に、無数の瓦礫が降り注ぐ。
一階の天井が、崩れ始めたのだ。
建物が斜めに倒れて行くような感覚の中、澪と未央は、とてつもない量の粉塵で一瞬にして視界を奪われる。
次々に降り注ぐコンクリートの破片は、容赦なく二人に襲い掛かる。
まるで巨大な地震が発生したかのように、渋谷ぱるる全体が揺れた。
植物の膨張がトリガーとなり、渋谷ぱるるの二階と三階に渡る吹き抜けのバルコニーが崩壊、これが更に連鎖を引き起こし、建物全体が前のめりになるように崩れたのだ。
無論、その崩壊の影響はは外部にも及ぶ。
幸い、建物全体が崩れたわけではなかったが、前面部は原型を留めていない。
大量の粉塵と瓦礫は容赦なく野次馬や警官達に襲い掛かったが、現場隔離がぎりぎり間に合ったようで、瓦礫の下敷きになった者はいなかった。
――建物の外に、は。
■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■
ACT-82『どこ行っちゃったんですか?』
「うっそぉ! マジかよ!!」
信じられないほどあっさりと瓦解した渋谷ぱるるの光景を、離れたところで目の当たりにした老け卓也は、大慌てでスマホを手に取った。
「もしもし! もしもし! 卓也か?!
えらいことになったぞ?!」
通話相手は、卓也。
状況が判っていない彼は、不思議そうな声で尋ねて来る。
『いったい何があったんだ?』
「渋谷ぱるるが崩れた! スゲー粉塵だぁ!」
『えっ!? なんでだ?』
「わからんが、とにかく渋谷ハチ公口!
来いよ、コスプレ集団も居てスゲーことになってるから!」
『お、おう。
つか、今向かってるとこだけど……ひ、人が凄くて』
「このとんでもない人混みじゃあ、合流はちと無理だな!
卓也、別々に行動して別々に帰還しようぜ」
『え、ちょ?!
じゃあ俺、いったい何しに来たってなるやん!』
「知らん! じゃあな!」
『ま、待っ――』
通話を一方的に切ると、老け卓也はもう一度渋谷ぱるるの方を眺め、それから再度スマホに注目した。
「くっそぉ、コスプレ集団のアカウントってどれだよ?!
取るに足らねぇどーでもいいレイヤーの垢しか見つからんねーぞ?!」
“お客様に連絡をお詫びを申し上げます。
先程入りました情報によりますと、渋谷駅付近にてテロ行為と思われるトラブルが発生しております。
その影響を受け、本車両を含むJR全線は、急遽運転を見合わせる事となりました。
お急ぎの所誠に申し訳ありませんが、本車両は一つ前の原宿駅にて運転の見合わせを――”
(て、テロ?! おいおいおいおい!)
JR山手線内。
車内に響き渡るアナウンスに、乗客達が一斉にどよめき始める。
ここまでも異常な鈍足運行だった事もあり、中には声を荒げている者達もいる。
先のSNS情報の件で、ただでさえ満員レベルマックスになっている車内だ。
端っこに押しやられている卓也もかなりきつかったが、恐らく全員が同じ気持ちだろう。
(まいったなぁ、これじゃあ原宿で降りた方が賢明か?
そこから渋谷まで……歩いてどんくらいだったかな?)
渋谷に向かったことまではわかるにしても、具体的な行先は聞いていない。
卓也は、澪のことがとても心配で堪らなかった。
同時に、嫌な予感もひしひしと感じられている。
(うろ覚えだけど……澪の奴、確か“服買いに行く”って言ってたんだよな。
渋谷ぱるるって、これ思っきしファッションビルじゃん!
おいおい、嫌な予感どころじゃ済まないぞこれは)
それから五分弱程度で、電車は原宿駅に停車した。
同じようなことを考えた者がいるのか、卓也だけでなく、大勢の客がホームに降りて改札に殺到する。
またしても人混みに圧される事必至の状況に、卓也は溜息を一つ吐くと覚悟を決めた。
その頃、渋谷ぱるるの一階フロア従業員用バックヤードでは、奇怪な出来事が起きていた。
「うがあぁぁぁ……!!」
先程、何処からともなく飛んできた物に顔を撃たれた男は、大量の血を流してもがき出す。
彼の顔に当たったのは、“黒カビ”。
元々は、天井に設置された監視カメラのレンズ部を覆っていたもの。
その塊がまるで弾丸のように撃ち込まれ、彼の顔にめり込んだのだ。
と同時に、増殖を開始する。
あっという間に男の頭を覆い包んだ黒カビは、まるで粘性のある液体のように床に拡がり始める。
その中に佇む少女の身体にも、異変が起き始めた。
結んだ髪の毛が解かれ、信じ難い早さで伸び始める。
そして身体も僅かに膨張し、衣服が破れ全裸になる。
すろと、隔壁の隙間から入り込んだのだろうか、植物の蔓が無数に彼女の周囲に集まり、捻じれ、絡み合い、まるで巨大な樹木のように変貌した。
その中腹に、まるで椅子にでも腰かけるように少女が座る。
いつしか彼女の肌の色は鮮やかな緑色に変色し、その目は白色に爛々と輝くものへと変化した。
美しくも不気味、そして得体の知れない恐怖。
植物の魔物と変貌した少女は、瞳のない目で、バックヤードの奥深くに身を寄せる避難者達を見つめた。
“助けなさいよ”
「え?」
「な、なんだって……?」
“そこの男、苦しそうにしてるじゃない。
あんた達、助けてあげなさいよ”
「……」
「……」
“あんた達も、同類なのね。
すぐ傍に助けを求めている人がいるのに、手を差し伸べようともしない。
自分勝手で、愚かな連中”
「……わ、私……」
元・少女だった化け物に煽られてか、一人の女性が名乗り出て床に倒れる男に近付こうとする。
化け物は、その様子を観ながらも、何もしようとしない。
「あ、あの、大丈夫ですか……きゃあっ?!」
男に近付こうとした途端、床一面に拡がった黒カビが、まるで意志を得たかのように持ち上がる。
驚いた女性は、何の抵抗をする余地もなく、一瞬で黒カビに全身を覆い尽くされてしまった。
「……!! ……!!」
バキバキ、メキッ、という嫌な音が鳴り響き、明らかに女性の形状がありえないものへと変わって行く。
化け物は、愉快そうな表情でその様子を見つめていた。
“ほぉら、次は誰が助けに行くの?
助けに行かないなら、私が直接殺しちゃうよ?”
クスクスと意地悪そうに微笑みながら、挑発する。
怯えて身を寄せあう避難者達と、とうとう全く動かなくなった男性、そして女性。
その様子を、解放された監視カメラが捉え続けていた。
一階バックヤードに繋がっている、大型の通風孔。
その中を、黒いメイド服をまとった少女が匍匐前進していた。
「こちらアンナチェイサー。
地下迷宮、応答を」
『こちら地下迷宮。
ご無事ですか、チェイサー?』
移動しながらの通信に、オペレーターが応える。
アンナチェイサーと呼ばれた黒いメイド服の少女は、険しい顔つきのまま連絡を続ける。
「現在、渋谷ぱるるに潜入中。こちらは問題ない。
蛭田勇次に繋いでくれ」
『承知しました』
しばらく後、男性の声が聞こえて来る。
アンナチェイサーは、現在位置の情報と、自身の能力で収集した監視カメラの映像データを送信し始めた。
「XENOの本体を補足した」
『なんだと?! 今何処にいる?!』
「ここだ。
一階のバックヤード」
『これが――ドライアードの本体か!』
送信されたデータを参照したのか、驚きの声が届く。
“ドライアード”とは、今回の事件への対応に対し、彼女達のグループで設定された呼称である。
そのドライアードがカメラに意識を向けた事に気付くと、アンナチェイサーは軽く舌打ちをした。
「通信、終わり!」
向こうの反応を待たずに切断すると、アンナチェイサーは器用に身体を浮かせると、狭い通風孔の中をまるでロケットの様に突き進んだ。
くねくねと曲がりくねった管の中を器用に通り抜け、やがて見えて来るフィルターを突き破る。
ガシャアン! という派手な音を立てながら、アンナチェイサーはバックヤードに飛び降りた。
「ぬ?!」
想像を越える、悍ましい光景に一瞬意識を奪われる。
禍々しいまでに増殖した蔓と、それが降りなす緑の地獄。
避難者達を蔓で捉え、今にも捕食してしまいそうなその光景を見て、アンナチェイサーはどこからともなく刀を取り出した。
「ブラックブレード!!」
ドライアードがこちらに意識を向けるよりも早く、アンナチェイサーは勢い良く飛び掛かった。
渋谷ぱるるが崩れる直前、階段スペースまで戻ろうとしていた澪と未央は、突然現れた“植物の化け物”の追われるように、隔壁の向こう側へ飛び込んでいた。
隔壁をこじ開け、更に追跡しようとする化け物を振り切るように、階段を昇り始める二人。
その瞬間に、建物の崩壊が始まったのだ。
二人は、階段ごと一階に落下し、更に上から重なるように落ちて来る階段の下敷きになってしまった。
ガン! という鈍い音と強烈な振動が頭に襲い掛かり、一瞬で意識が飛ぶ。
次々に崩れ落ちて来る瓦礫の中、二人の身体は深く埋もれてしまった。
そんな倒壊したスペースの中、暗黒の空間に一人の男のビジョンが現れた。
今まで何処にも居なかった筈なのに現れたその男は、足首まである長いマントを身に着け、肩には装甲と装飾をまとっている。
お世辞にも渋谷を、否、日本国内を歩くような恰好ではない。
落下して来た階段がたまたま重なったのか、いくつか微妙な空間が出来ているのだが、そのマント姿の男はその一つに佇んでいた。
片手には、白いカプセルのようなものが握られている。
「フッ、おあつらえ向きだな」
瓦礫の下敷きになった者。
それを見下すような冷たい視線を投げかける。
「俺が目を付けた逸材よ、お前の抱くどす黒い欲望を叶えるが良い。
その為の、新たな力を授け――うん?」
マント男の手が、止まる。
瓦礫の隙間から覗いている、二人の姿。
着ている衣服こそ異なるものの、どちらも長い黒髪に美しい顔立ち、そして瓜二つ。
粉塵や血で汚れてしまってはいるが、あまりにもそっくりな二人の姿を見て、マント男は激しく狼狽した。
「な、なんだ? どっちだ?
同じ顔じゃないか! どうしてこんな瓜二つな奴がこんな傍に居るんだ?!
他人の空似? いや、双子なのか……?」
やがて、男は人差し指を行ったり来たりさせ始める。
しかしばかばかしくなってきたのか、それも途中で止めてしまった。
「う、う~む……五十パーセントの確率か。
まぁ、いいだろう。
どっちであれ、きっと何かしらの欲望は持っているのだろうしな」
そう呟くと、男は手に持ったカプセルの蓋を解放し、その中身を垂らす。
カプセルの中から、半透明の不気味な物体が零れ落ちていった。
――スライムのようなゲル状の物体の中に、血管が無数に走っている。
そしてその中央には、眼球を思わせる球場の物体が浮かんでいた。
それはカプセルから解放されると、まるで自意識があるかのように蠢き、素早く瓦礫の隙間に滑り込んで行った。
「次のXENOVIA候補として、出会える日を楽しみにしているぞ!」
マント男は、バサッとマントを翻すと、まるで空中に溶けるように姿を消してしまった。
そこは、広大な廃墟の世界。
誰も人がおらず、車も、電車もなく、まるで何十年何百年と放置されているような街。
かつて居た“誰も居ない世界”を思い起こさせるその空虚な光景に、澪は戸惑っていた。
「な、何ここ?
ボク、また世界移動をしたの?
た、卓也? 卓也ぁ! どこに居るのぉ?」
大きな声で呼びかけても、何の反応も返って来ない。
ただ、自分の声が僅かに反響するだけだ。
「どうしよう……ボク、こんなところに一人ぼっちになっちゃったの?
寂しいよ、卓也ぁ……」
とぼとぼと、朽ち果てかけたアスファルトの上を歩く。
幾度もつまずきそうになりながらも、澪は当て所なく歩き続けるしかない。
やがて、進行方向に異常なほど明るい光のようなものが見えて来る。
それを見た途端、澪はすぐにそこに行かなければという感情に突き動かされた。
「そうだ、あそこに行けば……きっと」
何の根拠もない、行けばどうなるかも知らない。
だけど、澪の胸中には根拠のない“確信”があった。
パンプスを脱ぎ捨て、走り出す。
あと少しで、光の塊に辿り着こうというその瞬間――何者かの手が、澪の腕を掴み、止めた。
「だ、誰?!」
思わず振り返ると、そこに居たのは――
「れ、麗亜さん?! どうして?!」
つばの広い黒い帽子と、はためくような黒いロングドレス。
そして帽子の下から流れる、長い黒髪。
“誰も居ない世界”の池袋サンシャインシティ地下五階で、自分達に脱出経路を教えてくれた存在にして、既に死亡している者……ロイエ・麗亜。
そんな彼が、どうしてこんな所に出て来るのか、澪には理解が全く及ばなかった。
「引き留めているの?」
澪の質問に、黒いドレスのシルエットは応えない。
だがやがて、先程の光の塊が膨張し始め、二人を包み込み始めた。
「――や、やだ! ボクはまだ――」
やがて二人は、光に呑み込まれ、消えた。
どれほどの時間が経っただろうか。
「う、う~ん……あいたたた……」
意識を失っていたのだろうか、頭がぼうっとする。
眩しい光が、瞼を通り抜けて来る。
ガラガラと瓦礫が崩されるような音が聞こえ、やがてゴゴゴという大きな重機にも似た稼働音が耳に届く。
「だ、大丈夫ですか?!
え、え~と……み、澪、さん?」
「あなたは……アンナセイヴァーの」
「良かった! ご無事だったんですね!
今、ここから出して差し上げますので、少しお待ちください!」
そう言うと、アンナローグは巨大な瓦礫の塊を軽々と持ち上げて横へ放り投げる。
スーパーマンもかくやという程の怪力ぶりに、ぼやけていた澪の意識も瞬時に戻る。
「す、すご」
「さぁ、こちらへ!」
「あ、ありがとう! ボク、瓦礫の下敷きになってたの?」
「そうですよ。
偶然出来た空間の間に挟まっておられたみたいで……って、お怪我はありませんか?」
「ケガ? え~と……だ、大丈夫みたい」
「そうなんですか?!」
少し意識がぼぅっとするものの、特に身体が痛むとか、出血しているということはないようだ。
「奇跡って本当にあるんだ……」
「ホントですね! でも、念の為後で病院に行ってみてくださいね」
「うん、ありがとう!
って、あっ!」
肝心な事を思い出し、澪はローグにすがるように尋ねる。
「ねぇ! 未央は?!
ボクの連れだった、もう一人の――」
「そ、それが……」
「え……ま、まさか」
言い淀むアンナローグの反応に戸惑い、澪は振り返る。
自分が埋もれていた所はせいぜい人が一人居られるかどうかという程度で、とてもじゃないがもう一人が無事で居られるような余裕は見受けられない。
「そ、そんな……未央……」
がっくりと膝を着く。
そんな彼の肩に、アンナローグが手を置く。
「未央さんですが、何処にもいらっしゃらなかったんです」
「え?」
「ここにおられたのは、澪さんだけで。
未央さんは、いくら捜しても、その」
「じゃあ、もしかしたら生きてるかもしれないのね?!」
「え、ええ……もしかしたら」
「よ、良かったぁ! じゃあ、自力で脱出したかもしれないじゃない!
んもぅ、余計な心配させちゃってもう!」
「あ、あの~」
何かとても言いづらそうにしているローグと、それに気付かず胸を撫で下ろす澪。
しばらくすると、入口の方面がやたら賑やかになって来た。
やけに明るいライトが照らされ、思わず手で顔を覆う。
「レスキュー隊の皆さんです!
さぁ澪さん、ひとまずあちらへ!」
「う、うん!」
アンナローグに支えられながら、レスキュー隊のいる方へと移動する。
額に流れている何かを袖で拭い取ると、澪は安堵の表情でローグの横顔を見つめた。
ぺろり、と思わず舌なめずりをしてしまう。
「どうされました?」
「あ、ううん! なんでもない!」
なんだか、お腹が減っちゃって」
「あはは♪ 元気なんですね」
思わず笑顔を交わし合う。
澪が意識を失っている間に、渋谷ぱるる内で起きた事件はどうやら終息を向かえていたようだった。
一階奥バックヤードからも何人かの避難者が助け出されたようで、最終的に救助者の数は十人程となった。
だがその中に、新崎未央の姿は、なかった。