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押しかけメイドが男の娘だった件  作者: 敷金
第四章 誰もいない世界から脱出編
68/119

ACT-68『世界脱出計画遂に始動です?!』


「お姉ちゃん! あれなに?」


「え? 何g――ゲッ!!」


 かなたが指差す方向を見て、澪は思わず声を詰まらせる。



 左手に見える、中野新橋駅の入口。

 そこから、得体の知れないゲル状のどす黒い物体がはみ出ていた。

 それはまるで巨大なスライムのようで、濁った暗褐色が生理的嫌悪感を覚えさせる。


「前にはこんなのなかったんだよー」


「か、かなたちゃん、帰ろ!」


「う、うん!」


 さすがに異常事態だと理解したようで、かなたは文句を言わず同意する。

 澪は、手を握りながら早歩きで元来た路を戻っていった。







  ■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■

 

   ACT-68『世界脱出計画遂に始動です?!』







「かなたちゃんを、親御さんの所に……ですか?」


 卓也は、驚きの表情で尋ねる。


「はい、そうです。

 神代さんが異世界への移動能力をお持ちなら、どうか」


 そう言うと、坂上は床に頭を付けて懇願した。

 翔も、無言で深々と頭を下げる。

 

「い、いや、そう言われても」


「かなちゃんは、今でも時々ご両親の事を思い出して泣いているんです。

 ましてやあの子は、この世界でご両親にも逢ってしまった。

 その分、益々辛くなってしまったみたいでね」


「う、それは……確かにきついかも」


「今はもうご両親に逢うことは出来なくなってしまいましたが、もし戻れる可能性があるのなら……」


「俺からもお願いしたい。

 あの子、いつもあんな風に明るく振舞っているけど、俺達に気を遣わせないようにって必死で気丈に振舞っているんだ」


「あ、あうあうあう」


 二人の願いに、卓也はもう困惑するしかない。

 異世界移動は確かに出来るものの、どうやったら発動させられるのかも分からなければ、どの世界に移動するのか狙いを定めることも出来ないのだ。

 もしかしたら、かなたを今の世界以上に危険なところに連れて行ってしまう危険もある。


 卓也は、その旨を坂上親子に伝えた。


「そ、そうですか」


「残念だ」


「すみません、何の役にも立てなくて」


 今度は、卓也が頭を下げる。

 だが、今まで黙っていた沙貴がそこで口を開いた。


「その事なんですが、ご主人様の能力は――」


 だがその言葉も、突然慌ただしく響いて来た足音にかき消された。


「たたた、大変! おじさん、翔兄ちゃん、大変だよぉ!」


「卓也、沙貴ぃ! 駅が、駅が!!」


「おいおい、どうしたんだよ澪?」


「駅にスライムがどわっとね」


「澪、日本語で」


「落ち着いてる場合じゃな~い!

 みんな、ちょっと外に出てよ!」


「そーだよ! みんなも見に来てぇ!」


 澪とかなたに急かされ、卓也達はマンションから出て中野新橋駅方面へと向かって歩き出した。





 ――数分後。



「なんてこった! この町にも?!」


「バグ、エリアが」 


「マジか……」


「……」


 駅の入口から零れ出るような不気味な物体を見つめ、四人は唖然とした。


「これは大変だ、かなちゃん、すぐに引っ越しをしないと」


「う、うん! でも」


「気持ちはわかるけどね、前にも言ったでしょ。

 このままここに居続けたら、もう生きていけなくなっちゃうんだ」


「そ、そうだよね。

 うん、わかった!」


「あの、ちょっと待ってください!」


 何やら一瞬で覚悟を決めた坂上に、卓也は怪訝な表情で尋ねる。


「あの、このままここに居続けたらって、どういう意味ですか?」


「それは、そう遠くないうちにこの辺もあの壁に隔離されてしまうってことだよ」


 横から翔が説明する。

 その言葉に、卓也は愕然とした。


「え?! ちょ、どういうこと?!

 この異常現象って、隔離される前兆か何かなの?!」


「そうだ。

 ありえない事態が発生した場所は、やがて秋葉原や渋谷や池袋のようなことになる」


「――想定していた以上にやべぇ!」


 卓也は、真っ青な顔でその場にへたりこんだ。





 中野坂上のスーパーの入口を塞ぐ、謎の巨大肉。


 凍り付いたJR中野駅。


 線路が川になっていたJR四ツ谷駅。



 マンションに戻ると、卓也はこれまで見て来た異常現象を皆に説明した。

 特に、目と鼻の先とも云える中野坂上での異常現象は、坂上達に大きなショックをもたらしたようだ。


「すみません、どういうことなのか改めて説明して頂いてもよろしいでしょうか?」


「ええ、もちろんです。

 まず、これを見てください」


 そう言うと、坂上は翔から渡された一冊のノートを開き始める。

 それを見た卓也は、思わず目を剥いた。


「そのノート、もしかして?!」


「そうだ、二冊目のノートだよ」


「えっ、本当ですか?」


 坂上の持つノートは、確かに池袋で謎の祭壇に祭られていたあのノートだ。

 これのせいで酷い目に遭ったことを思い出すが、そんなことはどうでもいい。

 卓也は思わず、身を乗り出して坂上の手元を眺めた。


「実はあの時、どさくさ紛れに回収しておいたんです」


「今頃あいつら、これを探して大騒ぎしてるかもな」


 翔が愉快そうに笑うが、想像するとちょっと怖い気がする。

 卓也は、表情を強張らせる。


「ひええ」


「おじちゃん、あの時って?」


「かなちゃんにはまだちょっと言えないことかな」


「ぷー!」


 ほっぺを膨らませるかなたの頭を撫でると、坂上はここを読んで欲しいを言わんがばかりにページを開き、卓也達に提示した。


 それは、以前沙貴達が回収したコピーの大元になっていると思われる部分だった。

 ノートの主は、異常事態の発生から壁による隔離までの流れを、想像以上に細かく記述していた。

 恐らく、ここを書いている頃は、まだ正常だったのかもしれない。


 ノートの主による分析は、こうだ。


 ある日突然、それまで何の変哲もなかった場所に“ありえないこと”が起きることがある。

 それも、通常世界の変化のよる影響とは明らかに異なる、絶対にありえない事態。


 陥没して建物ごとなくなってしまったビル。

 ありえない角度で斜めに傾いてしまった鉄塔。

 ねじ曲がったレールがホームを浸食している地下鉄の駅。

 凍り付いた建物。

 九十度横倒しになった駅舎。

 スクランブル交差点に突如出現した沼。


 それら異常事態が発生した場所は、やがて周辺の植物が異常活性化を始め、辺りを呑み込んでいく。

 と同時に、突然黒く巨大な壁が道路を突き破って出現し、異常の発生したエリアを包み込み始める。

 そして最終的には、そこはライフラインも更新も停止してしまい、脱出困難な廃墟の街となってしまう。


 異常事態発生から壁による隔離が完了するまでの期間については明確な表記がないが、一か月前後ではないかという分析が書かれてはいる。

 

「――この部分についての情報は、私達も検証して事実であることを確認しています。

 神代さん、あなたの最寄り駅でも異常事態が起きているのであれば、恐らくは」


「四ツ谷方面から新宿、そして中野方面にかけての広大なエリアが、丸ごと」


「ひぃぃ! 何それぇ!

 それじゃあ、もうすぐにでもこの世界を脱出しなきゃならないってことじゃない!」


 沙貴の呟きと澪の悲鳴に、卓也は益々困惑した。


「あ、あわわわ……どうすりゃいいんだ?!

 このままだと、俺達も……

 あ、そうだ! そのノートに何か対策が書かれてたりしないんですか?」


 更に身を乗り出す卓也に、翔が首を振る。


「この後の表記がどんな風になっているかは、説明しただろ?」


「そ、そりゃあそうだけど」


「確か、バグエリアに人々を誘導するような内容になっていくんでしたね」


 沙貴の呟きに、翔が頷く。


「神代さん、私達はこの後、このノートを焼却処分しようと思っています」


 突然の坂上の言葉に、卓也達は驚きの声を漏らした。


「えぇ?! そ、それはさすがにもったいないのでは?」


「しかし、これがあったからこそあんな出来事が起きたわけで」


「せめて一冊目だけでも残した方がいいんじゃ」


「でもそのせいで、二冊目を探し求める連中が出て来たんだしな」


「そうですね、私も賛成です」


 沙貴が横から同意を述べ、それに卓也と澪がまた驚く。


「さ、沙貴!」


「えぇ……沙貴まで?」


「ご主人様、確かにこのノートは役に立つこともありますが、結果的に大勢の被害者を生みました。

 このノートが今後もこの世界に残り続けたら、更に増えて行くかもしれないんですよ?」


「そりゃそうだけど、なんか惜しいなあ」


「その為に、坂上さんのような方々がおられるんじゃないですか」


 そう言いながら、沙貴は坂上親子を指し示す。

 確かに、この世界の詳しい知識を持っていて誠実に人々を救おうと活動している者が居た方が、様々な解釈を生んでしまうノートを残すよりも良いかもしれない。

 それはわかるのだが、一冊目のノートを熟読した卓也にとっては、あまりにも惜しい損失に思えてならなかった。


 一冊目のノートは、いまだ卓也の手元にある。

 坂上親子は、それを提供して欲しいと暗に言っているのだ。


「それにさ、卓也!

 四ツ谷も危ないんなら、そろそろ本格的にこの世界から脱出する方法探さなきゃならないんでしょ?」


「お、おう、そうだった!」


「だったら、もうあのノートは僕達には関係なくなる筈だよ」


「そ、そりゃそうだが」


 澪の言葉に深く頷くと、戸惑う卓也に沙貴が進言する。


「その辺のことは、マンションに戻ったら改めて」


「そうだな、その方がいいかも」


「えええ、お姉ちゃん達帰っちゃうの?」


 三人の相談を聞いたかなたが、寂しそうな顔をする。

 その表情を見た卓也は、先の坂上の話を思い出した。




 その後、少しだけ今後の話をしてから解散する流れとなった。

 卓也は、別れ際に坂上から「先の話、是非ともご検討を」と念を押され、悩んでいた。


「ねえ、卓也?」


 移動の車の中、不意に澪が尋ねて来る。


「ん、なに?」


「今度こそ本当に、この世界から脱出する?」


「そうだな、あんな話を聞いちまった以上、もう猶予はないよな。

 真剣に考えるか。でも……」


「結局、ただ酔っぱらうだけじゃダメなのかな?

 何か他にも条件がいるのかな。

 ねえ、沙貴はどう思う?」


「――え?」


「ちょっと、今の話聞いてなかったの?」


「聞いてたわ。

 でもごめん、ちょっと考え事してたの」


「考え事?」


「着いたら話すわ」


 沙貴は、車中ではそれ以外話すことはなかった。

 何となく、いつもと違う雰囲気を察した卓也と澪は、それ以上何も言わないでおくことにした。




 マンションに戻り、夕飯の支度を始める澪と沙貴をよそに、卓也は例のノートを開いた。

 

『確かに、これがヤバイものだってのはわかるけど、処分ってのは本当に惜しいな。

 なんとかならないもんかな』


 卓也は、ふと思った。

 このノートを持って異世界に移動すれば――


「卓也ッ」


「わぁっ?!」


 突然肩越しに澪から声をかけられ、心臓が飛び出そうなくらい驚く。


「もう、さっきから呼んでるのに。

 ごはん出来たよ?」


「あ、うん」


「ねえ、またそのノート読んでたの?」


「ああ」


「卓也は、まだこの世界に残りたいの?」


「そんなことはないけど」


「だったら、もうこのノートのことは坂上さん達に任せようよ。

 この世界からいなくなる僕達には、もう関係なくなるんだし」


「それはそうなんだが……」


 澪の言う事も尤もだが、それでも卓也はこのノートを手放すのが惜しいと思えてならなかった。

 それほど、このノートには救われて来たのだ。

 いずれ必ず、誰か別な者の役に立つ筈としか思えず、坂上達の意向には同意しかねた。



 夕飯が済み、後片付けが終わったところで、三人はテーブルに着き今後の相談をすることになった。


 まず最初の話題は、この世界の脱出についてだ。


「とにかく、ビール飲みまくって酔っぱらうだけじゃダメなんだよね?」


「もう一度、過去に世界移動した時の条件を思い出してみようか」


「それがいいですね。

 澪、思い出せる?」


「う~んと……」


 卓也も含め、今までのことを振り返ってみる。


 一番最初は、卓也が帰宅途中に買って来たビールを飲んで寝落ちした時に発生したらしい。


 二回目は、澪と出会ったその翌日には移動が完了していたようだった。


 三回目は、新宿へ飲みに行き、ぐでんぐでんになって帰って来たその晩に発生。


 四回目は、イーデルのエージェント達に追われながら急いで酒を飲んで移動。

 これが、意図して世界移動を行った初めてのケースだ。

 

「――まぁったく、わからん。

 他の条件ってな、いったい何なんだ?」


「澪、どう思う?

 他に思い当たることはない?」


「そうねえ……じゃあ例えば、お酒飲む以外に何があった?」


「酒飲む前? え~と」


 もう一度、記憶を辿る。

 

 一回目は、長い残業生活が終わってくたびれまくっていた。

 二回目は、一回目と同じ条件がそのまま。

 三回目は、とにかくぐでんぐでんになった事以外覚えてない。

 四回目は――沙貴の顔を見て、頬を赤らめる。


「き、共通する点はないかな~? あはは」


「むっ、なんかアヤシイ」


「そうでしたね、あの日、私とご主人様は結ばれたんでした」


 沙貴がぼそりと呟く。

 だが以前のように、頬を赤らめながらではなく、まるで他人事のような物言いだ。

 その態度が少々気にはなったが、澪はあえて何も触れないことにした。


「ねえ、ちょっと思ったんだけどさ」


「ん、どした?」


「もしかして、お酒を飲んだ日って思い切り疲れてなかった?」


「「 疲れ? 」」


 卓也と沙貴の声がハモる。


「うんそう。

 だって、残業明けで寝落ちしたら僕の世界に来ちゃったりしたわけでしょ?」


「三回目がちょっとアヤシイとこだけど、言われてみればあの時も、結構体力消耗してたかも」


 酷く疲れている時は、酒の力を借りなくても普通に寝落ちしてしまう事が多い。

 そう自覚する部分は確かにあり、そこに酔いがプラスされれば――


 卓也の中で、何かが繋がり始めた……ような気がして来た。


「んで四回目は、沙貴と……何回ヤったのよいったい?!」


「さぁ、覚えてないわ」


「……」


「なるほど、そういえば移動に失敗した時は特に疲れていた記憶がないな」


「ああ、この世界に来たばっかりの時だね」


「そうそう」


「だったら、もう一回試してみる価値はあるかもしれないわね!」


 澪の仮想案を採用することにして、次回の移動の前に、卓也は何かの方法で出来るだけ疲れが溜った状態になろうということになった。

 当然、そこで澪がニヤリと微笑む。


「じゃあ次は……ねぇ卓也ぁ、僕と限界まで、しよ♪」


「お、おう……まぁ、それが手っ取り早いかもだけど」


「お言葉ですが。

 かなたちゃんのことは、どうされるんですか?」 


「え? あ」


「あの子が居る同じ場所で、破廉恥な真似はさすがにどうかと思いますけど」


「た、確かにそうか!

 じゃあ、いったいどうやって」


「それについて、実は提案があるのですが」


 そう切り出し、そこからは沙貴が話の主導権を握る。


 坂上達は、この世界に迷い込んだ人々を捜し、救い出す為の活動をしているといった。

 であれば、その手伝いをするのはどうか? というのが彼の提案だった。


 その活動に尽力すれば、恐らく身体も適度に疲労し効果があるのではないか。

 ――という沙貴の提案は、卓也にとって非常に説得力のあるものに感じられた。


「そうか、相談してみる価値はあるね!」


「翔さんに頼んで、きっついお仕事貰おうよ!

 頑張ってね卓也♪ がっつり疲労して帰って来てよ!」


「お、おま、俺だけにやらす気かぁ?!」


「だってぇ、僕が疲れても何の意味もないかなーって」


「ぐ、ぐぬぬ」


 いつものような卓也と澪の戯れ。

 しかし、沙貴がそれに乗って来ない。

 何となく興を削がれたような気がして止めると、それを待っていたかのように沙貴が呟いた。


「では、明日早速」


「ねえ沙貴、あんたがさっき車で考えこんでたってのは、この件なの?」


「え……う、うん、そうよ?」


「ふぅ~ん」


 頬杖を突きながら尋ねる澪に、何故か沙貴は一瞬戸惑うような仕草を見せる。

 卓也は特に気にも止めなかったようだが、澪は目を細めた。







「ねぇ卓也、起きてる?」


 その晩遅く、不意に隣に横たわる澪が小声で尋ねて来る。


「うん、何?」


「今日の沙貴、なんか変じゃない?」


「そう? そんな感じしなかったけど」


「僕だけかな、気になったの」


「まだ、身体の調子が戻ってないんじゃないか?」


「どうなんだろ……今日は何も問題なさそうだったけど」


 澪の言う通り、沙貴は今もリビングで一人過ごしていて、寝室に戻る気配がない。

 言われて思い返すと、確かに今日はずっと心ここにあらずといった感じで、少々距離感を覚えてた気がする。

 卓也は、額に手を載せながら軽く唸る。

 

「きっとあの子なりに何か思う事があるのかもな。

 しばらく様子を見よう」


「うん、そうだね。

 ところでさ」


 一旦話を区切り、澪が更に尋ねる。


「かなたちゃん、本当に次の世界移動に連れて行くの?」


「うん……坂上さんに頼まれたなら、そうするしかないかなって思うけど」


「それなんだけどさ。

 坂上さん達自身はどうするのかな」


「あ」


 澪の指摘で、ハッとする。




『どうか、かなたちゃんを――親御さんのいる世界に、帰してあげて欲しいのです』




(あの時坂上さんは、かなたちゃんだけを連れて行って欲しいという感じの云い方をした。

 どうせ世界移動をするなら、坂上さん達も戻れる可能性があるのに。

 ――なんでだろう? なんで、かなたちゃんだけを?)


「おかしいな」


「でしょ? もしかして坂上さん達は、この世界から脱出する気がないのかな?」


「いや……さすがにそれはないだろ」


「だよね。

 じゃあ明日、もう一度その辺のことを確認しに行こうよ」


「そうだな。

 もし本当に世界移動が出来るなら、全員まとめて脱出した方が絶対に良いしな」


 そこで、会話は途切れる。

 二人とも今夜は珍しく睡魔に抗おうとはせず、そのまま深い眠りに身をゆだねることにした。

 何となく、そういう流れになる空気ではなかったからなのだが。





(結局、ご主人様には言い出せなかった……)


 二人の寝息が聞こえて来た後、沙貴はカップに残ったコーヒーを飲み干してベランダに向かった。

 漆黒の闇が広がる街並みを眺め、東京とは思えない程に美しい満天の星を見上げる。


 今住んでいるこの場所も、そう遠くないうちに黒い壁に囲まれてしまい、やがては植物に覆われてしまう。

 そうすると、またあの植物魔物プラントモンスターのようなものが現れ、取り残された人や迷い込んだ人を餌食にしていくのかもしれない。

 沙貴は、この世界で過ごした約一年の月日の中で見て来た、様々な形の犠牲者を思い浮かべる。


 熱海の男達、麗亜と彼が護ろうとした孫、池袋サンシャインシティ地下五階で見た無数の躯。



(何を悩んでいるのだろう?

 私はロイエ。

 ご主人様に付き従い、ご主人様の望みを叶えて幸福な生活を提供する義務がある。

 だけど――本当に、それでいいのかしら?)



 心の中の迷いが、表情に出る。

 もう迷わないと決めたつもりだったのに。

 それが自覚出来るからこそ、沙貴は今、二人と今まで通りに話せる気がしなかった。




『そりゃあそうだよ。

 沙貴も、そして澪も、俺にとっては大事な家族だから』


『家族、ですか?』


『そう、家族。

 主人とか奴隷とかじゃなくって、とても大事な家族だ』




 まだこの世界の恐ろしさがわかっていなかった頃、熱海で迎えた熱い夜の思い出。

 卓也が自分に言ってくれた言葉が、脳裏に蘇る。

 否、実際はあれから、何度も思い返して一人そっと歓びを噛みしめていた。


(そう、ご主人様も仰ってくれた。

 私はもう、奴隷ロイエじゃない――家族、なんだ)


 ベランダから、寝室の方を振り返る。

 その目には、涙が浮かんでいた。




『この世界には、まだまだ大勢の人々がいるんですよね?

 お二人は、その人達をこれからも助けて行かれるのでしょうか』


『そうですね、そう考えています』


『そこで、相談なんだけど。

 良かったら皆さんにも、俺達の手伝いをしてもらいたいんだ』


『どうか、力を貸してくれないだろうか?』




 あの時の、翔の言葉が不意に思い返される。

 何故か、それが沙貴の胸に染み入っていく。


(私が、これからするべきこと……したいことは――)



 夜空に、一筋の流れ星が輝く。

 それを見止めた沙貴は、心の中で、祈った。





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