ACT-63『サスペンスな展開になって来ましたよ?』
「ん? 今のなんだ?!」
遥か彼方で、何か重たい物が落下したような音がした。
手を繋ぎながら地下五階の歩きにくい通路を進んでいた卓也と澪は、その音に過敏に反応した。
「ま、まさか、また何か出たんじゃない?!」
「じじ、冗談じゃない! これ以上異常事態が起きてたまるかってんd――」
卓也の声が、止まる。
そして澪も、息を吐く。
先程の物音と連動するように、突如、周囲から異音が鳴り響き始めたのだ。
それも、一か所や二か所ではない。
「な、なんだ?!」
「卓也、早く戻ろう!」
異音の正体は、ライトで照らすことですぐに判断出来た。
壁や床、天井を覆い尽くしている蔓や根が、突如動き出したのだ。
ぶるぶると震えながら、少しずつ伸び始めている。
その動きはだんだん激しくなり、まるで無数の蛇が蠢いているような生理的嫌悪感を覚えさせる。
「めっちゃヤバい予感する!
卓也、早く!」
「お、おう!
上に戻る手段はあるの?」
「あるわ! ザイルが下ろしてあるの」
「よっしゃわかった!
あっちの方角でいいんだよな?」
「そう、急いで!」
二人は一旦手を離し、急いでエレベーターの方向へ走り出した。
だが……
「うえ?! な、なんだあれ?」
「うっわ……」
二人は、眼前に広がる異様な光景に、思わず足を止めた。
いつの間に現れたのだろうか。
全身から血を流し、あらぬ方向にねじ曲がった腕と、人相すらわからない程に腫れ上がった顔を持つ何者かが、無数の蔓に捕らわれている。
どうやらまだ生きているようで、その者は弱々しく四肢を動かしている。
だが、細かな蔓や毛細根のようなものが次々に包み込み、やがてその動きも封じられる。
遂にはその身体は床から高く持ち上げられる。
しばらくすると、地響きを立てながら、奥の方から何か塊のようなものが近付いて来た。
それは通路を完全に塞ぐ程巨大で、しかも動きも他の蔓や根よりも早い。
卓也と澪は、その“塊”の各所に、無数の白いものが覗いていることに気付いた。
「まままま、まさか! あれって?!」
「が、ガイコツだ! シャレコウベだ! ドクロだぁ!!」
「い、いやあぁぁぁ!!」
「食ってるんだ! こいつ、人間の死体を養分にしてやがるんだ!」
「ろ、ろ、ろ、ロイエは別だよね? 例外だよね? ね?」
「ばっかも~ん! 同じだぁ!」
「ひぎぃ!! に、に、逃げなきゃあ!!」
二人は、徐々に迫りくる植物の群れに背を向け、今来た道を駆け戻り始めた。
緊張感のないやりとりでも、二人の顔つきは必死だった。
■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■
ACT-63『サスペンスな展開になって来ましたよ?』
「なんだか、下の様子が騒がしいね」
異変に真っ先に気付いたのは、エレベーターの穴に一番近い位置にいた坂上だった。
その言葉に、坂上の息子・翔が素早く反応する。
「何か大きなものが動いてるような音がする」
「どういうことですか? この下にはいったい何があるんですか?」
ようやく服を着戻した沙貴が、駆け寄りながら尋ねる。
確かに、下の方から大きな機械が稼働するような、それと共に粘着質な何かが蠢くような、耳障りな音が響いてくる。
「まずいな、さっきのアレがきっかけになったのかな」
しまった、という表情で、坂上が頭に手を当てる。
だがそんな彼をよそに、翔は迷うことなくザイルに手をかけ、エレベーターの穴を降り始めた。
「あ、ちょっと!」
「翔!」
「このままここに居たんじゃ状況はわからない。
行けるところまでいって確認するよ」
「う、うむ」
「何かあったら声を上げる。ザイルを引っ張ってくれ」
「わかりました」
「無理はするなよ!」
坂上と沙貴に見守られながら、翔はするすると慣れた動きで下っていく。
視線を下に向けたまま、坂上が語り出す。
「前にも話したと思うんですが、あれはこの世界で母親を失ってましてね」
「はい、伺いました。
とてもお辛かったでしょうね」
「ええ……でもあれは、その理由は自分が助けられなかったからだと思い込んでいるんです」
「助けられ、なかった?」
「はい。
自分がもっとしっかり母親を支えていれば、こんなことにはならなかった筈だと」
「……」
「それ以来なんです。
あれは、この世界に迷い込んだ人々を一人でも多く支えたい、助けたいと思うようになりましてね」
「助ける、ですか」
「そうです。
しかし、ここに巣食うノート教の連中は、そんな想いとは真逆な行為を行っていた。
だからこそ、たとえ力づくでも止めなければならない、と。
それが、今回ここに来た動機です」
坂上は、どこかせつなそうな面持ちで語り続ける。
その様子と語り口に、沙貴は何かこみ上げるものを感じた。
「ですが、あのエンジという男も、加害者とはいえ被害者でもあった。
翔も、過去に何度もあの男を救おうと試みたのです。
だからこそ、あれがエンジに制裁を加えるのは、何か違うと思いました。
なので、いつもなら一人で行動するところを、今回は私も付き合ったのです」
「坂上さん……だからさっきは、翔さんの代わりに?」
沙貴の呟きに、坂上は無言で頷く。
「この世界に迷い込んだ人を、救う……ですか」
沙貴は、思い返していた。
熱海で遭遇した本井という男と、その仲間と思われる者達の死体を。
彼らは、誰にも救いの手を差し伸べてもらえることなく、この世界で狂い、果てて行った。
――だがやむを得なかったとはいえ、その一因を自分が握っている。
本井は、既に朽ち果てているだろう。
そうするしかなかった。
そうしなければ、卓也と澪の安全を確保出来なかった。
だが、だけど――
麗亜の姿が、ふと脳裏に浮かぶ。
そして、彼が護っていた孫も。
死して尚、彼は沙貴に、行くべき道を示してくれた。
助けることが出来なかった、自分の為に、力を貸してくれたのだ。
だからこそ、ここに来ることが出来た。
――果たして自分は、この世界で、何をしたんだろう?
いつしかザイルを掴む手の力が弱まる。
「沙貴さん?」
「えっ?」
「どうしたんですか、ぼぅっとしてましたよ」
「すみません、ちょっと」
「下の様子は、どうなっているのでしょうねぇ」
坂上が、力強くザイルを揺さぶる。
反応が返って来た。
翔は、大丈夫のようだ。
「翔! 一旦上がって来なさい!」
坂上が大きな声で呼びかける。
その瞬間、沙貴の意識が現実に戻った。
サンシャインシティ地下五階は、もはや植物の地獄と化していた。
いったい何の種類の植物なのだろうか、まるで動物のように動き脈動し、逃げ回る卓也と澪を追い詰めて行く。
床に伸びた蔓や根は膨らみを増し、更にでこぼこになって走りづらい。
もしやこれさえも、あの植物が自分達を捕えるための罠なのかもしれないと思えてくる。
澪の咄嗟の分析で、こちら側から見てエレベーターの向こう側から、植物の塊のようなものが迫っている。
それはすなわち、脱出口が塞がれている、またはそこへの道が封じられたという事に他ならない。
ということは、卓也達は今この状況下で、別な脱出路を探さなければならないのだ。
LEDライトの頼りない光だけで、マップもわからない広大な地下室を走りながら。
絶望の文字が、二人の頭をよぎる。
「ちょ、ちょ、待って澪、もう走れない」
「そんな事言わないで! 止まったら捕まっちゃうのよ?!」
「そ、そんなこと言ったって……もう走れない……」
「もう、じゃあ僕の背中におぶさって」
「澪、そんなに力持ちだったっけ?」
そういわれて、かつて新宿駅から酔っぱらった卓也を連れ帰った時のことを思い出す。
「あ、無理だぁ」
「だよね~」
アハハハハ♪ と、二人揃って笑う。
もう、やけだった。
百数十メートルくらい向こうでは、凄まじい音を立てながら、あの塊が蠢いているのがわかる。
「澪、このフロアのマップ表示して!」
「ちょ、そんな事できないわよ!」
「ロイエだったら、そのくらい出来るかと思って」
「僕、そんなご都合主義なファンタジー作品のキャラじゃないしぃ!」
「じゃあどうする? こんなとこ来たこともないし、出口すら見つかるかどうか」
「見つかるわきゃないよね……トホホ」
「そうだよ、見つかるわけないかr――あれ?」
その瞬間、卓也は妙なことに気づいた。
急に、ひそひそ声で話し出す。
「なあ、澪」
「何?」
「声、小さくして。
ところであのバケモノ、どうやって俺達のことを追いかけてるんだ?」
「そんな事、僕にはわからないよ」
「だろ? 俺にもわからん」
「え、何その」
「いやさ、俺達のことをどうやって捕捉してるのかなって」
「そ、そりゃあ、見てるんじゃないの?」
「目もないのに、どうやって?」
「あ」
卓也の感じた違和感は、そこだった。
卓也達が地下五階に落ちてから、かなりの時間が経っている。
にも関わらず、植物達はすぐには動き出さなかった。
それが、先程上から落ちて来たボッコボコの何者かが現れてから、突然状況が変わった。
と、いう事は――
「もしかしてあの植物、人間の血か何かに反応したんじゃないのか?」
「血?」
「ああ、それで動き出したのかも。
俺もかすり傷は負ってるけど、血が大量に流れる程じゃないだろ?」
「うん、そうね。
そんな状態だったら、真っ先にケガの心配したもの」
「んで、負傷しまくりのよくわからん奴は、とっととあいつらに取り込まれた。
多分、前に取り込まれた連中も似たような理由で取り込まれたんじゃないかな」
「それが、どうしたのよ?
血で反応し始めたなら、僕達のことも」
「いや、そうじゃないかも」
「え?」
「気付かないか?」
卓也は、自分の耳に手を当てて様子を窺う。
不思議なことに、あれほど大きかった植物の移動音が、今は全く聞こえて来ない。
「どどど、どうしちゃったの? 動き止まった?」
「いや、多分まだだ。
あいつら、俺達の居場所がわからなくなってるんじゃないかな」
「え、なんで?」
驚く澪の唇に、卓也は人差し指を当てる。
「大声出すなって」
「え? あ、まさか――」
「そう、恐らくな。
あいつら、俺達の出す“音”に反応してるんじゃないかなって思ったんだ」
「よ、よくこの状況でそんな事気付けたわね!
卓也すごい! さすがは僕達のご主人様!」
澪は、思わず大声を上げて卓也を賞賛する。
だが――
ズズズズズ……
「だからぁ! 大声出すなって言ったのに!」
「た、卓也もぉ!!」
もう、遅かった。
彼らが大声を出したその瞬間、再び植物達が稼働を開始した。
「ひぃぃぃぃ!! また最初に逆戻りかよぉ!?」
「ぎゃらんぺこぽーん!」
「な、なんだそれ?!」
「い、異世界に脱出出来るかもしれない呪文よ! 知らない?」
「し、知ら――ん!」
「ひーん、やっぱダメかぁ!」
緊張感があるんだかないんだかわからない、中年男と男の娘メイドの逃走は、尚も続くのであった。
「ダメだ、下の階は気味悪い植物で埋めつくされてる。
とてもじゃないが、降りられるような状態じゃない」
ザイルを登って戻って来た翔は、無念そうな顔で二人を見つめる。
その言葉に、沙貴はがっくりと膝から崩れ落ちた。
「そ、そんな……」
「もしやさっきのアレが、起爆剤になってしまったのだろうか」
「かもしれないけど……そんなこと、俺達が分かる筈もない。
父さんのせいじゃないよ」
「うむ……申し訳ない」
「じゃ、じゃあもう、ご主人様は……澪は……」
「この状況だと、安否の確認も」
「……」
呆然と立ち尽くす三人は、絶望に満ちた顔で、エレベーターの穴を見つめる。
だが、その瞬間――そこに、信じがたい光景が広がった。
「え……?」
三人の目の前、エレベーターの穴の中。
そこに突然、人の姿が現れたのだ。
黒いロングドレス、つばの広い黒の帽子。
沙貴の目が、カッと見開かれる。
「麗亜!?」
「えっ?」
「どうして? どうしたあなたかここに?!」
「し、知り合いなのですか? 沙貴さん?」
「そうです!
あの子は……あの子は!!」
戸惑い激しく狼狽する沙貴をよそに、黒いドレスの人物は翔を指差し、次にエレベーターの下を示す。
と同時に、まるで幻のようにかき消えてしまった。
「ゆ、幽霊?」
「何を、示していたんだ? あれは?」
「麗亜が、何か教えようとしているんだわ。
もしかしたら、まだ、二人は――」
沙貴は、希望を取り戻した。
まだ、ここでやるべきことがある。
一瞬坂上達に目くばせをすると、沙貴は、迷うことなくザイルに手をかけた。
「沙貴さん?!」
「危ない! よすんだ!」
二人の制止の声を振り切り、沙貴はザイルを伝い地下五階に向かって飛び込んで行った。