ACT-59『遂に逢えました、あの人に!』
「ところで、あんたは何者?」
卓也の質問に、男は、微かに微笑んで答えた。
「俺は、倉茂容志。
よろしくね」
卓也は、その名前に覚えがあった。
否、覚えとかそんなものじゃない。
それどころか、ずっと追い求めていた名前だ。
「あんたが?! く、倉茂さんなのか?!」
目の前に立っている銀縁メガネにボーダー模様のポロシャツを着た細身の男性は、あの「落書きの主」本人だった。
■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■
ACT-59『遂に逢えました、あの人に!』
「まさか、こんな所で逢えるなんて思わなかった!
捜してたんだよ、あんたの事をずっと!」
「えっ、そうなの?」
「ああ!
あんたの落書きも追ったし、用意してくれた車も、ノートも持ってる!
あんたのアパートにも行ったんだ!」
「えっ、そこまで?
うわぁ、それは嬉しいなあ。
俺のメッセージを受け止めてくれた人がいたなんて」
「ああ! こんな状況でアレだけど、光栄だよ!
よろしく!」
「こちらこそ」
卓也は倉茂に握手を求め、彼もそれに応じる。
寒い場所なせいか、彼の手は酷く冷たく感じられた。
「ところで卓也。
どうして君はここへ?」
「うん、それなんだけど――」
卓也は、ここまでの経緯をかいつまんで話した。
自分が異世界を巡る旅の末にこの世界に辿り着いたこと、他の世界の住人も同行してること。
そして二冊目のノートを探した結果ここに辿り着き、謎のグループによってここへ落とされたこと。
話を聞きながら、倉茂は何度も頷きを返す。
「あの集団は、このエレベーターホールが“現世に繋がっている”と思ってるからなあ」
突然、倉茂がぼそりと凄い事を呟いた。
「現世? どういうこと?
つうか、そもそもあいつらは何なの?」
卓也のやや興奮しながらの問いかけに、倉茂は手で落ち着くようにとジェスチュアをする。
「彼らはね、ノート教の信者さ」
「ノート教?」
「ああ、俺が勝手にそう呼んでるだけなんだけどね。
彼らは俺達と同じくこの世界に迷い込んだ人達だけど、この世界に絶望してる。
そこに救いを与える象徴として、例の――あのノートを崇拝しているんだ」
「ノートを、崇拝?
い、意味がわかんねぇ」
「それが普通の反応だよ」
倉茂は、更に説明を続ける。
“ノート教”の連中の正体は、元々はどこか遠くからやって来た団体旅行客であるらしい。
バスごと移動中に巻き込まれてこの世界にやって来たそうだが、そこで見つけた例のノートにより知識を得た経験から、その内容を重要視するに至ったようだ。
やがて重要視を通り越し、この世界における“導きの書”のようなものであると解釈し始めた彼らは、ノートを書いた主とノート自体を崇めるようになり、今に至ったのだという。
「一種の“経典”みたいな扱いってことなのか。
あのノートは」
「“経典”を通り越して“ご神体”って所だね」
「そ、そこまで行くともう偏執的だなあ」
「本当にそうだよね。
元々あのノートは、この世界で古くからコピーが出回っていたみたいだ。
そこから実物のノートを探し当てたのかな」
「そうなんだ……でも、そう考えると、思ってた以上にこの世界って人が居るんだな」
「多分、百人や二百人では利かないと思う。
世界中で行方不明になっている人達は年間で何万人も居るらしいけど、そのうちの何割かがこの世界に来てしまったんじゃないかなって思ってるよ」
「もしそうだったら、二百人どころか数千人とか数万人居てもおかしくないのか」
「この世界全体からすると、それでも人口密度は少なすぎるからね。
やっぱり“誰もいない世界”に思えちゃうんだよ」
「そうだよなあ」
倉茂は、おとなしそうな口調で冷静に物語る。
その穏やかな話し方、そして落ち着きまくった態度に、卓也は徐々に違和感を覚えてきた。
「ところで倉茂さんは、どうしてここに?」
「ああ、俺も恐らく君と同じ」
「二冊目のノート、探してたんだろ? それでか」
「そうなんだ。
それで、ある時知り合った男にノートの情報を貰って、ここに来てみたら――ってわけ」
「落とされたってわけか。
って、男って誰?」
卓也の質問に、倉茂は少しだけ表情を曇らせる。
「エンジって名乗ってたね。
なんかいけすかない奴だなと思ったんだけど」
「聞いたことない名前だな。
それにしても、俺達良く生きてたもんだなあ」
「見てごらん。
その理由がよくわかるよ」
そう言うと、倉茂は懐中電灯で辺りを照らし出す。
よく見れば、周辺には何故か植物の蔓や根のようなものが無数に伸びており、しかも一部では塊のように複雑に絡み合っている。
特にエレベーターホールはそれが凄まじいレベルになっており、どうやらこれがクッションの役割を果たしたようだ。
「ふわぁ……なんだこりゃあ?」
「これが、この世界の正体なんだよ」
「え? 正体?」
「まあ、それはおいおい。
それより、久しぶりに人と逢えて嬉しいよ。
今、地上はどんな風になっているんだい?」
興味深そうに聞いてくる倉茂に、卓也は、少々もやついた気持ちを抱きながらも要望に応えることにした。
沙貴と澪の目の前には、壁が赤く縁取りされたエレベーターがあった。
既にドアは開かれ、その向こうには暗黒の空間が広がっている。
「ゴンドラが、ない?」
「これが何なのよ?!」
「こ、ここに、落とされたんだ。多分」
「説明してくれる?」
「この穴はな――現世に通じてるんだ」
「現世ぇ?」
突然おかしなことを言い出したエンジに、澪は思い切り怪訝な表情を浮かべる。
「信じられないのも無理はねぇよ。
でもな、本当なんだ。
ここに入れば、俺達がこれまで積んだ徳の力で、その人を元の世界に帰してやれるんだ」
「あんた……何、言ってんの?」
「なるほど、興味深い話ね」
思い切り正気を疑うといった顔つきの澪に対し、沙貴は全く表情を崩さない。
しかし、再び銃口をエンジに向ける。
「だったら、今すぐここから落ちてみてくれない?」
引き金に指を掛け、一歩ずつ距離を詰める。
エンジは、冷や汗をだらだらと垂らしながら、大きく目を向いて沙貴を見つめた。
「そ、それは無理だ!
俺はそこまで徳を積んでないし!」
「おかしいわね?
あなたさっき、“俺達がこれまで積んだ徳の力で、その人を元の世界に帰してやれるんだ”って言ったばかりじゃない」
「ほ、他の人間じゃなきゃダメなんだ!」
「理屈がわからないわ。どっちでも変わらないじゃない」
沙貴が、更ににじり寄る。
しかしある瞬間、突如、エンジの顔に笑みが浮かんだ。
「そりゃあわかんねえだろうな。
なんの修行もしてないお前らには!」
「なんですって?」
沙貴が顔をしかめたその瞬間、突然、背後から澪の悲鳴が聞こえた。
「きゃあっ?!」
「澪?!」
「もらったぁ!」
エンジは一瞬の隙を突いて、沙貴から拳銃を奪い取る。
あっさりと、形成逆転。
「さ、沙貴ぃ!」
「……!!」
澪の背後に、いつの間にか何人かの人影が佇んでいた。
そのうちの一人が、澪の腕を捕まえている。
彼らの手には、こん棒のようなものやナイフのようなものが握られており、フードの奥では妙に鋭い眼差しが光っていた。
「なんだぁこれ? モデルガンじゃねえか! ハッ!!」
エンジは、奪った拳銃をエレベーターの穴に放り捨てる。
と同時に、黒いフードを被った四人は澪を完全に取り押さえ、沙貴をも拘束し床にねじ伏せた。
「ケッ! あんなオモチャで散々脅しやがって!
すんませんでした皆さん! コイツらも落として俺らの徳上げましょうや」
「くっ!」
「ご、ごめん、沙貴ぃ~」
悔しそうな顔で、ニヤニヤ笑うエンジを睨む。
そんな沙貴の顔に、エンジはつま先をグリグリと押しつける。
「そういやお前ら、結構……エロいよな」
気味悪い口調で呟くエンジの言葉に、背筋が瞬時に凍り付く。
ニヤリと微笑むと、二人の屈強そうな男に抑え込まれた沙貴の下半身に手をかける。
「……っ!」
いやらしい手つきで、沙貴の尻を撫で回す。
エンジは酷くだらしない表情を浮かべると、沙貴のズボンのベルトに手をかけ、外し始めた。
「ちょ、やめ……!!」
「うるせぇ、おとなしくしてろ!」
情け容赦なく、エンジは必死で抵抗する沙貴を甚振りつつズボンを脱がしにかかる。
男達の協力も得て、やがて沙貴は、下半身を丸出しの状態にされた。
「さ、沙貴!」
澪を抑えてるのは、どうやら年配の女性二人らしい。
そのせいか、彼は同じような目には遭わないようであるが……
(この人ら、止めないんだ?!)
このままでは、次は自分の番だ。
そう思ったはいいが、澪の非力さでは、やはり二人の抑え込みを払いのける事は出来なかった。
「や、やめなさい!」
「うるせぇよ! どうせ最後なんだからよ、俺が――って、えっ?」
「あっ」
沙貴の生の尻に手をかけたまま、エンジが硬直する。
否、エンジだけじゃない。
沙貴を抑えていた男達も、呆然としている。
何事かと彼らの目線を辿った女性二人も、いつしか動きが止まった。
五人の目は、沙貴の――に、向けられている。
柔らかそうでまん丸い、プルンとした、それに。
「っ!!」
その一瞬を、沙貴は見逃さなかった。
彼は素早く身体を縮め、ズボンから下半身を引き抜くと、そのまま両脚で足を押さえていた男の顎を蹴り抜いた。
「うごっ?!」
そのまま両手を床に着け、ブレイクダンスのような動きで両脚を振り回す。
思わず腕を放してしまったもう一人の男の側頭部に、沙貴の踵がダイレクトヒットする。
「グホッ!!」
おかしな声を漏らして悶絶する男をよそに、沙貴は素早く立ち上がるとエンジを睨む。
ようやく事態を把握したエンジだったが、もう遅い。
咄嗟に立ち上がったエンジの延髄目掛けて、沙貴のキックが炸裂した。
「ギョ……?!」
もはや、恥ずかしい等とは言っていられない。
そんないで立ちで、沙貴は残る二人の女性を見ろした。
「ひ、ひぃぃ!!」
「た、助けて!」
女達は情けない悲鳴を上げながら、澪を置いてとっとと逃走する。
その異様なまでの足の速さに、今度は沙貴と澪が呆然とした。
「フルチンハイキック」
「止めてよ澪。
それより、急ぐわよ」
「へ?」
沙貴はズボンを穿き直すと、顔を赤らめながらエレベーターの方を見る。
その奥からは、禍々しいまでの“闇”が滲み出ているようだ。
「恐らくあの二人、助けを呼んで戻ってくるわ。
それまでに、次の行動に移らなきゃ」
「あ、うん! そうだね!
でもこの三人、どうする?」
「そうね、この穴に突き落とすのも手だけど」
「ちょ! そ、それはいくらなんでも」
「私達も、一旦ここは退きましょう。
今のままだと、装備が足りないわ」
「装備? いったい何の?」
「車まで戻れば、こういう時の為に集めておいたザイルがあるでしょ。
助けに行かないの? ご主人様を」
そう言いながら、沙貴は顎でエレベーターの穴を指す。
「あ、そうか! ここから降りなきゃならないんだっけ」
「本当なら今すぐ降りたい所だけど、それはさすがに無謀だからね」
「うん、わかった!
じゃあ、行こうよ沙貴」
「彼らがあと何人潜んでいるか、わからないからね。
澪、注意してね」
「了解!」
元気よく返事をすると、澪は自分のお尻を手で軽く撫で、パンと叩いた。
「――渋谷が? それに新宿も?」
「そうなんだ、だから俺のマンションのある四ツ谷もヤバそうでさ」
「そうか、じゃあやっぱり、あのノートに書かれていたことは、実際に起きている事と真逆だったんだな」
地下五階では、卓也と倉茂が話を続けていた。
懐中電灯の電池が切れ掛かっているのか、先程よりも更に周囲が暗くなっている。
卓也から地上の説明を受けた倉茂は、ため息を一つ吐き出すと、ボソボソと呟き出した。
「卓也、もし地上に戻れたら、坂上という人に逢うんだ」
「坂上? なんかどっかで聞いたような」
「坂上さんなら、きっと君の味方になってくれる筈だよ。
あの人は、あいつらとは違うから、信頼していい」
「その坂上って、あんたとどんな関係があるんだ?」
卓也の質問に、倉茂は、何故かとても陰にこもったような声で囁いた。
「あいつらみたいにノート崇拝者になりかけてた俺を、現実に引き戻してくれたんだ。
いわば、恩人ってところかな」
そんな事を話す倉茂の表情は闇に溶け込み、もうまともに窺うことすら出来なくなっていた。