ACT-47『あの子は、どんな娘だったんでしょう?』
「と、とりあえず、帰ろう。
なんか……訳がわからなくなって来た」
JR四ッ谷駅の、想像を絶する変貌振りにショックを受けた卓也は、誰に言うでもなくそう呟くと、とぼとぼとホームを歩き出した。
今や川となってしまった線路には、強い日差しがキラキラと光を反射させている。
雰囲気こそとてものどかなのだが、逆に、それが違和感と恐怖感を倍増させているように感じられた。
(どういうことだ? どういうことだ?
秋葉原といい、この四ツ谷駅といい、なんでこんなおかしなことになってんだ?
それとも、これがこの世界の正常な姿なのか?
……いやいや、やっぱおかしい)
卓也は、一応“川”を何枚か撮影し、後で澪と沙貴に見せようと考えた。
だが、同時に、
「あ、そうだ。肝心なことを忘れてる」
当初の目的である「落書きを探す」ことを思い出した卓也は、一番線・二番線ホームを入念に確かめながら歩く。
すると案の定、階段の横の壁に、落書きがあった。
だが、今回はなんと、三つも書かれてる。
“四ツ谷駅ってなんか好きなんだよな。
このホームから見える景色っていうか、バランスがいいよね。
橋の下を通る線路もなんか好き”
「えっ?」
卓也は、一番上にある落書きを読み、思わず振り返った。
四ッ谷駅は、すぐ近くにある新宿通りの橋の下を、線路が通っている構造だ。
その為、ホームから信濃町方面を向けば、その様子は簡単に窺える。
だが、今はそこを線路ではなく、川が通っているのだ。
なのに……
「線路って、はっきり書いてあるよな、コレ」
卓也は次に、その落書きの横に書かれた第二の落書きを見る。
“線路が消えてる? なんでだよ! 誰がいつの間に工事した?!
誰かいるのか? ここに誰か来たのか?!”
更に、そこから数十センチ離れた場所にある第三の落書きを読む。
“やはり あの情報は ほんとうだったんだ
この世界は かわりつつあるんだ
それが ここにあらわれているにちがいない
もしかしたら オレもようやく かえれるのかも しれない”
(うん? これ、同じ奴か?
なんだか、文体が変になってるというか)
インクの掠れ具合から、第三の落書きが一番新しく、第一のものが最も古いようだ。
落書きの主は、わざわざここに三度も訪れて、いったい何を訴えたかったのだろうか。
(ようやく帰れるかもしれない?
いったい、何があったんだ、この人?)
「あの情報」という記述が、やたら気になる。
だが、それ以上目新しい発見は出来ず、卓也はようやく本当に帰宅することにした。
■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■
ACT-47『あの子は、どんな娘だったんでしょう?』
沙貴と澪は、いったんマンションに戻ることにした。
その日の夕方頃には卓也も戻り、三人が顔を揃える。
夕飯の支度をしながら、三人は、それぞれの行動について報告会を行うことにした。
「――線路が、川に?!」
「――あの遺体が、ロイエだったって?!」
それぞれあまりにも予想外な報告で、互いに驚きの声を上げる。
特に卓也は、秋葉原の状況について興味津々のようだ。
「ってことは、あの壁に囲まれると、情報更新が遮断されちまうってことなのか?」
「まだ、あの壁のせいとは断言できないけど、その可能性が一番高いわね」
「澪の言う通りです。
ご主人様、この世界、もしかしたら私達の想像を超えるような、とんでもないことが起きているんじゃないでしょうか」
「う~ん、そうだなあ」
腕組みをしながら唸り声を上げる卓也に、夕飯のハンバーグを給仕しながら、澪が顔を覗きこむ。
「それとね、卓也。
明日、ボク達、山の方へ行って来たいの。
いいでしょ?」
「山? どうして?」
「実は、麗亜と彼が保護していた子の遺体を、埋葬しに行きたくてですね」
「ああ、そうか。
そうだね、そういうことなら俺も手伝うよ」
「あ、でも、それは……結構です」
「え? なんで?
だって土掘ったりするでしょ?
男手あった方がいいんじゃない?」
「忘れられているようだけど、ボク達、二人とも男だからねー☆」
「女の子並みの体格と腕力の癖に、何を言うてけつかる」
「あの、お気持ちは大変嬉しいのですが、問題は、その……」
「なんかあるの?」
身を乗り出して尋ねる卓也に、沙貴は、言い辛そうな表情で呟く。
「実はもう、車の中に」
「中に?」
「――乗ってるんです」
「……え?」
喫驚する卓也に向かって、沙貴は、車のシートを倒すジェスチュアをしてみせる。
「三人で行くと、その、ご主人様のすぐ横に、麗亜とあの子が居る事になりますので……
その、あまり、よいご気分にはなれないかなと思いまして」
「ちょっと待てぇい!!
もう遺体回収して来たんかぁい!!」
「本当はね、そのまま山に行こうとしたのよ!
でも、卓也に何かあったら良くないし、晩御飯の準備もあるからって」
「あ、あのさ、車の中に置きっぱなしなの?」
「大丈夫よ!
窓は全開にしてあるし、後でボクが掃除するから!」
何故か澪が、胸を張るようなポーズで主張する。
卓也は、それを見て頭を抱えた。
「あ、ああ、そういうこと……ね。
しかし、君らってホント、気持ちの切り替え早いのね」
「そういうわけでは……」
「あ、ごめん」
沙貴によると、車の最後尾と中央のシートを倒し、そこに担架ごと二人を横たえているとのことだった。
今は上にビニールシートをかけて、窓を開けている状態で停車させているようだ。
「担架ごと? よく入ったなあ」
「最近の担架は、折り畳めるようになっているんで、割と融通が利きました」
「ねえ卓也、お願い。
ボク達、出来るだけ早く帰ってくるから、それまでおうちで待ってて」
澪が懇願する理由は、卓也にもすぐ察しがついた。
遠出する間、自分が不慮の事故に遭う可能性を懸念しているのだろう。
気持ちは嬉しかったが、今の彼には、それは受け入れ難い願いだった。
「いや、俺も調べたいことがあるから、危険のない範囲で調べ物を続けさせて欲しい」
「でもぉ」
「ご主人様」
「さっきの話を聞いただろ?
俺も、もう少し違う範囲を調べてみたいんだ。
何かもっと違う発見があるかもしれないし。
な、頼むよ」
あまりに熱心に押して来る卓也に、ロイエとして反対することはできない。
二人は、渋々受け入れることにした。
「どうか、本当にご慎重に」
「そーだよ! 卓也に何かあったら、ボク達もこの世界から出られなくなっちゃうんだからね」
「……」
「あ、そうか、そうだよn――って、そこかよ!」
とはいえ、確かに、澪と沙貴がずっとこの世界に残り続けるなんてことになったら大変だ。
卓也は、改めて二人と約束を交わし、明日も朝から別行動を取ることで話をまとめた。
すっかり定番になった、夜の伽。
今夜は沙貴の順番で、卓也は寝室で本を読みながら待ち続けていた。
あの件があって以来、沙貴の元気がない。
それもあって、卓也は、今夜は猫かわいがりをしてやろうと心に誓っていた。
「お待たせいたしました」
やがて、寝室に沙貴がやってくる。
今夜の格好は、シースルータイプの白のベビードールだ。
エプロンのように、肩とスカートの裾には大きなフリルが付いており、手首には同じくフリルのカフス。
一見露出が少なそうだが、脇と背中はフルオープン、しかもスカートの後ろが開く構造で、その下からはTバックのショーツが覗く。
足首にも可愛らしいフリルのアンクルが付いており、大人っぽい沙貴にしては珍しくロリっぽいスタイルだ。
しかし、それでも清楚感とアダルト感は半端なく、卓也は思わずベッドから立ち上がった。
髪をアップにまとめた沙貴の首筋に、指先を滑らせる。
「あっ」と、嗚咽が漏れる。
「どうしたんだ、沙貴。
めっちゃいい雰囲気じゃないか」
「そ、そうでしょうか?」
「いつも綺麗だけどさ、今日は特にその――すごく、そそる」
「フフ♪ ご主人様も、すっかり男の子に慣れちゃいましたね」
「そりゃあ、君と澪しかいないわけだし」
「あら、もし私達以外に素敵な女の人がいたら、そちらに行ってしまわれるってことですか?」
「そういう意味ではないんだけど~」
「わかってますよ、ご主人様。
あなたは、そんな薄情な方ではありませんもの」
「沙貴のイジワル」
「ウフフ♪
でも、もう二度と、女の人では興奮しない身体にして差し上げますわ――」
そう呟き、卓也の唇を奪う。
大胆な舌の動きに翻弄されながらも、卓也の手は沙貴の下半身をまさぐる。
「んっ――!!」
力を込めず、形をなぞるように、全体を指先で撫でる。
途端に、沙貴の身体がビクンと震え、快感に悶え始める。
既に沙貴の感じやすいところを知り尽くしている卓也は、彼が顔を紅潮させ始めた頃合を見計らい、ベッドへ押し倒した。
三十分ほど経った頃。
沙貴の両脚の間から顔を上げた卓也は、先程から妙に静かな沙貴が気になった。
「どうしたの、沙貴?」
「あ、ご主人様……すみません」
「もしかして、気が乗らない?」
「あ、いえ、そういうわけではないんですが……」
そう言いながらも、沙貴の身体の反応は正直だ。
卓也は身体を起こすと、沙貴の顔を覗き込む。
「もしかしてさ、無理して俺に付き合おうとしてないか?」
「そんなことは――」
「夕飯の時も、なんか少し変だったもん」
「……」
沙貴の言葉が、止まる。
無意識に顔を背けるその仕草に、卓也はふっと笑った。
「いいよ、今夜はもう」
「で、でも」
「あんなことがあった後だもんな。
気遣ってくれるのは嬉しいんだけど、無理はしないで行こうよ。
俺も、沙貴のこと心配しちゃって、集中できなくなるしさ」
「ありがとうございます、ご主人様……」
「だから、今夜は――こうやって」
「あっ」
卓也は右腕を伸ばし、沙貴に腕枕をする。
「今夜は、このまま休もうよ。
明日は大変なんだからさ」
「申し訳ありません、ご主人様……ありがとうございます」
「こちらこそ、いつもありがとう」
「ご主人様、あの時と比べて、とても変わられましたよね」
不意に呟く沙貴の言葉に、卓也は顔を赤らめる。
「そ、そう?」
「ええ、何と言いますか、本当の意味で、私達のご主人様になられたというか。
ご主人様としての、自信に満ち溢れていらっしゃる気がします」
「な、なんか照れるな……」
「ご主人様と出会えて、私、本当に良かったです」
そう呟くと、沙貴は静かに瞼を閉じ、卓也の胸に頬を寄せる。
その肩を抱き、包むように抱き締めると、沙貴は安堵するような吐息を漏らした。
「おやすみ、沙貴」
「おやすみなさい、ご主人様」
静かな時間が流れ、薄暗がりの中、沙貴の微かな寝息が響く。
寝付けない卓也は、天井を見つめながら、これまでの出来事を色々と振り返ってみた。
(四ツ谷のことといい、秋葉原の事といい、それに、あの車の音……
なんかこの世界、どうやらいつまでも居続けて良い場所には、思えなくなってきたな)
ノートの主、落書きの主。
熱海の男、子供と抱き合うように死んでいたロイエ。
そして、車を乗り回している“誰か”。
卓也は、ここに来て突如増え始めた情報に、少々翻弄され過ぎているような気がして来た。
(明日、これからのことを、もう一度冷静に考え直そう)
そう心に誓い、目を閉じる。
思っていたよりもずっと早く、睡魔は訪れた。
その頃、澪は、マンション内の別の部屋に居た。
例の地味レイヤーOLの部屋は、その後侵入者がやって来るような兆候がないようなので、有耶無耶のうちにを第二の家のように使い始めたのだ。
といっても、実際に利用するのは、夜の当番ではない方のロイエなわけだが……
いつもならゲームをして遊んだりして、眠くなるまでの時間を潰している澪だったが、今夜は違う。
今彼は、自分と同じロイエ・麗亜が遺したと思われる、B5のノートを読んでいた。
そのノートは、どうやら麗亜自身による日記帳――というより、活動記録帳のようだった。
麗亜との面識はない澪だったが、綺麗な文字で丁寧に綴られ、しかも分かりやすくまとめられた内容から、彼が相当几帳面な人物であることが窺える。
麗亜が連れていた“クライアントの孫”は、まだ四歳の男の子のようだ。
ノートは、この異世界に紛れ込んでからの行動をまとめている内容の為、彼らが沙貴と別れてからどのような経緯を歩んだのかは分からない。
麗亜は子供の世話をしながらも安住の場所を求め探し、そして彼なりの手段で、この世界の分析を進めていたようだ。
(すっごいな、この麗亜って人。
子供の世話だけでも大変なのに、こんなに丁寧に情報をまとめていて。
それに、ボク達が持ってる知識以外にも、科学系の知識も相当高いや……)
麗亜のノートは、卓也が持っている例のノート同様、この世界がどのような位置づけのものなのかを分析し、かなり早い時点で情報更新が行われる理屈に気付いていたようだ。
そして最初の頃は、この世界におけるクライアントの自宅に戻り、そこでそれまでと同じような生活をしていた事もあったようだ。
まるでレポートのようにまとめられたノートは、非常に興味深く、また自分と同じロイエが書いたという事もあり共感するポイントも多く、澪は麗亜に対して親近感を抱きつつあった。
(たった二人で、色んなところに出向いて調査してたんだ。
本当に頑張ったんだね、麗亜……)
しかし、それだけ有能なロイエが、何故あんな場所で亡くなっていたのか。
澪は、そこが気になって仕方なかった。
(麗亜が死んでしまった理由は、あのビルから出られなくなったからだわ。
沙貴が自家発電装置をたまたま見つけたから、ボク達は明かりを点けられたけど、麗亜が弄った痕跡はないって言ってたもんね。
どういうことなんだろう、そんなに、追い詰められていたってことなのかな)
情報の更新がなくなった上、謎の植物の繁茂によって、ビルの出入り口が塞がれたことが、麗亜達の運命を決定付けたのだろうというのは、澪と沙貴の共通見解だ。
疑問点は他にもあるが、今はそう結論付けるしかない。
であれば、どうしてそんな場所に、麗亜は足を向けてしまったのか。
そもそも、何時から秋葉原は、ああなってしまったのか?
(麗亜ほどの高い分析力と判断力を持ってる人が、下手したら命に関わるような場所に出向くなんて思えないよね。
ボクだったら、絶対あんな所に篭城しようなんて思わないよ。
――ってことは、もしかして)
澪は、途中からノートを飛ばし飛ばしで読み始める。
半分ほどめくった辺りで、澪は奇妙な記述を発見した。
「通常の世界で、人が大勢訪れるような場所では、変化は起こりにくいとされている」
(ん? 変化?
されている……?
どういうこと?)
気になる記述の辺りを確認すると、どうやら麗亜は、“何かの影響”を避けるよう、途中から行動目的を変えたようだ。
そして、それには、明らかに何かから得た情報を頼りにしているフシが見受けられる。
(麗亜は、何から情報を得ていたんだろう?
こんな、誰もいない世界で、この世界の中の情報を得るには、手段は限られるわけで――あっ!)
急に顔を上げた澪は、慌てて、麗亜の遺体の傍にあった「ファイル」 を手に取る。
そこには、何かのコピーを束ねたものが綴じられているのだ。
「――これかぁ! 麗亜は、これを読んだんだわ!」
思わず、大きな声で独り言を唱えてしまう。
その内容は、確かに、以前澪も少しだけ触れたことがあるものだった。
『ざっくり説明すると、自分の素性と、この世界の概要が書き込まれてる。
しかも、かなり緻密に』
『この世界の、概要?』
『このノートの主によると、やっぱりこの世界は、無人の世界っぽいな。
かなり色々調べて回って、資料を残してくれているみたいだ』
麗亜のファイルに綴じられていたものは、卓也が持っている、あのノートの内容をコピーしたものだ。
(麗亜も、あのノートの内容を手に入れていたんだ!
――えっ? で、でも、待って?
だったら何故、麗亜は死んでしまったの?
あのノートがあれば、この世界で安全に暮らせるんじゃなかったの?!)
澪は、いつしか真剣な表情で、ファイルのコピーを読み始める。
そして、すぐにある事に気付いた。
(このコピー、途中までしかない!
卓也が説明していた、ETCの話とかが載ってないもの。
……あれれ? じゃあ、この先にある大量のコピーは、いったい何?)
麗亜が、これをどうやって手に入れたのかは、もはや知る由もない。
しかし、コピーの内容は、途中から“誰も見たことがないようなもの”になっていた。
「これ、まさか――途中から、二冊目のノートのコピーになってない?!」
またも澪は、大きな独り言を唱えてしまった。